侯爵とお父様とで夕食を
侯爵とお父様とわたしとで夕食をいただいた。
侯爵は、お父様を招いたことをわたしが知っていたかのようにとくになにも言わなかった。そして、わたしも彼に尋ねるようなことはしない。面倒くさいからである。
馬のことなら、くだらないことでもどうでもいいことでも尋ねる。
しかし馬以外のこと、とくに侯爵にまつわることは面倒くさくてならない。
夕食は、大食堂ではなくテラスでいただいた。
わたしは、たいていテラスで食事をする。
大きなテーブル席でひとり食事をすることほど寂しいことはない。
どことなく殺伐としている感じがするし、ちゃんとマナーを守らなければならない錯覚を抱かせる。
テラス席ならこじんまりとしている。
たいていは、そこでサンドリーヌを相手にお喋りをしながら食事をする。
侯爵といっしょにではないのか?
彼と食事をすることはない。
公式の場や客が訪れたときは、もちろん最低限のおしゃれをし、彼にエスコートしてもらって彼の妻を演じる。シルヴェストル侯爵夫人を装うのである。
それがちゃんと出来ているかどうかは別にして、とにかくがんばっている。
それが彼との契約だから。契約妻として、契約内容を履行しなければならないから。
それ以外での彼との食事は、基本的には断っている。
彼は、夕食は一緒にとか朝食をともにとかランチに行こうとか、しょっちゅう誘ってくる。
しかし、それはそもそも契約に入ってはいない。
それに気を遣わねばならないから面倒くさい。
それなら、ひとり食堂のテーブルで黙々と食べた方がずっと気が楽である。
そして今夜、期せずして彼といっしょのテーブルについている。
食事内容は、魚料理メインのフルコース。
ソニエール男爵家の祖先は、遠い東の大陸からやってきた漁民らしい。その証拠に、お父様もわたしも遠い東の大陸の人種を象徴する黒い髪に黒い瞳を持っている。
というわけで、わたしたちは祖先の影響かどうかはわからないけれど、とにかく肉料理よりずっとずっと魚料理が大好きである。
もっとも内陸にあるこのセネヴィル王国では、魚は手に入りにくい。海はもちろんのこと、大きな川や湖がないからである。ということは、肉の方がずっと手に入りやすい。だから、お父様とわたしは魚料理より肉料理を食べざるを得ないのがじつじょうである。
とにかく、侯爵家の名料理人レナルド・ポートリエによる魚料理の数々は、お父様をよろこばせただけでなくわたしの胃袋をもつかんだ。
ちなみに、彼はこの国だけでなく三大陸四十五か国で修行をしてきた猛者。わたしは、彼に料理を習っている。離縁された後に備え、手に職をつけておいて損はない。
それに、お父様との生活で必要になる。わたしが家事をすることになるでしょうから。
三人で美味しすぎる料理に舌鼓を打っているけれど、彼がしょっちゅうわたしを見ていることに気がついた。
彼、というのはお父様ではない。侯爵のことである。
「ああ、しあわせ」
ひとくち味わうごとに、ついついつぶやいてしまう。
これでもう何十度目かわからない。そして、また侯爵がテーブルの向こうからじっと見つめている。
彼は両肘をテーブル上に置き、組んだ手の上に顎をのせ、彼は美しすぎる顔にドキッとするほどやわらかい笑みを浮かべている。
視線が合った。
目と目が合うのはほんのわずか。なぜなら、わたしがすぐにそれをそらせるから。
(彼は、どうせわたしのことをはしたないって思っているのよ。しょせん契約妻だから、マナーを知らないって。それ以前に、馬糞臭いぞって思っているにきまっているわ)
夕食が急すぎたので、作業服のままなのである。それでも、一応は顔や腕や足を石鹸できれいに洗ってきた。
それでも、作業服に馬糞や馬臭がついてしまっている。
(ダメね、わたしったら。そもそもこんな夕食の席で馬糞って表現するところがダメすぎる)
しかし、わたしにとっては馬糞は汚いものではない。
他の多くの動物と同じく、糞はその馬の健康状態を確認する重要なアイテム。だから、けっして汚いとは思わない。
もう一度彼を上目遣いに見ると、あいかわらずやわらかい笑みを浮かべてこちらを見ている。
(なるほど。バカにしているわけね。それだったら、さっさと離縁してくれたらいいのに。そして、馬糞臭くなくてお淑やかで小食で、なによりしょっちゅう『離縁して』と迫らないレディと一緒になればいいのよ)
とてもシンプルなことだわ。
心の中で溜息をついてしまった。