また来る朝を
太陽は毎日のように昇り、地平線の向こうに見えなくなっていく。気も狂わずに定刻に、変わらずそこにあるものは、人にあらぬ想像すらさせることもあるのだろう、はるか昔の人たちは地球は平面、地球を中心に太陽はいるものと考えたなんてものも多くあった。そんな大筋は一本でなるものではなかっただろう。形成には多くの考えにもならないなりそこないと、一代で潰れるそ末な無数の考えが絡みついていたことだろう。そこに偶々通りかかった、天才的なひらめきによって、多くの人にとって納得しうる鶴の一声が奇しくも多くをみちびき、それは声の大きい少数派とも、おろかなぐんぜいにもなるのだろう。多数派、と言われるそれは知られるだけの理由と、原因を幸運にも持ってしまった人びとなのだろう。
私から言わせてしまえば、それは個人の範疇なら勝手に考えることだとさんざん思う。昔の慣例には現象に名前を付け、分類するのが当たり前で、まあだからこそ、同士が集まるのだろう。それは精神的な支柱として、もしくは柱に取り付けられた誘蛾灯によって、多くの人を惹きつけていくこともある。
まあそんな昔の白黒は、相も変わらず存在し続けている。政府が罰則を適応しようとも、集会を禁止し続けようとも自分を支える支柱のためなら焼き討ちになろうとも、地域の密教になろうとも意志のある限り、現世を離れず広まるのだろう。
それでも終わらないものがある、というのであれば、大きなものは人の意思が共通して、共同して、つながっているに違いはない。
~2~
潔白のない白の私は目をさます。白しょうぞくといっただろうか、毎日キレイなものがベッドサイドに置かれている。その後は,ひしゃくでキレイな水を顔にかける。
ゆれる水面に写っているのは何度もみあきた、自分の美しい、と何度も口癖のように言われ続けた顔がぼんやりと見える。生まれつき、私はまわりが良く見えない。強い光を見ただとか。それも、私の両親はえらばれただとかなんとかいっていたっけ。
へやのとびらに同じ白服の女性が立っていた。長いかみを後ろに三つ編みをしている朱いリボンでまとめた頭は私の母のような、助けてくれる人の一人だ。
服は私と同じ型ではあるが、それは黒色だ。
「おはようございます、○○さん。」
と声をかけると、後ろの朱いリボンが揺れ、
「おはようございます、ミコトさま。今日の予定は、食事会といのりとなっています。」
と毎日、同じようなことを言ってくれる。彼女に名前はない。名づけることは、禁止されているからだ。逆に私は、ミコトといわれ続けるうちにミコト、という名前となった。
それからは変わらない。毎日はビデオテープを毎日、同じものを再生したように続いている。及ばぬ口で言われた通りのことを繰り返し、私の言の葉に続いて繰り返し続ける。ないよう内容は、ゆるす、すくうを終わりにすえたことばかりだ。どうも私の本はとくべつで、読みやすいように紙がいっぱいはってある。私の読むためだけに、たくさん動いてくれてうれしい。端がボロボロとなった本は、いつも胸の中にある愛読書だ。いつまでも、いつまでも読んでいられるようなしあわせな感覚になれる。
私が読んでいる間、数人がきがえを手伝ってくれる。祈りは質素なものだが、人前ではつねにこうしていないといけない。上からきる服は白の服をもとにした、枯れかけた何かの花冠と薄い布をいくつも重ねるものだ。
いのりをささげた後はしょく事会では、私にいろいろなものが送られる。大抵はお米に山で摂れた新鮮な魚、そして山菜など。それらは私たちの生きるかてとして、どこかに持っていかれてしまう。そして私たちからは、少し豪華な食事を提供することにしている。窯で焼いた黒パンにざっこくのサラダだ、サラダには灰色の粒がかかっている、えいよう剤とでもいっていただろうか。弾赤いデザートは、甘く、丸や三角のカタチをしている。あまり見えないが、誰かが言うならそうなのだろう。外の空気は冷たく衣服をたなびかせ、私は広く大きな机の椅子に座った。そして、声を紡ぎだす。この度、私は自分を外から見て、考えなど許されないような圧を、光輝く空から感じるのは、気のせいだろう。
