戦うということ
ついに自分の仲間に犠牲者が出たことに心を揺らすアドニス、対してルーヴェリアは冷たく事務作業をこなしていた。
しかしそんな彼女の口から、哀悼の意を込めて献杯の場を設けると出る。
その本心とは…。
テオ「あ、ルーヴェリア様?ちょっと報告あるんすけどいいっすか?」
少し途切れ途切れに聞こえてくる魔術で送られた声は、昨晩ルーヴェリアの元に届いた。
ルーヴェリア「…どうぞ」
テオ「わ、やっぱまだ起きてたんすね…夜更かしっすね〜」
茶化すような言葉に歯を噛み締めた彼女を誰が見ただろう。
ルーヴェリア「要件は?」
テオは現状報告を、普段の彼からは想像もつかないほど端的に、正確に伝えてくれた。
明日の朝には、第一王女が帰国する、と。
ルーヴェリア「…貴方は帰りませんよね」
彼女はわかっていた。
最初の声から、彼の命はもう消えかけの蝋燭の火であり、死の運命という風は強く吹き荒んでいると。
テオ「すごいっすね、その通りっすよ。でも、守るべきものはちゃんと守ってからっす」
ルーヴェリア「……ええ、そうですね。そうしてください。それが、私の教えですから」
死んでは守れない、と。
ルーヴェリア「先に言っておきますね」
テオ「なんすか?」
ルーヴェリア「……お疲れ様です」
テオ「………ありがとっす」
だからこそ、翌日テオの訃報を聞いて取り乱す騎士団員達の中でただ一人だけ冷静でいた。
家族の居ない彼に事務的な手続きなど不要で、贈られる追悼の花もなく。
ただ、第四騎士団とその団長の名を名簿から消すだけの。
そんな彼女にアドニスは激昂していた。
そしてその感情を受け止めていたのは、クレストである。
アドニス「なんであんなに冷静でいられるんだ!僕は援軍を出せなかったことを後悔してる…!こんなに悲しくて辛いことがあったのに!大事な仲間が亡くなったのに、なんで平気な顔していられるんだ!!」
騎士団員達の住む宿舎内に構えられた、各騎士団長達のための部屋に響く悲痛な声。
執務机に手をついて、憤りを隠さず涙と共に声が流れていく。
クレストは思った。
彼は真っ直ぐすぎるが故に、戦いには向かないのだろう、と。
ルーヴェリアと共に戦場を駆けてきたからこそ分かる。
彼女は悲しんでいないわけではなく、戦うとはそういうことなのだと飲み込んでいるだけだ。
だが、戦いに出たばかりの青二才にそれを説いたところで何が伝わるだろう。
クレスト「テオのことは、私も残念に思います。第四騎士団員の全員が帰らぬ人となったことも。ただ、殿下もお分かりのはずです」
アドニスは涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげ、戦慄した。
クレストの眼には憎悪という名をつけてはいけない程に熱く激る焔が宿っていたから。
ただ、空気を呑むことしかできないほどにそれは深くて、まるで絶望の深淵を覗いたのかと錯覚するほど鋭かった。
クレスト「それでも我々は、進まねばならぬのです」
力なく椅子に腰をおろす。
クレストの視線が恐ろしくて、見ていられなくて、執務机の木目に視点を移した。
アドニス(わかってるよ…わかってるんだ…本当は……目の前の悲しみに囚われてばかりではいられないって…)
それでも、何でもないことのように過ごすにはあまりにも痛くて、悲しくて、やるせないのだ。他に何か出来たなら、もっと違う結末があったのではないかという思考の鎖が絡みついてくるから。
アドニス「…2人は……師匠とクレストは、同じ戦場を駆けてきた仲間だったよね」
クレスト「はい」
アドニス「仲間を失う痛みは、慣れるものなの…?きっと多くのものを失ってきたと思うんだ……でも、僕みたいにならず立っていられるのは…慣れてしまったからなの…?」
クレストは首を横に振る。
慣れるものではない。慣れたのではない。
クレスト「いいえ殿下。大切な仲間を想うからこそ、その者の想いを背負って立たねばならないと必死に耐えているだけです」
殿下、今はまだ分からないかもしれませんが、戦いとはそういうものなのですよ。
前日まで夜を共にした仲間が、翌日には無惨な死体と化すこと。
数刻前まで冗談を交わしていた仲間が、目の前で悲惨な死を迎えること。
長い時を共に過ごしてきた仲間が、活路を開くため、或いは大切なものを守り抜くために、死地に向かい合うことを選択すること。
