お母様の過去
「ええ、お父様。もしかしたらわたしのもっと知らないことがあるかもしれませんが、そこそこは知らされたと思います」
「マヤ……」
お父様の黒色の瞳にわたしが映っている。
一瞬、その瞳がうるんだような錯覚を抱いた。だけど、そこから涙がこぼれ落ちるようなことはなかった。
「マヤ、いつかは話さなければならなかった。せめてシルヴェストル侯爵領に移って落ち着いてから、話そうと考えていたんだ。それなのにわたし以外の人間から知らされることになり、ほんとうにすまない」
「お父様、お父様のせいではありません。ですから、謝罪はやめてください」
お父様と言っているけれど、もしかたらお父様ではないのかもしれない。
遺伝子学的には、だけれど。
しかし、わたしにとってお父様はお父様。
それ以上でも以下でもない。
「マヤ、こんなことになってすまない。こんなときだが、あらためておまえに話しておこう」
お父様の本気度が伝わってくる。
これは、長丁場になる。
だったら、わたしも覚悟をしなければ。
「お父様、わかりました。では、わたしもそれなりに態勢を整えていいでしょうか? お父様のせっかくの話を、夜着のまま寝台の上でダラダラきくのはどうかと。ちゃんと着替えてちゃんとした姿勢でききたいのです。それに、湿り気も必要でしょう? それから、小腹もすくかもしれません」
そう言いながら、寝台から飛び降りていた。
丸テーブルの上に放り投げている乗馬服を回収する。
「いや、マヤ。そこまで気合いを入れてきいてもらわなくとも」
「お父様。いくら父娘でも、着替え時は席を外してもらえませんか? テラスで待っていてください。着替えが終ったら、厨房に行ってレナルドにお茶とスイーツをもらってきます。ほら、お父様。座っていないで立って立って」
まだ座ったままでいるお父様を立たせると、テラスへと続くガラス扉へと導く。
お父様がテラスへ出ると、急いで着替えた。それから、厨房へと走った。
お父様と宰相は、ほんとうに兄弟だった。
ふたりのお母様は、ソニエール男爵家の令嬢。そして、お父様はプランタード公爵家の二代前の当主。
書物によくあるように、公爵家の二代前の当主が男爵家の令嬢を妊娠させてしまった。
彼には正妻がいるのにもかかわらず。
つまり、彼にとってはたんなる遊びだったのかもしれない。そして、令嬢は真剣だった。
いつか正妻になれる。それを信じ、ふたりの男の子を産んだ。
結局、令嬢は失意のまま病で亡くなった。
それを哀れに思ったのか、気まぐれだったのか、公爵家の二代前の当主は上の子を引き取って養子にした。その子は、ひどい扱われ方はしたものの成長した。そして、下の子は男爵家を継いだ。
その上の子が宰相で、下の子がお父様だという。
育った環境がある意味劣悪だったことは別にしても、お父様は野心的で傲慢で独善的で非情なまでの兄が苦手だった。ふたりは、水と油のごとくまったく合わなかった。
しかも自分の野望をかなえることに手段を選ばない宰相は、あらゆる手段を用いてついにプランダート公爵家を乗っ取ってしまった。
あらゆる手段というのは、噂されているような汚いものばかり。
お父様は、そんな実兄とはかかわりになりたくなかったという。
が、そうもいかない事件が起こった。
宰相が宰相になったばかりで、お父様が外務副大臣になったばかりの頃、隣国ペルダーニ帝国との国交開始を記念してかの国から皇女を迎えることになった。当時の王太子の妻としてである。
その橋渡しをしたのがお父様だった。
が、王太子と皇女は、控えめにいっても折り合いが悪かった。
王太子が他の令嬢を好きだったこともあるけれど、皇女は気が強くて攻撃的、さらには夫である王太子を嫌っていた。
そんなふたりの夫婦生活がそう長く続くわけはない。
離縁、という運びになった。
そして、王太子はほんとうに愛しているレディを迎え、皇女は他のだれかに再嫁したのである。