「山は母にして父なり。
その息は風となり、 その血は川となる。
われらはただ、山にかえる道を歩むのみ。」
復唱する複数人の声の響きは、不気味ながらその場を立派な境界を思わせる。
「うえを恐るるなかれ。
飢えは汝の身を削ぎ、けがれを祓う刃なり。
火を囲み、名を唱えよ。
そのとき、汝の心はすみ、神に近づかん。」
生きるためには食べないと。それは試練となり、生きる助けとなるだろう。
「巫女は山の声を聞く耳なり。
その言葉に従う者、流れに抱かれん。
背く者、谷に沈み、永く名を失わん。」
何度も繰り返した言葉は、晴れる日も雨の日も続く大きな思いと、記憶になっていく。
「清き風よ、われらを浄めよ。
燃ゆる火よ、われらを照らせ。
母なる山よ、われらを抱け。」
言い終わり、皆の音が消えるが早いか、ガチャクチャ、と汚い音が続く。皆餓えている、故に試練として、救われるべきものなのだ。
おもむろにかすれた音が増え、食べ終えたものが順に順にどこかに消えていく。皆疲れているのだろう。それは、私よりも生活を大切にしているということで、健全に、身をなくさないためのただのよりどころ、という意味で安心できる。
夜の光は明るく、私たちをやさしくてらしてくれますよう、と祈った。
静かに、祈るすがたをだれ一人見る人はいなかった、見てくれなかった.
~~~3~~~
私は好きなものこそこんな、一体感を演じさせる時間だけだ。それ以外、きらいなものはたくさんある。野さいにきのこ、そして私を生んでくれた両の父母だ。母は難しいことを学んだ、と何度も言っていた。父は元々はたらいてはいたものの、ある日とつぜんしごとをやめてしまった。母がひっしに何か言っていたようだが、私にはわからなかった。
せまい家には娯楽はなく、つまらないと何度もいっているうちに本を買ってくれるようになった。初めはただの絵本だったが、読めるとわかったとたんに取り上げられた。もっと何度も何度も、読み返したかったのに。本は絵が少なくなり、よくわからない内容も増えた。そのたびに母に百度は聞き、聞くうちに他のこともわかるようになった。ただ読み、読み、読み、大きな本棚からあふれるほどよんだころ、私はもうすっかりりっぱなことが言えるような気がした。外に出てやったのは一回だけだったっけ。
前夜、父は帰りが遅かった。遅いは遅いでも、しゅうでん、がなくなって帰ってきたときはそれはそれは酷い状態で、母もとても怒っていた。きちょうなかみとボールペンで書かれた、意味すらわかないもじれつ。あそびのつもりで、外のまどの下、もたれかけながら、かろうじてわかる部分を、よんだ。
「……やまは、ははにしてちち……そのいきはかぜとなり、そのちしおはかわとなる……」
幼い声が、木立の間に溶けていった。
すると、振り返れば誰かが立っていた。ひとり、またひとり。
皆、飢えと疲れにしがみつくような目をしていた。
「もう一度言ってくれ、もう一度....。」
そう乞われたとき、胸の奥がざわめいた。
これは私の言葉ではない。父の、無力を埋め合わせるために綴った文字列にすぎない。
けれど、その瞬間だけ、私は父以上に大きな声を持ってしまった。
「ひとは、みな、うえにためされる……」
繰り返すごとに、目の前の人々は涙を浮かべ、ひざまずいた。
まるで飢えを赦されるかのように。
私は怖くなった。
これはすくいか、しゅうちゃくの始まりなのか、おさないながらにはわからなかった。
父の書いた言葉が、私の声を借りて広がっていく。
父が羨望されることはなかった。母が称賛されることもなかった。
ただ「私が読んだ」という理由だけで、最初の団体ができてしまった。
その夜、灯火の中で膝を揃えた彼らを見下ろしながら、私は直感的に思った。
これは父の言葉でも、私の言葉でもない。
けれど確かに、私が始めてしまったのだ、と。
それからは早かった。毎朝毎夜押し寄せてくる人たちを追い出すためにたくさんの手を施してくれた。それこそ、はとよけのけんざんをひと用に改良したものをやったこともある。しかし、それを超えて、多くの人が血をながして乗り越えようとしている姿にはぞっとしているように見える両親がいた、ような気がする。
