『扉はひらかれるーー』
娘のお気に入りである、薄青色のセーラーカラーが風になびく。
うつむき加減で何かを思い悩んでいる雰囲気に、シリウスは情けなく待つしかできなかった。
しばらくした後、吹っ切れたような顔をして視線が合う。
「シリウス、約束して。お前は離れた場所にいろ。――呑み込まれるな」
最後の言葉に得体の知れない畏怖を覚えた。
――呑み込まれる。
意味を聞きたかったが、有無を言わさない瞳に渋々諦めた。
「わかりました。そのようにします」
二人は荷物を抱え、低い丘陵地で遠く屋敷を見つめる。
「これで屋敷ともお別れですね」
あまりにも相違する情景。屋敷だけでなく、所有領土までも雑草が埋めつくしている。ひび割れた大地と枯渇し死した樹。腐臭にも似たような、なんともいえない匂いが仄かにする庭。
ゼロの隠れ場所だったあの薄暗く、幻想的な森も面影一つ残らず屍の残骸と化した。
「それだけの魔力があれば、僕をいつでも消せただろうに」
「お嬢様」
「冗談だよ。魔法石も幾らかあっただろうね、……盗られてるとは思うけど」
白銀色の髪をかき分け、ゼロがしんみりとした声で見据える。
「なんのために閉じ込めたか、ますますわからないな」
「お嬢様の命を守るためでしょう」
「それだけで、あんなに厳重にするか? 外すら出さず?」
「……とにかく、お嬢様の命を守る為だと」
エウクレイウスから耳にたこができるほど、うんざりと忠告されていた。彼女がむやみに出たがるから、命の保護のためにやむを得ず幽閉するのだと。
現に住み始めて数ヶ月間、よく行方を眩ましてシリウスたちの手間をかけたのだから。
足元に置いた革袋を背負い、ゼロは服を軽くはたいた。
「向かうのは東のレギュート街だよね」
「そうです、お嬢様。国外しした血族の一人が『いろいろと話したいことがあるから、こっちに顔を出しなさい』と手紙よこしてくれたのは助かりましたね」
「僕、一度も家に行ったことないんだけどなぁ」
「案内の者を送ってくれるそうですから」
不意に歩きだそうとした足を止め、ゼロが振り向いた。
「あのね、『お嬢様』はやめて『ゼロ』と呼んで欲しい」
「えーと……それは」
シリウスは悩んだ。
今まで定着していたせいか、言い換えるのは妙に違和感が残る。
加えて今や契約者となった主を呼び捨てにするのはポリシーに引けた。
「今までは許したけどもう捨てなさい。僕がいうのもあれだが、今は放浪の身なんだから」
外の世界はどうだかわからないんだし、と意見されて賛同する。
「そうですね。では、ゼロ様と呼びます」
「様もいらなーい!」
「えぇ……」
「はい、もう一度!」
「わかりました、ゼロ」
ふいに見せた儚げな微笑に、心臓が一瞬静かに高鳴った。
あぁ、本当に黙っていれば可愛いのに。
「それでよし」
「ここから先はずっと砂利道ですから転ばないでくださいね」
「失礼な。そこまでドジじゃない」
太陽はまだ低く、早朝から肌寒い日であった。