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ミズガミ

作者: 大自然の暁

 夏。


 それは日が照り、蒸し暑い日々が続く季節。

 学生である私は、何をする気力もなくダラダラと夏休みを過ごしていた。朝は10時を超えるまで眠りこけ、昼間はクーラーをガンガンに効かせたリビングで、面白くもないテレビを見る。夜は遅くまで布団に潜り、SNSを見たり、スマホゲーをしたりしている。

 ネットは人類の英知だ。これが無い時代に生まれる事なんて考えたくもない。ネットが無ければ狭いコミュニティでしかその存在を誇示できなくなる。一つネットに投稿すれば、世界中と繋がれる。

 まあ、SNSで有名という訳ではないので、繋がっているのは精々学友ぐらいだが。

 だが、繋がるというのは何も発信するだけではない。受信することもまた繋がりだ。有名人の呟きを見たり、音楽を聞いたり、ゲームだって繋がりだ。

 つまるところ、私はスマホを眺め続ける生活を送っていた。



 そんな日常に慣れ始めた頃、遂にその平穏は崩された。



 そう、母だ。

 母はダラダラと何もしない私に、堪忍袋の緒が切れたようだ。いつだって学生の平穏を乱すのは母なのだ。

 母は、


「勉強するか、どこか出かけるかしなさい!」


 と、私へ言った。

 勉強はしたくない。夏休みの課題は全く終わっていないが、勉強したくない。

 だが、出かけるのも嫌だ。こんなクソ暑い中散歩なんてしたら熱中症で死ぬ。


 快適な地獄か、快適ではない地獄か。


 私に選択権はなかった。

 自室で課題のプリントを開く。現国の課題だ。恐らくこれが一番楽な課題だろう。何せ、ただの漢字プリントだ。それも一学期の復習。準二級の漢字を含んだ熟語など、120字を5回ずつ。


「やってらんねぇ……」


 600回も字を書かなくてはいけない。いや、熟語もあるからさらにその二倍程だ。地獄だ。環境は良いが地獄には違いない事を今思い出した。

 サボる事も考えたが、母に先手を打たれている。今日の夕方に成果を報告するように言われたのだ。つまり、サボれば絶対にバレる。


「しゃーなし。やるかぁ」


 虚偽、虚偽、虚偽、虚偽、虚偽

 豪傑、豪傑、豪傑、豪傑、豪傑

 諸侯、諸侯、諸侯……


「無理だ、こんなんやってられねぇよ!」


 まだ3字、あと117字。

 難しい課題ではないが、面倒過ぎる。こんな課題を出したあのおっさんはいつか絶対ぶん殴る。無理かな。内申点が消し飛びそう。でもワンチャン、レディーファーストで何とかならんか?