そのうち背よりも高い本棚がそろい、本棚が増え、私はほどんどの時間を本につかうようになったころ、母はおかしくなった。だんぼーるが家にたくさんとどいたのをかわきりに、きんじょの人にひつようでもないものを売るようになった。父はかってなことをした、などとおこりちらすようになり、ふつうだったはずの私の家にペンキや石が投げつけられ、さらにはポストがうめられるようになってしまった。みずもでんきもつかなくなってしまったために、ろうそくを持って生活するようになった。一日に一度の、しょくじのときのみ、私は部屋をでていた。アルミホイルをたくさん、家にはりだした。私も、外からのでんぱを止めるために、てつだった。私がよく覚えているのは、その時の母のような人からの質問だ。なんだかよくわからないことをたくさん、言い聞かすように言った最後に、聞いていた。
「○○ちゃんは、私の味方になってくれるよね?」
しっかり私と目を合わせたのは、それきりのような気がする。
濁った水面のような目を、私は少し見たが、なんとなく外して答えた。
よくわからなかった、とは言えない目をしていた。
「私は味方にはなれないよ。」
小さいころ、ごっこ遊びをしているひとがうらやましかった。私も、遊びたかったし、絵本で見たような魚も、動物も見たかった。幸い、外からは犬やら猿はたくさんいた。けいけんは力になる、と本にもあった、となんどもなんども伝えれていくうちに、母は母でなくなった。それ以降は、あまりおぼえていない。
父は私をはじめて、初めてドライフに連れて行ってくれた。
「いいこにしているんだよ。」
と甘い飴玉をくれた。なめているうちに、私は眠っていた。
次に目を覚ました時には、古い、大きな家だった。草木が多く生えた山の奥には、
屋根の先に十があり、つたはあるがなかはきれいになっていた。父がおろしてくれた大きなにもつ、大人のもつようなスーツケースには、たべものがたくさんある、と教えてくれた。
「他のものをとってくるね。」
といった父の背中は、大きくありながら何かをかかえているようだった。
車が去って行ったあと、私はおもいスーツケースをひきずって家に入れ、たんけんをした。たくさんのへやと、とびきりおおきなだんじょうはどうしてあるのか、気になった。へやを回っているうちに、車の止める音がした。父だと思い、どたばたと外に出るとそこには三十名ほどの、白い服を着た人たちがたたずんでいる。
「おじさんたち、だれ?」
訪ねた答えはなく、特にえらそうな、口の端が下がり切った人が声を掛けてきた。
「これからは、私たちがあなたさまの世話をさせていただきます。
よろしくお願いします,、○○様。」
訳が分からなかった。
どうして?お父さんは、私をあいしていたんだよね…。
その事実は、受け入れられなかった。だって、私はあの家に学を置いてきたのに。
そして、そのほかの人が話しているのが聞こえた。
「とりあえず、巫女様候補と家具を入れましょう。
外ではなしているのもなんですし。」
生活が変わった、という実感を得たのはしばらく後だ。私は、よく分からない宗教に、自らを投じて、もしかして後から考えると諦めていたのかもしれない。
~~4~~
やることは、毎日の祈りと食事の後にあるものは、私の血をぬいていくといった作業だ。
初めて、血を抜く時はそれはそれは痛かった。先のとがったてつのペンから、私の血が抜かれている様子を見ているうちに、気を失ってしまったこともある。今は、ない、とまではいかない。4回に1回はそうだ。
薄目で見たげんじつから、無意識に目をつぶる。自分の、体を流れるものが外に流れ出ている感覚はだれかのためになるとはいえど、なれるものではだいたいそうではないだろう。
そんな、血を抜く作業よりも苦手なものがある。それは、新しい人が入ってきた時だ。
