出産
「ブラック、大丈夫よ。心配しないで。レッドは、あなたの仔どもを無事に産むから」
「ブラック・ローズ」の馬房の前を通ると、彼は顔を出して必死に訴えてきている。
『大丈夫だろうか。レッドと仔は無事だろうか』
そのように。
だから立ち止まり、彼の鼻面をやさしく撫でながら声をかけた。
それもわずかな時間。いまは、一刻を争う状況である。
「レッド・ローズ」の馬房に飛び込むと、お父様とピエールが彼女を必死に励ましている。
さすがはお父様。なんとか仔馬の脚を探り当ててかき出し、麻で作った綱をくくりつけている。
これであとは、「レッド・ローズ」の踏ん張り次第。彼女が踏ん張り、お父様とピエールが仔馬をひきずりだす。
うまくいってくれればいいのだけれど。
「マヤ、レッドが衰弱している」
お父様の鋭い声が飛んできた。
お父様は、わたしに対してはいつも甘々な感じである。しかし、馬のことが絡むとめちゃくちゃ厳しくなる。
って、そんな悠長なことを言っている場合ではない。
「レッド、がんばって」
「レッド・ローズ」に近寄り、フラフラ状態の彼女の鼻面をなでながら励ました。
彼女は、これまででかなり体力を使い果たしてしまっている。このままでは、仔馬が外に出るまでに倒れてしまうかもしれない。
「マヤッ」
必死に「レッド・ローズ」を励ましていると、馬房にあらたな人間が飛び込んできた。
侯爵だ。サンドリーヌが呼びに知らせに行ったのだ。
「マヤ、わたしにも手伝わせてくれ」
彼は、厩舎内の淡い灯火の光の中でも光り輝いている。真っ白いシャツに黒いズボンは、いつになく彼の美しさを引き立てている。
ソニエール男爵邸でのことなどふっ飛んでしまっていた。
ただただ「レッド・ローズ」と仔馬のことが心配だから。
「侯爵閣下、お父様といっしょに綱をひっぱって仔馬をひきずり出して下さい」
無我夢中で怒鳴っていた。
きっと厩舎内の馬たちは怯えただろう。
そんな怒鳴り声だった。
「マヤ、わかった。義父上」
侯爵とお父様がひっぱり、ピエールとわたしは必死で彼女を励ます。
どれだけのときが経ったかわからない。
「レッド・ローズ」はがんばっている。しかし、彼女もこれ以上がんばれない。彼女の体力は、もう間もなく尽きてしまう。
「レッド、もう少しなのよ。もう少しで、あなたとブラックの仔が生まれるの。お願いよ、レッド。わたしたちを信じて、あとほんの少し、ほんの少しでいいからがんばってちょうだい。がんばっていきむのよ」
とにかく必死だった。ぜったいに死なせたくない。彼女も彼女の仔も。
「ブラック・ローズ」と約束した。お父様やピエールだってショックを受ける。もちろんわたしも。きっと立ち直れない。
わたしたちだけではない。なにより、侯爵が哀しむ。
「出た、出たぞっ」
その瞬間、侯爵の歓喜の声が馬房内に、いいえ、厩舎内に響き渡った。
「レッド・ローズ」と「ブラック・ローズ」の仔がこの世に誕生したのである。
「母は強し」というけれど、それを実感した。
あれほどフラフラだった「レッド・ローズ」は、ちゃんと羊膜をなめて仔馬が息を出来るようにしようとしたのである。
が、やはり彼女は限界を超えている。
すぐにわたしが彼女にかわり、仔馬の鼻に口を当てて羊水を吸い取った。
息をしていない仔馬を、必死に救おうと試みる。
せっかく生まれてきた命。絶やしてなるものか、というわたしたちの強い想いが届いたらしい。
細くか弱い脚がピクピク動き、仔馬は息を息を吹き返した。
気がついたら侯爵に抱かれていた。彼の胸の中で泣いていた。
長い長い夜が終った。
無事、みんなで朝を迎えることが出来た。




