鍛錬開始
交戦開始から停戦までの長い歴史を聞き、ついにそれらとの戦いを想定した鍛錬が始まることとなった。
果たしてどれだけの人数が集まり、どんな鍛錬が始まるのか…。
何だろう、水の音が聞こえる。
さらさらと静かに流れるような音だ。
それと、時々扉が軋んだ時のような音。
と…女性の…話、声?
どの音も、耳に水が入ってしまった時のようにくぐもっていて、はっきりとは聞こえない。
目の前は……青、色?空の色だろうか。
時折白い模様が現れているのは雲、か?
雲にしては流れが早いような…
鉛のように動かない体。
指先一つ動かすこともできないし、聞き取りたい音も聞こえないし、視界だって、厚いすりガラス越しに向こう側を見ているようにはっきりとしない。
話し声のようなものはずっと聞こえている。
何と言っているのか、きちんとその話を聞きたい。いや、聞いてあげたいと思うのに、体は、意識は閉ざされていくようで。
瞼がひどく重くて、心に背いた体はそれに従って視界を暗闇に染めた。
それでもずっと、聴覚は水のせせらぎと女性の話し声を聞いていた。
ずっと、ずっと、ずっと聞いていて……いつしか聞こえなくなった。
体の自由が効くようになり、むくりと身を起こすと自室の机の上だった。
書きかけの日記が目の前に置いてあって、ペンが転がっている。
アドニス(ああ、今のは夢か……何か、よく分からない夢だったな……)
日記を書く途中で眠ってしまうなんて普段はそんなにないのだが、恐らく長い歴史に触れたことで頭が疲れてしまったのかもしれない。
辺りを見渡せば空は明るいので、一晩中机に突っ伏して寝ていたようだ。
立ちあがろうとしたその時、足元に落ちている毛布を見つけた。
シエラが眠っている自分を見てかけてくれたものだろう。
アドニス「心配させてしまったことを謝らないといけないな」
彼はくすりと微笑んで毛布を丁寧に畳み、ベッドの方へ置いておく。
こうすると、シエラが洗濯場に持っていってくれるのだ。
さて、今日から鍛練再開だ。
アドニスは着替えをして朝食を食べ、早速騎士の訓練場に向かっていった。
騎士団の訓練場に到着すると、既に他の騎士団長3名が揃っていた。
アドニス「おはようございます、皆さん」
アドニスの言葉に、他の3人もそれぞれの言葉でおはようと返す。
テオ「さて、そろそろ兵士達が来るっすけど、どれくらい来るっすかね」
ルーヴェリアの鍛錬が嫌で兵士を辞め、逃げて行ったものもいる。
恐らく予想以上に少ないかもしれない。
と、思っていたのだが…その予測は大外れし、騎士団所属の兵士、総勢3000名が4人の前に整列する。
これは、全員ここに集まったということだ。
一体、いきなり、何故?
