変わらぬはずの朝
逃げ出す、という選択肢ができたのは、何時だったのだろう。
外を見て、自分が置かれた環境の異常さを、学んだ時か。それとも、自分がいた場所に、自分のことを見てくれる人間がいないことを、思い知った時か。
少なくとも、逃げ出す覚悟が固まったのは。
優しいと思っていた人間に裏切られた時でも、自分の跡目となる予定だった、ヒトガタの残骸を見せられた時でもなく。
自分の同類とされた男が自分に向けた、研究員達と全く同じ目と、自分に触れてきた、汗ばむその掌に、猛烈な嫌悪を感じた時だったと思う。
まどろみの中で、自分の頭を撫でる大きな掌の感触を、フェリスは知覚した。彼女を包み込む、手放し難い温かさと同じものを感じ、フェリスは、無意識に微笑む。そのまま、再び夢の中へ舞い戻ろうとしたフェリスを、頬の痛みが押し止めた。
「起きろ、フェリス」
「いだだだだだだだだだだ」
引っ張られたフェリスの頬は、面白いほどよく伸びた。
「レックス、何すんの!」
右の頬を押さえ、涙目になったフェリスは、傍らにいた男に食ってかかった。
「いつまで寝ているつもりだ」
フェリスの頬を盛大に抓った、張本人は、憎たらしいほど平然としている。恨みがましく、フェリスはレックスを見上げたが、レックスの方は、肩をすくめただけで、あっさりとベッドから出て行った。
「――今日、仕事だったっけ?」
レックスの、引き締まった背に、フェリスは問い掛ける。
「すぐ戻る」
返答は、短い。
「――うん」
分かっている。レックスは、何時だって、フェリスの元に帰ってきたから。
けれど。
何故だろう。このときばかりは、フェリスは、胸がざわついて、仕方がなかった。