侯爵家へ帰る
「あのバカには期待しておらん。使い走りにでもと思い、騎士団長にしてやったものを。それもムダに終わったわけだ」
宰相は、息子がどうなろうとまったく気にしていない。
「さあ、妻を返していただきましょう」
侯爵は、こちらに向って歩を進め始めた。
ダークスーツ姿の男たちの間で緊張感が高まったのを感じる。
「侯爵閣下」
夫婦を装うのはやめた。
宰相は、当然侯爵とわたしのほんとうの関係を知っている。装うだけムダなこと。
だから、いつものように呼びつつ侯爵に走りよった。
ダークスーツたちは、いますぐにでも飛びかかってきそうである。
「宰相閣下。あなたが欲しているのはこれでしょう?」
侯爵は、わたしを守るようにして肩をだいてくれた。わたしをうしろへかばいつつ、ジャケットの内ポケットから一冊の本を取り出し、宰相がよく見えるようヒラヒラさせた。
「あっ……」
おもわず、声を上げてしまった。
それは、よく見ると本ではなかった。
細工された本に隠されていたお母様の日記だった。
(サンドリーヌは、預けた鍵を侯爵に渡してくれたのね)
彼女にそうするようお願いしていた。だから、彼女はそうしてくれたのだ。
「おたがい、欲することを与えあいませんか? わたしは、妻を返してもらいたい。わたしが欲しているのは愛する妻だけです。そこにいるおっかない連中に、わたしたちを無傷でこのプランタード公爵家から帰すよう命じて下さい。約束してくれるのなら、これをこのままあなたに渡します。あなたは、これを喉から手が出るほど欲しがっているのですから。もちろん、今日あったことはなかったことにします。妻さえ無事なら、わたしとしてはそれでいいと思っています。わたしの屋敷も使用人たちも無事ですしね。まぁあなたの雇用者たちのほとんどは、不運にも転んだりぶつけたりしてケガを負ったようですが。そこは、かまわないですよね?」
侯爵は、沈黙している宰相に提案した。
いまので、みんなが無事だと知れた。
(よかったー)
ホッとしすぎて両膝から力が抜けた。
「マヤ」
両膝から崩れ折れそうになったところを、侯爵が両手で支えてくれた。
「大丈夫です。みんなが無事だとわかって力が抜けたのです」
小声で言い訳をすると、侯爵は一瞬だけやわらかい笑みを浮かべた。
「それを受け取り、厳重に保管しておけ。間もなく、使者が来る。使者に渡すのだからな」
宰相がダークスーツのひとりに命じた。
「では、わたしたちはこれで」
侯爵は、わたしを支えながらジリジリと後退し始めた。
そして、居間を出るところでダークスーツのひとりにお母様の日記を手渡した。
宰相は、約束など関係なくわたしたちを帰さないかと思った。
しかし、彼はよほどうれしかったのか、あるいはわたしたちには興味を失ったのか、ダークスーツたちが追ってくることはなかった。
わたしたちは、シルヴェストル侯爵家の馬車の馭者台でやきもきしながら待っていたピエールに合流し、宰相の屋敷をあとにした。
そして、侯爵家へ無事に帰ることが出来た。