たいていの人は絶望していて、何かとんでもない問題を抱えていることが多い。その限りのどんな人に対しても、私がすべてを対応することになっていることがそのげんいんだ。
そして,、それは私を見ているものでもないだ。
その部屋のかべには、びっしりと紙がはられていた。
強い天井からの光によって、それは際立って見える。
一まい一まいに守るべきこと従うべききまりがこまかく書かれている。赤と黒のしみが不ぞくに広がり、すみか血かもわからぬ跡が、紙と紙のすきまをうめていた。空気はかわいて重く、足をふみ入れるだけで外の世と切りはなされた感覚がひろがった。
そのまんなかに、白い衣をまとった巫女がすわっていた。声はひくく、しかしすんでひびいた。
まだ年は10も行かないような 巫女は、きれいな白をしていた。それは、地の獄の白い雲糸のようにも見えるのだろう。
「山はわれらを映す鏡なり。
鏡にくもりを見いだすは、己の心に影をやどすがゆえ。」
はじめての祈りを耳にした人々は、立ちつくしたまま動けなかった。
二人の、若い女と中年の男はすぐにひざまずいた。女はなみだを流し、ことばにならぬ声で
「ありがとうございます。」
とくりかえす。男はこぶしをにぎり、むねを打ちながら
「これこそが生きる道だ」
とつぶやいた。つい先ほどまでただの迷い人だった二人は、ほんのわずかな時で信じる者へと変わっていた。そのそばに、一人の世すて人のような男がいた。髪は乱れ、ほおはこけ、目の下はふかくくぼんでいた。体はやせほそり、今にもたおれそうなすがた。それでも巫女を見つめる目だけは、生きていた。
彼はさいしょ、祈りをはねのけるように目をふせていた。だが巫女がうすく目をとじて口をひらくと、ほおがふるえた。
「……つかれたでしょう。山は、あなたをまだ抱いている。」
そのひとことに、彼のかたはくずれ落ちた。にごった息が、すすり泣きへと変わる。
彼はひざをつき、ひたいを床におしつけ、言葉にならぬ声をもらしつづけた。
こうして、また新たな「信じる者」が生まれた。
赤黒いしみの部屋に、声がかさなり、夜をふるわせていった。
くたびれている人たちを見て、私は安心していた。きょうも、何事も問題なく進んでいるからだ。そしてふと,、教えで満ちた部屋を見渡していると、もう一人いた。
きょうの人数で聞いた話ではないが、たぶん数え忘れていたのだろう。
もう一人は、薄汚れた格好と大きなリュック、というありふれた格好をしていたが、目が怖かった。なんといえばいいのか、狼のようなけもののどうこうはありとあらゆるものに警戒し、かみつきそうな様子だ。
いつもの調子で話しかけた。
「山はいつも寛容です。
貴方のような、つらい経験をした人にもてをさしのべます。」
返信はない。重苦しい空気と、何を言っているのかわからないどうこくがする。
「身を捧げればしごはすくわれます。
生きていれば何とでもなります。」
何度か、言っているうちに気が付いた。
よく見た顔立ちはあまり美しくないように見える男性的なかおは、よくわからないことをぶつぶつと何かを言っている。しかし、同じような背の、その目はよく見る光のない目ではなくかがやいていたからだ。
「キョーセー連行でつれてかれたけど来てよかったよかった。
閉じ込めるのはあれだけどまあ屋根のある家であればばんばんざいよ。」
あぜんとした。ここにきて混乱も、もんだいもないだろうひとを連れてくることは今まではなかったからだ。あのひとたちがえらびまちがえたのかもしれない、と背中側のかべを強く押す。
そうすることで、終わった時にひとがでてくるからだ。想像していたのとは異なり、反応は小さな紙切れがすきまにささっていた。内容は、部屋の中のものをぜんいんと仲良くならないとでられない ,とあった。
その間も男はひとりでに話し続けていた。
「で、なんだろねこの部屋。あるのは山におさめる教えと,あと、信じる子ことのきょーせーね。
しょきぎしきってやつかな?
たしかこれって、すみだっけ。
使ってみたいし、ちょっともらおっかな。」
そう云い放つと、男は紙を破りだそうとするために、あわてて止めた。
「やめてください!