 ならんか。


 チラリとスマホに目を向け、手に持ち、ロックを解除する。


「ちょっとだけ、ちょっとだけ休むだけだし……」


 誰に言い訳してるんだろ。私か。

 私は女子高生らしく、クソ映画のポスターを壁紙にしている。

 これは私が最近見たクソ映画の中ででワースト一位を取った最高傑作だ。

 ポップコーンが美味かった記憶しかない。

 私はポスターに合うように、頑張ってスマホアプリを配置していた。

 その中から選別する。


 ゲームか。やはりゲーム。まだデイリーを熟していない。そういえば今日からイベントの復刻が開始してるな。ガチャ石も貰えるし、走ろうかな。


 いやSNSか。フォローしているアカウントをチェックしないと。ああ、そういえば話題の漫画家がSNSを始めたんだったか。見てみようか。


 動画サイトもあるな。SNSの括りにはしない。文字と動画じゃ全然違う。確か、好きなアーティストが久しぶりの新曲を出していた。


 よし、動画を見よう。音楽を聞いていれば、もし母に目撃されても言い訳できる。

 私は動画サイトを開き、登録しているチャンネルを確認した。そこには私の記憶通り、新曲が投稿されていた。前回の曲から1年経っている。本当に久しぶりだ。


 『ミズガミ』


 ただそれだけのタイトル。シンプルだ。

 まだ投稿されてから一日も経っていないのに、再生数は100万を超えている。

 動画を再生する。

 まず聞こえるのは和太鼓の音だ。このアーティストらしくはない。普段はギターから入るというのに。

 その後、琵琶の様な音や、それ以外にも和風な楽器の音が鳴り出す。それに乗っかり、ボーカルが歌い始めた。

 和風な曲調だ。

 音楽にそれほど詳しく訳ではないが、以前までの曲風から随分と変えた事は分かる。

 ああ、そう言えば雅楽という物に似ている気がする。

 曲が終わる。


 あっという間だった。


 今までの曲も良かったが、この曲はレベルが違う。恐ろしい程に惹きつけられるような、しかしどこか安心するような、不思議な曲だった。



 だが、曲が終わっても、動画は少し続いた。

 黒の画面が出てしばらく、小さな音が鳴った。

 それは、曲ではない。

 ただの音だ。

 異音だ。



 ブーンブーン



 耳元で羽虫が飛ぶような不快な音。

 ヘッドホンもイヤホンもしていないのに、周りを見渡しても虫はいないのに、確かにスマホのスピーカーから聞こえるというのに、何故か耳元に違和感を覚える。

 12秒間続いた不気味な後奏は、それよりも随分長く鳴っていたように感じた。

 その間何故か私は、再生を止めるでもなく、耳を塞ぐでもなく、金縛りにでもあったようにただ呆然と聞いていた。



 動画が終わると、ようやく体を動かせるようになった。

 取り敢えず、動画の概要欄を開いた。そこには、1年間新曲を出さなかった事への謝罪と、和製音楽に挑戦してみたくて勉強していたという旨が記されていた。

 最後の異音については触れられていなかった。

 コメント欄を開いた。曲への感想や考察、ネタコメが散乱していた。

 その中に、

『最後の無音の時間何?』

 というコメントがあった。

 このコメントに賛同するコメントも多く、いいねもついていた。

 あれは私の幻聴だったのだろうか。

 もう一度再生ボタンに手を伸ばす。

 しかし、押せない。

 押そうとする指が震え、嫌な汗が滲む。

 けれども、勇気を振り絞って押した。


 しかし、動画が再生される事はなかった。


 私のスマホに、一通の通知があった。友人である果穂からのメッセージだ。

 それを押したため、動画は再生されなかった。

 どっと汗が噴き出る。力が抜け、心臓が高鳴る。


「再生しなくて良かった……」


 私は果穂へ心底感謝しながらメッセージを見た。

 それを見て、私は初めて果穂への殺意を抱いた。それは今一番されたくない話だった。

 そこには少し長めのメッセージがあった。


『唯華が好きだったアーティストのボーカル、自殺したんだって』


 私はスマホの電源を切り、机の上に置いた。

 天井を見る。

 いつも通りの天井だ。







「……くそぉ」







 私はもう勉強する気にはなれず、辺りをフラフラと歩いていた。フラフラと言うのは、暑すぎてフラフラしているだけだ。


 フラフラ、フラフラ、フラフラと。


 暑い。

 昼下がりのこの時間は暑すぎる。

 そろそろ帰るか。

 まだ30分位しか歩いていない。でも、暑すぎる。

 帰るか。

 帰るか?

 来た道を戻るのか?

 この暑い中、また戻るのか?


「……なんも考えずに来てしまった」


 私は周囲を見渡すと、カフェを見つけた。暑くてしょうがないので、そこへ入った。

 店に入ってすぐに、店員さんが席へと案内してくれた。その席は角に位置しており、店内を一望できた。

 店内は落ち着いた雰囲気の店で、昔ながら、と言うようなカフェだった。客は数人程度。席は余っていた。

 とても涼しい。

 私が座ってしばらくすると、店員さんが注文を取りに来た。

 取り敢えずアイスコーヒーを注文すると、暇になってしまった。

 暇潰しの道具はスマホだけだ。けれども、スマホをいじる気にはならなかった。

 仕方がないので、天井のシミを数える事にした。

 暇だと、余計な事を考えてしまう。


 あのアーティストは入水自殺だったらしい。

 ニュースでは、自殺の原因は不明と言っていた。アーティストのメンバーは取材を断っている様で、情報が全く出ていない。『ミズガミ』という楽曲を投稿した後だった事もあり、SNSには様々な憶測が飛び交っていた。

