一人ではない
七将が呼び出したロストという魔物と対峙するルーヴェリア。
強い力を持つ彼女ですら苦戦を強いられ、ついにその体は囚われてしまう。
勿論反撃することだって出来た。
だが、出来なかった。
ロストの攻撃をかわしながら、ルーヴェリアはその動力源がどこにあるのかを探っていた。
魔力的な反応は奴の体から感じることができない、ということは動力源は魔力ではない。
ならば、魔族が持ちうる核というものも奴にはないということで…。
その思考を遮るように紅槍が視界を掠める。
ルーヴェリア「邪魔だ」
真っ直ぐに向かってくるそれは、軸はブレておりただこちらに突っ込んでくることしか考えていないような動きで、まるで正気を失ったかのようだ。
軽く弾いただけで少し遠くに生えていた木に衝突して血反吐を吐いている。
そんな状態で向かって来られても戦いの支障にすらならないが、目の前を横切る蠅のように煩わしいのは確かだ。
ロストの右腕が爪による斬撃を放ち、ルーヴェリアの剣がそれをいなすのを見つめながら、正確にはそちらの方を見ながら、レイヴは立ち上がる。
目の前に広がる光景は、雲の地面と輝く青空。
取り囲まれている自分と、擁護してくれる神の姿。
罪状は人間を魔族に売ったこと、つまり人身売買。本来守護するべき人間を魔族に売ることは言わずとも理解は出来るだろうが重罪だ。
神は、主は、俺がそんなことをするはずが無いと弁明してくれた。
検察側が確かに見たと言う者が居ると言う。
レイヴ「何かの間違いだ!主の意に反することなんて俺が出来るわけないだろ!」
ロストの下半身による殴打を蹴りで撃ち返したルーヴェリアの視界に、また紅色の軌跡が迫る。
何か様子が変だ。こちらに向かってくるのに、こちらを捉えてはいない。
まあ、関係なく斬るだけだが。
レイヴの胸元に鈍い痛みが走る。
検察側が言った。
「では、皆が口を揃えて嘘をついていると言うのか?」と。
レイヴ「そんなことは無いと信じたい…!大切な仲間だぞ!?だが俺は決して主の意に叛くようなことはしない!」
神「彼は誰よりも私を愛し、人を愛する忠実な僕だ。何かの間違いではないのかね」
弁護側も、レイヴくらいの背丈で同じだけの翼の数を持つ者は他にも沢山居るし、人違いの可能性は否定できないのではないかと言ってくれた。
それでも、堕天の判決が覆ることは無かった。
神「…どうか、私を許してほしい。私はお前を信じている」
レイヴ「最後の、最後の慈悲を与えてはくださいませんか…!」
まだ此処にいたい、あなたの傍で、大切な仲間達と共に天界を支えたいと縋り付く。
ルーヴェリア「…もう意識も無いでしょうに」
ロストに対し結界術は効果があるのか、物理に特化させれば盾くらいにはなるようだ。
それを利用して、地に伏せて尚立ち上がろうとするレイヴの頭のあたりに立つと、その心臓目掛けて背中から剣を突き立てた。
神「…すまない」
ああ、あなたがそんな顔をするから。
いっそのこと、怒りに満ちた顔で、声で罵ってくれれば、この心も白い翼と共に砕け散っただろうに。
俺の愛する神よ、俺の崇敬する神よ。
堕天し、行き場のなかった俺を救ってくれた人の恩に報いるために俺は人間を殺した。
でも、せめて天に召されあなたの腕に抱かれて眠ることを祈っていたんだ。
俺は、招いてもらえないだろうけれど。
イレディア、お前の力にはなれたのかな。
結局、何もできないまま、俺は死ぬのか…。
レイヴの全身をひび割れが駆け抜けていく。
先から内側へとかけて。
それが心臓に到達したとき、彼は粉微塵になって二度と再生することはなかった。
ロストが魔術壁に阻まれるのをどうにかしようと障壁を何度も殴りつける様を見て、知能が低いことを確認したルーヴェリアが剣を構え直したとき、全身を包み込むような怖気が走った。
空間が浮き上がるような感覚が一瞬だけ、でも確実に今自分がいるこの場所は、自分の知る世界ではないと理解する。
