この手に残るもの
話が飛んで、読みにくいかもれません。
しくじった。
その言葉が脳裏をよぎったのと、彼の腹に灼熱が広がったのは、どちらが早かったのだろう。
今、目の前に広がっているのは、赤と熱が支配する光景。鮮やかな色の炎が、追手を阻み、それらから振り切るのに成功した。だが、彼がいる空間だけではなく、もたれた壁もじわじわと熱を持ち始める一方、彼の体は急激にその熱を失っていく。
来るべき時が来たのか、とレックスは冷めた意識の片隅で考えた。
それを強制されなくなってからも、レックスは奪い奪われる世界に居続けた。それ以外の選択肢を持つ術を、知らなかったから。だからこれは、当然の結末。
けれど、迫りくるものを受け入れる一方、それを拒む声がレックスの中にあった。霞みつつある視界にちらつくのは、唯一人の幻影。自分に置いて行く人間ができるなど、昔は考えもしなかった。
と、突然、セカイが燃える音の中に異音が混じる。
携帯電話の呼び出し音。一人ぼっちの彼と誰かを、繋ぐ音色。
誰からと思う間もなく、考える気力も失いつつあったレックスは、無意識にそれに応えていた。
「――レックス?」
無機質な機械から流れた声は、みっともなく震えていた。
「フェリス――」
レックスの声は、酷く擦れた。残り時間の短さを、二人に知らしめるように。
彼女は、見ているのだろうか。千里眼(clairvoyance)。彼女にとって呪いであり祝福でもあった、千里の彼方さえ見通す異能で。もう届かない場所へ逝きつつある、自分を。
彼にとって、彼女は何者とも断じがたい。最期の時まで、曖昧なままで済ませてしまった、関係。故に、レックスは彼女にとっての何者としても、言葉を遺すことは叶わない。
轟々(ごうごう)と、炎が燃え盛る音がする。迫り狂う、己の力の一部であったものを見て、レックスは僅かに苦笑した。その笑みに滲んだものは、絶望でも諦観でもなく。
――溺れていた。変わらずにいる関係に。無理に変えることなど、思い浮かばぬほどに。
だから、レックスがフェリスに残すのは、レックス自身の言葉だ。
「――じゃあな」
別離の言葉は、短い。縋ることも、できないくらいに。
レックスは目を閉じた。
最後に一つ、やるべきことがある。
――希少な、あるいは強力な異能を持つものは、たとえ遺体となっても、それを研究する者に重宝される。髪の毛一本たりとも、貴重な標本としてでしか扱われないのだ。そして、レックスが生まれ持ったチカラは、非常に強いものだった。たった一人で、一個師団を殲滅できる程度には。けれど、レックスは、最期まで人間として在り続けたかった。
レックスは、目を開ける。
力を揮うことは、酷く容易い。ただ、想像するだけ。
燃えゆく廃ビルの情景が、赫一色に塗り潰される。
永遠まで引き延ばされた、刹那。思い浮かぶのは、フェリスの顔。そして、彼女に宿った微かな熱源。炎を司るレックスだから知覚できた、小さな小さな未来の欠片。その道に多くの幸あれと、ただ願う――。
そして。
轟、という音と、一際烈しい火焔と共に。
そこにいた筈の男の姿は、永久に消え去った。
◆◆◆
――炎は、浄化の象徴。罪も悲劇も怒りも憎悪も哀しみも焼き尽くし、残った灰さえ呑みこんで、最後の最後に、この手に残るものを。
希望、というのだろう。