流石のルーヴェリアも戸惑いを隠せないようだったが、自分は今は第二騎士団長だ。
初めの挨拶は第一騎士団長のアドニスに任せよう。
アドニス「皆、おはよう。よく集まってくれた。魔族出現と、その脅威を噛み締め、勇気を振り絞って集まってくれたことだろう。この国のため、民のため、そしてお前達の家族のために、生きる術を学ぼう」
兵士達は声を揃え、はい、と返事をする。
その中から1人の兵士が前に出てきた。
言いたいことがあるようだ。
視線で発言を許すと、その兵士は言った。
兵士「我々は、魔族との戦いを歴史ではなくおとぎ話として聞かされて育てられました。かつて、魔族がこの世界を滅ぼそうとした時、それを阻止し世界を守った英雄がいると」
ルーヴェリア(な、るほど…?確かに50年前ですし、そのように捉えられても不思議ではない、か…)
ルーヴェリアは表にこそ出さないものの、そういう伝わり方をしたのかと若干驚く。
兵士は続けた。
兵士「帝国と再戦した時、我々は勝利を重ねました。戦争とはこんなものかと、正直舐めていました。でも、先日の魔族との戦いで思い知らされた。生易しい現実なんて存在しないことを。だから我々は皆で考えを纏めました。
現実を見、それに対して誠実に生きるべきだと。厳しい鍛錬への覚悟は既にできています。
騎士団長の皆様、どうか、我々に魔族に打ち勝つ力をお与え下さい!お願いします!」
兵士がいい終え、頭を下げると、他の兵士も皆口を揃えてお願いしますと言って頭を下げる。
アドニスや、クレスト、テオだっているのに、散々嫌われてきた自分が頭を下げる対象に含まれていることに驚いた。
軽く目を瞠って、辺りを見回してみると、兵士全員が頭を下げていて、他3人はルーヴェリアを見て微笑んでいる。
ルーヴェリアは一呼吸分だけ息を整えると、兵士らに返答する。
ルーヴェリア「良いでしょう!我々で魔族を打ち滅ぼし、2度とこの国を、ひいてはウェス・トリステス全域の平和を守り抜くのです!」
兵士達は拳を高く突き上げ、気合の声を空へと響かせる。
この後、訓練内容についてルーヴェリアが説明した。
まず、一般兵達は人数が多いこともあり、ルーヴェリア専用の訓練場所へと案内される。
城二つ分はあるあそこだ。
まずはやはり、痛みに慣れることを覚えさせなければならない。
ルーヴェリア「良いですか、戦いというのはいつどこで致命傷を負うか分かりません。
それでも、戦場を駆け抜けなければならない。
私があなた達に致命傷を負わせます。
骨が折れることもあれば、身体の一部欠損、内臓の破裂だってあり得るでしょう。
それでも、この外周を走り続け、背後にある砦を自陣と思い走ってください。
大丈夫です。死にそうになったら私が魔術で治癒しますので多分死ぬことはありません」
兵士達は覚悟はできていたものの、ここまでスパルタ教育になるとは思っていなかったようだ。
せいぜい錘をつけて走り込みをするだの、剣の練習などするものだと思っていた。
若干のざわめきはあったが、1人の兵士が威勢の良い声でそれを受け入れた。
ルーヴェリア「ああそれと、ここは鍛錬場ですが戦場と思って行動してください。
私を本気で殺しにきてください」
突拍子もなく殺しにこいという宣言を受けた兵士達は唖然としたが、次の瞬間、ルーヴェリアは木剣をひと薙ぎ。
数百名ほどの兵士が外壁に叩きつけられた。
ほとんどが背骨が折れたり、衝撃に耐えられず内臓に損傷を負ったり、頭を強打したせいで脳震盪を起こし、動けなくなったりした。
吹っ飛ばされた兵士を見て青ざめる他の兵士を他所に、ルーヴェリアは。
ルーヴェリア「走り込み開始!」
言いながら他の兵士たちも数百名単位で外壁に叩きつけ、走れ、走れと何度も繰り返す。
ルーヴェリア「ある程度動ける者は、動けない者を引き連れて砦内へ!」
超過度で激烈無慈悲な命令に、ここまでするかぁ!?と兵士達は思いながらも、これも乗り越えなければならない事柄なのだと必死に歯を食いしばり、痛みに耐えながら、負傷の酷い兵士を背負いながら外周を走り始める。
そこへ。
ルーヴェリア「全軍、防御体制!!」
彼女の号令に反射的に盾を構えた。
すると、雨嵐と見紛うほどの光の矢が何千本と飛んでくる。
あまりの威力に耐えられず尻餅をつくもの、それが原因で防御体制が崩れ、射抜かれてしまうものもいた。
ルーヴェリア(まだ、死にそうな人間はいないですね、多分)
確証はないが、この分ならまだいけるはずだ。
兵士1「こんなの訓練じゃねえ…実際に魔族1人を相手にしたらどうなるかの予行演習だ…」
彼女はぼそっと呟いた声を聞き逃さない。
ルーヴェリア「ええそうです。皆、何故走らないのです?私への攻撃はどうしたのですか」
いやいやいやいや出来るかアホ!