教えが書かれた、しんせいなものをとったりしないでください。」
いつの間にか、しばいがぬけているということにはあとからきづいたことだ。
じぶんの興味にしたがって、私すら無視してじゆうかってにやろうとしたのは初めてなのもあったのだろう。
[えー.。こんな貴重な資料もだし、ほっとくのだめなの?
じゃあどれがいいんです?これ、それともそれ?」
彼の前に立ちふさがり、手で大きく×をつける。さいだいげんの抵抗に、暗いながら目があった。
「全部だめですー!」
]違和感、というよりもそれは、地面にひきづられるような圧を感じるものだったからだ。
「ちぇ。だめっすか。じゃあ、ちょっとお話しようか。」
すっと、圧力がひいた。きっと、知りたいことがいっぱいあるのだろう。
私もそんな時期もあった。
「それじゃあ、お嬢ちゃんの名前を聞いてもいい?」
黙りこくった.。私の名前はミコト、なんて呼ばれてはいるが私じゃない。
事情を察したのか、質問を変えてくれた。
[じゃあもう一つだけ。ここでは、何を信じて生活するの?
山、はそうじゃないでしょ?それはおすがたの代わりであって、君はそれを知ってるはず。
普段見ているものだとおもうんだけどどうかな。」
その返答はもう決まっている。うまれつき、あるていどみえるために勘違いしてしまう人も多いが私はほんらいみえないのだ。ここにきて、ぼんやりとなら見えるようになった。
それをかんたんに、わたしらしく伝えた。
こうきしんのあるこどもをさとすように、さらに言葉にしていう。
「わたしはいつも、こういった教えを説くとありがたがってくれるんです。
あなたもそうですよね。ひとときながら気が抜けました。そのれいです。
もうかしかりなしですからね。」
ちかづいて話し、みみうちした。
大人がときどきしていることだ。これで少しはちかつけだただろうか。
彼は、にこおと、顔をゆがめたようにした笑みで、
「そうですね。ぼくはあなたを尊敬しています。
生きているうちで一番、たたえまつりましょう。」
といって、ほかの信ずる者と同じようなじょうたいになった。
そして部屋のドアが開き、多くの大人に連れさられていくのを私はじっと見ていた。
それはそれは、当然の、見慣れたものにもどってしまっていった。
すこし、昔を思い出してさびしくなった。
~~5~~
彼と何人かも加わった食事と、日常がもう一度、何度も何度も続いた。
かわらずしっそな食事と、血抜きと、あと増えたのは彼との会話だ。
きっかけは彼が食べているときにりょうどなりに話しかけることから始まった。
いやいや付き合っていたように思えた声は喜びをともなうようになり、わたし以外による生活はその場に居ないかのように見えただろう。
変わらずわたしはとらえ、唱え、祈り続けている。
かわらないものに、救ってくれるかみとやらそのものに。
黒い、黒い情がふつふつとわいているのを感じる。
そんな日々には、げんかいが来ていたのかもしれない。
いつも着ている人は、その足音からわかる。けいかいに、しずかに、そのとくちょうが減っていった。へったひとは、あまり信じていないような声だったり、おこりっぽいなどだった。
食事が、2日に1度になった。わたしのお腹はぐうぐうと音を立てつづけ、白いふくはだんだん灰色になっているように、曖昧ながら見えた。
~~6~~
大人が、血を抜く時に嫌な顔をしている気がする。
大人はいつも勝手だ。できないことに、やらせようとする。
今日連れてきたのは、何かの台、のようなものだ。
祭壇はもう祭壇と呼べるものではなかった──周囲を囲むのは泥と押し合い、白石、裂けた白布、そして煮詰めた何かのコルク栓から流した“赤い水”が雑に置かれていた。大人の一人が言った。
「紙に書かれたことを読み上げれば、顔なき御方は我らに示す」
と。声は薄く、だが集団の期待は鋭かった。
彼にあってからは、なにか変だ。飛び回る人が見えたり。かんが言っている。これは、だめだ。
