怪物
誕生会の後に誘拐されてしまったアドニス。
救出に向かったルーヴェリアは、怪物と呼ばれる所以となった己が力の一端を行使する。
それは一体どんな力なのだろうか?
アドニスの部屋は荒らされた様子は無かったが、バルコニーへと続く窓が開け放たれていて、鍵は魔術で壊されたのだと分かる。
出入りはここで間違いない。
眠る時も身につけていたのだろう、渡したブレスレットの気配は城から遠のいて、そろそろ外壁を抜ける頃。
かなり早い馬を使っているようだ、急がなければ国境を越えられてしまう。
ルーヴェリア「シエラでしたね、私が後を追います。陛下はお休みになられているので、明日私が報告をしましょう。事の経緯を書面に書き留め、私の部屋に置いておいてください」
言いながらルーヴェリアがバルコニーへ出たところで、騒ぎを聞き付けたのだろう使い物にならない愚図がやってきた。
ゼフォン「申し訳ありません第1騎士団長殿。私が至らなかったばかりに…後は私が追いますので」
至らなかった?そもそも側近でありながら傍らに居ることさえしなかった痴れ者が何をほざいているのか。
問い詰めたいところだが時間が無い。
ルーヴェリア「結構です。居場所は大体把握しております。急いでおりますので失礼」
そう言ってバルコニーの手すりに足をかけたが、腕を引かれて戻されてしまった。
ゼフォン「お待ちください!そもそも此処は城の6階、飛び降りたら怪我をなさいますよ。城門から馬を出し」
ゼフォンの言葉を遮るように鍔鳴りがした。
そして次の瞬間、彼の脇腹を掠めて服と壁が縫い付けられる。
どうやらゼフォンの腰に提げられていた剣を抜き、それを深々と突き刺したらしい。
瞬きの間に起きた神業である。
ルーヴェリア「引っ込んでいろ役立たず。次は喉笛を裂くぞ」
彼女にしては珍しく、苛立ちを隠さないドスの効いた声だ。
大声で怒鳴ったわけでもなく、静かに放たれた殺気を孕む言葉はゼフォンを黙らせるのには十分過ぎた。
ルーヴェリアは再び手すりに足をかけ、そのまま飛び降りた。
魔術で着地の衝撃を無力化しつつ、駆け出す。
気配を追ってはいるが、随分距離を離されてしまっているらしく、馬を使ってもこの距離は埋めることが出来ないことが予測される。
ならば自分が走った方が速い。
周囲の風が動きを止める。
空気、いや空間そのものがルーヴェリアに向けて収束していった。
彼女には、誰にも知られていない力がある。
ルーヴェリア「次元干渉…認識開始」
多次元に渡り思うがままの空間を認知し、目標とする座標と現在地を文字通り直結させる。
瞬間移動ではなく、その次元を更に超えた禁忌の池に片足を突っ込むような力。
普通の人間なら、情報の処理に脳が追いつかず頭が破裂するだろう。
長年魔術棟の一角に篭って研究をしていた甲斐があった。
この力をもっと早くに手にできていれば、もしかしたら…なんてことは考えている場合ではないか。
到着と同時に剣を振り抜くと、大きな荷物を抱えた賊と思しき男が落馬し、転げ、全身で存分に地面を舐めた。
男「な、何だ…!?」
荷を抱えていたせいで上手く受け身が取れず、衝撃で右足と背骨の数箇所が骨折したようだ。
激痛に耐えつつ顔を上げると、少し先で自分が乗っていた馬が倒れたのが見えた。その馬に頭は無い。
男「ま、まさか…帝国一脚の早い馬だぞ…!追っ手が追いつくなんてそんな…」
ルーヴェリア「馬鹿なことある筈がない、と?」
剣に付着した馬の血を払いながら、男を睨めつける。
男「よ、寄るな!この袋に何が入ってるかはわかってんだろ!此奴の命が惜しくば離れろ!」
男はそう言いながら、腰から抜いたナイフを袋に押し当てた。
