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明け方に見た夢が妙に生々しく、ピナはそれ以上眠ることができなかった。
ゆっくり起き上がり、病室内にある洗面台に立つ。瞼が重い理由を知りたくて鏡で確かめた。
「……悲惨な顔」
ヒリヒリする目尻を押さえながら、ため息とともに言葉をもらした。
ひどい自分の顔を見て、また涙が流れてしまう。でも、私どうしてこんなになるまで泣いていたんだろう。鏡に映る自分を見ながらピナは首を傾げた。
とても哀しくて、やり切れない想いが込み上げてきたはずなのに。目覚めてしまえば思い出せない。どうして、いつもいつも夢のことを覚えていられないの? 自分の記憶の曖昧さに行き場がなく、苛立った。
腫らした目があまりにも不恰好だったので、枕元にあったタオルを火傷しない程度の熱さで絞り、目にそっとあてた。
腫れた瞼が気持ちいい。スゥっと腫れが落ち着いていく感覚がわかる。何度か繰り返し、幾分ましになった自分の顔を確認した。暗い気持ちを吐き出すかのようにピナは力強く、ふっっと息を吐いた。
「久しぶりのお仕事だもの、頑張らなきゃ!」
自分に言い聞かせて、部屋のカーテンを勢いよく開けた。すると朝の眩しい光が部屋中に広がっていく。
ピナは眩しい光に目を細めながらも、外に広がる気持ちのいい青空を見上げた。そしてどんよりとした気持ちを吹き飛ばすかのように、窓を開け、新鮮な空気を室内いっぱいに取り込んだ。
清々しい風に髪を揺らしながら、昨日ミサが持ってきてくれた洋服などが入っている、一人用の木製ロッカーを開け、着替えた。
「ん?」
着替えながらピナは疑問に感じた。
この服とか色々、一式誰が用意したんだろう? お母さん?? でも看護師さん、お姉さんが持ってきてくれましたよ、って言ってたけど。あ、そっか、ミサさんが連絡してくれて、家に取りに行ってくれたのかな? うん、きっとそうだ。……でも、この服見たことない。思案顔で思い当たる節を挙げてみるピナだったが、朝食の香りが鼻を刺激したのと同時に思考も一転した。
とにかくも、まずはエネルギーを溜めなきゃ!と。
泣いたせいもあり、食事が運ばれてくるやいなや、あっという間に平らげた。
満腹になったピナは、時間にはまだ早いが、荷物の整理を始めた。ミサが積めて転がしてきたメタリック調のトランクを床で開ける。
「なんだー、俺、朝飯ここで食べようと思ったのにな」
音もなく、ドアがスライドしたので、ピナは飛び上がりそうになった。恐る恐る視線を向けると侵入者は、廊下にあるピナの配膳を横目にしながらぼやいた。
「び、び、ビックリするじゃない!」
膨れっ面を侵入者――サキチに向ける。
「わりぃ、わりぃ」
謝りながら、ベッド横にある丸椅子にドカっと座ると、手にしていたコンビニ袋の中から、無造作に朝食を出した。
「え? 本当にここで食べるの? っていうか何でサキチくん普通にいるの?」
呆気にとられていたが、どうしてサキチがここにいるか思い出したピナは怪訝そうに尋ねた。
「あ、俺が退院の手続きと、迎えに来たわけ」
答えながら紙パックにくっついているストローを袋ごと取り、口で破った。
「え、ミサさんとか来ないの?」
「あ、うん……」
一気に飲んだのか、底に残ったのを吸い上げるズズーという音の後に返される。
「色々忙しいから俺に任された」
大丈夫なのかな? サキチくんで。なんか不安だなぁ。そう思いながらサキチの指先をピナは見つめた。
ビリビリとオニギリの包装を無造作に破いている。
「……サキチくん、それ、順番あるんだけど」
「え?」
ぽかんと口を開けて、おにぎりとピナを交互に見やった。
「一、とか二、とかもあるし、やり方書いてあるんだよ」
「え? そうなのか?」
まじまじと包装を見つめた。書かれている指示に、感心しているのか頷きながら納得している。
「いやー、知らなかった。あんまりコンビニで買わないからさ」
「え?」
「え? って、ピナちゃんもあんまり買わないんじゃないの?」
さも当然のように言われるので、ピナは返答に困った。あんまり買わない、という言葉につまづいて。むしろコンビニが多い、ということが言い出せない。
「やっぱ、おにぎりは手作りがいいよなっ」
ただ世間話している程度なのだろう、と頭の中ではわかっているはずなのに、ピナはうまく笑って返すことができなかった。
手作りのおにぎりなんて、どのくらい食べていないのだろう、と。
一瞬、自宅のキッチンを思い出して侘しい想いがよぎった。が、急いでかぶりを振って消し飛ばした。
「どうした?」
海苔の音をパリパリ立て、頬張りながらピナの行動をサキチは不思議そうに見ている。
「う、ううん。なんでもない。あと洗面道具片付けたら準備オッケーなんだけど」
「あ、ひょう」
口をもごもご動かしているので、発音がおかしい。ピナはその姿に目を細めた。
なんだろ、おにぎりの話だけなのに、心の中がざわざわする。ピナは洗面道具をピンクの可愛らしい袋に投げやりに入れた。その姿はまるで心を表しているかのようだった。
「……」
サキチは何も言わず、横目でその動きを見つめていた。
「さてっと、俺も食べ終わったし、早いけど病院出るか?」
乱暴にトランクのチャックを閉めるピナの背中に投げかけた。
「……」
たかがおにぎりだ。コンビニだろうが、手作りだろうが、なんて関係ない。そう、関係ない。腹を立てることじゃないじゃない! 一人結論を導くピナ。
おかげでサキチからの投げかけに反応がない。
「おーい、聞いてる?」
ひょい、っとサキチは難しい顔をしているピナの前に顔を出した。
「なっ、わっ、びっくりするじゃない! もう」
頬を膨らませながら、軽くサキチの肩を突いた。
「なんだよ、聞いてないから大丈夫かな? って思ったんだぜ?」
口を尖らせて文句を並べた。
あまりにも子どもみたいな文句なのでピナはくすくす笑い出す。
「わ、笑うなよっ、ったく」
そう言いながら、耳を赤くしながらピナの前から離れるサキチである。
「ほら、行くぞ」
ピナが持とうとしていたトランクを自然な流れでサキチが手をかける。
その自然さにピナは驚くのと同時に、心のどこかがほんのりと温かくなるのを感じていた。




