8.逃走
豚マスク男の姿が視界から消えた後はもう振り返らず必死でペダルを漕いだ。
追ってくる気配はない。
ひとまず逃げ切れたようだ。
しかし、空気の甘い自転車で無理をしたせいか、タイヤのガタガタがひどくなってきている。
自転車から降りて押し歩きに変更する。
時間を確認すると23時59分だった。
夜はまだ長い。
ここはどこなのだろうか。
テントを張った場所もキャンプ場の位置も良くわからない。
同じところをぐるぐる回っている気がする。
またスマホを確認すると、時刻は23時59分のままだった。
背筋に冷たい汗がながれる。
スマホの時計が壊れたのだろうか。
でも、そんなことってある?
絶望的な気分で自転車を押す。
こうやって位置もわからず走り回っている間に、豚マスク男が迫って来ていたら?
タンバリンの魅了の効果で切り抜けられても、敵を倒せなければいつかは殺される。
せっかくジョブがあるのに碌な攻撃手段がない。
豚マスク男に投げた鉈、あれは回収するべきだったかもしれない。
しかし、またあそこへ戻って唯たちの死体を目にすることを考えると足がすくむ。
そもそももう、キャンプ場に戻る道もよくわからない。
そんなことをうじうじと考えていると、ふとカサカサっといった感じの聞きなれない音が頭に響いた。
「えっ?」
そして、目の前にステータス画面を小さくしたようなウインドウが表示される。
『なかまが ぜんめつしたため ボスからのとうそうに せいこうしました』
なにこれ、と思って確認する間もなくウインドウが消えてしまう。
いつの間にか進む先にアスファルトで舗装された自動車道路が出現していた。
どういうことだろうか?
混乱した頭で必死に考える。
せいなるおとめ のスキルで逃走できたのはまちがいないだろう。
全滅した、というのは、美羽も殺されたか、唯、智輝、航一郎の誰かは実はまだ生きていて、最後の一人が事切れたタイミングで、逃走に成功したか。
いずれにしても生き残ったのは自分一人ということになる。
胃の奥から吐き気がこみ上げてくる。
こんなわけのわからない世界で、友達を見捨てた罪悪感を抱えて、大した能力もないまま一人取り残されて……。
キャンプに来ただけなのにどうして自分はこんな目に合わなくてはならないのか。
スマホの時計をみると14日の0時を過ぎていた。
アンテナは圏外のままだった。
トボトボと歩いているとどんどん気が滅入ってくるので自転車にまたがった。
もう、自転車なんか壊れようとかまわない、と自棄になっていた。
しばらくめちゃくちゃにペダルを漕いでいると前方に小さく建物がみえた。
「ガソリンスタンド!」
来るときに寄ったガソリンスタンドだった。
いつもの自分だったらこんな無作法なことはしないのだけれどもうそんなことに気を使ってはいられない。
雑貨店のドアを殴りつけるように何度も何度も叩いた。
「すみません!誰かいませんか!誰か!!」
店内の明かりが点灯し、ドアのカギを開けるような音が聞こえる。
昼間に見た老人とはちがって、女性がうんざりした顔でドアを開ける。
あの老人の娘だろうか?あるいは、孫?
私を見て一瞬「おや?」という顔をしたが、すぐに元の不機嫌そうな顔になる。
手招きされて店内に入った。
「キャンプ場に行ったのね」
「はい」
「ずいぶん前のことだけど。あそこは、若者向けのキャンプ場でね。あなたたちみたいなグループが何組も来て賑わっていたわ」
「はい……」
「恋人同士がボートに乗ると幸せになれるとか、そういうジンクスがあったの。でも、ある時、一人でボートに乗った男性が湖に落ちて。他のボートのカップルは誰も気が付かなくて、そのまま溺れてしまったの」
そこで女性はレトロな形の冷蔵庫からビールとジュースを取り出し、ジュースを渡してくれる。
「その翌年、キャンプ場に来た若者が行方不明になる事件が発生したり、キャンプファイヤーで火事になったりで、キャンプ場は閉鎖になった。それでも時折、キャンプ場にやってくる人たちもいて……」
女性は意味ありげに私を見つめた。
「おぼれた男の怨念が渦巻いているのかしらね」
女性の異様な雰囲気に気おされてしまっていたが、昔話を聞いている場合ではない。
「私の友達が、あの、キャンプ場で襲われて……警察を呼んで欲しいんです。スマホが圏外なので電話を貸してください」
女性は何も言わずクリーム色の不思議な形をした電話機の方に視線をむける。
「お借りします」
受話器を取って耳にあてるが何の音もしなかった。
「最寄りの警察までどれくらいあるんですか?歩いていけますか?」
女性はここで香菜をまっすぐ見つめる。
「あなたには二つの選択肢があります」
「はい?」
「ここでセーブして先に進むかリセットしてやりなおすか」
「な、なんですか?」
「リセットを選択すると再スタートできます」
セーブとリセット、という単語が上手く呑み込めない。
「どういうことですか?みんなが生き返るってことですか?」
女性は面倒そうにため息をついた。
「リセットした場合、獲得したアイテムは消失しますが、経験値やスキルはそのままです」
香菜が背負っているタンバリンの入ったリュックサックを指さす。
「ここって、やっぱり、ゲームの中なんですか?」
女性の表情が不自然な作り笑顔になった。
「あなたには二つの選択肢があります。ここでセーブして先に進むかリセットしてやりなおすか」
女性の顔は私の方をむいているが、視線はもうどこにも向いていなかった。
「あなたには二つの選択肢があります。ここでセーブして先に進むかリセットしてやりなおすか。選択しない場合は5分後にリセットされます」
まるで、ゲームの村人みたい。
私は会話をあきらめた。
ここは本当にゲームの世界なんだろう。もしくはホラー映画の世界。
でも、本当にもう一度やり直せるなら、次はちゃんと準備をして全員で助かりたい。
「リセットします」
私がそうい言い放つと、女性は表情を崩さず
「リセットが選択されました」
と言った。