第4話 桜田伊月は紳士である
昼休みが終わり、午後からの授業もなんとか無事に乗り越えた。たかが授業でここまで大げさなのかというと、七宮さんの様子がおかしかったからだ。今日の朝のHRまではいつも通りの関係だったはずだ。朝は挨拶と軽い世間話、授業中はどっちかが教科書などを忘れたりなどで困ったときにしか話していない。それ以外での関係なんてなかった。
しかし、今日は七宮さんにドキドキさせられることが多かった。こんな事を言うと「思春期勘違い男子」と言われてしまいそうだが、俺と七宮さんは付き合いたてのカップルのような雰囲気になってしまっていた。第三者が俺と七宮さんを見たとき、ただ隣の席というだけの関係では済まされないだろう。
実際、午後の授業の俺と七宮さんの様子を見ていたクラスの男子連中からの殺意のこもった視線で常にビクビクしていた。帰りのHRの今でもその視線を感じる。
だが言わせてほしい。俺も被害者であるということを。確かに授業中に寝ていた俺も悪いと思います。
しかし、あれは…
◇
昼休みが終わってすぐの授業は古典だ。現代文は好きなのだが、古典はさっぱり意味が分からない。
(ヤバい眠い)
難しい内容と優しいおばあちゃん先生の声、それと弁当を食べたばかりなため睡魔に襲われる。しっかり睡眠時間はとっているはずなのだがどうしても古典は眠くなってしまう。
こっから俺の意識はなくなっていた。
「ん?桜田くん疲れているのかな。今からテストにも出そうと思っている大事な内容だから七宮さん起こしてあげて」
「わかりました」
クラスの全員が伊月と七宮に注目する。男子たちは「羨ましい…」「俺も隣の席になったら寝よ」「起こしてもらいたいな」とぼそりと声を出し、女子たちは特に七宮の仲良しの二人がニヤニヤとしている。しかし、そんなことにも気づかす伊月はすやすやと呑気に眠っている。
普通、隣の席の人を起こすときには名前を呼んだり、肩を揺らす、机をたたくなどだ。しかも異性である。だがしかし七宮がとった行動は。
「桜田くん…」
「ん…?」
どうやら俺は眠っていたみたいだ。誰かに呼ばれたような気がする。しかし、睡魔から脳が回っておらずふわふわする。もう少しだけ眠ろ―――――
「早く起きないとイタズラしちゃうよ?」
やけに近く感じる距離からの吐息混じりの甘い声が俺の耳から脳を突き抜ける。脳がフル回転で稼働し始め、睡魔が一瞬で吹き飛んだ。完全に意識が覚醒する。声の主のほうに振り向くと、七宮さんとの距離がとても近かった。俺は何をされたのかをすぐに理解した。
耳元でささやかれていたのだ。
クラスのみんなが見ているのに「なんて大胆な行動なんだ」と呆気に取られていると、人差し指で俺の頬をつついてきた。
「もう寝ちゃ駄目だよ?」
「…はい」
◇
あの普段真面目そうな顔から見せてくる少し頬が赤くなった小悪魔のギャップの誘惑は俺の理性を壊しにかかっていた。きっと何を言っていたのかは聞こえていないと思うが、授業中に自分がされたわけでもないが急に「ありがとうございます」と倒れだす男子もいるぐらいだ。
まだあの時の感覚が耳に残っている。駄目だ思い出すのはやめよう。すごく恥ずかしくなってくる。
「HRは以上だ。解散」
そう先生は言い残し教室を出て行った。厳しい先生がいなくなり教室が活気で溢れる。そしてみんな急いで友達と部活へと向かっていく。どの部活も総体が近いため気合が入っているのだ。
神崎高校はスポーツ推薦があるくらいで部活動が県内でもトップクラスのため、野球部は甲子園出場の常連、運動部はほとんど全国に出場している高校だ。プロ選手になる人が出てくるのも珍しいことではなく、みんなそれぞれが明確な目標をもって頑張っている。
しかし俺は帰宅部なのであとは帰宅するだけだ。
俺以外のクラスメイトは部活に入っているため教室はだんだんと人気がなくなりつつある。
俺は急ぐ必要もないためゆっくり荷物の整理をする。
「じーーーーーっ」
そういえばまだ俺以外にも一人残っていた。
