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あれ? 私目を覚ましたんだっけ? 首を傾げながらピナは周りを見渡した。
どこまでも続く乳白色の世界。
その色に少し安堵し、ふぅと息を吐いた。ここが夢の中だと気付いたからだ。
「ピナさん?」
不意に声をかけられたのでピナは肩をびくつかせて驚いた。そして、ゆっくりと声がした方に首を回す。
「え……」
何故、どうして、という疑問が走り抜けた。
ピナに声をかけてきた人物は、ゆっくりと進んできている。どうしていいかわからず、その場に立ち尽くしてしまうピナ。
「私がわかりますか?」
低い声が響く。心地よくてピナは一瞬瞳を閉じて余韻を噛みしめた。
「は、はい。キリさんですよね?」
答えてから、はたと気づいた。普通の夢だったら、まず相手から話しかけてくることはないと。どういうことだろう。夢に介入されている? 疑心が頭をもたげてきた。
「えぇ。私のこと……見えてますよね?」
じっと、真っすぐにキリに見つめられながら尋ねられた。
「え?」
思わぬ切り替えしでピナは驚いてしまう。
「いえ。気にしないでください。全ては夢の中。目が覚めたら私と会ったことなんて忘れますよ」
ピナを見ていた視線を外し、どこか遠くを見つめた。
「わ、忘れませんよ、私」
「……」
外した視線が再びピナを捉えた。驚いているのか普段より目が開いている。
「どうしてそう言えるのですか?」
「忘れたくない、って強く思ってるからかもしれません。 自分でもよくわからないんです……。でも、学校に通ってる時から教官達に褒められてましたよ」
そう言いながら、自分自身に言い聞かせているような奇妙な感覚がピナの中に湧いていた。
「それに他のこともよく評価してもらってたかも……」
言いかけて言葉を切った。そのあと何を言いたかったか忘れてしまったからだ。キリはただじっとピナを見つめ続けていた。
「大切というか重要だったと思うんです。それがずっと思い出せない。……忘れない、とか言って私、忘れてますね」
苦笑いをするピナ。
「そう……ですか。今はまだその時ではないから……いずれ」
声が段々と細くなっているのにピナはハッとして、恥ずかしくなって俯いていた顔をあげた。するとキリの姿が揺らめきはじめていた。
「ま、待ってください。今なんて言いましたか?」
はっきりと聞こえなかった言葉を確かめたい思いで、揺らめく姿を掴もうとピナは駆け寄った。あと一歩のところで、言葉で遮られた。
「サキチも所長もあなたが目覚めるの待っていますよ。今度は……きっと見えますよね?」
キリの意図していることがピナには理解できず、困った表情を浮かべている。そんなピナに近づき、輪郭がはっきりしない腕で、そっとピナの頬に触れた。
「も、もっとキリさんと話したいです」
揺らぐキリの姿。もうピナの夢から、消えようとしているのがわかりつつも願いを口にする。
暖かさなど夢の世界では感じないはずなのに、頬に触れるキリの手から温もりをピナは感じた。
そう思えた時、少し口元が綻んだように見えた。もっと目に灼き付けようとするも、あえなく霧のように姿が消えてしまった。
がっくりとピナは肩を落とした。
本当にもっと話したかった。夢の中だと、不思議とキリさんを前にして緊張しなかったし、キリさんもなんかいつもと雰囲気違かった……。どこが? と突っ込まれてしまうと、うまく説明説できないけれど。それに最後……笑ったよね? 見間違いじゃんないよね? いつもムスッとした表情だったり、感情が読めない顔だけど。やっぱり私の見間違い……?
ううん、絶対さっきのは笑顔だ。忘れたくない。あの笑顔は忘れたくない。その想いを懸命に記憶に刻み込もうとしたが、思い出せるのは口元ばかりで表情全体はおぼろげだった。ピナは自分自身の記憶のあいまいさに落胆した。
その時だ、乳白色の世界が白み始めた。
終わってしまう。
起きてもキリさんのことは覚えていたい。さっき"覚えている"と言った言葉は嘘じゃない。夢の中でなら忘れたくない想いを覚えていられるから。でも自分の夢から覚めてしまえば、九割の確率で夢であったことを忘れてしまうのも事実。
だから本当は、このままずっと夢の世界のままでも構わない。たくさんの夢をみて、自分の今までの人生を永遠に見続ける、というのも悪くない……。悪くないのに、誰かが、呼んでる? 現実世界で呼んでいるの?
そう思えた時、白んだ世界がピナの足元まで包み込み、夢が終わってしまったことを告げた。