結界に取り込まれたというより、世界から自分達だけ切り離されたような、大地も空も、陽炎のように揺らめいている。
ルーヴェリア「界域断絶……」
世界と世界を隔離して別の次元としてしまう、ある意味魔術の極地の一つだ。
見慣れない男がロストの向こう側に立っている。
青白い肌、落ち窪んだ瞳、痩せこけ骨ばった頬、伸びるに任せたのを適当に切ったような白髪…だが、外套に見覚えがある。
ルーヴェリア「まさか、ノクスか…?」
答えに至って一瞬唖然とした隙を突かれ、障壁を体当たりでぶち壊してきたロストの体が直撃する。
咄嗟の防御も間に合わず、世界と世界を断絶する壁に叩きつけられてしまった。
鎧がなければ内臓までやられていただろう衝撃が駆け巡ったかと思えば、自分の腹部を壁から突出してきた何かが貫いてきた。
痛みは若干感じるが、不老不死の呪いのおかげか致命傷になることはない。
そのおかげか本人の元からの性格なのか、現状を冷静に分析する。
この隔壁には意思があり、それはルーヴェリアに向けられた敵意で、操っているのはノクス本人。
壁に近付くのは得策ではないかもしれない。
隔壁を蹴って前進しながら剣を構え直し、この空間を支配しているノクスの元へ駆け寄ろうとするも、ロストが立ち塞がってそれを阻止する。
ルーヴェリア「こちらからどうにかしなくてはいけない、ということか」
肉薄してくる百足の尾を両断し、切れ目に刃を突き刺してロストの下半身を切り開いていく。
上半身の方に痛がる様子が見られず、自分の下半身を斬りながら向かってくるルーヴェリアに爪を振り下ろした。
やっとのことで通した剣を抜いて弾くわけにはいかないため、ガントレットで防いだ。
衝撃で地面の陽炎が一際大きく揺れる。
肩口の蜘蛛から糸が吐き出され、片腕に巻き付いたそれはとんでもない力でルーヴェリアを引っ張った。
身体能力向上の魔術をかけていなくとも人間離れした力を持つ彼女でさえ、抗うことができず引き摺られるのだ。
渋々剣から手を離して突き刺さったままの状態にしておき、腰のベルトから鞘を抜いて引っ張られるままに任せ近付くことを選んだ。
頭部の一つが炎の息を吐きかけてくるのを魔術で跳ね返しながら、胸元についた三つの骸骨のうち真ん中を狙って鞘を振り下ろす。
が、その鞘が骸骨に届くことはなかった。
世界が断絶されたおかげで、ルーヴェリアの魔力によって封じられていた冥界の門にも手が届くようになったノクスはお得意の死霊術が使えることを重畳に思っている。
ノクス「開け、天冥の門…」
この術のことで、レイヴとよく喧嘩していた。
死者の安らぎを邪魔するな、と。
だがノクスは知っている。
自分の術はあくまで生きていた世界に戻りたくはないかを問いかけ、その問いに頷いた者だけが門を通ってこちら側へ現れることを。
ノクス「未練たらたらであの世に留まるより、余程いいと思うけどな、僕は」
呼び出したいくつかの霊魂がロストの骸骨に吸い込まれていく。
「お姉ちゃん!」
突如鼓膜が感じ取った懐かしい声に、つい動きが止まってしまった。
ルーヴェリア「アリー…」
かつて村が滅んだ時に死んでしまった、大切な妹アリューシアの声だ。
「もう頑張らなくていいのよ」
「お前は十分やったじゃないか」
母マリアベルと、父ライゼスの声もする。
喋っているのは、目の前のこの骸骨だ。
ルーヴェリア「ノクスの死霊術か、よくもこんな下劣な真似を…!」
怒りを孕むその声とは対照に、体は微動だに出来なかった。
マリアベル「またそんなに傷だらけになって、私をどれほど心配させたら気が済むのかしら」
ああ、近くの山で小型の魔獣相手に立ち向かい、ボロボロになって帰ってきた日にも同じことを言われていた。
ライゼス「俺に似て力持ちなのはいいんだがなぁ、無茶苦茶なことをするところは誰に似たんだか」
困り果て、やれやれと首を振っていた様が目の前に浮かんでくる。
でもこれは、ノクスによってつくられた偽物の筈で…。
アリューシア「ねえお姉ちゃん、騎士団に入ったってことは、離れ離れになっちゃうよね?ね、寂しいから3日に1回はお手紙ほしいな!」
