「マヤ、きれいだね」
「マヤ、きれいだね」
侯爵は、わたしがシルヴェストル侯爵家自慢の大階段上に現れた瞬間にエントランスから駆け上がってきた。そのスムーズな動きは、さすがは栄誉ある騎士団の団長だっただけのことはあると感心すしてしまう。
というか、「きれいだね」などととってつけたような褒め言葉はやめて欲しいわ。
嘘ってバレバレだから。
「お待たせしました」
大階段の踊り場まで降りたところで、彼がわたしの手を取った。
「マヤ、そのドレスはきみにピッタリだ」
彼は、ついこの前ここで離縁について応酬を繰り広げたことなど遠い過去のことのように振る舞っている。
(だから、思ってもいないことは言わないで欲しいわ)
わざとらしい褒め言葉より、沈黙の方がよほどいい。
もう何十回、何百回それを望んでいることか。
このドレスは、彼が準備してくれたもののひとつである。
彼と契約してこの屋敷にやって来たとき、わたしの部屋のクローゼットにすでに必要なドレスや靴や装飾品などが揃えられていた。
しかも、どれもオーダーメイドばかり。そのどれもが、わたしにピッタリだった。物理的なサイズは、という意味だけど。
というか、どうしてピッタリ合ったのか?
フォーマルなドレスから普段着のドレスやシャツやスカート、それから乗馬服まで。衣服だけでなく、フォーマルやカジュアル、乗馬用の服や靴もピッタリだった。
もちろん、それはあくまでもわたし好みというだけで似合っているということはいっさいない。むしろ、似合っているという気がしない。
それはともかく、サイズがわたしにピッタリだったということに驚いたというよりか、気味が悪かった。
さらに驚いたことに、色やデザインもわたし好みだった。
正直、怖かった。
いまだにゾッとしてしまう。
とはいえ、せっかく準備してくれたものをムダにはしない。ちゃんと着用させてもらっている。
乗馬服や普段着用のシャツやスカートやズボンは、破ってしまったり汚してしまったりして買い替えてもらったほどである。
「恐れ入ります」
おたがいに心の中ではまったく違うことを思っているとしても、表向きは侯爵に合わせるしかない。
だから、彼の「ピッタリだ」に対して恐縮しておいた。
「きみは、わたしの自慢の妻だ」
彼は、わたしを頭の先から爪先までまじまじと見つめてつぶやいた。しかも、うんうんと大きく頷きつつ。
(うわーっ、まるで書物に出てくるような『妻を気遣ういい夫』ね)
よくもまぁ、そんな歯の浮くような台詞を言えるものね。
『いいえ。あなたの美しさにはとうていおよびませんわ』
本来なら、そう応じなければならない。そうした方がいいにきまっている。これは、思ってもいないことや社交辞令などではない。
ほんとうのことだからである。
しかし、わたしはそうはしない。といよりか、なぜか出来ない。
照れ臭い? 恥ずかしい?
どういう感情かはわからないけれど、とにかく口に出すことが出来ない。
「わたしがモタモタしてしまい、申し訳ございません。遅れますわ。急ぎましょう」
結局、「はやく行こう」と促しただけだった。
というよりか、ごまかした。
そうして、わたしたちは王宮へ向かった。