表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ひきこもり道

作者: 村田 京介

 いじめを受けた人は一生忘れないという。歳を重ねても昨日の事のように感じると。

 いじめた方はいじめた感覚さえなくその人の存在すら無くなると。

 ひきこもり一日目

 部屋には内側から三つ頑丈な鍵を付けた。外側からは開かない。六畳の空間が私の全てでありやっとできた居場所である。

 窓はシャッターを下ろし内側から鍵を。灯も入れない。

 部屋の時計を止めた。

 時間からも解放される。

 完全に世間から離脱した。

 生きる力死ぬ力さえも無くなると思考が停止する。

 何も思考しないままベットの上で膝を抱えてぼーっと過ごす。

 ひきこもりはいじめ虐待を受けすぎた人の末路かもしれない。

 弱くても群れないで生きていける手段である、

 自然の摂理からは外れるが近未来的な生き方である。

 なるべく消費しないで生きるというのは地球には優しい。

 統治している側からみると労働力が得られないので異分子として社会問題化してなんとか沢山消費する労働者にしたいだろう。

 今は一歩も家から出なくても生きていける世の中になった。

 稼ぐ事も使う事もできる。

 しかしそうなると肉体労働をする人はいなくなり社会は回らなくなる。全て機械化するのには限界がある。

 日本は裕福な国である。

 二酸化酸素を発生しない法律と同じで労働力は海外から金で買えば良い。

 時代は変わる。

 昔なら生産性の無い人間は価値が無く老人など姥捨山などの話のように捨てられた。

 今の日本は生産性の無い老人が社会の中心である。

 ひきこもりを否定する事は老人を否定する事に繋がる。

 しかしひきこもりになりたくて私はなった訳ではない。

 社会からはじき出されてしまったのだ。

 老人のように日々を謳歌しているわけではない。

 川の流れの蟠りのように同じ場所で溜まってしまった。

 自分の力ではどうする事もできない。

 流れていない水は腐ってしまう。

 老人のように力強い群れで流れている水ではない。

 私は水たまりのようなものである。

 あとは気化するのをまつしかない。

 なんの役にもたたづ意思もない。

 自己承認欲求が強い人弱い人とわけられるが私は自己承認欲求が無い。

 性別も無い。

 欲がない。

 悟りを開いた訳ではない。

 無気力という訳でもない。

 ただ皆んなと違うだけなのだ。

 普通が何かもわからない。

 革命家でも無い。

 いじめ虐待に追い詰められたすえにここに居る。

 居場所はここにしかない。

 現在の日本は好きな事だけをして過ごせる平和な国である。

 なにも好き好んでひきこもりを選んだ訳では無い。

 何故どうしてなど聞かれてもわからない。

 私にも理由はわからない。

 天災のようなものかもしれない。自分に直接ふりかかるまでわからない、そこに理由は無い。

 何々なのにという常識はもう今は無いように感じる。男なのに。女なのに。子供なのに。大人なのに。人間なのに。動物なのに。はもう通用しない。

 十人十色皆んな考え方は違う。

 私のように物心ついた時には親兄弟から虐待にあっていて学校では生徒先生からいじめにあっている人生を送ってきた人はそういうものの考え方をする。

 兄が就職して実家を出た日、

 私は衝動的にひきこもりを選んだ。しかしまだ親という虐待の元凶がいる家でのひきこもりは難しいのかもしれない。

 殺されかねない。

 しかし世間体を第一に考える親でプライドが高いので公にしたくはないだろうがどうされるかは想像できない。

 なんの計画性も無く閉じこもったのだから。

 しかし私ができる事はこれしか今は無い。

