辛ぇーカレーと推察す
「ただいま、坊。これ、調理して出して頂戴」
彼女の纏う空気が変わった。
トゲトゲしたくっつき虫が肌をちくちく刺すように、腕や首元や頬、目や鼻の粘膜を、ピリリとした刺激が襲う。
ちょうど別の店員が、奥のテーブル席に座る老紳士にカレーを運んでいるところだった。
市販ルーを使用したお家カレーにレトルトカレー、お店のカレーにカレーうどんのカレー、どれも味が異なり、それぞれにそれぞれの良さがある。みんな違ってみんな美味しい。
メニュー表にはお握りと珈琲とお冷しか記載されていない。
注文を終えた彼女に尋ねたところ、カレーは裏メニューなのだと教えてくれた。
裏メニューの注文には、頻回に店に通い、店員との親密度を上げ、たまに手土産と原材料を渡して好感度を上げ、店のスタンプカードのスタンプ30個を貯める必要があるとのことだった。
この店のカレーはどうやらスパイスカレーのようで、かなり辛いのではないかと推察される。
段々とこの空間が痛い。
僕の目からは生理的な涙がこぼれた。
普段は気の利いた会話など出来ない僕であるが、彼女はやはり聞き上手なようで、気付けばカレー談義に花を咲かせていた。店を出る頃には花咲か爺さんになっているかもしれないと思えるような非現実感。
手作りおにぎりと食後の珈琲(猫舌の人向け)と出来立て焼き立てホットケーキを店員が運んで来るまでの待ち時間、僕が会話の8割を担っていたと思う。
8割……下水道普及率の全国平均。
もうすぐ(9月10日)は下水道の日。
喋るのを止めてしまうと店内は静かなもので、老紳士がカラトリーをガチャガチャさせる音が斜め後方から聞こえるくらいのものだった。
料理を咀嚼し、嚥下し、空腹を満たしながら、僕は彼女と出会ってから今ここに至るまでの会話と行動と自身の感情の変化を振り返っていた。