騎士の帰還
時は溯り、リトラが湖に吸い込まれた後、フェザーは馬を飛ばして街へ戻り、地下に下りて通路を進んでいた。
(あの酒場に砂糖があればいいけど。それも、出来るだけ多く)
彼女は蜂鳥の騎士、相手は龍、飛べなければ戦いにすらならない。幾度かの戦い、その全てに勝利しているが、今回はそのどれとも違う戦いになるだろう。いずれの伝説においても、嘴で眼を突き刺すことで勝利を収め、撃退には成功している。それは当然、ロベリアも知っている。今回はそう易々とは行かない。長期戦は覚悟しなければならないだろう。だからこそ、長く飛ぶために、出来るだけ多くの糖分を摂取することが必要不可欠だった。
「ここに来るのも三度目か……」
思案の内に地下通路を抜け、酒場の扉を開くと、フェザーは店主の立つカウンターに向かった。昨夜の陰鬱な印象とは異なり、今の彼女は気高く、威風堂々としている。
「あの小僧はどうしたんだ?」
にたにたと笑って群がり寄せる悪党を、フェザーは無言で押し退けた。それは彼等にとって予想外の行動だった。食って掛かろうとするが、フェザーの放つ威圧感にたじろぎ、すごすごと元いた席に戻って行く。酒場の誰もが、彼女の変貌振りに驚いていた。
ようやく席につくと、今度は店主が、顔を顰めて大股に近付いて来る。その表情には疑念と苛立ちが色濃く表れていた。
「あの小僧はどうした、答えろ」
店主はテーブルを叩いて詰め寄った。有無を言わさない威圧的な態度、これがリトラを案じてのことだというのは、フェザーにも分かった。
「すへで話す。信じてくれるか分からないけど」
フェザーはそう言って語り始めた。なにが起きて、自分がなにをしたのか、リトラになにが起きたのか、一切包み隠さず、すべてを。
店主は眉間にしわを寄せて話を聞きながら、フェザーを今一度じっくりと眺めた。彼女には以前と違って覇気があり、毅然としている。何より独特の雰囲気があった。店主は彼女の語る荒唐無稽な話に一切口を挟まず、黙って腕を組んだまま耳を傾けた。時折驚愕した表情に変わったものの、その顔は終始一貫して真剣そのものであった。
「……なるほど、あんたは伝承や伝説から現れたってわけだ。噂にあった泉の精霊と同じように。しかし、蜂鳥の騎士ねえ」
「今の話を信じるの? 正気?」
「慣れた嘘吐きほど堂々と嘘を吐くものだが、あんたの言葉には妙に真実味がある。それに、何だ、今のあんたには〈信じさせる力〉がある」
その力とは、つまり美しさ。自身の役割を自覚した今のフェザーは、彼女の基となった伝説の性格を余すこと無く発揮している。気高さ、美しさ、力強さ、奉仕の精神、愛護の心。彼女の物語を後世に伝えた人々によって誇張されたそれらの魅力は、今まさに現実を遠く離れた場所にまで到達している。
殊に、美しさはあらゆるものを屈服させる威力を持つ。偉大な権力者、王でさえも、その理不尽とも言える絶大な威力を前に抗うことは出来ない。今の彼女には、疑念など容易く打ち砕くほどの美が備わっている。本来であれば伝説の具現化などという馬鹿げた話は、空想や妄言だと笑われて片付けられただろう。事実、店主はそういう質だ。彼自身、話を信じた自分に驚いている。しかし、今そこにある伝説の美しさを前にしては、彼の現実など大した役には立たなかった。
「で、フェザー、あんたはその化け物と一騎打ちするわけか? 守るべき花が傍にいなければ死ぬと分かっていながら?」
「最初からそうすべきだった。私は誤った判断をしてしまったの。でも、まだ間に合う。リトラもプリムラも、まだ無事なはず」
「生贄は一人では足りない。そう言っていたな」
「そう、生贄の数が揃わなければ儀式が成り立たないから。でも、私たちの物語は他の何かと混ざり合ってる。予想外の何かが起きてもおかしくない」
店主はやれやれと大きな溜め息を吐いた。
「話が突飛で大きすぎるな。あの小僧も、こんな面倒事に飛び込むとは夢にも思っていなかっただろうよ」
「それも私のせいだから……湖に着くまでに話す機会は何度もあった。でも、どうしても話せなかった。私は迷ってしまったんだ。何より怖れてしまった。私はリトラを騙して、湖に突き落としたも同然、何度詫びても足りない」
「……フェザー、何かを怖れることは悪いことじゃない。人間はそれがあるから生きていける。問題は何を怖れるかだ」
その人間の言葉は、現実に生まれたばかりの伝説に理解することは出来なかった。怖れに屈服して他人を犠牲にした。友のためだと言い聞かせ、戦うことを放棄した。彼女にあるのはその後悔だけだった。
怖れとは忌むべきものに他ならない。それが何故、人を生かすのか。伝説には分からない。