 親兄弟から虐待を受けているのに恨みつらみは無い。

 逆に愛して欲しいと考えているかもしれない。愛そのものが注がれていないので愛が何かはわからないが。

 欠除しているからの本能なのかもしれない。

 誰よりも愛に飢えている気がする。

 生まれて初めての抵抗ではある。どうなるのか想像できない。

 鎖国である。

 情報過多な時代自分から情報を断ち自分の価値観のみで生きる。

 そこに外の世界との交わりも切った。

 私には害でしかない。

 日本には昔は文化があったらしい。著名人が明治維新以後戦争を繰り返し日本文化は消えたという方もいる。

 最先端の科学は戦争により開発されているらしい。

 戦争に勝つ為には鎖国は失敗だったのかもしれないが昔の素晴らしい日本文化を残すのと戦争に勝つ事にどちらを重きに置くかではないだろうか。

 私は現代人過去の事はわからないし経験できないが少なくても日本史を読む限りは明治維新より前の方が日本は素敵な国なような気がする。

 私は私を肯定する為にひきこもりといやな言葉で迫害されている最小の鎖国を選んだ。

 部屋から出なくても投資やビジネスは出来る時代である、部屋にこもり投資だけをして出前で生活している人をひきこもりとは言わないのは何故だろう。

 部屋に閉じこもり絵を描いて人生を終える人もいる。その人達をひきこもりとはいわない。

 差別ではないだろうか。

 資産家が部屋から一切でないで生きていくだけでもひきこもりとは言われない。

 ひきこもりという差別用語ではないだろうか。

 先祖代々資産家で働いてない一族もいるが誰にも否定されない。

 ひきこもりは何故否定されるのかわからない。そんな生き方も今の豊かさな時代は有りではないだろうか。

 趣味を仕事にしている人と何が違うというのか。

 たまたま私はいじめ虐待がきっかけで社会に居場所が今は無い。たまたまである。

 私は自立したひきこもりとは違うので親兄弟親族からどんな攻撃をされるかわからない。

 まずは最小単位である親との闘いに勝たねば鎖国できない。

 人間というのは不思議なもので物心ついた時から親兄弟周りの関わる人間から殴る蹴る投げられる絞められる何かで叩かれる何かを投げられつけられる、無視される。精神的に嫌な事を徹底してされると身体に耐性ができる。昔忍者が毒を少しずつのんで体に耐性をつけたように。私は肉体の何処が弱点なのか身をもって鍛えられ防ぐ方法も身につけた。兄は武道全般に精通していてそれを私で試した。武道とは他人の弱点を素早く見抜きつく鍛錬をする。

 攻撃的な人間が身につけると相手を殺してしまうのが武道である。武道や喧嘩やいじめをする人は攻撃的な人が多い。故に防御するのが下手な人が多い。

 私はどんな防御もできるだけの経験をしてきた。

 故に相手の弱点もわかるようになっていた。

 親兄弟親族との闘争である。

 相手が何をすると一番嫌がるかわかる。

 大打撃を加えてしまう事はいくらでも出来る。

 精神的弱者である私はその選択は出来ない。

 など考えていると部屋の外から人の気配がする。

 どうやら親が帰宅したようだ。

 私に興味が無いので私がいるのか確認などしない。

 芸術作品として完成した兄が大手銀行に就職して自立して実家を離れ幸せの絶頂の日。

 その日に私はひきこもり一日目である。

 しばらくするとドアノブがまわる。鍵を三つつけたので開かない。何か怒鳴っている。ドアをガンガンと叩く。異変に気付いた。

 私がとった対処は無視である。

 一番効果的である。

 初めから会話など無かったので今更会話も無い。

 あまり大きな音を出せば隣近所にばれる。親はそこを一番嫌がるはずなので無視していたら静かになる。

 あとはわからないが。

 親はどうでるのか?

