遭遇
本編の話数超えました。あれ~。
レックスの職業は、所謂、暗殺者というやつだ。
誰かにとって邪魔な人間を、この世から抹消する仕事。
それ以外の職業を選ぶなら、と、問われれば、レックスは迷わず軍人か傭兵と答える。どれも、人を殺して収入を得るのは同じだからだ。そもそもレックスは、暗殺者になる前は軍に所属していたのだし。
別に、レックスには、殺しや血に快感を覚える様な性癖はない。しかし、何故、と問われれば。人の殺し方以外、教えてなんか貰えなかったからだ、と答えるしかない。
十人に一人が何らかの異能を備えるという、今。それでも、強力な異能を有するものはほとんどいない。発火能力。ごくありふれた、レックスの異能。彼の不運を挙げるなら、その異能が、一個師団を容易く殲滅できる程度には強かったことだろう。強い力を秘めた、高位の異能者は、安上がりな兵器としか見なされることはないのだから。
誰かに向けた刃が、何時か、己に向けられることを知りつつ、レックスは自ら選んだ道を行く。
視界の端に、今回の標的を捉える。
レックスは壁に寄りかかりながら、辺りをそれとなく観察していた。
有名な高級ホテル。
そこで開かれた講演会だか懇親会だかに、標的の男は参加するらしい。優秀な研究者だという男。その男が進める研究に利権を奪われようとした依頼者は、最も手っ取り早く短絡的な方法でそれを阻止しようとしたのだ。
レックスは、依頼者の事情には興味がない。それは、暗殺ということに関わる人間に総じて言えることだが。何故なら、いちいち自分が引導を渡す人間の事を考えていては、暗殺なんてやっていられない。そして、そこから生じる迷いは、自分の身を危うくする。
標的は、女と楽しげに談笑していた。冴えない容貌の男に対して、女の方は艶やかな黒髪が印象的だ。
女が標的から離れそうにないのを見てとり、レックスはやや眉を寄せた。はっきり言って、依頼遂行の邪魔である。
どうしたものか、とレックスは考え込んだ。レックスの異能は、人を跡形もなく――それこそ、灰すら残さずに――焼き尽くすことができる故に、暗殺向きといえる。暗殺対象が行方不明扱いになれば、レックスに追手の手が届く可能性を最小限に止められるのだ。それ故、目撃者がいては不味いことになる。女もろとも標的を抹殺する手もあるが、標的以外の人間を手に掛けるのも後々面倒だ。
依頼の遂行方法について悩んでいるレックスに、近付いて来る人影があった。その人間を見た時、レックスは酷く嫌な予感がした。
「失礼」
有触れた茶色の髪とは対照的に、珍しい銀色の瞳が目を引く男だった。レックスと同じく、引き締まった長身は、剽悍さを漂わせる。何処か、獣に似た鋭さや貪欲さを感じさせる男でもあった。
「あんたが、レックス・ブレイズ――『炎帝』か?」
『炎帝』という呼称は、レックス個人を指すもの。レックスの業と、忌まわしき過去の象徴。
その言葉が終るか終らぬか、その時に、レックスは弾かれた様に動いた。
レックスに話しかけてきた男が、舌打ちした。レックスを捉えようとしたその右手は、原形を留めているのが不思議なほどに、無残に焼け爛れていたから。
「――ったく」
顔を顰めた、男の姿が歪んだ。――不定形となり、蠢くその身体は、淡い金の光を帯びる。そして、裏返るように広がったそれは、次の瞬間、巨大な獣の姿をとっていた。
瞳に宿る、銀色はそのままに。金の皮毛。猛獣よりなお大きいものの、スマートな肢体。犬に似た、しかし、それより精悍な顔。それが持つ牙も爪も、恐ろしく鋭い。レックスが焼いた筈の右手だった部位は、火傷どころか傷一つなかった。
「異形型か」
金の巨狼を前にして、レックスは、苦く呟いた。