あまりの苦痛に耐えかねた仲間が壊れ、自ら死を選ぶこと。
その全ての痛みを背負って、尚進まねばならないのが戦いというもの。
奪われても、取り返すことの出来ないものが確かにあるから、奪われないように抗うのが戦いというもの。
その意思を貫くことも、折れないように耐えることもまた、戦いというものだと。
クレスト「殿下、今夜は騎士団全員で集い、哀悼の場を開くことをご存じですね?」
アドニス「あ…うん。知らせは届いてるけど…」
クレスト「言い出したのは、我が師なのですよ。人は痛みを分かち合うことで、それを乗り越えていくものだと知っているからです」
しかしその夜、言い出しっぺのルーヴェリアは最初の挨拶を済ませた後に姿を消した。
テオとの思い出を語りながら酒を酌み交わす者達に囲まれていた故にアドニスは気が付かなかったが、クレストはその場から立ち去るルーヴェリアの背を見ていた。
仕方のない人だと嘆息混じりに後ろ姿を追う。
そこには柱にもたれかかり、グラスを掲げて、半分ほど注がれた葡萄酒が月明かりに揺れる様を見つめる彼女の姿があった。
クレスト「他人と痛みを分かち合わねば、人は立って行けないと謳った貴女が独りを選ぶのは理解に苦しみますぞ」
ルーヴェリア「私が居ては、団員達の気は緩まないでしょう」
ルーヴェリアは視線を逸らすことなく答える。
クレストは肩をすくめた。
クレスト「一番悲しんでいるのは貴女でしょうに。此処には、私と貴女しか居りませんよ」
その言葉を皮切りに、ルーヴェリアの視界が滲む。
葡萄酒を透かして注がれた月光が眩しかったのか、或いは彼の最期の声を聞いた夜に見上げた月とよく似ていたからか。
ルーヴェリアは心の中で反芻するテオの「ありがとう」を精一杯染み込ませるように、否、それが最期の言葉であった悲しみを飲み干すようにグラスを空けた。
ルーヴェリア「彼に魔道具を渡しておいて正解でした。魔術の扱いは最初の頃よりは良くなっていましたが、それだけでは足りなかったでしょう」
クレスト「報告書は読みましたぞ。機転を効かせるのが得意な子でしたからな、貴女の判断は正しかったでしょう」
クレストもまた、グラスを空にした。
静かな眼差しでルーヴェリアが口を開くのを待つ。
ルーヴェリア「…結局、魔族の動きは陽動ではありませんでしたね」
クレスト「常に最悪の事態を予測して動いていた。貴女に落ち度などありませんぞ」
ルーヴェリア「私が」
クレスト「貴女が一人で攻めに行ったとしても、結果は変わらなかったでしょう。この国の守りが薄くなるだけでしたよ」
長い時を過ごしたからこそ成り立つ会話だ。
ルーヴェリアが抱く後悔や疑念を受け止め、否定している。
──援軍を出す事をしても良かったのではないか。
それは最悪の事態を予測したからしなかったことだ。
──自分一人で魔族の元へ向かえば、被害は抑えられたのではないか。
国で1番の力を持つ者が居なくなればこちらが手薄になるだけで、何も変わらなかった。と。
ルーヴェリアは柱にもたれたまま、芝生に腰を下ろした。
ずるずると、崩れ落ちるように。
ルーヴェリア「後悔しても、何も変わりませんね」
クレスト「ええ。それでも、貴女の感じる痛みを貴女が否定してはいけませんぞ」
全て飲み込むのだ。全て飲み干すのだ。
そうして散った仲間の命を背負い、彼らの誇りを背負い、信念を背負い、希望を背負って。
ルーヴェリア「それも戦いですからね……そして私たちは」
クレスト「ええ…進まねばならぬのです」
地面に向かって垂れ下がった腕は、ついにその指先まで力を失って、持っていたグラスが草の上に転がる音がする。
そっとその肩に腕を回して抱き締めてやれば、止めどなく溢れる涙が2人の胸元を濡らし、広く染み込んでいく。
ルーヴェリア「クレスト、私は悲しい」
クレスト「私もです」
ルーヴェリア「私は、悔しい」
クレスト「ええ、私もです」
ルーヴェリア「私は……憎い」
クレスト「………私もです」
2人の涙が語る。
大切なものが手からすり抜けていく悲しみを。
大切なものを守れなかった悔しさを。
大切なものを奪っていく魔族への憎悪を。
今だけだ。今だけ立ち止まって、この全てを受け入れる時間を過ごそう。
そうして朝日が昇ったなら。
その陽光は復讐の焔となって降り注ぐだろう。