 兵糧攻めくらいしかできないはずだが。

 親のご飯を今までも食べていないので拒食症である。食べ物の匂いがでも吐くほど。

 千日業よりはキツくはないだろう。

 ここはゆういつの安全地帯である。

 とりあえず今日は虐待にはあわないだろう。

 産まれて初めての抵抗である

 一日目。先の事など無い今どう凌ぐかである。

 兄に親戚や祖母に知人に相談するか。恥を外部に漏らすか。

 どうでもいい好きにしてくれ。思考は停止していた。

 昔鬱病という流行がありかなり医者や製薬会社は儲かった時代がある。今は薬事法が変わり儲からなくなったみたいだ。

 新たな流行は発達障害扱いで色々な検査や薬を出すのが流行りみたいだ。

 何か不得手がある人の不安を煽り医者にかからせるやり口である。誰でも不得手はあるので大体は当てはまるだろう。

 ひきこもりも病気扱いにされる。それに関わる人達は儲かる仕組みである。

 身障者や介護に関わる人でかなり儲けた人を知っている。

 初めは小さな杖などの小物の雑貨を売っていたが国からの補助金であっという間にビルを建てた。

 最近はひきこもりがかなり国で問題にしているのを聞く。

 これで儲ける人達も沢山でてくるのだろう。

 ひきこもりを引きずり出す仕事もある。ひきこもりを集めて矯正する施設もあるようだ。

 うちの親や兄弟、親族もそういう手段をとりかねない。

 秘密裏に隔離されそうだ。

 うちの親はそれ程世間体を大切にするしプライドは人一倍高い。ヒステリックで気性も激しい。他人に頭を下げているのを見た事も聞いた事もない。

 親も兄も親族も。

 産まれた時から虐待を受けている。虐待する為に産んだのかもしれない。今虐待が問題になりかなりメディアでも扱っているが氷山の一角である。

 私はどんなに酷い虐待にあっても何故か親や兄が大好きである。異常な程。

 他の人、学校の同級生の話を聞くと親が嫌いとか鬱陶しいなどかなり過保護や過干渉に育てられている人が多いがそういう人達程親が嫌いだという。

 愛を学んでない私はよくわからない。しかし親や兄が大好きで誇りすら感じている。

 自分で自分を不思議に思う。

 プロのひも暮らしをしている人がよく使うテクニックでかなり肉体的に殴り追い込んでから凄く優しくすると脳が誤作動をしてこの人無しでは生きられないと感じるという。

 しかし私は虐待のみを行われているのでこのテクニックの誤作動ではない。

 赤ちゃんは真っ暗な部屋に親が入ってくるとわかるという実験もある。

 本能なのかもしれない。

 アドラーの嫌われる勇気という本がある。その究極がひきこもりなのかもしれない。誰とも関わらなければ良いという結論にはならないだろうか。

 承認欲求、競争、他者への貢献など書いてあるが他者への貢献と承認欲求は同義ではないだろうかという疑問が残る。

 他者との関わりを全て無くすのが究極ではないだろうか。

 電気通信全てを切る。

 ひきこもりでも電気通信が繋がっているとどうしても比較してしまう。SNSなど一番切らないといけないと感じる。人間関係を全て切るには無人島にでも行かないと無理である。

 田舎暮らしというのが昔流行ったが田舎暮らしこそその地区地域に根付かないと生きていけないので産まれながらに田舎に先祖代々住んでいる人でないと無理である。何時迄も余所者である。更に田舎では群れにはいなければ村八分である。芸能人などが昔よく田舎で畑や田んぼをつくり暫く暮らすのが流行ったが直ぐに都会に帰ってきている。私も何度も転校したりしたがその都度いじめにあったのでよくわかる。

 余程都会のど真ん中の大都会の方が他人と関わらず生きていける。隣に誰が住んでいるのかさえわからない大都会の方が。

 自立したひきこもりなら資産を運用する為だけに部屋にネットで繋げておいてあとは買い物も全てネットですれば外に出ないで生きていける。そんな人も今はいる。

 現在ではひきこもりと調べると病気扱いになっているのに驚いた。不登校や退社からリストラなどなど型から外れた人がひきこもり精神をやられるまではまた何時もの医者が薬を出す為のメディア操作かと思ったが更にひきこもりイコール犯罪者予備軍のように書いてもある。

 支援センターらしきものも沢山あるらしくお金が動いている。

 そして更に不安にさせる営業トークと同じで誰でもひきこもりになると煽っている。型から外れる事は許さないと。レールから外れた人はもう戻れないと。

 アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひくと昔は言われた。

 肥満は自己コントロールができない人と差別した時と同じように今まさに身体を鍛える事が美学のように普通になり何処のジムやプールでも朝から老人が開くのを待って一日中運動している。今身体を鍛えない人は社会不適合者である。