心の叫びは傷のせいで音にならない。
更に。
ルーヴェリア「第二波確認、防衛体制を整えつつ前進!負傷者は後退、急げ!!」
昔、何度も繰り返したこの言葉をまた言うことになろうとは。
そう思いながらまた光の矢を何千本と放つ。
それだけで、もう兵士は数名しか動ける者が居なかった。
話にならない。
ルーヴェリア「……これは、致命傷ですね…」
流石に1人くらいは特攻してくると思ったが、そんな様子は微塵もなかった。
ルーヴェリアはその場にいた全員の負傷者を治癒する。
ルーヴェリア「本来砦内でしか行われませんが、このままでは話にならないので特別です。
今度こそ、私に一撃浴びせるか砦内まで避難するかしてください」
呆れた声ではない。だが期待でもない声色。
兵士(アドニス殿下はこれを毎日のように受けていたのか…なんで耐えられたんだ…)
覚悟が揺るぎ出す。
しかし他の兵士が声をあげた。
兵士「お願いします!自分、まだやれます!何度も、何度でも、どうかお願いします!」
その兵士は先ほど盾で矢を防ぐことができず、両肩に傷を負った兵士だ。
他の者も、お願いしますと言いながら頭を下げる。
ルーヴェリアは困惑を隠せない。
だっていつもなら、ここで誰もが逃げるから。
ルーヴェリア「その前に1つ聞かせていただきますが…何故そこまでして私の鍛錬を?」
兵士のうちの1人が答えた。
兵士「実はこの間、アドニス殿下とテオ様の会話が聞こえてきて、つい盗み聞いてしまったんです……悪いこととは思っています!でもその会話で、魔族の恐ろしさや、自分たちが自分に甘過ぎたこと、平和がいつまでも続くという願望が叶い続けるのだと信じきっていたことに気が付きました。それは過ちだということも。
だから我々は逃げません。隠れません。
そう覚悟を決めてここに立っているのです」
ルーヴェリアはそっと目を閉じて、数秒だけ考えた。
懐かしい、怪物と呼ばれ恐れられる前に戻ったかのようだ。
一度あることは二度ある。
もしかしたら、この兵士達も私の不死を知れば離れていくかもしれない。
それでも。この純真無垢な魂の覚悟に背を向けることは彼らへの冒涜だ。
──ならば。
ルーヴェリア「わかりました。ではお覚悟を。
もしかしたら、この鍛錬で死人が出てしまうかもしれませんがご容赦くださいね。
もちろん、死にそうになったら全力で助けますから」
兵士達は頷き返し終わる前にまた外壁まで吹っ飛ばされる。
今度はそれだけで分厚い外壁に穴が空いた。
誰1人として動きはしないが、かろうじて意識はあるらしい。
ルーヴェリア「走れ!止まるな!私を魔族だと、お前達から家族や故郷を奪った仇敵と思い本気で殺しに来い!!」
彼らは気合の声と共に、とうとう彼女に殴りかかり、剣を振り上げ、魔道具まで用いて炎でその体を燃やそうと奮闘し始める。
外壁の向こうの兵士も、虫より浅そうな呼吸をしながら、血の流れる唇を噛み締め、歯を食いしばって歩き出す。
止まらない。絶対に。止まってたまるものか。
彼女に認められなければ、魔族になんて勝てないのだから。
各々に守りたいものがある。
わざわざ兵士になるために遠くの村からやってきた者、王都に恋人や家族の住む者、国のために、民のために、平和のために、未来のために。
戦う理由はそれぞれだが、心は一つだ。
その一つとなった心は闘志として燃え上がり、彼らの根性、意地、信念を熱く熱く激らせた。
地獄の化身が目の前に立っている。
あれを、何がなんでも倒す!!