異形――それは、数ある異能の中でも極めて特異な能力だ。異形型の異能者は、生まれながらにもう一つの姿を備える。人狼、吸血鬼、人魚、一角獣――。古くより伝えられてきた、怪物や幻獣などについての逸話の多くは、この異形型の能力者がモデルとなったと言われている。異形型の能力の特徴は、徒人より、さらには大概の異能者より、優れた能力を多く持つことだろう。【重式】と呼ばれるごく限られた異能者を除き、人が持つことができる異能は、能力の強弱や応用の程度に幅があれど、一人につき一つだけだ。例えば、発火能力を有するレックスは、その能力を利用して物を燃やしたり温めたりできるが、念動力を有する異能者の様に、物を触れることなしに動かすことはできない。発火能力と念動力は、別物だからである。しかし、異形型は、もう一つの姿が有している能力を使用するという形で、様々な異能を扱うことができる。例えば、一角獣の姿を有する異形型の異能者がいるとしよう。彼は、一角獣の姿をとると、治癒能力が扱えるようになる。また、身体機能や各種耐性も上昇する――これは、強化型と呼ばれる異能者と同じだ。故に、異形型の異能者は、味方にすれはこの上なく頼もしいが、敵に回せばとんでもなく厄介なのである。
恐れや驚愕を宿した、周囲の客達の悲鳴。
それを気にかける余裕は、レックスにはない。
如何にレックスが強力な異能を持とうとも、異能にも相性というものがある。レックスの発火能力の様な事象を操る類の異能は、目の前の巨狼の様に自らの身体能力を上昇させる異能とは相性が悪い。刃物や銃器といった武器も、当たらなければ意味がない。それと、同じことなのだ。
任務の失敗を、レックスは悟った。目の前の巨狼に集中しなければ、レックスの命が危ぶまれる。依頼遂行の片手間で、相手ができる様な敵ではないのだ。狩りにおける立場が逆転したことに、レックスは苦笑を禁じ得なかった。
「潮時、か」
レックスは、人を殺し過ぎたから。今更罪を償おうにも、その命を以て贖うしかない。――それもまた、当然だろう。数えられないほどの命を奪い、命を取り上げた相手の顔など、数えるほどしか覚えていない。遺された者達の嘆きも、憎悪も、レックスは、無視してきた。
殺すものは、殺される。それが、彼が身を置く世界の絶対の真理。
けれど。
それでも、まだ、死にたくないと思った。
脳裏に過ったのは、いつの間にか、傍らにいるのが当然となっていた、女の面差。安心したように自分の腕の中で眠る、横顔だ。
巨狼が咆哮した。冷たい威圧感が、レックスの肌を圧迫する。
辺りに響く、放電音。静電気のそれよりも、遥かに大きく、激しい。
冷酷な雷を、巨狼は纏っていた。神の槍。そんな言葉が、レックスの頭に浮かぶ。それに触れれば、ただでは済まされないことが一目瞭然である。
生粋の狩人の瞳が、レックスを射ぬいた。
巨狼の目を見据えて、レックスは嗤う。数多の命を奪い去った、死神の傲慢を湛えて。
「たかが犬ごときが、俺を狩れると、思っているのか?」
『ぬかせ』
レックスの挑発に、巨狼が唸るように答えた。
瞬間、巨狼が存在していた空間が燃え上がった。しかし、紅蓮の炎は、巨狼を焼くことが叶わない。驚異的な速さでレックスの攻撃を避けた巨狼の牙は、けれど、レックスには届かなかった。
レックスが操る炎は、この世に存在するあらゆるものを焼き尽くす。それは『空間』さえも、例外ではない。レックス自身すら、理由も理屈も分からなかったが、『空間』を焼くことによって、レックスは空間転移の異能と同じ事象を引き起こすことができるのであった。
『あの野郎……』
レックスが存在した筈の空間を見て、巨狼は盛大に歯軋りをした。