 たばこも同じ流れで社会から消えつつある。たばこを吸う人は社会不適合者だと。

 そのながれにのり今ひきこもりという言葉をつくり社会不適合者と烙印をおして排除しようとしているメディアに驚いた。

 今表に出ている何の根拠もない統計の数字だけをみるだけでも主婦や老人はカウントされていない。

 きつい汚い給料が安いなどなどの肉体労働や割に合わない仕事には若い人はバカらしくて働かない。

 家の中でネットを使えばいくらでも楽に稼げる時代である。

 昔は型にはまった仕事しか無かったが少し前から好きな事を仕事にしようという流行があり今は好きな事だけをつきつめようという流れになりその人達が次々と億万長者になっている。

 ブロガー、YOUTUBER eスポーツのように。

 殆どが中小企業である日本でこの流れは社会問題になる。

 頭のいい人なら今日本にいる事さえ危ないと海外に自分の子供だけでも逃すレベルである。

 故にメディアはレッテル烙印をおして差別をした名前をつけた。一色担にひきこもりと。

 ひきこもりイコール悪と。

 何故どうして、何々なのになど常識は時代とともに変わる。

 何故結婚しないのか何故子供を産まないのか何故籍に入れないのか。何故働かないといけないのか。まだ年寄りが世の中を仕切っているうちはなかなか変わらないのかもしれない。

 戦国時代の常識が今は違うように。

 しかし三代はかかるだろう。

 やはり祖父母から親その子までは同じ価値観が続く気がする。四代目五代目辺りで自分の親が居なくなるまでは。

 私からみる世間の人はまるで卵を産むだけの為に養鶏場で首だけ出して餌を食べているだけで一列に永遠に並んで食べて卵を産む感じに似ている。卵を産まない鶏は排除される。色々な意味で人間と重なる。間引きされ鳥インフルザなど流行ると一帯の養鶏場の鶏は殺される。

 その一列に並んで首だけ出して餌を食べている事に鶏自体は何の疑問も感じていないだろう。皆んなそうしているし。

 私も抗う事をしないで全てを受け入れたら楽になれるかもしれない。

 ひきこもりカウンセラーとか流行りのようで元ひきこもりと言う人がやはり私は元病人です。やっと社会復帰できました。貴方もできます。親も悪くありません。大丈夫です。みたいな人や親や祖父母が悪いのです。親や祖父母が変わらないと治らない。治らない。治らない?やはり病気扱い。