ルーヴェリア「折角の人質を殺してしまえば、貴方の首は帝国の城門に吊るされるでしょうが、覚悟の上ですか?」
男「う、う、うるさい!黙れ!」
ルーヴェリアは構わず歩み寄った。
いくら相手が賊で、それなりに場数を踏んでいようと、この状況下になってしまっては剣を突きつけられた一般人と何ら変わりない。
後に起こることを思えば、込み上げる恐ろしさからナイフを突き刺すなんてことは出来ないのだ。
男「ひ…!」
男の目の前で閃光が走れば、その眉間が僅かばかりに裂け、血が流れ出す。
反射的に手でそちらを押さえたため、荷から手が離れる状態となった。
ルーヴェリアはひょいとその荷を奪い、片手で袋を破いて中の人間が無事であることを確認した。
魔術で眠らされているようだが、それ以外に傷がついたりなどはしていない。
少しだけ安心する。
袋を地面に敷いてアドニスを横たえさせると、男に向き直った。
ルーヴェリア「さて、帝国と我が国は休戦協定を結んでいた筈ですが、これは帝国からの宣戦布告と受け取ってよろしいのでしょうか?」
男は思い切り首を横に振る。
男「知るかよそんなの!俺は皇帝陛下に依頼されただけだ!成功すれば一介の賊から兵士長に召し上げてやるって言われてやったんだよ!」
ぺらぺらとよく情報を吐いてくれる。
底辺をうろつく賊がちょっとばかり魔術をかじっていたから寄越した、というわけか。
なら、使えるかもしれない。
ルーヴェリア「貴方、生きたいですか?」
男「生き…?当たり前だろ!死んでたまるかよ、俺には養わないといけねえ親も兄弟もいんだからよ!」
ルーヴェリアは剣を納め、男に近寄ると懐からペンダントを取り出して男の首にかけた。
男「な、なんだこれ…」
ルーヴェリア「お守りです。貴方はこれから帝国に戻り、皇帝に失敗したと報告をしなければならない。首が飛ぶのは御免でしょう?」
そして男に治癒の魔術までかけてやる。
男「み、見逃してくれるってことか…?」
ルーヴェリア「貴重な情報を頂きましたから、そのお礼です。そのペンダントは我が国への通行許可証です。1度だけなら致命傷を無力化することも出来るでしょう。ご家族も一緒に我が国へ移住したなら、安全は保証しますよ」
男「し…信じても、いいんだな…?」
疑念を抱いた目で見てくる男。
ルーヴェリアは剣の柄に手をかける。
ルーヴェリア「意外ですね、死がお望みなのですか?」
男「わわわわわかった!わかった!ありがたく利用させてもらうよ!」
男は慌てて立ち上がると、足をもつれさせながら走り去っていった。
ルーヴェリア(利用するのはこちら側ですがね…)
我ながら人の心が無くなってきたのではないかとさえ思うが、これが宣戦布告ならば話は別。致し方無し、だ。
横たえさせていたアドニスを背負い、走り出す。
流石に次元を超えての移動はアドニスの体が耐えられるか分からないので、脚力を向上させる程度に留めておいた。
城に着く頃には情報が行き渡っており、速やかにアドニスを落ち着いた場所で休ませることが出来た。
報告を受けたクレストが迅速に動いていたらしい。
更に翌日には市民にまで話が行き渡っており、長い間平和が続いた中での大事件ということもあり、国中の民が肝を冷やしたそうだ。
ゼフォンはというと、権限を剥奪され、シーフィとの婚約も破棄となり、領地も奪われて辺境へと流されることになった。
お前がちゃんとしなかったからだ、と市民から怒りと石つぶてを投げつけられたのは言うまでもない。
そうして開かれた城内会議で、ルーヴェリアは事の顛末を報告した。
・城内の結界を破かれた形跡はなく、誕生会に乗じて侵入したものと考えられる。
・専属侍女のシエラがベッドを整えた際には賊の姿はなかった。
