『鳥籠の外の向こうへ』
咲き誇る花の通路を疾走する少女は大きな樹で立ち止まる。慌てたように後ろを振り向き、人気がないのを確認すると、魔法陣が足下に描かれた。勢いに乗って、樹のてっぺんに近い太い幹に乗っかかる。二桁も行かない年齢の少女は脱走の天才だった。
「レオ姫様ー!」
「どこにお逃げになさいましたぁぁぁ!」
「そんなにお行儀作法がお嫌いかー!」
嫌いだね!と声を出したい衝動を抑え、くすくすと見下ろして楽しく眺める。困惑しつつも、それでも探すのを諦めない教師陣は他の場所へそれぞれ去っていった。侍女や教師が翻弄する様はとても愉快だ。
「まぁ、やっぱりレオなのね」
「お姉さま」
鈴を転がしたように綺麗な声は隣の窓からだ。窓を開け、緩やかな金髪を風に靡かせ、きらきらと輝いている。美しい髪にレオは羨望の眼差しを注いでいた。自分の持つ雪のような肌、白銀の髪はお世辞にも賛美されるとは言い難かった。せめて、父みたいにクールな銀の色合いが良かったと不貞腐れる。
魔法陣に乗り、姉の前まで移動した。
「お姉さま、かくまってちょうだい」
「えぇ、お茶も用意するわ」
「大好き♪」
ご機嫌に入り、改めてアリスの部屋の匂いを堪能する。
微かに甘い香りのする華やかな部屋は広く、愛らしい装飾品やぬいぐるみで彩られる。
コト、とカモミールの紅茶が目の前に置かれ、レオはほんのり暖かさを感じた。アリスは落ち着きのない妹の様子に苦笑するばかりだ。
「レオ、少しはみんなの期待に応えないとね」
期待、なんかじゃないとレオは俯く。
最近は鑑賞するかのような目線でこびりついた笑顔で対応されるようになり、もう人見知りだからと逃げられる年齢でもない。
「……お姉さまがいれば充分だと思うわ。僕はいらないの」
「そんなこというものではないわ。みんな、レオに期待しているのよ。ほら、レオはお母様に似ているでしょう? きっと役に立つ日が来るわ」
「そうかな」
いつだって、アリスはみんなのお姫様で愛らしくて可憐な花のようで。社交場に出ればこぞって周りに自然と人が集まってくる。
年頃の少女が色やドレスを新調したり、華美に着飾ってくるけれど、姉は存在自体で既に華やかさを備えていた。
「元気なのは良いことだけれど、また風邪をひいてしまってはいけないわ。私も一緒に受けるから、飲み終わったらお勉強しましょ?」
「お姉さまがそういうなら受けてもいいわ」
「ふふふ」
いつだって、そんなふうに優しく受けてくれる姉が大好きだったーー。
◆
ーースチュアンナ病院。
黒いフードを被った人物からのメモに記されていた病院の一室でシリウスは医師と話し込んでいた。
消毒液が充満する病室には他に極秘に手配された医師と、二人の看護師しかいない。富豪層や貴族と限られた一定層を受け持つ、特別なグループでもある。
「二日間様子見したところ、ひとまずは心配はいらないですね。青年は多少時間がかかりますが一月もあれば完治します」
「そうですか、よかったです」
シリウスは胸を撫で下ろす。フローラを看取った後に唐突に気を失ったゼロを抱え、メモを頼りに裏口から運ぶ羽目となった。フローラが生前から目をかけている病院だったらしく、事情を説明するとグループは誰もが肩を落とした。
〝楽園〟の血統者の加護を受けるのは、シリウスの予想以上に恩恵が大きいらしい。
「ちょっと勝手に歩き回ってはいけませんよ。二日間、寝ていたのですから」
「睡眠は足りてるから大丈夫だ」
少し騒がしい声がドアから聞こえてきたと思うと、ノックもなしに入室した者にシリウスは立ち上がった。
「ゼロ。もうお加減はいいのですか?」
「あぁ、手間かけたな」
寝癖のついた長髪を手ですかし直しながら、ゼロが隣に並ぶ。
「二人の容体はどうだ?」
「ガラテアが一ヶ月、エレナはもう治るそうですよ」
「へぇ。白癒結晶って効くんだな」
白癒結晶、白魔術師が丹念に造り出す治癒の結晶を指す。当然ながら大金を積まねば手に入らない代物で、ストックも稀有だ。
「個室に二人を入れてくれましたよ」
「今から面会はできるか?」
「えっ今から?」
「できるだけ早く、退院手続きもしたい」
急な依頼にシリウスは驚いたが、よくあることなのか医師の方は特段落ち着きを払う。
「もちろん可能です。夜ですからお静かに願います。こちら、必要なものはありますか?」
「白癒結晶を必要な分だけ欲しいが、このお金で足りるか?」
用意していた机上で小さな皮袋を置く。ジャラ、と少しばかり重そうな音を立てて、医師が手に入れると中身を確認した。すぐさま看護師と相談し、手続きに取り掛かる。
「問題ないです。では、一時間後に待合室で大丈夫ですか?」
「それでよろしく。シリウス、行くよ」
「は、はい」
名札のない個室は最上階にあり、プライベートで一種のマンションルームのようになっている。エントランスを抜け、受付室で改めて案内してもらい、病室に向かった。こつこつと静かにノックをし、ゆっくり音を立てないように開ける。
「……ガラテア、起きてるか?」
「びっくりした。あまり眠れなかったんでちょうど良いっス」
「相変わらずで安心したよ」
ベッド向かいのソファに座り、薄暗く灯りをつけた。ガラテアの隣にあるベッドには、エレナが規則正しい寝息を立てて眠る。
「すまないが、一時間後にここを出るぞ」
「えっ!?」
「しーっ、エレナが起きてしまうだろ」
「起きました」
「うぉぅ」
寝ぼけなまこでむにゃむにゃと口をどもりながら、エレナは上半身を起こす。どうやら気配がうるさかったようで申し訳ない。
「どこか痛いところはないか?」
「はい」
「よかった。今から出る準備をするから、エレナはシリウスにおんぶしてもらいな。ガラテアは先に行け」
「俺っち、病人っスよ。コルコダン公国までの道のりを調べばいいんスよね?」
「話が早くて助かる」
ゼロがここにいると知られてる以上、長居は無用だろう。夜もまだ深く、肌寒いがやむを得ない。
「アリスが動いた以上、何が起きるか油断できないからな。気を引き締めていくぞ」