#21 立ち尽くす
行く当てが無いとはいえ、場所をまったく移動しないのは、行く当てが本当に思い付かないからだ。
あれから数時間以上も経ち、頭の上にあった日が傾斜しているにも関わらず、ニコルは相変わらず、三太と別れた用水路の近くの歩道に立ち尽くしていた。
ニコルは三太との会話を思い出していた。
夢を強く信じようとしない少年を、諭そうと努力したが、結局諭されたのは自分かもしれない。あの会話で、今の自分に本当に何の力も無い事、これから先どうすれば良いか、見当も付いてない事に気が付いてしまい、行く当ても無く、たまに通り掛かる人々に気味悪がれながら、ニコルは只、突っ立っているだけだった。
これから何時間も、何日も、何週間も、何年も、何十年も……冗談では無く、見知らぬ土地で朽ち果てて尚、何百年も、この場に居座る以外は、何も考えられない始末だった。
それは気の遠くなる程の歳月だが、同じ様な事が既に何百年も前に起きていたのを、ニコルは思い返した。
と、いっても、勿論実際に目にした訳でも無く、まだ従順だった子供の頃、優しかった祖父に何度も聞かされた話の中の出来事――『文章』を解読した祖先の行動――を、ニコルは思い出した。
話の中で、彼には迷いは無く、例え法王を敵に回してまで、何処までも、気の遠くなる程の歳月を逃げようとしていた。〝連中〟……つまり、法王の僕達が何処までも、気の遠くなる程の歳月を追い掛けようとしても、彼は決して留まろうとはしなかった。
挙げ句には、『文章』の噂を聞き付けた別の国の王が、刺客を送って来る毎日でも、日々の恐怖に耐え続けてきた。
行き先が暗闇だろうと、踏み入れた地面が茨の道だろうと、彼は素足で棘を踏みつけ、進み続けた。
ニコルには、それが理解出来なかった。
特に今、まさに行き先は暗闇、行き場を失えば踏み留まる子孫を、彼は許しただろうか?
同じ状況に陥っても、決して諦めない〝連中〟を相手にしても、決して諦めなかった祖先の信じるものは、いったい何だったのか?
考えても、答えの出ないニコルの頭は先に進まず、従って足元も一歩も動かず、気の遠くなる程の歳月を、此処に留まろうとしていた。
その時、背後から、こちらに駆けて来る足音が聴こえた。
振り返ると、冬なのに思い切り日焼けした顔に、まるで南米のカーニバルの様な化粧をした女性が、小走りに走って来た。
ニコルは驚いて、数時間動かさなかった脚を、やっと数歩引いて避けたが、女性は彼になど目もくれずに走り抜け、先に停まっている屋根に妙なアンテナを沢山立てた白いミニバンに、手を振りながら駆けて行った。
「ボビー!」
恋人の名前だろうか。……女性がもう一度叫ぶと、運転席から、女性より薄い褐色の肌を持つ男が降りて来た。
女性と抱きしめ合う彼の服装は、ニコルにとっては余り目にしたく無い米空軍の物だった。
荷台のハッチバックが開き、転がる様に、太った背の低い男が降りて来た。更に荷台を大きく揺らし、かなり往生しながら、ニコルよりも背の高い男がもう一人……。
彼等は地に足を着けると、運転手と何やら話を始めた。
「七人目……?」
「そうだよ。この近所に住んでっから、呼び出しちまった。――あのよ、そんで、悪いんだけど、……仕事、此処で上がらしてくれねぇか? 車は基地に返しといてくれれば、いいからよ。誰か降りないと、あいつ、俺の車にゃ乗せられねぇだろ?」
運転手がこちらを指差し、二人組は頷いた。
そして二人組はニコルに振り向くと、笑顔を見せながら、ゆっくりと向かって歩いて来た。
「〝名前〟で呼ぶのかな? 〝階級〟で呼んだ方が、いいのかな?」
「好きにしろ。捕まえりゃあ、どっちでも同じ扱いだ」
行き先を見失い、何も理解出来なくニコルの頭にも、彼等の目的が一瞬で理解出来た。二人組の笑顔は、彼等が自分を迎えに来た人物である事をニコルに確実に解らせた。
恐らく祖先は、何度もこの風景を目にしたであろう。そして自分も何百年も経って、同じ情景を目にしている。彼等の正体はニコルには、まだ解らずとも、彼等が〝連中〟であろうが、他の追っ手であろうが、顔付きは変わらないはずだ。
例え、それが気の遠くなる程の歳月、――何百年経とうとも……。