「……七宮さん部活行かなくてもいいの?」
ずっと向けられていた視線に耐えきれず俺は七宮さんに尋ねる。
「文化部だから大会もないし急ぐ必要ないかなーって」
「家庭科部って大会じゃなくても展覧会とかはないの?」
「えっ…わたしの部活覚えててくれたの?1年生のときは同じクラスじゃなかったのに」
驚いた様子の七宮さん。そりゃあ知っていますとも。クラスは違っても同じクラスの男子が七宮さんのことについて毎日欠かさず話しをしていた。その話していた内容の1つが七宮さんの嫁力だ。
家庭科部は料理や手芸をするのが主な活動内容。そして文化祭のときには実際に手芸で作ったものを販売したり、料理を振る舞ったりして部費を稼いでいる。
手芸の方は七宮さんの作ったものは販売開始とほぼ同時に売り切れた。料理の方では部の出し物としてレストランを開いていた教室の前に長蛇の列ができていた。
七宮さん自身の人気もあるが、手芸は実用的かつおしゃれ、料理は普通にそこらへんのお店よりもおいしい料理が提供されていた。どちらもプロのデザイナーやシェフの顔負けの実力を持っていた。
そのため生徒会の先輩の手伝いをしていた時に部費についてまとめられていた資料を見たのだが、運動部に力を入れている学校のはずなのに家庭科部の部の予算は運動部の平均予算の3倍以上所持していた。
容姿、性格が共に良く、文武両道で料理や手芸もできる。
そんな完璧な七宮さんと付き合う…いや…結婚したいという男子は多くいた。
「そりゃあ七宮さんは有名だからね」
「えっわたしって何て言われてるの!?」
まさか本人が自分のことを有名だと気づいてないとは。これだけみんなに言われているのに。この際はっきり言って自身の影響力を知ってもらおう。そして大胆な行動はできるだけ避けてもらおう。席替えで隣の席が七宮さん以外になる前に男子連中に命を奪われそうだから。
「かわいいなって」
すると七宮さんは顔を赤くし少しモジモジとし始めた。こういう少しの恥じらいの行動だけでこうも可愛く見えてしまうのか。
七宮さんを世界中の人が見てたらもう争いなんて起こらないのでは?と思ってしまった。
「桜田くんもわたしのこと…かわいいって思う?」
上目遣いからのこのセリフは俺の胸をまたドキドキさせられる。不思議とぶりっこやあざといということを全く感じない。本人が狙っているのではなく、自然にこういうことをしてしまう人だからだろう。
「お、俺も思ってるよ」
恥ずかしながらも俺も本心を言う。しかしそんな俺よりも目の前で恥ずかしがっている七宮さん。
そんな態度されたら思春期男子は一発で勘違いしてしまいそうになる。
「わたしに興味があったりする?」
つい七宮さんを見ているのが恥ずかしくなって下にうつむいていたが無理やりにでも俺の視界に入ってくる。世界史の授業の時とは違い椅子という二人を分ける境目がないため、より近くなり俺に身体を預けるように寄り添ってくる。柔らかい七宮さんの胸が俺の身体に当たっている。
え…ちょ、え!?胸あたってるよ!?
(今日の七宮さんどうしたんだ!?なんか大胆というか…何かあったのか?)
年齢=彼女のいない歴で童貞の俺には刺激が強すぎるっ…!
「きょ、興味は確かにあるけど決していかがわしいことなんか考えてないよ!!」
七宮さんに変態と嫌われるのは嫌なので弁明する。俺は紳士なんだ!
そう言うと七宮さんはさっきまでの恥ずかしがっている顔から一変、固まってしまった。
「えっ…?」
「えっ…どうしたの?」
「いかがわしいこと考えていないの?」
「う、うん」
「少しも?」
「少しも」
突然七宮さんは膝からどさりと崩れ落ちた。
「七宮さん大丈夫!?」
まるで魂が抜け落ちたようになった七宮さんは、どこか落ち込んでいるように見えたかと思うと突然立ち上がり「桜田くんのばかーーー!」と言いながら走り去ってしまった。
「えっなんで!?」
いかがわしいことは考えていないと紳士アピールをして安心させるつもりで言ったのに…。
女子の気持ちはよくわからない。