僕の足元にはたいてい埋まっているから
ドブのような臭いが足元から立ち上る。
彼女は硬化した猿の尾をするすると撫でながら、ニッコリ微笑んで僕を見守ってくれている。
「何も臆することは無いのです、全てを吐き出してしまいなさい、物理的に」
彼女の声が直接僕の頭に入ってくる。
マンホールトイレ。
地震などに備え、災害時に避難場所となる小学校や中学校を中心に工事が進められている。
マンホールの上に簡易な便座を置き、テントで覆って作る災害用トイレ。
排泄物が直接下水管に入っていく仕組み。
湧き出す嫌な気持ちを、汚い感情を、物理的にもメンタル的にも、全て吐き出し、何もかも下水道管に流してしまえ、と彼女はおそらく言っているのだろう。
彼女の思考が僕の脳みそに直接流れ込んでくる、マンホールトイレのように。
彼女を見て、僕はゆっくりと首を横に振った。
ニオイに当てられたようで、確かに少し吐き気はある。
でも、僕は大丈夫だ、多分。
好きな子の前で嘔吐は出来ない、したくない。
せめて、好きな君の前では、格好をつけさせてほしい。
僕は大丈夫だから、君が好きだ、と気持ちを込め、優しく見守ってくれていた彼女と見つめ合う。
猿の尾がわずかに揺れた。
硬化が解けつつあるようだ。
急がねばならない。
彼女がマンホールの蓋を元に戻す。
何か手伝えることがあればと、小刻みに右往左往揺れ動いてみるが僕は邪魔にしかなれず、作業は彼女一人で完了させた。
学校の敷地から出たところで解散となった。
チェーンを元の状態に掛け直したところで、彼女も猿もいないことに気がついた。
そんな気はしていたから、大きな驚きは無かった。
一刻も早くここから立ち去りたい。
中学校の敷地内に無断で侵入したら警察に捕まるかもしれない。
走ってみた。
日頃の運動不足だろう。心臓がばくばくいい、すぐに息が切れる。
何となく、家には帰らず、街へと戻る道を進む。
用水路も街路樹もアブラムシびっしりのカラスノエンドウも黄色点滅信号も、僕が見た本物の景色を心の絵日記帳にスケッチして残していく。
きっとこの辺りだろうか。
ステンドグラス、白い割烹着のイケメン店員、スパイスカレー、老紳士、ソファー、ぬるい珈琲、塩むすび、メイプルシロップ、ホットケーキ。
まぶたの裏に、僕が見たはずの映像を残す。
初々しい彼女の穏やかで優しい笑みも。
メンタルが落ちるくらいに、この恋に思い悩んだらまた彼女に会えるだろうか。
格好悪い姿は見せたくない、見せられない。
下水道はいつでも僕のすぐそばに。
彼女はいつでも見守ってくれている、そんな気がした。




