5
乳白色の世界。
……あれ? どうして夢の世界へ僕は墜ちていこうとしているのだろう?
針穴のような小さな空間が少しずつ近づき迫ってくるなか、ぼんやりとスイは思った。どうして夢の中へ入って行くことになったのか。一体誰の夢へ向かっているのか。うまく思い出せない。
強い向かい風が体全体に吹き付けてきてスイは思わず目を固くつぶった。
それは僅かな時で、あっという間に風は通り過ぎ、穏やかな風が凪いでいることに気付いた。新緑の匂いが香るような雰囲気さえあった。
「ここは草原??」
スイのひざ下くらいに伸びた青々と茂る草が風でそよぐ。サァァと草の音が遠くから近くへ、そして遠くへ去っていくのだ。そして、足を踏み出せば、足の裏がこそばゆく、素足でいるというのを実感できてしまう。音も鳴れば、草の感触もリアルすぎて、思わずスイは自分のいる場所を言葉にして確かめた。
しかし周りに誰もいなく、虚しく言葉が流されていく。
「……ふふふ」
「……そう。――――」
リアル過ぎる夢にようやく慣れた頃、小さなささやき声がスイの耳に聞こえてきた。懸命に目を凝らすと、遠くの方で何かをくるくる回している様子が見えた。スイはいま一度用心深く辺りを注視してから前へ進んで行った。
この夢の持ち主だろう、と踏んで。
近づくと人影は二人であることに気付いた。くるくる回っていたのは、白い傘。雨が降ってるわけではないので日傘なのだろう。
その軽やかに回す日傘を差すのが一人とその隣に身長の高い男性のようなシルエットが一人。二人並んで座って寄り添うように何かを話していた。
あれは――――。
ごくりとスイは息をのむ。
「××××、いつかこんな場所に家を建てられたらいいわね。あなたと私と……もし子どもができたら子どもたちと」
「そうだね。君となら幸せな家庭を築けそうだよ」
優しい微笑み。ここからでもわかる。アノ人は垂れ目ではないけれど、嬉しそうに瞳が弧を描いている。そんな表情にさせるアナタの隣にいる人はナニモノですか? スイは気づかれないように近づきながら心がチリっと痛んだ。
「ずっと貴方の隣で、過ごしたいわ。難しいということはわかっているけれど」
「……僕もだよ。君といるととても心が落ち着くし。此処が温かくなる」
背の高い方が胸元をトントンと軽く拳をつくって叩いた。
「ありがとう。キリヒト。これからもずっと一緒に――――」
ほっこりする笑顔をキリヒトという人物に見せたかと思うと蜃気楼のように相手の姿は霞んだ。手を離れた日傘が風にさらわれて、くるくると回転しながら舞い上がって見えなくなっていった。それと同時に背景が目まぐるしく変化した。草原は何かで一気に刈り取られたように何もなくなり、色彩豊かな色と汚らしい色がごちゃごちゃに混じり合い、色に酔うスイは立っていられなくった。
ようやく落ち着いたと思った時、辺りはコンクリートが敷き詰められたかのように灰色で冷たい世界になった。四つん這いになって気持ちが悪くなったのを凌いだスイとは対照的に、キリヒトと呼ばれた長身の男は立ったまま微動だにしていなかった。後ろ姿を見つめるスイには彼の表情が見えない。
のろのろとスイが立ち上がると、キリヒトという人物の前方がぼうっと青白く光が灯った。見惚れているといつの間にか人が入れるカプセルが出現していた。
「ア…リサ? どうして?」
それを見るなり、キリヒトという人物は頼りない足取りで近づいて行った。
「どうして…こんな姿に!?」
がくっと膝から力が抜けたのか急に崩れた。
「こ、こんなこと望んでなかったのにっ」
すがるようにカプセルに手を伸ばす。
「いいじゃないか。キリヒトくん。彼女の夢を見る回数はとても多く、蓄積数も見込めそうなんだよ。ただ生きながらえるより組織のために活用していったほうが有効だということくらいわかるだろう?」
どこからともなく声が降ってきた。見えない相手に頭を振る
「……わかりません」
「人は幻想。いや願ってやまない。幸せな夢、苦しい夢、重要な夢、それらを保管したいと。それがもう可能になっているんだよ」
「……だからなんです?」
「リサの記録等見させてもらったけれど、キリヒト、君は隠していたよね? 技術者ではなく本当は能力を産まれながら持っているっていうことを。どこで改ざんしたか? なんて野暮なことは聞かないよ。今、この時点からコードネーム:キリとしてバルハンシステムに重要な介助者として任に着くことを命じる」
「できません! アリサを返してください。責任もって私が最期まで看ますから、ですからクレッセント社を辞めさせてください」
声の持ち主は低い笑い声をあげた。
気分が悪くなる笑い声だ、とスイは思うのと同時に、今目の前にいるのがあのキリだということが信じられなかった。
「なに言ってるんだい? うち以上の設備が整っているところなんてないよ。どこでリサを看るっていうんだい? それにうちの組織を辞める? 甚だしい。色々と知ってる君をそのまま外においそれと出すわけがないだろうに。一生飼い殺しだよ。カ・イ・ゴ・ロ・シ」
キリは見えないなにかに拳を振り上げ、怒りを爆発させていた。相手が見えないので何度も空振りをし、バランスを崩し次第に荒い息だけがあがる。
「君のような特別な存在は早く消耗しとかないとね。あとあと面倒だからね。覚悟しといたらいいよ。あ、そうそう。勝手に出て行こうとしたときにはリサの命はないからね。それだけ覚えておいたほうがいいんじゃないかな?」
今度は高笑い。耳障りで、天高く螺旋を描くように笑い声が上へと吸い上げられ、ようやく周囲は静かになった。カプセルも消え、ただ一人立ち尽くすキリと傍観するスイが残された。