殴りかかった兵士は軽く体をずらすことで避けられ、勢い余って通り抜けていくその背に拳を叩き返された。
両刃の剣は切れない中心部を瞬きの間に指で弾かれ、隙のできた腹部に蹴りが入る。
次いで勢いの強い風を吹かせて炎を逆流、風を兵士の方へと操った。
魔術を放った者の体は焼け焦げていく。
そんな姿を見ても彼らは迷わず襲いかかってきた。
中には負傷した者を砦まで連れ戻そうとする者もいる。
そこに、防衛の号令もないまま容赦なく光の矢が降り注ぎ、突き刺さった矢は小規模な爆発を起こした。
この間たった十数秒。全滅である。
ルーヴェリアは全員に治癒の魔術を施し、万全の状態に戻してやった。
ルーヴェリア「次!!!」
号令に力強くはいと返す兵士達。
何としても勝ってみせる、認めさせてみせる。
今度は3名で囲んで剣を振るう。上空から火球を浴びせ、地面からは蔦を生やして拘束する魔術を行使した。
ルーヴェリアに魔術は通用しないのだが、それでは鍛錬の意味がないのであえて、かつて会得した植物を腐食させる魔術を使用。
枯れていく蔦を横目に3名の兵士の間をすり抜けた。
早さに追いつけない。
降り注いでいた味方の火球が3名の兵士を焼いていく。
ルーヴェリアは天上より無数の光の矢を放ち続けながら近くにいた兵士たちに肉弾戦を仕掛ける。
魔族の種類にもよるが、戦闘中は魔術なんかに頼っていられるほど余裕がないことが殆どだ。
相手の動きは素早いから。
頭部を潰す勢いで兜を叩き割り、反対側の手で別の兵士の胸鎧を粉砕する。
もちろんその衝撃で兵士は倒れることになる。
複数名に囲まれたら回し蹴りで吹き飛ばし、他の兵士を巻き込みながら倒していった。
もちろん、その間も光の矢を落とし続ける。
本来はもっと悲惨な目に遭うが、そこまで再現すると死んでしまうため出来ない。
これが限界だが、ここまでやれば多少力は身につくはずだ。
そしてまた、全滅させられる。
たった1人に、3000人の兵士が蹂躙、淘汰されていく。
普通なら、絶望と恐怖で体は動かなくなってしまうだろう。
自分には無理だと、諦めてしまうだろう。
だが、彼らは何度転ばされようと、何度外壁の外まで飛ばされようと、何度焼かれても、刺し貫かれても、肢体が吹っ飛んでも、全滅させられても。
何度でも、何度でも、勝てるようになるまで。
認めてもらえるようになるまで挑み続けた。
逃げ出したい衝動なんて初めからなかったもののように、湧き出すこともない。
結局この日、彼らはルーヴェリアに一撃当てることすら敵わず敗退した。
また明日も、同じ鍛錬があることだろう。
乗り越えてみせる。絶対に。
【おまけ】
一通り歴史を聞き終え、講義も終わり、宿舎に戻っていくテオの足取りはとんでもなく重い。
テオ(あんなことしてちゃぁ、そりゃ怪物だの化け物だの言われてもおかしくないっすよ…当時の兵士、大変だったんだろうなぁ…)
明日から地獄の鍛錬が始まる。
テオ(……サーシャとかいう魔女?が来て時間止めてくれないっすかね…明日になってほしくない…)
いや、流石にそれは不謹慎か、と首を横に振る。
テオ(いやだ…やりたくない…)
そこまで思った時、彼の脳裏にシーフィの姿が過った。
幼い頃から専属騎士として仕えてきた彼女が出発する時に誓ったじゃないか。
何があっても守り抜くと。
彼女は幼い頃、城内の小火騒ぎで逃げ遅れていたところをテオが助けたことがある。
その時に顔に火傷を負ったため、テオの顔の半分は仮面で隠れているのだ。
その時から、いや、それより前から、この幼い命は絶対に自分が守るんだと誓っていたではないか。
テオ(やりたくないとか、嫌だとか考える方が馬鹿馬鹿しいっすね。おーじょ様、やってやりますよ。俺は。だから、遠くから見守っててくださいっす)
いつの間にか、彼の足取りは軽くなった。