テオの死から2日ほど経過した頃。
謁見の間で交わされた会議で、防勢一方だったサフラニアは反撃に出ることが決まった。
南東方面から押し寄せる魔獣と竜の群れに第三騎士団が、帝国領方面に蔓延る魔族の群れには第一騎士団が向かうことになった。
ルーヴェリア率いる第二騎士団は国防に回る。
王都中心部に集った二つの騎士団は、そこに建つ慰霊碑に祈りを捧げた。
アドニス(どうか、無事に勝利出来るように)
クレスト(どうか、この戦いで散る者の魂が安息でいられるように)
北門へアドニスが、南門へクレストが騎士団員を率いて歩みを進める。
民達は勝利を願い、希望を託すように彼らを見送った。
城のバルコニーには国王と王妃の姿も見えた。
国王「無事に帰ってきてくれ…」
王妃「大丈夫、彼らはきっと成し遂げてくれるでしょう」
ルーヴェリア達も隊を5つに分け、各門と城の守備についた。
「何があっても守るんだ、いいなお前ら!」
「どんな奴が来ようとも、先へは進ませない」
「この国と、この国に生きる家族のために」
「死んでいった仲間に報いるためにも」
ここは、絶対に守り抜いてみせる。
そんな声が国の彼方此方に染み込んでいった。
そして国を発った2つの騎士団は、別々の場所で敵の姿を拝むことになる。
垂れ込めた黒雲が陽光を遮り、冷たい雫を垂れ流す中でアドニスの目の前に広がるのは、数多の死霊と屍人の群れ。
屍人は帝国の鎧を身に纏った者から、近隣王国の兵士らしき者から、町民と思しき者、第四騎士団員達まで様々に居る。そして。
アドニス「あ…兄、上…」
その先頭に立つ、焼けこげた屍人と穴だらけになった騎士の屍人。
たとえ原型を留めていなかったとしても、その手に提げられた剣が、その胸元で確かに輝く王族と騎士の証が、彼らだということを嫌でも理解らせてくる。
あれは自分の兄とその護衛騎士、ケインだ。
その向こう側で嫌な嘲笑顔をしている異質な存在。
漆黒の髑髏に宿る爛爛とした紫の光は瞳だろうか。風に遊ばれる闇色の布地を纏っており、下半身は無いように見える。
あれは本で見た七将、ノクスだろう。
彼奴のせいで、彼奴がいなければ、彼奴が…。
怒りに支配されそうになる心を、頭を振って振り払う。
アドニス「…みんな、炎の術式をしっかり使って。この雨に掻き消されないようにね」
己の剣に炎を纏わせ、剣を高く掲げ、馬を走らせる。
アドニス「全軍、突撃!!」
彼の声は悲しみを突き刺す雨を切り裂くように響いた。
また、南東方面に向かったクレストは轟音を奏でる強風に煽られた荒野の向こうで七色の巨竜と対峙する。
理性を失ったのか、獣の群れはこちらが陣形を整える前に突進してきたが、そんな浅はかな攻撃程度で騎士団の堅固な守備は崩れやしない。
クレスト「あの竜は私に任せよ。お前達は雑魚を思う存分屠れ。憎悪を突き刺し、怨恨を叩きつけ、死の恐怖を刻みつけてやるのだ」
普段温厚な彼から発せられる言葉とは思えないほど熾烈な言葉は、第三騎士団員達の心を高く、高く鼓舞した。
誰かが魔獣の首を切り落として叫ぶ。
「奴等にこの上ない絶望を!」
また、竜を撃ち落とした誰かが叫ぶ。
「奴等に至高の苦痛を!」
七色の竜はその光景を閑静な瞳で眺めていた。
つい先日、これ程までに人というものは強くなれるのかと思い知らされたから、彼らを見くびるような真似はもうしない。
セレシュバーン「蹂躙しろ」
その咆哮を合図に竜達も呼応し、威勢良く叫んで飛びかかる。
クレスト「全軍、突撃!!」
怒号という言葉に似つかわしい老騎士の声は、暴風の巻き起こすかまいたちの刃よりも鋭かった。
怒りを、悲しみを糧に、燃え盛れ。
【おまけ】ある日の騎士談-続-
…アルゼトが襲われたって聞いた時は居ても立ってもいられなくて、飛び出してきちゃったっすよ。
魔族から交渉を持ちかけられた時も、王女様のためなら死んでも良いとさえ思ってたっす。
でも、死んだら守れないって、ルーヴェリア様の声が頭ん中で響いて、俺、生きるための道を探したっす。
大正解だったっすよ。良かったっす。
だってちゃんと王女様のこと守れたっすから。
俺、自分が死ぬって分かってたっすよ。
でも、守りきった後なら良いかなって思ってたんすよ。
だから、これで良かったんす。
俺は、納得して自分の死を受け入れるっすよ。




