またもや侯爵登場!
「コンコン」
そのとき、居間の扉がノックされた。宰相が返事をする間もなく、扉が開いた。しかも、それが吹っ飛ぶような勢いで。
宰相は、ゴロツキたちに命じていたのね。サンドリーヌを脅すなりすかすなりし、お母様の日記を奪ってくるように、と。
(神様。どうかサンドリーヌやミレーヌたちが無事でありますように)
サンドリーヌもだけど、わたしを逃がす為に囮になってくれたミレーヌの無事を祈らずにはいられない。
「やっと来たか。遅かったじゃない……」
宰相が言いかけた。
が、彼の表情が急に強張った。
彼の視線の先が気になり、扉の方を振り返ってみた。
「宰相閣下、妻を返してもらいますよ」
そこに立っていたのは、侯爵だった。
わたしを連れだした頬に傷のある男の首根っこをつまみ、それはもう堂々と立っている。
このような状況なのに、彼の美貌にそぐわぬ男気を感じる。不本意ながら、心から痺れた。
カッコいいとか素敵とかの次元ではない。
これぞわたしの夫。わたしの愛する夫よ、と心の奥底から称賛した。
そして、ハッと気がついた。
(わたしの愛する夫ですって?)
わたし、なにを言っているの? 感じているの?
(そうよ。きっと不安感や恐怖心でおかしくなっているのよ。思考や感覚が狂ってしまっているのよ)
そう考え、納得する。
「マヤ、大丈夫ですか? ケガはありませんか?」
必死に自問自答や言いきかせていたものだから、侯爵が問いかけてきていることに気がつかなかった。
それに気がついたとき、立ち上がっていた。立ち上がり、彼に向って走り出しそうになった。
「動くな」
宰相の低く鋭い声が飛んできた。
居間の中にいるダークスーツ姿の彼の護衛たちは、いつの間にか侯爵、それからわたしとの間を詰めている。
居間内は、じつに非友好的な空気が流れている。
いいえ。いまにも爪牙を剥き出しそうな緊迫感に溢れているといった方がいいかもしれない。
「侯爵閣下、いえ、あなた。わたしは大丈夫です」
さまざまな感情が交錯しまくっているものだから、侯爵のことを「侯爵閣下」と言い間違え、慌てて人前で彼を呼ぶ「あなた」と言い直した。
そのような気遣いは、ムダだとはわかっているのに。
「マヤ、遅くなってしまい申し訳ありません」
侯爵は、なぜか二人の間での言い方をする。それに、なぜか謝罪してきた。
「ほんとうにケガはありませんね?」
「ええ、この通りピンピンしています」
とにかく、侯爵には心配をかけたくない。
強がりなのか見栄っ張りなのかその両方なのか、彼に全力の笑顔を見せた。
「よかった」
侯爵の美貌に、一瞬だけいつものやわらかい笑顔が浮かんだ。
その笑顔に心の底から安堵した。
「宰相閣下、きこえませんでしたか? 妻を返していただきます。こいつは……」
侯爵は、首根っこをつかんでいる頬に傷のある男を突き飛ばした。
気の毒に。頬に傷のある男は衣服も体もボロボロ状態で、大理石の床の上にヘナヘナと倒れこんでしまった。
「まだうちにいるごろつきどもは、逃げて行きました。警察に連絡したところで、どうせあなたが揉み消すでしょう? だから、こいつだけ連れて挨拶かたがた妻を迎えに来たわけです」
侯爵の美貌にもうやわらかい笑みは残ってはいない。それこそ、その片鱗さえ。
そのかわりにあるのは、怒りとも憎しみともいえるもの。彼のこんなに怖い顔は見たことがない。
「忘れていました。宰相、あなたの息子は警察に拘留されています。妻の実家であるソニエール男爵邸で不法侵入をした挙句に暴れまわっていました。それを複数の隣人たちが怖がり、警察に通報したようです。それで結局、逮捕されました。すでに腕のいい弁護士が行っているでしょうから、今日の内には釈放されるでしょうけど。ただし、騎士団長の身分は失われました。それだけではない。騎士団から追放となりました。彼は、副団長時代からいろいろ問題を起こしていました。団長として、わたしも出来るだけのフォローはしましたが、力が及ばなかったことも多々あります。様々なレディたちからの訴えも重なっており、彼の騎士団長剥奪の決定がなされました。残念です」
自意識過剰のヴァレールは、職を失ったみたい。
もっとも、宰相の息子というだけで充分生きていけるだろうけれど。




