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ピナは自分で清算しようと財布を探したが、持ってきていないことに気付き、窓口で固まってしまった。それを横目でおかしそうに笑いながら、サキチは助け舟を出した。
「大丈夫、俺カード持ってきてるから」
と、ブラックカードを自慢げにピナに見せつけた。
「だから、そのへんのベンチで待ってて」
「あ、うん」
払いたくともできない現状にピナも納得し、サキチに言われるがまま、玄関に近い待ち合いロビーにあるベンチに腰かけた。
時間はかからない、と思っていたピナだったが、なかなかサキチが戻って来なく不安になり、もう一度窓口の方へ向かった。そこでは係の人とサキチが何やら言い合っている。いつになくせわしく、オーバーな身振り手振りで説明している姿を見て、ピナはそっとその場を離れた。あそこで割って入っても何も解決しないのでは? と思って。まだ時間がかかりそうだと判断し、ピナは病室を出る時にサキチに聞いたことを思い出し、おもむろに玄関口に設けてある電話等ができる専用エリアへ移動した。
そして携帯端末を出すと、サキチがここまで乗ってきた無人タクシーの要請をした。数分後、端末に『無人タクシーが到着しました』、というメッセージが画面に映し出されたのを確認すると、もう一度サキチのいる所へ戻った。揉め事は終わったのか、ちょうど向かいから清算を終えたサキチが近づいてくる。
「ごめん、ごめん待たせて。人のキャッシュだったから文句言われちゃって」
ため息とともに、頭をぽりぽりとかいた。
「え? 人の?」
「あ、なんでもない。そうだ、俺ここまでタクシーできたから、頼まなきゃいけないんだった」
「それなら私、頼んだよ」
そう言いながら端末をサキチに見せた。
「おっ、サンキュ。さっすがピナちゃん。そんじゃ行こう行こっ」
サキチは、自分のそばにずっと置いていたピナのスーツケースに手を伸ばし、自然に転がして先へ行く。くすぐったい想いがピナの中に湧いた。
病院の前にはピナ達と同じように、無人タクシーを要請して待たせている人達が短い列をつくっている。各車体に車体カラーと、ナンバーが振り分けられているので、すぐに判別がつく。
二人は青ノ七に荷物を詰め、乗り込んだ。
サキチは、搭載されている自動音声認識に声を吹き込んだ。キリやミサが待つ東京支部の一歩手前の区画を指定して。
理由は公に支部の場所を明らかにしていないからだ。
タクシーは、目的地確認のため自動音声応答のやや硬さのある声が話し始めた。サキチはそれに「イエス」と簡単に答えると、少しの浮遊感を感じながらタクシーが音もなく発進した。
「……サキチくん、この辺ってどこかな?」
後方へと遠ざかっていく病院を見つめながら、ピナは声を発した。まるで要塞みたいだ、と思いながら。
「は?」
目を丸くしてピナを見つめた。
「え? なに?」
サキチが目を丸くしている理由がわからないのだ。
「……。知らないのか?」
ゆっくりとサキチは返す。その聞き方にピナは首を傾げた。
「覚えてない?」
「え? なにを?」
サキチくんの言っている意味がわからない。ピナは自然と眉間に皺が寄っていった。
「……。いや、いいんだ。知らないんだったら別に」
ピナを見つめていた視線を外し、サキチは口を真一文字に結び、正面を見据えた。
サキチの言いたかったことをピナは知ろうとしたが、話しかけられる雰囲気でないと思い、言葉を呑んだ。
そのあとはただ、沈黙が続く時間だけが過ぎていった。
本当に覚えていないのだろうか。
キリが言った通りと言えば、そうだけど。あまりにも、だ。記憶の欠落が激しすぎる。
ゆるやかに変わっていく景色を見つめるピナの横顔を盗み見ながらサキチは思った。
重苦しい沈黙のなか、タクシーはゆるやかにブレーキがかかり始めた。
"トウチャク シマシタ セイサン ハ クレッセント シャ キヅケ デ ヨロシイデショウカ"
誰でも乗れるような物には気の利いた高度AIが搭載されているわけではないので、滑らかさにかける音声が確認を求めてきた。
「イエス」
不機嫌そうに答え、目の前に映し出された画面にサインをし、さっさとサキチは降りた。今度はピナの荷物など目もくれずに。
態度の変化に困惑しながら、ピナはスーツケースを降ろし、サキチのあとに続く。
重厚な門扉の横壁にあるインターホンをサキチは乱暴に押した。
「お帰り。少し遅かったわね」
キリではなく、ミサが出たのでサキチはきっとインターホン越しに睨みつけ、
「つーか、カードのことで怒られたんだけど」
ふてくされた物言いでインターホン越しにいるミサに苛々をぶつけた。
「あ、ごめんね。そういうえば窓口に伝えるの忘れちゃった」
エヘヘ、というわざとらしい笑い声がもれてくる。
「ったく。可愛くないっつーの」
「ひどぉい」
きっとミサさんは膨れた顔をしているんだろうな、と遠目でピナは思った。二人が会話している様子がなんだか遠い映像に見えて心がギュッと締め付けられるような想いがよぎる。
「とにかく二人とも入ってきてください」
ミサの横からすっと割り込んできて、キリが先を促した。
「はいはい。じゃぁ開けてくださいよっ」
肩をすくめ、鋼色した門扉の前に立つサキチ。ゆっくり開いてから、サキチのあとを遠慮がちにピナはついて行った。
※音声認識等、詳しい方がおりましたらご指摘ください。