 だからこそ、今はスマホを見たくない。


「案外シミって多いんだ」


 シミの数が30を超えた辺りから、数えるのが億劫になり、思わずそう呟いた。

 呟いた後で、人前だったことを思い出した。

 急に恥ずかしくなり、周囲に聞かれていないか確認する。



 誰もいない。



 客はもちろん、店員さんもいない。

 けれども、頼んだアイスコーヒーはいつの間にかそこにあった。

 気付けば外は夕暮れとなっており、赤い日差しが店内に入り込んでいた。


「……うん、ぼうっとし過ぎたか。そうに違いない」


 私はほんのりと感じた恐怖を振り払うように、独りごつ。

 取り敢えず、出されたアイスコーヒーを飲んだ。食品ロスは良くない。

 伝票はなかったので、店の奥にひと声かけ、レジ近くの四角いトレイに400円を置いた。

 店を出ると、蒸すような熱気が肌を撫で、先程までの涼しさが恋しくなる。


「一旦店内に戻るか」


 私は回れ右をし、扉に手を掛けた。

 押戸だったか、引戸だったか。

 何度か押したり引いたりしてみる。



 扉が開かない。



 壊れたか。

 そう、壊れたに違いない。でも私は悪くない。勝手に壊れたんだ。


「……損害賠償とか請求されないかな」


 頓珍漢な事を考える。そうでもしないと、不気味な妄想を追い払えない。

 家に帰ろう。

 私は歩き出す。

 少しばかりの恐怖が、私の歩みを速くする。



 ブーンブーン



 音がする。



 ブーンブーン



 羽虫の飛ぶ音だ。



 ブーンブーン



 耳元で聞こえる。



 ブーンブーン



 その異音は、私の脳を犯した。



 ブーンブーン、ブーンブーン、ブーンブーンブーンブーン



 立ち止まり、周囲を見渡す。

 赤い羽虫だ。

 いや、燃えている。

 夕焼けに紛れて燃えている。

 一匹だけではなかった。

 炎の羽虫が、大群を成していた。

 羽虫は一つの塊となり、私の行く手を塞いだ。


 それは化け物という言葉のよく似合う存在だった。人形を模したように二足歩行をし、けれどもその腕は異常なほど長く、その顔は大きく十字に割れていた。炎の奥から黒い塊が見え、顔の十字が開閉しているあたり、口を表しているのだろう。冒涜的なその姿に、私は恐怖で固まってしまった。



「ひっ……」


 小さな音が鳴った。

 また化け物が出てきたのかとも思ったが、どうやらこの音は私の口から出ているらしい。

 その事に、遅ればせながら気づいた。

 化け物が一歩私に近付いた。

 逃げようと思っても、足が竦んで動けない。

 アスファルトに足を縫い付けられた様に、足が地面から離れなくなった。

 体のバランスを崩し、尻餅をつく。

 それにお構い無しに化け物は近寄ってくる。


「く、来るな!」


 手を振り回して妨害しようとするが、意味はない。

 一歩一歩、化け物は近付いてくる。

 その歩みは遅いが、だが明確な殺意を孕んでいた。



 ズボンが濡れ、地面に水溜りが広がる。



 化け物が鼻の先に触れる程近付いた。

 この化け物も呼吸をする様で、生暖かい息が顔に掛かる。

 肉が焼け焦げた様な臭いが鼻腔に広がり、しかしそれは生理的嫌悪が連なる事で、私は不気味な妄想を掻き立てられた。


 死ぬ、そう確信した。


 だが、急にその化け物はバラバラになり、消えていった。

 それに伴い、私の意識も消えていき――





 私はカフェで目を覚ました。

 周りを見ると、店員さんがお盆を持って心配そうに私を見ていた。

 どうやらシミを数えて居る内に眠ってしまったらしい。

 机に乗ったアイスコーヒーを眺めながら、ぼうっと考える。


 嫌な夢を見ていた気がする。


 けれども、気がするだけだ。さっさと忘れよう。忘れっぽいのは私の短所であり、長所だ。


 そして、アイスコーヒーを一口飲んだ。

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