お父様の過去の一端
わたしのことをさっさと離縁して、ちゃんとしたレディと夫婦になればいい。そんな提案も彼にしたことがない。
彼に対して遠慮というか言いにくいというか、とにかく彼とざっくばらんに話すことが出来ない。
わたし自身、極端にシャイでも遠慮の塊でもない。実際、彼以外のシルヴェストル侯爵家の人たちとは最初からふつうに話をしていたのだから。まぁ、みんな気さくで話しやすい雰囲気があったから、わたしも構えずに話が出来たのかもしれない。
しかし、侯爵となるとそうはいかない。
どうしても構えてしまう。
それが遠慮であり、ある意味では彼に対して臆病になっているのかもしれない。
とはいえ、何度も言うようだけど人前ではちゃんと振る舞っている。
「あなた、エスコートして下さる?」
などと、ふだんのわたしからすれば滑稽なほど良妻を演じている。
そんなとき、侯爵は自然な動作や会話で応じてくれる。
彼も内心では、笑いをこらえて応じているに違いない。
そんなふうにいろいろと考えてしまっていたから、侯爵とお父様が本題に入っていることに気がついたのが遅れてしまった。
食後、居間に移動してからのことである。
わたしは、長椅子に座ってからも侯爵のことについてウダウダ考えてしまっていた。
この長椅子は、寝心地がすごくいい。
夜遅くにどうしても読書をしたくなったとき、夏は冷たいミルクを、冬はホットチョコレートを、料理人のレナルドがわたしやメイドたち用にと作って缶に入れてくれているクッキーやマドレーヌといっしょに持ってくる。そして、この長椅子に寝そべって読むのである。
寝心地がよすぎて、読み始めてから眠ってしまい、朝一番に執事長のステファーヌ・フィリップに苦笑交じりで起こされてしまうのがおおよそのパターン。
というわけで、長椅子で読書をする際には夜着ではなくシャツにズボンという恰好でしている。
それはともかく、いま、侯爵とお父様の会話に耳を傾けてみた。
「しかし、ほんとうにここまで世話になってもいいものだろうか」
「義父上、なにをおっしゃいます。わたしの方こそ、義父上に領地に来ていただいたら助かります。その、義父上には家畜だけでなく、他にも力になって欲しいことがあるのです」
「閣下、わたしはただの馬屋です。家畜のことなら『どんと任せて下さい』と胸をはって言えますが、それ以外のこととなると役に立てるとは思えません」
「そのようなことはありません。義父上は、もともと馬の調教より外務副大臣として活躍されていたのです。しかも名副大臣であり凄腕の外務官だったではないですか」
「ハハハッ! 過去の栄光というやつですよ。というよりか、わたしはああいう世界はどうも苦手です。あのとき、きっぱりと辞めて去ってよかったとつくづく思います。馬屋はしょせん馬屋。人間相手より、馬を相手にするのが一番いいのでしょうな」
お父様……。
わざと快活に笑うお父様を見、胸が痛んだ。
お父様は、家業ともいえる馬の調教や管理の修行をしつつ王立大学で学んで主席で卒業した。当時、わたしの祖父、つまりお父様のお父様が現役バリバリで、弟子や使用人などが多かったこともあり、お父様は外務省に入省して外交官として様々な国を訪れてはこのセネヴィル王国の為に折衝などを行った。そして、外務副大臣にまで出世した。
が、隣国ぺルグラン帝国との折衝の際セネヴィル王国の当時の外務大臣がへまをしてしまった。ぺルグラン帝国は怒り狂い、軍を整えて王国に進撃を始めたのである。
外務大臣というよりか官僚や国王は、すべてを外務副大臣であるお父様のせいにした。しかし、それで辞職するという簡単な話ではなかった。
命を狙われたのである。お父様自身の命、そして家族の命を。
そのせいで、お母様は死んだ。馬車に乗っていたところを刺客に襲われたのである。
馬車は崖から転落。馭者とお母様と二頭の馬は即死だった。
唯一、いっしょに乗っていたわたしだけが助かった。