 そうなると事故や事件で亡くなる人も何か親や祖父母に原因がある?本人に原因があるのかと言う言葉に置き換えられないだろうか。

 何か違和感を感じる。

 百歩譲り病気だとして生まれつきの身障者に同じ事を言えるだろうか?。

 やはり違和感しかない。

 極端に言うと死ぬのは悪い事であろうか。産まれた時から死ぬのは決まっている。

 自然の摂理である。

 先日知り合いの女の子が死んだ同じ年齢である。

 凄く真面目で真っ直ぐでいい人で悪い事など一つも多分した事はないような子である。

 両親にも溺愛されていて弟がいて家族仲の良い理想的な家のこである。

 ある日雪の日階段から滑り打ち所悪く亡くなった。

 これは誰か悪いだろうか?。

 同じ事ではないだろうか。

 今は物が溢れている、殆ど必要ないものである。

 作って壊す捨てるのが一番儲かるともいわれている。

 ダムも完成と同時に壊すのが儲かるらしい。

 物を大切にする文化は今の日本にはない。

 人間も同じで日本では人を大切にする文化はない。

 人も使い捨てである。

 必要な時は使い必要無くなれば切られる。

 終身雇用などない。

 派遣社会である。

 しかし若い人は賢くなり皆んな起業しだした。

 日本人総商人時代である。

 個人と個人で商いは成立する時代になり間の問屋など必要ない。

 歳をとり会社を辞めた老人は資産を運用する。

 若い子はそれをみていてならば初めから資産運用した方が良いと考える。

 学校に行く必要もなくなる。

 徳川家康は幕府をつくるときまず学校や教育を国民にさせたらしい。秩序を守るためには一揆などおきてはいけない。

 学校とはそういう意味合いもあるらしい。

 一パーセントの統治者とあとは労働者で成り立つように。

 しかし現在は賢く生きる人が溢れて出てきた。

 その才たる者がひきこもりだと私は思う。

 法を犯さず他人に迷惑をかけないで他人を騙さずに清廉潔白に生きる。

 突き詰めるとひきこもりに。

 成り上がりたい人とは別にして小さな規模でひきこもりをあつめベーシックインカムをすればよいのではないだろうか。

 いじめ虐待が無い平等な世界である。

 人は必ず何かに依存していきている。

 依存自体を何でも病気にするが私は違うと思う。

 生きる上で依存するのは必要な事だと私は考える。

 最低限の依存をする人はひきこもりと呼ばれるのではないだろうか。

 私はいじめと虐待によりこの部屋に籠った。

 道はどうあれ正しい道を選んだと思う。

 どの位時間がたったのだろう。少し窓のシャッターを開けると空が赤かった。

 夕焼けなのか朝焼けなのかわからなかった。

 寝落ちした。

 色々考えて脳が疲れたのか夢は見なかった。

 一時間寝たのか一日寝たのかよくわからない。初めて安心して寝たのだ。この部屋の時は止まっている。シャッターも閉まっているので夜か昼間なのかもわからない。

 著名な空手家が山籠りをした時人恋しくなった話がある。

 物心ついた時にはいじめ虐待にあっていた私は他人と接する事が苦痛である。それで自殺を考えた程。一人の時が一番楽である。そんな私でも人恋しくなるのだろうか。

 何年何十年とひきこもりをしている人達が世の中には沢山いる。

 ひきこもりとは違うが行者のように毎日修行をしている人達もいる。やはり行者も人恋しくなるのだろうか。

 老人が公園や街でボーっとしているのをよくみた。やはり人恋しくなり外に一人でいるのだろうか。

 人生は長い暇つぶしと考えている私も思うのだろうか。

 人生は今百年時代という。

 蝉のような人生の方が楽そうである。

 前に本で宇宙旅行に長いこと行き地球に帰ると地球の人達は歳をとっていて旅行していた人達は若いままだったという物語があった。

 浦島太郎みたいな物語である。

 わたしの部屋も時間から離れたような気がする。

 一日は二十四時間では無い気がする。

 不思議な感覚である。

 流石に喉が乾く。食欲は全く無いが喉は乾くのだとわかる。

 遭難した時食料は無くてもなんとかなるが水はないとまずいと読んだことがある。

 行者も水と塩は持っているらしい。

 親の気配は無い。

 ドアの鍵を三つ開ける。