巫女は首を振る。言いたくない。声を出せば何かが起こるのを、どこかで知っている。だが手は縛られ、足は動かない。周囲の大人たちは交替で押し、子どもは泣き叫び、その他の者は無言でそれを見詰めていた。父の筆跡は濡れていた。いつだったか読んだ、私の最初のぶんしょう。それが、にじんでここにある。かみの端に、赤黒い跡が残っている。
大人の一人が、白石を小さな凹みに押し込んだ。誰かが杯に赤い液を注ぎ、巫女の唇に触れさせようとした瞬間、彼女は目を閉じた。合図もなく、群衆は一斉に復唱を始める。
最初は途切れ途切れだった。巫女の声は子供の震えを帯び、古い紙の詞句が生温い夜気に溶ける。だが反復が続くうち、周囲の空気が変わった。風が止み、焚き火の炎が低く唸るように揺れ、遠くの犬が一声吠えて沈黙した。全員はそれを、終わりの完遂として受け取った。
だが巫女の視界に映ったのは、決して像ではなかった。空白。そこに齎されたのは“何もない眼差し”──目を持たない中空の圧力だった。それは暖かさでも冷たさでもなく、ただ──受容だった。巫女はそれを見て、声の主が自分を貫いていくのを感じた。言葉が彼女を通り抜け、群衆の耳に届くとき、それは各々の欲望や恐怖の器に注ぎ込まれる。
その瞬間、群衆は各々が“見た”と叫んだ。ある者は母の顔を見たと言い、ある者は亡き妻の笑顔を、別の者は山の恵みを見たと。彼らの歓喜は凄まじく、同時に狂気めいていた。巫女は自分の声が誰かの救いに変わるのを感じたが、その代償が何であるかなど知る由もなかった。彼女の喉は空洞を吐き、声は止まらなかった。誰も彼女を止められなかった。止める理由など、もう誰も持っていなかったからだ。
夜が明ける前、祭壇の周りには倒れた者、慟哭する者、そしてただ立ち尽くす者がいた。巫女の白衣は泥と水で黒ずみ、彼女は震える声を失っていた。信者たちは互いに向き合い、顔を合わせる。彼らの目には確信が宿っていた──今、彼らは、見てしまった。だが巫女には、ただ空白が残った。
巫女は後に、あの夜のことを「私が何かを渡した気がした」とだけ言った。何を渡したのかはわからない。だがその空白は、しばらくの間、団体をさらに焼き尽くす燃料となった。人々は救いを求め、巫女は声を恐れ、共同体は加速して壊れていった。喉が違う。私じゃない、何かが声を上げようと、叫ぼうとしている。
これは止められない。そう悟った。
焦げすぎた肉の香りと大きな月が、こちらを見ている。
これまで慕ってくれた、多くの人たちが赤い目をして暴れている。
近くの人に殴りつけるもの、自分で血を流そうとあちこち傷つけようとするもの、一人が転がっている火を建物自体に移そうとしているものが暴れている様子は、もはや規範のとれたそれではない。やめてほしい、と声を出そうにも動かない。助けて、と声を上げる、からの口の動きを繰り返す。奇跡は起こるもの、としてもそれはもうありえないものだ。
呑気な声が聞こえる。大きな荷物を背負った彼が、火を背に立ちすくんでいる。
「なんすかーコレ。惨状は過ぎますけど、これが流石に救いなんで言わないっすよね?」
焚き火の残り火が、灰の中で赤くくすぶっていた。
倒れた信者たちは静かな寝息を立て、夜は一層深く沈んでいく。
巫女は祭壇の前に座り込み、肩を震わせながらも、まだ小さく呟いていた。
「かれはかおをもたず……うつすもの……すべて……」
少年は息をのみ、ゆっくりと近づいた。
「もういいんだ、やめろ。誰も聞くほど生きたくないんす。」
巫女の目は焦点を結ばず、虚空を漂っている。だが、その奥から別の声が滲み出るように言葉が返った。
「や……かれは、まだ、いる……わたしのなかに……」
「おまえの中に……?」
少年は一歩近づく。
「じゃあ、その声は……神なのか?」
巫女は微かに首を振った。
「わたし……でもあり……わたしではない……。かれは、ひとびとの顔をうつす。けれど……わたしには、なにも、みえない。」
小さな声は震えていた。言葉は神のもののようでありながら、そこには幼い少女の恐怖も混ざっていた。そういえば、食事に入った粉は一部だったのだろうか。
