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「所長、どうしてこの人なんです?」
タブレット端末でデータと本人を見比べながら、納得いかない声色を発した。
「そうだよ、コイツめっちゃフツーじゃん」
気持ちの切り替えが済み、何事もなかったようにミサと共にダイニングルームへ帰ってきた途端、サキチはキリの言葉に上乗せした。
「えぇ?普通が一番じゃない?」
にっこり微笑みながら返す。
その笑顔が怪しいのに、とサキチは思う。
「まぁ、所長の目に狂いはないと思いますが、これからが心配です」
キリは、ソファに横たわるピナに一度目を向け不安要素を示唆した。
「何言ってるの!その心配な部分を軽減するのがあなたの役目でしょ」
笑っていたミサの顔が引き締まる。
「うっわー、大変そ」
他人事のように言うサキチをミサは鋭く睨んだ。
「サキチ、あなたもよ。今日の潜入で失敗したらあなたに全部非があるから。うちの評価がそれで下がったりでもしたら、ただじゃおかないわよ!」
ビシっと指さして格好良く台詞を決めた!と本人は思っているらしい。しかし、張り詰めた緊張感は既にそこにはなく、和やかな空気が流れ始めていた。
末路
契約
安定
破棄
排除
ぐるぐると文字が旋回しては消えていく……。
「バルハン」に関わることが決まれば、まず誓約書にサインをしなければならない。
養成学校で学んだこと、システムに関すること、全てを関係者以外に口外してはならない、ということを。
そして契約書には、実務期間二~三年、本部もしくは支部で働くことへの義務付け。
私、契約者本人も含め、自分の家族(一親等もしくは二親等まで)は老後まであらゆる面で不自由することがない、と明記されている。
しかし同時に、契約書を破る事態。つまり、仕事の契約途中での勝手な破棄は許されない、と目立つように赤文字で書かれていた。
もし、破ったなら――、なんてことは記されていない。
書いてはいないけれど、あることがまことしやかに囁かれていた。
あぁ、そうだキリさんが何か言っていたよね。
―――?
口元が動くのはわかったけれど、思い出せない。頭の奥が少し痛い。
日々行われる厳しい能力テストに合格して、養成プログラムを受けた中で最終的に残った子は何人いたっけ?
……あれ?
半年もしたら、入学した時と人数は半分くらいになってたよね。どんな子達が去って行ったんだっけ?
……?
一緒に卒業した子達にまた会いたいな。だって、色々話したいもの。同期のなんちゃらっていうので。
……同期?……あれ?
うまく思い出せない。
輪郭がぼやけて……。
性別も人数も覚えていない……?
でも、記憶力だけは私、いいはずなんだけど。どうして忘れてしまっているの?
あぁ、そうか……。忘れてしまった記憶を探すために私達がいるんじゃない。
うん、そうだ。仕事のよしみで探してもらおう。
だから早く起きなきゃ。
早く。目を開けなきゃ。
はっ、と息をつくようにピナは飛び起きた。
自宅とは違う光景にしばらく呆けてしまう。しかし、耳に届く声で我に返った。
「あ、あの、すみません」
少し痛む頭を押さえつつ、ダイニングテーブルを囲んで談笑をしている三人に近づき謝った。
「あ、ピナちゃん、大丈夫?」
心配そうに眉を寄せて、椅子から立ち上がるミサ。
「あ、は、はい。大丈夫です」
そう、大丈夫。
心配かけないように、ピナはほんのりとだが、笑みを浮かべて返した。
「急に倒れてしまったのよ。だから念のため、熱や脳波に異常がないか、簡単に調べさせてね」
さらに近づいて、額と頭の周りを囲む検査機器を装着させた。
養成学校で見慣れたものとはいえ、ピナはこの装置が好きではなかった。物心ついた頃から、頭に触れられること自体、好きではないのだ。
特にこの装置は、掌で頭を撫でられるような優しい感覚ではない。短時間ではあるが、若干痛みを伴う。何かザラリとしたものが脳を撫でていくような奇妙な感覚に陥るからだ。
瞼を伏せ、何度も味わった感触に震える中、ミサに声をかけられた。
「あっ……」
何故声をあげたのかピナは理解できなかった。自分の声にも関わらず。何かを言おうとしていたことは思い出せるが、内容がわからなかった。霞がかかったようで。
……あれ?なんだっけ?誰かに何か言いたかったような。
首をひねるが、いくら考えても答えが出なかった。
そんな考え込むピナを見つめながら、ミサはゆっくりと口元を綻ばせた。
「ピナちゃん、異常はないわ。うん、大丈夫。大丈夫」
元気づけるように、ぽんぽんと肩を叩いて満円の笑みを浮かべた。
「え、あ、はい。ありがとう……ございます」
「さっ、ピナちゃんもあの子たちと一緒に上へあがって、お仕事がんばってきなさいねっ」
既にキリとサキチはダイニングルームの出入り口で待っている。腑に落ちない気持ちを抱えながら、キリとサキチの後に続いた。
いよいよピナの初仕事だ。
2013.5.30修正