1.はじまりのガソリンスタンド
夢をみながらこれは夢だなと気がついてはいる。
見知った顔が血まみれで倒れている。
一目見て生きていないのがわかる。
私はむせかえるような血の匂いに思わず後ずさった。
倒れているのは同級生の航一郎で間違いない。
大学の仲間5人で湖畔のキャンプを楽しんでいたはずだったのに。
「だ、誰か」
早朝の森にしては小鳥の囀りなども聞こえず妙にシンとしている。
高くそびえる杉らしき木立で周囲は薄暗い。
とにかくテントまで戻ろう。
大丈夫、これは夢だから……。
震える膝に力をいれ、こみ上げる吐き気をこらえてテントへ引き返そうとした。
体の向きをかえたそのとき、目の端に不吉な予感のする蛍光イエローが目に入る。
あれは、たしかに、智輝と唯の二人が、ペアルックだとはしゃいでいた趣味の悪い蛍光色のパーカー。
それが赤黒いペンキでも被ったように汚れている。
もつれる足を懸命に動かしてテントのある方へむかう。
ほどなくテントのモスグリーンが見える。
よかった。安堵して近づこうとした足が止まる。
テントの入り口から、細い踵のミュールを履いたすらりとした美しい脚が2本突き出ていた。
恐る恐る近づいたそのとき、ふいに後ろに引き倒された。
眼前に銀色の鉈が近づいていた。
****
「香菜!香菜!!!」
強く肩をゆすられて、私は目を覚ました。
「香菜、人に運転してもらってるのに後ろで寝ちゃうなんて、すごい神経ね」
自分の部屋になぜ美羽が、と思ったが車の中だった。
部屋と見紛う広々としたキャンピングカーの室内に一瞬混乱する。
小さなテーブルと向かい合わせに設置された二つの長椅子。
奥にはベッド、小さいけれど冷蔵庫にシンクまである。
そうか、キャンプはこれからだったか。
夢とは思えない臨場感があった。
車中の暇つぶしに、と唯が持ってきたホラー映画のDVDを流したまま寝てしまったせいだろうか。
それにしても、これからキャンプに行くというのにキャンプ場で人が惨殺されるホラー映画を見たがる唯の趣味はまったくわからない。
「最高のチョイスだって褒めて欲しいな~。映画と人数も同じなんだよ?序盤でイチャついて襲われるカップルが私と智輝でしょ、次に死ぬ細マッチョは航一郎くん、ヒステリー美女が美羽で、泣いてるだけで生き残るバージンが香菜、ね?」
などと言って喜んでいる。
「智輝、あとどれくらいで着く?」
当の唯は助手席に座っているためDVDを見るわけでもない。
自分は何回も見たから、音声だけで十分という。
「なんか、ナビが山の中に入りこんじゃってる。1本道だから間違ってはいないと思うんだけど」
「あ、あそこにガソリンスタンドがあるよ。聞いてみようよ」
唯がガソリンスタンドだと思ったその場所は、確かにガソリンスタンドではあった。
「またずいぶんレトロな」
「映画のセットみたい」
屋根のない地面に刺さった給油機らしきフォルムの赤い機械。
隣には小さな小屋。
小屋に入ってみると雑貨店のようだが、缶詰やビール、スナックなどの日持ちのするものがいくらかおかれているくらいだ。
そのほかには箒やギターそして鉈が並べてある。
私はなんだか鉈を直視できず、そっと目をそらした。
そらした方向の壁には15年ほど前の新聞の切り抜きが壁に貼り付けてある。
キャンプ客が湖で行方不明という見出しだ。
唯が見たら大喜びしそうだ。
「すみませーん。誰かいませんかー?」
唯が声をかけると奥から杖をついた老人がでてきた。
「湖の畔のキャンプ場……?
この道をまっすぐ行けば湖に続く林道があるが、ただ、あそこは……」
歯切れの悪い口調の老人。視線は壁に貼り付けてある新聞記事に向いている。
「どうかしたんですか?」
老人は5人の顔を順番にながめると、ため息をついて話し出した。
「むかし、湖で、ボート客が溺れた事故があってな」
私たち5人組をみてなにかを言いたそうにしていたが
「湖と焚火には気を付けろ。酒を飲みすぎるな」
とだけ言うと奥に引き込んでしまった。
「観光地だっていうに、もうちょっとなんとかならないのかしら?この店……」
美羽が聞こえるようなボリュームで無邪気に言い放ったため、私はあわててみんなを店の外に促す。
「あら。香菜もそう思ったでしょう?」
「ま、とりあえず行ってみようよ。雰囲気悪かったらもどればいいよ」
美羽と私の間の微妙な緊張感に気づいて声をかけてくれるのは航一郎だった。
航一郎は空気を読むのがとても上手い。
「えー!事故があってさびれたキャンプ場!? なにそれ、完璧なんだけど!」
予想したとおりに唯が喜んでくれたのでもう気にしないことにした。