『コルコダン公国』
「さすが情報やなだけあるな。報酬あげなきゃならないかな」
「くれるならもらうっス……」
返事を待たないうちにゼロはガラテアに接吻した。唇に触れる柔らかな感触を察知する前にガラテアは固まった。反応の良さに、ゼロは悪戯っぽく笑う。
「どう?」
「全然お釣りがわからないくらいに足りるっっっ」
「安いな〜」
「いやいや、あんた自分の価値わかっててやってますよね!?」
「否定はしない」
「くっ、これだから雲の上の存在は」
小声での二人のやりとりを偶然にも目撃してしまったシリウスが内心、何をやってるのだろうあの二人はと呆れてた事を知るゆえもない。
数日間はガラテアの手腕を頼りに、快適に通過していった。問題なく目的地へようやく降車し、指定された馬の手配へと進む。シリウスは聖獣姿となりエレナを乗せ、ガラテアとゼロは個別に乗馬となった。
「ここからコルコダン公国は?」
「山を一つ越えれば辺境区域に入るっスね。飛ばせば一日もしないし、ただ……」
ガラテアが怪訝そうに言葉を濁した。
「昨日戻るはずの鳥が戻ってきてないんスよ。何かあったと思わないほうが無理だなーなんて」
「……リャン帝国は中立だったな。急ごう」
《御意》
◆◇◆
ーーゼロ達を迎える辺境区域の要塞では、なぜか慌ただしい。
「そこ、埃がまだあるわ、もう少し綺麗に! 食糧は余裕なかったら補給して、お金ならいくらでも使いなさい!」
紅一点の中を左右止まる間も無く、甲冑の兵士や男性が手遅れまいと次々と拝命していく。あっという間に両手にはそれぞれの持ち場へ必要な物を持ち、進んで去った。
「まさかお越しになるとは……」
「にしても偉い気合の入りようだな」
「無理もないよ、80年ぶりだそうだ」
「「なっげぇ!」」
誰もが少女を知っている。そして、誰かを待ってる事も、彼らは内心微笑ましく見守っている。
「ねぇ、まだ伝書鳩はきてないの?」
片方開いた出窓へ乗り出し、腕を伸ばして鈴を転がす声色の少女に、兵士が気まずい表情を浮かべて頭を下げる。
「申し訳ございません。昨夜来るはずだったのですが、未だに音沙汰もない状態でございます。本日には伺う予定なのは確かなのですが……
「そうなのねぇ」
長く艶やかな黒髪を風に靡かせ、とても楽しそうに兵士を見渡した。
◆◇◆
道中の異変に気づいたのは、コルコダン公国に通ずる山中を下降する小道を通る最中だった。最初は森に棲む鳥か妖精だと思っていたのだが違うらしい。ずっと、気配が全く同じだ。
――何者かにつけられている。
シリウスに視線を向けると、彼も気づいたのだろう、縦に頷いた。
「ガラテア、馬をななめ横に移動させて。シリウスはエレナを落とさないように紐つけを」
「オッケー」
「えっ、わっ」
シリウスの毛並みが長く伸び、エレナの腰に巻き付けていく。一角獣の特技の一つだ。
《しっかり首にしがみついてください。少しずつスピード上げていきますよ》
ただならぬ雰囲気を察したのか、エレナは無言でしがみついた。その様子にゼロは周囲を見回す。
「音はどのくらいの距離だ?」
《頭上から聞こえてきます。小さな羽ばたきが数十羽のようです、好かれてますね》
「モテる女は辛いね〜」
「いやいや数十羽って、どう処理するんスか!?」
まだ着かないが、このまま直進して行けば要塞施設が眺望できるポイントに入るだろうことは地図で確認済みだ。
「もうすぐ辺境なんだろ?」
「要塞があれば……あ、あれか! あの馬鹿でかい煙突」
「煙突?」
加速する度に鼠色の白煙が立ち上る一際目立つ建物が木々の合間から、姿を現していく。
「それだ、全力で走れ! こいつらは僕が相手する」
《向こうは崖ですよ!?》
「時間がないんだ、飛べ」
「応援呼ぶっス、無事でいてくれよ」
《あぁもう。エレナ、落ちないでください》
「はい」
上空から大きな影が覆い、瞬時にゼロから距離をとってシリウスとガラテアは俊敏に走行した。
背後で魔力の気配を察するのと同時に聞きなれない咆哮がし、エレナは身体を震わせる。風を切りながら、隣でガラテアが不安そうにこぼした。
「シリウス、せぇので合図が欲しいっス」
《わかりました、タイミング合わせましょう》
金の銃をゼロは鳥に発砲し、下降に合わせて振り回した大剣から生じた翡翠の刃を向ける。数羽にあたり、一羽一羽地に落ちていくがーーキリがない。
咄嗟の判断で下馬し、先に行かせた。
鳶色の羽毛、肌色の鬣をした鴉よりも一回り大きい。光沢のある鋭利な爪が羽毛から覗く。いつかの図鑑で見た、魔鳥の一種で贓物を好む魔物だ。冷や汗がこめかみから一筋流れる。
「ガラテア置いていけばよかったな」
盾を使いながらの方がまだ余裕があったなと反省しつつ、間合いを詰められないように大胆に一振り払う。魔物ごと巻き込んで倒木していき、派手な音が周辺に響き渡った。
瞬間、横から一際大きい鳥が歯向かってきた。
「チッ!」
間一髪避けるが、銃を握る右腕を爪が掠った。
同じ風属性ゆえに気配が捉えにくい。加えて飛行がつくものとは相性が悪すぎた。数羽がゼロを値踏みするような鳴き声を発し、視線を逸らさないのが憎らしい。
ゼロが後退りする動作を音で拾い、突進してきた。
「まずっ……!」
間合いを詰められないようにしたはずが、知らず知らずのうちに後進していた。崖に足を取られ、ゼロは冷たい地へと落ちていった。
視界の先に魔鳥が見下ろしてるのがわかった。追いかけてこないのを不思議に思うままなく、冷たい風に切られていく身体が柔らかな綿のような物体に包まれた。
「へっ……雲?」
ぷにぷにした感触が皮膚をくすぐる。妙に生温い暖かさがゼロを包み、穏やかに落下する。
「久しぶりじゃの、レオ。うんと大きくなったなぁ、別嬪さんになった」
「し、師範!?」
「はっはっは。あちらさんもワシが相手するのは避けたいようじゃな。まったく」
しゃがれた声がゼロの心を酷く安心させた。今まで張り詰めた気持ちが解かれて、意図せずに涙ぐむ。
「よしよし、頑張ったなぁ。もう大丈夫じゃ」
幼い愛弟子の姿を投影して、皺の深い小ぶりな手で子供をあやすように頭を撫でる。
「さぁ、他の人はすでに入っておる。行こう」