 内開きなので一応少し開けて覗く。

 誰もいない。

 リビングにあるウォーターサーバーと水のストックを大量に部屋に運ぶ。

 あとは兄が残していったサプリメント、プロテインなどカロリーがたかそうな物を部屋に運んだ。

 籠城である。

 兄から虐待を受けた時組手スパーリングもキツかったが腹筋一時間とかスクワット一時間とか腕立て一時間とか色々やらされていた。兄が道場でやらされた事を私にもやらせた。

 間接的に私も色々な武道を覚え、トレーニング方法も記憶していた。思わぬ副産物である。

 強制的に一日一冊小説をよまされ要約させられていたおかげで読解力がついたのと同じである。

 私の部屋は家族の蔵書で本の山である。

 時飛ばしの為の本はいくらでもある。

 兄が集めていた武道の蔵書も沢山ある。

 私の部屋には世間と繋がる電気製品は無い。

 ある意味宮本武蔵の山籠りといった感じで時飛ばしができるなと考えついた。

 葉隠、五輪書などなんでもある。

 どうせ人生長い暇つぶしである。起きている時間身体を鍛えるのもありだなと思った。

 いままで学校でいじめにあい家で虐待されていて精神的にタフである。一人孤独にも慣れている。

 ひきこもりSNSやゲームをして過ごして時間を潰している人は多い。私は身体を極限まで鍛えて暇を潰そうと思いついた。

 これは私の持論だが喧嘩や武道する人は攻撃的な人が多い気がする。兄もそうである。

 しかし防御ができる人はあまりいない気がする。

 いじめ虐待により私は防御は上手にならざる得なかった。

 ならば防御を完璧にしたらかなり良い武道家になる気がした。護身術である。

 合気道の究極な技は立ち会わない危ない場所にいかないなどらしい。

 ならばひきこもりは究極の護身術ではないだろうか。

 人間も動物である。

 本能に任せていじめ虐待から逃げるとひきこもるのかもしれないと思う。

 認知症なども人間が死に近付き恐怖を避ける為になる気がする。

 何事も自然の摂理なのではないだろうか。

 野生の動物や原始時代の人は狩をして怪我をすると命取りになるのでしばらく安全な場所で傷がなおるのを待つらしい。

 私の傷はいつ治るのか。

 周りは変わらない自分が変わるしかない。

 電動バリカンがたしかあったなと探す、発見。

 著名な空手家は山籠りの時片眉を剃ったらしい。里に降りたい気持ちを断つために。

 私は髪を剃ろう。

 私は女の子のような髪型をしている。かなりのイメージチェンジである。

 部屋で新聞紙をひき一気に刈る。

 鏡は無いので適当に。

 なかなか難しい。がジョリジョリに一番短い、剃るのはめんどくさいので止めた。

 まず起きたら毎日バリカンをしようと決める。

 下界との決別式は終わる。

 少林寺に入門した感じである。

 身体を極限まで鍛えよう。

 拒食なので肋骨が浮き出ていてガリガリである。

 海外の老人で産まれてから蜂蜜だけで過ごしている人もいるらしい。

 そこはサプリとプロテインを大量にとれば良い気がする。

 今までは家の林檎一つ食べる自由も無かったのでかなり贅沢である。

 サプリなら水で流し込めばなんとか吐かないだろう。

 鍵を三つかけて自由を勝ち取った。

 老人になり何十年もやることなく過ごすのを私は他人より早く自分の意志で勝ち取った。

 何日何ヶ月何年もつかわからない自由だが。

 法律を破り刑務所に入ったと思えば他人には迷惑もかけずに手にいれた時間である。

 アメリカの刑務所はかなり自由だが危険らしく毎日殺されないように身体を鍛えるのも日課らしい。今器具を使わないでできるトレーニングが流行りである。

 私も親兄に殺されないようにしなければ。

 追い込まれてこもり少しおちつくと本能のみになる。

 生存本能がかなり強くなった気がする。

 ムエタイ最強説というのがある。国自体が貧しい為に小さな頃からハングリーでありお金の為にムエタイをする人が多いらしい。しかし皆んなが貧しいなら平等ではある。日本とは違う。少なくても私の周りは裕福な家庭の人が多く家にプールのある人もいる。私だけが貧しい生活をしていた。皆んなは欲しいものは全て親が買ってくれやりたいことを全てしていた。