・アドニスが就寝後、部屋の蝋燭を消すため入室したところ、窓が開いておりアドニスの姿もなく、急ぎルーヴェリアの元へと駆けてきた。
・魔装具であるブレスレットをアドニスが所持していたため、ルーヴェリアは即座に追跡を開始、賊を追い詰め奪還後、帰還。
・アドニスは魔術で眠らされているが、本日夕刻までには目を覚ます見込みである。
これらを聞いた大臣や側近達はざわめき出した。
「帝国からの宣戦布告か?」
「長きに渡る休戦協定を今更破って何になる」
「あちら側に居た貿易商達は無事なのか」
等、口々に。
ルーヴェリア「報告はまだございます」
彼女の一言で場が静まり返る。
ルーヴェリアは壁面に魔力の膜を張った。
そこには、帝国を治める皇帝の姿が映し出されている。
国王「これは何かね、ルーヴェリア」
ルーヴェリア「皇帝と殿下を連れ去った賊の会話を現在進行形で映し出しております。賊に私の作成した魔装具を取り付け、宣戦布告か否かをはっきりさせる為の囮としました」
室内はまたざわめき出す。
「王子が攫われたというのに、こんなものを仕掛ける余裕があったのか?」
「賊を生かしたうえ見逃すなど…」
「これだから怪物の考えることは…」
国王「静かにせぬか、話が聞こえぬであろう」
今度は国王の一言で静かになる。
壁面に映し出された皇帝が口を開いた。
皇帝「…それで、帝国において右に出るものはないとさえ言われた早馬を失った挙句、目的も果たせぬまま、のこのこ面を出しに来たわけか」
賊「も、申し訳ございません…!ただ、追っ手の女は相当な手練であったというか…走っていた馬の首を切り落としたんでさぁ…」
皇帝「後ろから追ってきたのではなかったのか?」
賊「気がついたら俺は地面を転がってて…倒れた馬の体を見たら、上からその首が降ってきて…俺も何が何だか…」
皇帝「その女にお前はなんと言った?まさか私が差し向けたなどと抜かしてはおるまいな?」
賊「だ、だ、断じて、そのような、事は……奇跡的に無傷だったんで、そのまま走り去ってきた次第です」
皇帝「…かの国を属国とする計画が台無しだな。これ以降同じ手は使えまい」
賊「も、申し訳ございません…」
皇帝「良い、許そう。帰っても構わんぞ」
賊「…!あ、ありが」
皇帝「首だけでな」
皇帝が腰の剣を抜きひと薙ぎすると、壁一面がどす黒い血で染め上げられた。
息を飲む音と共に魔力の膜は閉じられ、映像は消える。
ルーヴェリア「これは我が国への宣戦布告、休戦協定の破棄に他なりません。戦力強化と国境、周辺地域の防衛強化を行うべきです」
国王は返事をせず、黙々と考え込んでいる。
そのうちに、臣下たちが目の前のものを信じられないといったていで進言した。
「これはこの者の罠ですぞ!」
「手柄を自らのものにしたいだけの自作自演、この者こそ刑に処すべきです!」
「陛下、この者は怪物です!血に飢えているだけなのです!」
……よくもまあ。
証拠もないのに口だけは達者なようだ。
宰相も首を横に振って呆れ果てている。
そしてその場を収めたのは、共に話を聞いていた第1王子だった。
ヴィリディス「北側の国境付近を荒らし回っていた賊はみな帝国出身者であったため、帝国に滞在していた商人達は安全のために既に我が国へと帰国済みです。このように迅速に動けたのは周辺地域の防衛強化を宰相に提言した第1騎士団長のお陰です。先の皇帝の口振りでは、すぐにこちらを攻めてくる様子は見られなかった。魔術棟の話では魔族の動向も怪しいようですし、どの道戦力強化は必要になります。一旦受諾しませんか?」
ヴィリディスの言うことはもっともだ。
しかし、そう簡単に戦力強化など出来るのか?
