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サキチが出て行ったまま一向に帰ってこない。
痺れを切らしたミサはため息をつきながら席を立った。サキチのいる場所が検討でもついているのか、その足取りに迷いはない。
ミサの後ろ姿が見えなくなってから、キリは話を進めることにした。
手元のタブレットで操作するや否や、ピナの目前の空間に様々な情報フォルダを映し出す。
「さて、本来ならば二人揃わなければ、内容は話さないのですが、時間もありません。説明に入ります」
そう言うと、手元をタッチして関係あるフォルダを開け始めた。
『依頼者:コンドウ イサオ(30歳)
依頼内容:高校時代の音楽の先生の氏名、容姿、一番怒られた場面』
その他には、依頼者の容姿や、現在の職業など。事細かに分析されている。
「え?怒られた場面?」
思わず疑問が口をついて出てしまう。
「……依頼ですから、その通り探してください」
しかめた顔を一瞬浮かべたが、すぐに無表情に戻した。あまり例をみない依頼内容で、頭の中で反復していたピナは気づいていない。
「あ、はい!」
養成所の指導教官と同じことを言われ、瞬時に背筋をピンと伸ばし、快活に返事をした。
口調が事務的なところ、教官達と似てるじゃない。
外見に目をくらませていたピナはようやく我に返った。
「それで依頼日はいつなのでしょうか?」
初仕事らしく、気を引き締めて、ピナも事務的な言い方を模してみる。
「……今日です。今日だから呼んだのですが。東京支部のモットーは即日即答ですから」
薄く唇を横に引いた、気味悪い笑みに、ピナは寒気を覚えた。
え?
何?モットーって、何を言っているの?
即日即答なんて学校で聞いたことない。
依頼日は、依頼者の指定した日時にできるだけ応えて、こちらから事前連絡をし、日程を知らせる。そしてメンバー同士で何度か打ち合わせをして依頼者の夢に臨む、と習ったのだけど。
どういうこと?
不審に思い、眉をひそめてキリを見つめた。
「何か?」
文句でもありますか?という透かした顔で返した。
「い、いえ。ただ、あのビックリで」
「ビックリですか?でも、この即日即答は、所長も説明してると思いますが」
次々にフォルダを閉じながら言った。
「え?え―――?」
ミサとのやり取りを思い出そうと必死である。
なんの花かわからなかったけれど、どこかで嗅いだことがある、香りのいい紅茶を出されて感動しちゃったり。
しっとりしているのに甘すぎない、チョコケーキを美味しく食べて、世間話して……。
ん?
指導教官の嫌だったところをお互い喋って共感したり。
あれ?
パートナーの名前と支部の場所は教えてもらえたけど、あとのことは来てからのお楽しみに、っていうことでお別れしたんだっけ。
初出勤の日は、後日連絡するね、と言われて。
「あっ!」
思い出すのに時間はかかったが、弾かれたように声をあげた。
「ど、どうしました?」
大きめの声で、キリは平静さを欠き、動揺を急いで取り繕った。
「あ、あの……。ミ、ミサさんから特にそういった説明は受けていないのですが」
言いにくそうに、俯きながら伝えた。
所長、と呼んだときのミサの姿を思い出し、意識的に名前で呼んでみる。
「……全くあの人は」
深いため息をついて呆れた。
「ですが、現に貴女は支部の一員として登録されていますから、働いてもらいますよ」
ミサの非礼を詫びるでなく、至極当たり前のこと、と言わんばかりに告げた。
「え……あ、あの」
先ほどまでの物腰柔らかな雰囲気が次第に消えていく。
「辞めますか?この仕事」
「え、いえ、そういうわけじゃ」
一方的な言い方に、額にじっとりと汗がにじむ。
「辞めてもいいんですよ。私たちは困りません。すぐに変わりは探せますから。ただ……」
背筋にもひんやりとした、冷たいものが流れているような感覚に陥った。
「た、ただ?」
聞いてはいけない気がした。
頭の中で黄色の警告ランプが点滅してる。しかしキリは、おかまないなしに続けた。
「貴女や、家族が困りますよ」
冷たく言い放たれた。
ピナは凍り付いたように微動だにできない。
「契約違反者の末路は知っているでしょう?」
耳を塞ぎたくなったが叶わない。
聞きたくない言葉が無情にも浴びせられ、ピナは限界を越えた。
2013.5.30修正