違う。偽物なら、こんなこと言わない。
明らかに、あの時交わした約束で、一言一句違わないところを鑑みるに、この骸骨に宿っているのは間違いなく私の家族だ。
あの時守ることのできなかった、家族たち。
鞘を握る手が降りる。
糸に巻かれた腕だけで宙吊りにされたまま、だが振り解くことが出来ない。
だって私は謝らなくてはいけない。
守れなかったことを。
死なせてしまったことを。
ルーヴェリアが口を開きかけた時、言葉を発することも許さないというように、骸骨達が話しかけてくる。
アリューシア「ねえお姉ちゃん、私が倒れてきた棚の下で泣いていた時、どうして助けに来てくれなかったの?」
マリアベル「何のために私達家族の反対を押し切ってまで騎士団に入ったのかしら?」
ライゼス「妻やアリーが死んだのは、魔族に太刀打ちできなかった俺の力不足だったのか?」
違う。違う違う違う違う。
ルーヴェリア「お父さんの力不足なわけがない!村の動けない人の分もって沢山魔獣を倒してたのはお父さんだって、私知ってる。本当に力不足だったのは、私、で…」
助けられなかったあの日の記憶が蘇る。
業火に包まれた村、思うように動いてくれない体、せせら嗤う魔女の声、助けてと響いた、妹の…。
微かに動くこともしなくなったのを好奇と見たのか、蜘蛛の糸はルーヴェリアを六つ並んだ頭部の上にぶら下げた。
それぞれの頭が各方向に伸び、裂けた中央部からワームのような口が覗く。
その様を、ルーヴェリアが見ることは出来ない。
あの日の景色が、瞼の裏に染み付いて離れないあの光景が今眼前に広がっている。
ごめんなさい。
守れなくてごめんなさい。
力不足でごめんなさい。
本当に守らなくてはいけなかった貴方達を、家族を殺してしまってごめんなさい。
私が至らなかったから。
私が弱かったから。
私が…。
体が餌を待つワームの口にゆっくりと降ろされていく。
そんなルーヴェリアの耳に、いつかの仲間達の声が響いた。
ディゼン「また下向きやがって、ケツ引っ叩くぞ」
コルセリカ「そんな過去があったから、今こうして強くなったんでしょ?」
マルス「あーあ、国を守って欲しいって言った俺の意思は継いでくれないのかぁ…」
冥界の門から次々と現れる魂を、ノクスは制御できずにいた。
閉じた筈だ、彼奴の家族の魂を呼び出した後、閉じた筈だ。
なのに何故開いている!?
ノクス「閉じろ、閉じろって!」
何度魔力を注いでも、門は閉じかかるが僅かに開いたままだ。
まるで誰かが必死にそれを押し返しているように。
テオ「おいおいあんたら、それだけでいいんすか!?もっと声かけてやってくださいよ!」
あれは、先日死んだルーヴェリアの仲間の一人だ。
あれが門を閉じるのを遮っているのか。
ノクス「救われることのない魂よ、我が意に従い彼の者を封ぜよ!」
悪霊達が一斉にテオの周りに群れるのを、白い霊魂が蹴散らしていく。
ナギ「邪魔なんかさせねえぞ!俺の師匠にあんな顔させたお前ら魔族を、俺の精霊様も許さないって言ってるからなぁ!」
陽光のような光は彼方此方を駆け巡って悪霊達を消し去っていく。
クワイア「師匠、背中ガラ空きじゃないですか」
この子は50年前共に戦った、クレストの妹だ。
そして、一人の魂がルーヴェリアを背中から抱きしめた。
ソーリャ「ルーヴェ、貴女が私みたいに過去に縛られているのは知ってる。その苦しみがどんなものかも、私は知ってる。でも今守らないといけない人達が貴女を待ってるのよ」
閉じかかっていたルーヴェリアの意識がはっきりとする。
──大丈夫、意思を継ぐ限り独りで戦わせはしない。
温かな声が聞こえる。
ワームの口が閉じる寸前、ルーヴェリアは鞘で喉粘膜を思い切り突き、反射的に自分を吐き出させた。
そうだ、私は独りじゃない。
意志を継いで戦うことで自分にしか出来ない葬送とすると決めたあの日から。
この魔装具達を身に付けると決めたあの日から。
私は独りで戦っているわけじゃない!