少年は息を詰める。
「見えなくてもいい。おまえはおまえだ。……全部を背負わなくていいんだ。」
巫女の唇がかすかに震え、笑みにも似た形をつくった。
「でも、わたしが声をやめたら……みんな、また、こわくなる。わたしは……器だから。」
「器で終わる程度でいいんすね?」
少年は思わず声を荒げた。
「お前はただの子供だ。役割は終わったんすよ。助かるものはお前だけでもいいだろうが。」
一瞬、空気が止まった。巫女の目が彼を捉えたように揺れた。
「わたしが、きめた。……そうすれば……だれかを……すくえると、しんじてた。」
少年は胸の奥が締め付けられるようだった。
彼女は自ら“神憑き”を受け入れようとしていた。
その決意が、どれほど幼い心を蝕んでいたのか。
「だったら、俺も一緒に背負うよ。」
おまえが声を出し続けるなら、私は君を絶対、守ろう。二人なら……きっと大丈夫だ。」
巫女の小さな手が、震えながらも彼の掌に触れた。
次の瞬間、虚ろな瞳にわずかな光が戻る。
「あなた……へんなひと。……でも……ありがと。」
夜の沈黙の中で、二人の声だけが確かな現実として残った。
夜は深く、山の冷気が肌を刺していた。
彼は大きなバッグから、お札を取り出したかと思うと合わせた両手に渡してきた。
「ある程度はそれで収まるはずなんで、肌の見えるところに貼っておいてください。
とりあえず額にでも張っておきますか?」
額にピタリと張り付けたお札は、何もついていないのに剥がれない。
焚き火の残り香は消え、祭壇の前には倒れた信者の影だけが横たわっている。
その静寂の中、少年と巫女は並んで座っていた。
巫女は白布を握りしめ、うつむいたまま小さく呟いた。
「わたしは、ずっと……こわかった。」
少年は息を呑む。
巫女の声はかすかに震えているが、今は神の声ではなく、ただの幼い少女のものだった。
「みんなのまえで声を出すと……みんな、わたしをみる。すがる。わたしが、なにかをあたえるって、しんじてる。……でも……わたしには、なにもみえない。ただ、からっぽがあるだけ。」
彼女の目に涙が滲む。
「それでも声をやめたら……みんな、もっとこわい顔になる。だから……わたしは“器”になるしかなかった。そうすれば……わたしのかわりに、神が、なにかをしてくれるって。」
少年は胸を締め付けられる思いで聞いていた。
彼女が幼い体で背負わされてきたものが、重く、痛いほどに伝わってくる。
「私も似たようなものっすよ。状況を乗り越えるために、わけわかんないこと押し付けられて。」
そういって、彼はボロボロの服から覗く左の腕を、広く大きな口と、カマからなる人間のような姿に変え、近くの死体たちを次から次へと口に放り込んでいく。
少し、息を吸ってしまった。
恐怖はない。しかし、勇気のいることなのは何となくわかる。
「こんな、人でもないものになり果てたおかげで制御も管理もしないといけなくなって、巻き込んじゃうことも増えたんですよ。それでも、命は続くんです。変わんないんすよ、抱えた過去も、どうしようもないその先も。なら、生きていくしかないじゃないですか。それでも、生きて居たいと思うのなら、私の手を取ってください。」
人の形をした、右の手を私は確かにとった。
そのまま、手を引き立ち上がらせたのを確認し、最初に言い放った一言にまた呆れた。
「とりま、食べ物と服、あと財産になりそうなものの場所を教えてもらっていいすか?」
「差し引きマイナスになりそうですね。
必要なら案内しましょう。何からやりますか。」
その後、お金になりそうなものを見つけたと思ったら金箔張っただけであったり、プチファッションショーを行ったのは別の話。
私たちは、まだ知らないところへと向かうのだろう。そして、世界は広がるようなものなのだろう。終わるまでにここに閉じこもるようなものでもない。
こんにちは初めまして。北アルと申します。
どこかで書いたものを、こうして出すとなると恥ずかしいですね。
設定は決めたんですが、人外書くのが思いのほか難しいです。




