自意識過剰なヴァレール・プランタード
体ごとうしろを向くと、馬車道を一台の馬車が向ってくる。
大きくてド派手な馬車である。馭者は二名。馭者台に並んで座っている二人の間に、車体に刻印された紋章がこれみよがしに目立っている。
二匹の毒蛇が絡み合っている紋章は、プランタード公爵家のものに違いない。
ああ、二匹の毒蛇とわたしは思っているけれど、ほんとうは二匹の善良な蛇らしい。
それはともかく、力いっぱい溜息をついてしまった。
一瞬、逃げようかと思った。すぐそこに見えている伯爵家の庭駆け込み、茂みに潜もうかと。
が、彼はしつこい。それこそ、伯爵家の人たちを巻き込んでわたしのことを大捜索するに違いない。
彼の相手をする気にはとうていなれない。
とはいえ、彼に会うのも今日が最後かもしれない。まさか、シルヴェストル侯爵領まで追いかけてくることはないはず。
だったら、この一瞬をガマンすればいい。
ウダウダと悩んでいたら、馬車はわたしの横でピタリと止まった。
二頭の馬たちが首を振り、耳を激しく動かしている。
わたしに挨拶をしてくれているのである。
(ほんと、可愛い子たちね)
前にまわり、二頭の鼻にフニフニされたい。
その衝動に耐えなければならなかった。
「やあっ」
せっかく馬たちとイチャイチャする場面を思い描いていたのに、その一言で気分はドン底へと叩き落されてしまった。
馭者のひとりが馬車の扉を開けると、わたしに「やあっ」と言ってきた人物がステップ上に立っている。
あいかわらずキラキラ光っていて、悪い意味で目立ちすぎている。
「この大陸一の美貌」と自負し、自尊心の塊みたいな男ヴァレール・プランタードが、わたしを見下ろしている。
(ああ、面倒くさいわ)
面倒くさいことに直面してしまった。
目と目が合った。
その瞬間、彼の笑顔がさらに広がった。キラキラ度もさらにアップする。
彼は、自分が「大陸一の美貌」の持ち主だとおおいなる勘違いをしている。
「ハニー、待ったかい?」
男性にしては高くて細い声。
というか、「待ったかい?」ってどういうことなの?
「ちっとも待たないわ」
きっぱり言う。
「もう心配はいらない。おれが来たからね」
彼は、いつものように頭がお花畑になっている。自分が好きな筋書きを演じるだなんてなかなか出来ないに違いない。
が、彼は完璧に演じている。
「そうなの。それはよかったわね。急ぐから失礼します」
キッパリくっきりスッキリ告げてから、足を動かした。
おもいっきり動かして駆けだしたといっていい。
「ハ、ハニー、ちょっと待ってくれ。待ってくれー」
彼の言葉など無視無視。
彼が馬車の扉を閉め、馬車が動き始めた。
それでもかまわず駆け続け、結局、馬車をうしろに従えたままの状態でソニエール男爵邸にいたった。
ヴァレールは、ああ見えて公爵子息である。というか、宰相シルヴァン・プランタードの息子だ。さらに驚くべきことに、彼は騎士団長なのである。
つまり、侯爵の元部下で、騎士団長を退いた侯爵の後釜におさまったわけ。
もっとも、それはコネに違いない。すくなくとも彼自身の実力ではない理由で騎士団長になった可能性が高い。
それは、わたしだけでなくだれもがそう思っているだろう。
彼の疑惑はともかく、ヴァレールとは侯爵を通じて知り合った。そのはずである。
こんな自意識過剰の塊みたいな男、いままでに会ったことはないし見たこともない。
しかし、どうも以前会ったことがあるらしい。
彼のわたしに対する態度が、ときおりそう思わせるのである。




