激突
「――どこまで出鱈目なんだ、あの犬っころは」
同じく出鱈目である自分の異能を棚に上げて、レックスはぼやいた。
熱探知。五感とは異なる、第六感とも言うべき感覚。――発火能力とは、自分の思い通りに炎を出現させる異能だ。そして、炎は熱を産みだすものでもある。それであるから、異能の応用として、すでに存在している熱を探知することは不可能ではない。要するに、異能が引き起こした結果を、逆にするだけなのだから。ただし、理屈ではありそうな気がしないでもない熱探知も、実際に行おうとするのは、困難を極める。熱探知ができるのは、レックスの様な高位の発火能力を有する異能者の中でも、ほんの一握りの者達だけだ。
徒人には、決して理解できないであろう感覚の中。レックスは、巨狼が、目を剥くような速さで、自分がいる場所に向かってきていることを知覚していた。レックスが行った、疑似空間転移は、移動する場所を上手く選択できることができないし、それほど長距離を移動できるわけでもない。それでも、レックスが移動した場所は、先程レックスがいた高級ホテルから数キロは離れている。それにもかかわらず、あの巨狼は、レックスの居場所へ向かって迷わず走り出していた。恐らくは、嗅覚によるものだろう。
レックスは溜息をついた。疑似空間転移は、在って無き様な『空間』というものを燃やさなければいけないため、それを行った後は、酷い疲労感がレックスを襲う。もう一度疑似空間転移を行おうにも、たかだか数キロ程度では巨狼を振り切ることは不可能だ。
「……迎え撃つしか、ないな」
――すぐに戻ると、言ったのだ。レックスは、約束を違える気は、なかった。
そして、レックスは走り出した。目指すは、廃ビルが乱立するすぐ近くの旧区画。己が生き残る確率を、上げるために。
《なーんで、いつもいつもいつもいつもいつもいっっつも、単独行動に走るんですか~、この単細胞犬~》
『うっさいわ! この毒舌女!』
今は巨狼の姿をとっているロイは、精神遠隔感応を操る同僚に怒鳴り返した。
『仕方がないだろう! あいつ今にも殺る気満々って、目をしていたんだからよ』
《だから単細胞って言ってるんです~。あの『炎帝』は、一応、暗殺のプロやってるんですよ~。プ、ロ~。標的以外の人間まで殺す様な、ト~シロさんとは、違うんですよ~。つまり~、レヴィさんがひっついてた時点では、博士さんの安全は、保障されていたんです~。ま~あ~、だからこそ、『炎帝』は厄介で、尻尾が掴めなかったんですけど~。今回の作戦が成り立つのだって、僥倖以外に、ありませんでしたしね~。そ~れ~を~、なにブチ壊してるんですか、このお馬鹿ちゃん》
珍しく語尾が間延びしない同僚の台詞に、ロイは彼女の怒りの程を感じ取った。
『わ、悪かったよ。だから、こうやって、追いかけてるんじゃないか……』
ロイの弁解に、頭へ直接響くような、同僚の声は冷たい。
《そりゃ~、へました上に、そのフォローもしなかったら、真正の役立たずですよ~。あ、『炎帝』が、旧区画に入ったみたいです~。そこって、廃ビルしかないんで、何しても平気ですよ~。あと、我らが『魔弾の射手』サマが『炎帝』を仕留める予定なのは、いくらボケ犬でも、流石に覚えてますよね~。とりあえず、狙撃に邪魔そうなビルは、全部壊しちゃって下さい~》
『ちょっと待て』
過激な同僚の発言に、ロイは突っ込む。
《大丈夫です~。上から、許可が下りてますよ~。廃ビルの一棟や二棟は、惜しくないってことですよね~。『炎帝』の脅威が取り除けるなら~。ま~、国の自業自得と言えなくもないですね~、『炎帝』に関して言えば~》
暗殺者になる前は、自国の軍で兵器同様の扱いをされていた『炎帝』の経歴を思い出して、ロイは苦い思いを抱いた。一歩間違えれば、自分達もそうなっていたかもしれなかったから。
『――できれば、あいつとは違う出会い方をしたかったな』
《しょうがないですよ~。もう終わったことですし~。私達と、『炎帝』の違いなんて、運が良かったか、悪かったかしかないですよ~》
走り続けるロイの鼻に、埃っぽい臭いが届いた。街から見捨てられた、廃ビル達の臭気。それと共に、『炎帝』の臭いがより一層強くなる。
《いくら逃げ足が『炎帝』よりも速いからって、油断はしないでくださいね~。純粋な異能の強さは、あっちの方が上ですし、なにより、『炎帝』は戦場を知ってますから》
『了解。最善を尽くす』
《では、御武運を祈りますよ、『神狼』さん》
その言葉を最後に、精神遠隔反応による通信は途切れた。
ロイは、力強く地を蹴った。その黄金の身体は、重力による楔をやすやすと振り切り、間近にあったビルの屋上へと降り立つ。そして、ロイは『炎帝』の姿を捉えるや否や、すぐさま跳躍した。
鮮やかな紅蓮が、ロイの視界を焼く。
ロイが身に帯びた雷の衣が、『炎帝』の炎を迎え撃った。
死の気配が、何度もレックスを掠める。手強い、とレックスは思う。巨狼の猛攻を防ぐことができたのは、ひとえに、嘗ての経験と悪運の賜物だ。
一人と一頭の攻防のせいで、辺りの廃ビル達は、瓦礫と化していた。
死地は、今までに何度も経験してきた。その度に、レックスは生き残ってきてしまったのだ。――本当は、ずっと死にたいと思っていたのに。
けれど、今回は違う。生き延びてやる、と。レックスは念じ続ける。
――まだ、死ねない。死にたくは、ないのだ。
レックスは、巨狼を見据える。互いに、疲労の色が濃い。次が最後だと、レックスは感じた。