腕に絡む蜘蛛の糸を引きちぎり、ロストの頭部を蹴飛ばして地面に転がる剣を取る。
マリアベル「皆さん!間に合って何よりです!」
ライゼス「ギリギリ時間稼ぎ出来たな!」
アリューシア「酷いこと言ってごめんねお姉ちゃん!私たちでこいつの動きを止めるから、思いっきりやっちゃって!」
ルーヴェリアは強く頷いて剣を正眼に構える。
ノクス「クソ!どうなってるんだ!」
テオ「教えてやるよクソ野郎」
驚いて振り返るノクスの頬を、テオの霊魂がぶん殴る。
不意を突かれたのもあって尻餅をつくノクスを見下ろしながら、テオは簡単に説明した。
テオ「あんたからの呼びかけがあった時、ルーヴェリア様が障害になってるからどうにかしたいんだろうってすぐに分かった。だからあの人の家族捕まえて、ありったけの酷い言葉を浴びせてあんたの思惑通りに動くよう伝えたんだ。その間に、俺が歴史書で見た名前の人たちをかき集めて、門が閉じる前に外に出したってわけだ」
死者の魂に意思があるってのは知ってるだろうに。肝心なとこでヘマしたな、と笑うテオにノクスはわなわなと震えながら掴み掛かる。
ノクス「お前だって未練があるから応えたくせに!」
その手は軽々と振り払われた。
テオ「あ?あー、まあ王女様残してきちまったからな…そりゃ心残りだよ。他の人たちも、永遠の時間を生きることになるルーヴェリア様が"心配"だったから応えたんだ。恨み辛みばかりが未練じゃねえよ」
ロストの両腕が自身の胸元にある髑髏を掻きむしるような動きをする。
恐らく中に入った霊魂が暴れ回って妨害し、制御不能に陥らせているのだろう。
自分に向かって炎や氷の息を吐き出し、何とかして追い出そうと必死だ。
その度に自分が傷ついていることにすら気が付かずに。
ルーヴェリア「…私が言うべきなのは、謝罪ではありませんね」
ふっと笑ったルーヴェリアが地を蹴った。
ルーヴェリア「対象認識、概念具現化、斬撃術式展開…」
揺らめく大地。
──百裂き!!
行手を阻む百足の胴の継ぎ目に合わせて無数の斬撃が放たれ、文字通り百に砕かれる。
概念具現化とは、言葉に宿る意味がそのまま具現化される術式だ。
自分にかけられた呪いを解くために必死に魔術の研究をするうちに出来るようになった副産物ではあるが、強力な術である。
ロストは骸骨含め頭部が九つ。恐らくそれぞれが元は一体の魔物だったのだろう。
内二つは停戦交渉の際、魔王に付き従っていた宰相だから間違いない。
魔族に慈悲をかけるつもりも、情が湧くこともないが、死して尚こんな姿にされ侮辱されるのは、僅かではあるが哀れに思う。
故に。
ルーヴェリア「砕破!」
頭部に向けて具現化の術式を使い砕き伏せる。
尚も此方に向かってくるのは、やはり核というものが存在しないからだろう。
だが、頭を潰したおかげか奴の体は再生しなくなった。
今ならば。
地面、空中問わず縦横無尽に駆け巡り、爪を、腕を、毒牙を剥き出しにする蛇達を、内に潜むワームを、全てを切り裂きばらけさせる。
そしてありったけの魔力を込めて世界を断絶させている壁の天井をぶち破った。
ノクス「は!?」
使われたのは既に死んだ魔物だろう。
なら行先は冥界に他ならない。
ルーヴェリア「地獄より燃え立つ劫火よ、哀れな魂の拠り所を焼き尽くし、その魂を冥界へと誘い給へ!」
力技でこじ開けられた天井から爆炎の柱が降り注ぎ、ロストの身を焦がし、燃やし、灰燼に帰していく。
誰もが思わず目を閉じるような光が辺りを照らす。
ゆっくりと目を開く頃には、世界を隔絶する壁は消え失せ、いつもの景色が戻ってきた。
自分を助けてくれた霊魂達の姿はもう無い。
ルーヴェリア「皆さん…有難うございます」
夕焼け空に呟くと、地に膝をついて呆然としているノクスの元へと歩いていく。
ノクス「そんな…あり得ない…こんな…」
壁が破られたことも、死霊術を極めた自分を差し置いて冥界や地獄の門を開かれたことも、受け入れ難かった。
これじゃ、どんな顔して向こうでレイヴに会えばいいか分からない。
ルーヴェリア「…人間に似た姿にもなれたんだな。まあいい……私の家族に苦労をかけさせた罰だ。精々苦しみながら死ね」
冷淡な声色が具現化する。
ノクスの体はあり得ない方向に何度も何度も捻じ曲がり続けるが、不死者の特性でその程度なら治ってしまう。
じっくりと聖なる光に身を侵されながら、ノクスは声にならない声を木霊させる。
殺してくれと叫んでいるようにも聞こえなくはないが、そんな慈悲など持ち合わせてはいない。
