#16 靴下
外交官ナンバーの車の良い所は、目立つが、警察に絶対に停められないのと、現地の他の車が必ず道を譲ってくれる二点だ。
警察が停めたところで、外交官特権を公使してお咎めなしだし、現地の車とぶつかったって、こっちは保険にすら入っていない――幾ら相手がごねても、賠償金は一切支払われない仕組みだ。
そんな便利な車がありながら、二人組は相模原ナンバーの車に乗っていた。しかも日本製のミニバンの狭い屋根に、巨大なパラボラアンテナを何基もつけて……。
基地職員のプライベートな車は、急ごしらえで取り付けた不安定なアンテナを揺らして、クリスマス・イブで渋滞する国道十六号線を、毎分数センチずつ進んでいた。
スモークガラス越しに、後ろから警察車両が赤色灯を回転させ、ぴったりと、こちらをマークしているのが見えた。世界情勢が不安定な昨今、テロリストと勘違いしているのか、この異様な車を警戒しているらしい。
守るべき立場の本職として、彼等に間違われているのを快く思うはずも無いファットマンは、携帯電話から懸命に、何処かに電話をかけていた。
「――えぇ、地元の警察です。そっちから圧力をかけて追っ払ってくれませんかね? ……え、これ? 普通の携帯電話ですよ。……仕方無いでしょう! 支給された盗聴防止機能付きの奴は、とっくに充電が切れてるし、バッテリーの規格がこっちのと合う訳無いじゃないですか! ――大丈夫ですよ。こんな間抜けな会話、聞かれたところで利用価値なんかありませんよ!」
ミニバンの荷台部分、無理矢理詰め込まれた大量のモニターの隙間で、太った身体を苦しそうに動かしながら、苛ついて電話を切るファットマンに、トールボーイが冷静に言った。
「基地に居た時に、電話を掛け捲ったせいだ」
苦虫を噛み潰した顔で、トールボーイを見たファットマンだったが、彼に噛み付く気にはなれなかった。身長の高い相棒は、この狭い日本車の屋根に、身体をくの字に折り曲げられて、身動きすら取れなくなっていた。
自分より悲惨な姿にファットマンが同情していると、携帯が妙な――自分達の携帯では絶対に鳴らないメロディーを奏でながら――着信を知らせた。
ファットマンは無意識に電話に出た。
「――はぁ? ボビー? 誰だ、それ? ……ヤバい、日本語だ」
「俺の携帯、返してくれよ」
運転席から、車の持ち主である兵士の褐色の腕が伸びた。
ファットマンは素直に従い、携帯電話を渡した。
兵士は辿々しい日本語で楽しそうに会話を始めると、最後にはマイクに向かって数度キスをして電話を切った。
トールボーイは兵士に訊ねた。
「ボビー、誰から電話だ?」
「――ボビーじゃねぇよ。パパもママも、俺にそんな名前は付けてねぇ。でも日本人の女の子からすれば、俺も、あんたも、〝ボビー〟なのさ」
ファットマンが吹き出して笑い、トールボーイを指差した。
「ボビー?」
トールボーイは不満気な顔で返した。
「――トーマスだ」
兵士も笑って応えた。
「上品そうな名前じゃねぇか。俺はマイケルだよ、本当はね。……でも日本だと〝マイケル〟は、日本語でも〝マイケル〟って読むんだな。――肌の色がこれで、名前が〝マイケル〟だと、あの、ほら、例の、有名な歌手と同じになっちまう」
「肌の色は、もう違うぞ」トールボーイは相変わらず、憮然として答えた。「まぁ、余所の国なら、少なくとも〝マイケル〟とは読まれない訳だ。……ドイツなら〝ミハエル〟、ロシアなら〝ミハイル〟、フランスなら〝ミシェル〟、イタリアなら〝ミケーレ〟だ」
「……南米なら〝ミゲル〟だな」
ファットマンが、プエルトリコ系らしい注釈を付け加えた。
「そういう事さ。めんどくさい話だろ? なら、もう〝ボビー〟でいいじゃねぇか……ってね。で、俺をボビーって呼ぶ日本人の女の子から、電話が掛かってくる訳さ。〝ボビー、今夜のクリスマスは会えるの?〟って。――まったく、めんどくせぇ」
「じゃあ、さっきのも……?」
「そうだよ。今夜はクリスマス・イブだから、俺がサンタクロースになって、靴下にプレゼントを仕込んで届けるのさ。――なぁ、お役人さん、あんたらインテリなら教えてくれねぇか? いったい、何処のどいつが、最初にそんな事をやり出したのかねぇ? そいつのせいで金が掛かって困るよ、まったく」
「そんなに金が掛かるのか?」
「そりゃ掛かるよ! 今夜だけで、五足分の靴下を用意しなきゃなんねぇんだぜ」
二人組は顔を合わせて、目を丸くした。
何とか目だけを相棒に合わせられたトールボーイが、兵士に教えた。
「元々は小さな金塊だったんだよ、靴下に入れられてたのは……。オランダか、トルコ……だったかな? ――兎に角、どっかの国の昔の偉い聖人が、キリストの誕生日に、貧しい人達にそうやって金を分け与えていたんだ。まぁ、本当かどうかは解らんが、実際、その逸話がサンタクロースの由来になったんだ」
「金の塊かよ! 偉くリッチな話だな。お伽話とはいえ、その時代に生まれてなくて良かったよ。生まれてりゃあ、今頃俺は破産だ――」すると、また携帯電話が鳴り、兵士は運転中にも関わらず、それに出た。「ハロー! ユーコチャン! ……ダイジョウブ、ダイジョウブネ。アイシテルノ、キミダケ。……スグ、アエル」
兵士は電話を切って二人組に訊ねた。
「別の彼女からだ。――よう、この仕事いつ終わるんだい? せっつかれて参ってるんだよ」
「なんせ、五人だからなぁ……」
ファットマンはそう言い、溜息を吐いた。
トールボーイは首を折り曲げ、長い腕を何とか伸ばしてモニターを調整し始めた。
「こっちは、たった一人だ。すぐ見付かるさ。それに嗅覚の優れた味方だっている。ひょっとしたら、奴の方が先に見付けちまうかもな」
ファットマンは相棒の言葉が今ひとつ信頼出来ないのか、また溜息を吐き出した。
「またどっかで、ゼリーでも喰ってんじゃないか?」