平和が続く今、戦の経験者は少ないのだ。上に立てるものが居ない。
尚も抗議しようと口を開いた大臣らを国王は片手で制した。
国王「ルーヴェリアは長年我が国に仕えてきた、国の忠臣だ。お前達が考えるようなつまらん理由でいとも容易く裏切るような真似はせん。それに、私やクレストと並ぶ戦の経験者でもある。十分に信頼できよう」
怪訝そうな視線がルーヴェリアに向けられた。
戦が終わったのは十数年前。
見た目から考えて目の前の少女は終戦時2、3歳だろう。経験者といえるかもしれないが、戦力強化にはならないのでは?とでも考えているのだろう。
化け物だ、怪物だなどと散々喚き散らしておいてこれだ。
救いようのない馬鹿とは正に此奴らのことかもしれない。
ここで頭がぷつんとならなかったのは、国王が忠臣と公言してくれたからだ。
クレスト(良かったなお主ら。寿命が延びたぞ)
国王「一先ずヴィリディスの案を採用しよう。戦力強化に関しては…」
ルーヴェリアに一任と言いかけたが、宰相の仕事の一部を肩代わりし、アドニスの面倒を見、暇があれば魔術棟で妃を手伝い、休む間もないところに積み重ねてはあまりに荷が重すぎるだろう。
国王「クレスト、任せたぞ」
クレスト「お任せくだされ」
さて、一件が一段落。いやまだだ。
国王「ルーヴェリアよ、此度の救出大義であった。何か褒美をとらせよう、望むものを言いなさい」
唐突なことにルーヴェリアは一瞬戸惑うが、微笑をたたえて首を横に振った。
ルーヴェリア「結構です、陛下。私は騎士として当然のことをしたまでです。それに…仕送りをするような相手も居りませんから」
それは身内が居ないということを遠回しに伝える言葉。
国王は彼女について、幼い頃から長年城仕えをしていたということしか知らなかった。
身内が既に亡き者になっているなど、知らなかったため、大層驚いた顔をしたが、すぐに優しい笑みを彼女に向けた。
国王「それなら数日…3日ほど休みを取りなさい。アドニスも同じだけ休ませるつもりだ」
ルーヴェリア「しかし…」
宰相「私のことは気になさるな、いつも助けられてばかりだからね。なぁに、少しくらい休んだって罰は当たらんさ」
国王「休息も戦だ、これは王命であるぞ〜?」
ルーヴェリア「……承知、しました」
根負けしたかのように頷くルーヴェリア。
この国の重鎮たちにやけに可愛がられている彼女は、本当に何者なのか。
この一件から、大臣やその他の臣下達が今までよりも更に1歩引いてルーヴェリアに接するようになるのだった。
【おまけ】ある日の騎士団
第3騎士団長のテオ・アルストルフの朝は遅かった。
昼前起床は当たり前、容姿についてもあまりこだわりがないようで、いつも適当いい加減大雑把。
少しは整えろと、ルーヴェリアやクレストから小言を言われることもしばしば。
そんなテオは、第1王女シーフィのお気に入り。
お転婆なシーフィは王妃教育という学習時間に部屋を抜け出して、騎士達の宿舎に遊びに来ている。
テオ「ありゃ、まーた抜け出してきたんすか」
シーフィ「だって王妃教育なんてつまんない。あなた達の剣を見てる方がよっぽど面白いのだもの」
テオ「見つかったら怒られるのは俺なんですがねえ…」
シーフィ「貴方だからいいのよ」
気怠げで大雑把、態度も素行もあまり宜しくない第3騎士団長は、今日もお転婆王女に困らされている。
シーフィ「テオ!クレストのパンケーキが食べたいわ!」
テオ「おっさんはまだ訓練中っすよ…」
誰がおっさんだって?
あ。