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ゼロの楽園  作者: 櫻森 わん
第二記.花緑小都市~レギュート街~
15/20

『動きはじめる歯車』

 まだ年端もいかない少女が暮らしていた村はどこにでもある、都市と都市の中継点にある田舎だった。田園が広がり、主要道路沿いで旅人や旅行者に花を添える日々。エレナは名もない村で同世代の子供たちに紛れて育っていった。


「〝楽園〟が滅んでから禍いが続いてばかり……」

「向こうの街で伝染病が出てきたらしい……」


 大人たちがどこか浮かない顔をし始めたのはいつ頃だったろうか。楽園ーー遥か彼方の美しい小王国、は水底へ沈んだ。一抹の不安を抱えながら、いつものように暮らした翌る日。

 村を襲ったのは、伝染病でもなく、内紛だった。伝染病でやられた町や村から一揆が雪崩れ込み、足元へ近づくまでそうは時間がかからなかった。どうにかして、馬車に密入して繋いで逃げてきた見知らぬ街に着いた。安寧はとうに手から離れ、窃盗をして生を繋ぐ毎日と急変した。


「やっと捕まえたぞ!」

「まったく、品物をよくも盗んでくれたね」

「まだ子供じゃないか、こんな小さいんじゃ差し出そうにもどこも引き取らないだろうよ。娼館あたりしかいないんじゃないか」


 今日はついてなかった、と暴れる手足を押さえつける男を睨みつけながら、エレナは足掻いた。


「何してるのかと思ったら……ほほぅ。この子供は引き取ろうかのう」

「えっ、この子は最近よく姿を出す盗人ですよ」

「そうですよ、フローラ様。素性のしれない子供を引き取るだなんて酔狂な真似をしなくても」


 小綺麗な婆がエレナを見下ろす。顔を見上げられないまま、声だけが会話を続けていた。


「月一で来たタイミングで鉢合わせるのも何かの縁じゃ。どれどれ……ふむ。なかなか気の強そうな瞳じゃ、一緒にきなさい」


 不意に押さえつけていた重りが消え、エレナは初めて顔を見上げて婆を瞳に写した。その老女が、かの楽園に関わりある人物だとのちに知ることになろうとも知らず、差し伸べられた皺だらけの手をとった。


「エレナ!!」


 誰かが強く名前を叫んでいる。身体の節々が痛み始め、苦痛に歪んで瞼を恐る恐るこじ開けてみる。銀色の髪をした美しい女性が名前を呼んでいた。



「ゼロ様……」

「気づいたか! あまり喋るな、傷は塞いだが出血がひどい。今のうちに寝ておけ」


 もう大丈夫だから、と言外に含むと安堵した様に気を失った。ゼロたちのいる場所を囲むように、血糊があちこち飛び散っている。到着した時にはエレナを覆うように月影狼が重なり、一声かけて蹴散らした。意識はあるのが救いだ。傍らで一角獣のシリウスが心配そうにエレナを直視する。


「フェンリルが何故白昼、出られるんだ一体」

《フローラ様は大丈夫でしょうか……》

「シリウス、エレナを病院に連れて行けるか?」

《ゼロを置いていくわけには行きません》

「そう言ってる場合じゃないだろ。フローラとガラテアのところへ僕は行く」


 一刻も争う状況下、ゼロも理由は理解していた。恐らくレギュート街は血の海だろう、病院に連行するにはもっと遠くへ足を運ぶ必要がある。そこまで地理もない二人には致命的だ。


「とりあえず、どこか隠れられる……」


 風が頬を撫で、まるで自分ではない名前を呼ばれたような気がしてゼロは導かれるようにその方向へ目線を動かした。一角獣の尾に見え隠れするように現れた人物は、全身を黒いフードで覆っている。気配はおろか、足音さえもしなかったはずだ。

 ーー懐かしい雰囲気さえ感じられて、絶句する。


《ゼロ?》


 動きを止めた主人を訝しんで、シリウスも同じ方面に目を向けた。存在を認めたのを合図に、黒いフードの人物は顔の下半分を視界に映した。

 深淵の闇を全身に纏う人物からは性別や容姿すら不明だ。時折深く覆うフードから赤い唇が風に揺られて垣間見える。


「ボクが連れてきてあげるよ」


 今にも歌い出しそうな低く透き通る美声、柔らかな口調に一瞬たじろぐ。どこか哀愁を漂う声色はまるで静かに波紋を広げるように心に残す。


「……誰だ」

「名前はないよ」


 おどけた口調でフードの人物は笑った。


「今はボクを信じて、としか言えない。大丈夫」


 シリウスが不審そうに疑念を抱く中、足音を立たずにエレナの側に来た。


「キミをよく知っている。その小さい子を助けてあげるよ」

「わかった、任せる」

《ゼロ!?》


 迷いなく即答したゼロにシリウスが慌てるのを首を左右に振った。会ったばかりの見知らぬ人に大事な子を一任するなど、あり得ないことも承知の上だ。フードの人物は頷き、懐から何かを取り出して手を差し出した。


「これを預けるよ、手を出して」

「なにこれ」


 軽く金属音が手のひらで鳴り、離れた手の下から燻銀のアンティークなコインが姿を現した。かなりの年季者のようで、あちこち亀裂が入っている。感触はとても硬く、錆び付いていた。


「病院はここへ運ぶから。それはその時に返してくれればいい」


 続いて紙を渡され、開いてみれば簡単な地図が描かれていた。赤い丸に病院のマークと名前が記されている。いつの間にか用意していたようで、準備の良さに疑問を抱きつつも次の行動に切り替えた。


「あなたを信じたわけじゃないからな」

「知ってる」


 淡々とした口調に改めてフードの人物を上から下まで眺めた。身長はゼロと同じくらいだろうか、ますます不思議な人だ。


「本当に名前ってないの?」


 慎重にエレナをお姫様抱っこして大事に抱きかかえ、どこから用意したのか胡桃色の毛布に小さな身体が包まれた。


「ないよ」

「ないと不便なんだが。僕が決めていいの?」

「構わないよ」

「んじゃーー〝リオ〟でいい?」


 束の間、相手が動揺したのは気のせいだろうか。


「変な名前だった?」

「ううん、いいよ。またねーー〝レオ〟」


 何故、改名する前の名前を知っている。聞こうとした瞬間、強風が吹き荒れ、思わず瞼を閉じて横に向けた。再び視界に移した時にはエレナはもちろんーーリオの姿もなかった。


「ゼロ?」


 シリアスの呼びかけに我にかえる。深く考え事をしてしまったようだ。


「すまない、考えてた」

「こちらからは死角にもなるので誰が来ても気づかれないと思いますよ。あ、足音が聴こえます」

「偵察軍かな」


 現在、二人は鎮火した瓦礫下に潜んでいる。敵がいないか、どんな配下にいるのか確認するためにだ。あちこち道端には逃げ遅れた人々が横たわっている。四方八方では火が鎮圧なく黒煙が空高く上る所がある。朝方に出かけた光景とは真逆に地獄絵図化していた。

 物陰で息を押し殺し、魔法陣を発動させた。孔雀色の文字と円が足元に大きく描き、風の鎧となる。流れる灰を風が遮り、呼吸も幾らか楽になる。

 誰かの物音がだんだんと接近してきたのを合図に、シリウスと目線を合わせた。

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