ゆっくりと、確実に死に至っていく魔物を背に、夕焼け空の向こう側を眺めた。
他の戦線はどうなったのだろう。
此方は思っていたより時間がかかってしまったので、当初の予定より作戦時間は大きく遅れていることになる。
ルーヴェリアは急いでクレストの元へと向かうのだった。
【おまけ】ある日の▓▓▓▓
魔界中層の半分を占める海の中に栄えた種族が居た。
魚の頭に人間の胴、人魚の尾を持つ水棲の魔族で、種族名はグランレーン。
太古からあったわけではなく、単純にグランガチとセイレーンの間に生まれた種族だった。
ある日、人間と似た頭を持つ子供が生まれた。
今ならば隔世遺伝と分かるが、当時は誰もその言葉を知らない。
子供の親はかつてこの海を荒廃させたとされる天使セラフィムから名を取り、セラフィナと名付けた。
そして奴隷よりも酷い扱いで彼女を虐げた。
父親が言う。一族の恥晒しと。
母親が言う。あんたなんかいらないと。
出ていけ、出ていけ、今すぐ出ていけ。
毎日そう言われて家の外に追い出された。
勿論助けてくれる者なんかいない。
セラフィナはとうとう棲家を離れ、遠く遠く離れた場所へと泳ぎ去った。
どこまで行っても、闇しかない。
一族の頭に揺れていた灯りを恋しく思いながら、少しでも明るいところへと海上を目指した。
海藻を少しずつ食べながら、ひもじさを抱えて。
しかし幼子が一人彷徨うには世界が広すぎた。
朦朧とする意識の中で見つめた空は、まんまるな赤いお月様がきらきらとしていた。
こんな景色を眺めながら死ねるなら、悪くないとさえ思った。
でもそれは叶わなかった。
「ノクス、舟を止めろ」
誰か、女の人の声がする。
「死にかけじゃないか。拾うの?素材にしていい?」
無邪気そうな男の人の声に、女の人が何か言ってる。
「殺してどうすんだよ、流れ的に助けるだろうが」
気の強そうな、少し怖い男の人の声。
でも助けるって…?
セラフィナの意識はそこで途絶えた。
次に目が覚めた時、私は自分がまだ生きていることに驚いた。
小舟の上に横たわって揺れている。
月の位置的に今は朝だろうが、何があったのだろう。
いつだったか岩肌で切ってしまった腕には包帯が巻かれていた。
「起きたか。よしよし」
人間?の女の人が私を見てうんうんと頷いている。
セラフィナ「あなたは?」
イレディア「私か?イレディアだ。あっちの羽のついた生意気なのがレイヴ、そこでうたた寝してる呑気な奴はノクスだ」
自己紹介なんてされたのは初めてだ。
戸惑いながら自分も名乗る。
セラフィナ「あ、と…。グランレーンのセラフィナ…です」
イレディアは首を傾げた。
グランレーンの住処はここよりもっともっと遠い。セラフィナを拾った場所なんて更に遥か彼方だ。
イレディア「妙だな…何かに襲われて逃げてきたのか?」
セラフィナは声を震わせながらことの経緯を話し始めた。
聞き終える頃にはイレディア達の顔はグールのような形相になっていた。
イレディア「ノクス、まずはここからやろう」
ノクス「大賛成だね。海魔の屍人化してみたかったし、いい材料になりそうだ」
レイヴ「ま、弱きを救うは神の意志だしな」
困惑する私を他所に、3人は魔術を使って舟を走らせた。
住処が近づくごとに浴びせられた罵声が頭の中を木霊する。
そんな私を、イレディアは抱きしめてくれた。
イレディア「大丈夫。お前を虐げる奴は誰一人として居なくなる。私達がお前を守ってやるから、何も心配することはない」
優しく落ち着いた声に、心が温かくなって、嬉しくて、涙が滲んだ。
それからものの数十分だ。
海上をビチビチと跳ね回る同族達の姿を見たのは。
どんな魔術か知らないが、海中に逃げることができないようにされたうえ、火で炙られてる。
見知った顔もいくつかあるが、親の姿はどこにもなかった。
イレディア「大丈夫か?見ているのが辛いなら…」
セラフィナ「大丈夫です…」
言いながらも本当は心苦しかった。
でもきっと誰かは生き残っていて、都ではないどこかで暮らしているだろうから。
私の居場所はそこにはないのなら。
セラフィナ「あの…私……ついていっても、いいですか」
イレディアは不思議そうな顔をする。
イレディア「元よりそのつもりだが?」
そっか。良かった。
私はほっとして空を見上げた。
まんまるなお月様がきらきらとしている。
こんな綺麗な景色を眺めながら、幸せに生きていけるなら、それはとても嬉しい。