 日本にも貧しいところがあるのかもしれないが私の知る限りでは関わりがない。

 店には何でも売っているネットで世界中から買い物ができる。当然うちの親も兄も何でも持っていて家は物で溢れている。家族で私だけがハングリーである。

 昔はコンビニで売れ残りをくれた時代があったらしいが今は必ず破棄するらしい。

 毎日物凄い量の食べ物を棄てているらしい。

 幼児虐待のニュースなど今少しだけ表に出たが氷山の一角である。少なくても私はカウントされていない。よく死ななかったものである。

 日本は豊かである。

 タイとは違う。

 しかし私はタイ人よりハングリーであると勝手に思う。

 ムエタイ最強説がハングリーにあるならば私は才能がある。

 物心ついた時には大人の体格の人に殴る蹴る投げられ動けなくなるまで複数の人間に鍛えられたお蔭で体もタフである。

 もし私に何か才能があるとしたら生き抜く才能がある。

 非常に過酷な人生を生き抜いた。これも立派な才能ではないだろうか。

 産まれながらに荒行をし続けた結果である。

 どんなに弱い人でも銃器や刃物を持てば丸腰の強者に勝てる。寝込みを襲うなどやり方はいくらでもある。

 勝つ為にはいくら卑怯で卑劣な真似をしても勝てば官軍である。それが戦争である。

 私は勝てる相手にもそれをしてこなかった。

 耐えて耐えてきた。

 そして今かなり自分がタフなのを感じる。

 戦闘においてだが。

 現代日本においてはなんの役にもたたないかもしれない才能かもしれないが。

 幼稚園児の時から大人の体格の人達に暴力を受けてきた。

 体格差でいうと十倍とかであろうか。

 いじめ虐待も慣れてくる。

 一日数人から暴力を受けて一年で千人以上かける事の人生の年数である。

 十五年としても一万人以上から暴力をうければ慣れてくる。

 顔や表情や仕草から心理もかなり読めるようになる。

 兄は格闘技全般を学びそれを私で試していた。するとどの格闘技や武道でも動作に入る間とか動作があるのに気づく。

 小さな身体の時から大人に暴力を受けていると同世代の人達に殴られ蹴られしても痛くなくなる。何時も百のダメージだとして五位のものだ。

 しかし避けたりすると逆情するのでプロレスラーと同じく受けてあげる。そして痛がるふりをする。

 兄や親に対しても同じく虐待を受けきる事が可能になる。

 これも才能なのかもしれない。

 相手がどう自分にダメージを与えたいか予測して受ける時少しポイントをずらす。精神的にも肉体的にも。

 暴力を受ける英才教育である。

 そうして私は生き抜いてきた。

 他人を気にしなくなると欲しいものがほぼ無くなる。

 いかに普段他人の目を気にして生きてきたのか。

 衣食住のほぼどうでも良い。

 ブランド物も欲しくないし。

 キャビアを食べたいともおもわない。

 でかい家を欲しいとも思わない。

 起きて半畳寝て一畳とは聞いた事があるが本当にそうなる。

 究極のミニマニストではないだろうか。

 断食も流行っている。

 ヨガも流行っている。

 身体一つあれば良いのだと感じる事ができる。

 統治する側からみると一番厄介だと思う。

 アメリカ映画でフードインクというのが少しだけ話題になった。大量生産大量消費をどんな物が私達の口に入るまで事実らしい。

 西洋文化である。

 日本人には馴染まない。

 よくアメリカ人らしき人達をみるがあきらかに日本人とは見た目も中身も違う。差別では無い。戦争映画をみていても人が殺されるのをみて歓喜して大声で騒いでいる。日本人にはよくわからない感情である。

 穴倉民族であるが故に狩猟民族とは何か根本が違うのかもしれない。

 世の中は平等では無い。

 それが普通?である。普通の定義もよくわからないが。

 本をたくさん読んできた。

 しかも論文というものは大体西洋人が書いている。

 ふと疑問に思う。

 日本人でも住んでいる地域が少し違うだけでもかなり人間性は違うのに。

 西洋の考えが日本人にあてはまるのだろうか?。

 私の持論は違う気がする。

 面白い例があり。昔飛脚という職が日本にあり飛脚は味噌と少しの食べ物しか食べないで三日三晩走れたそうだ。それを西洋人が不思議に思い、肉やカロリーをもっと取れば飛脚はもっと走れるのでは無いかと実験した結果肉と高カロリーを食べると直ぐに疲れて寝込んでしまったそうだ。

 日本人というのは西洋人からは理解できない人種のようである。

 切腹できる人種を理解できる世界の人がいるのかが疑問である。

 戦国時代?か部下をたすけてくれるなら首を切られた後にその首を自分で持って走って見せると言った話もある人種である。現に自分の首を持って走ったらしい。

 世界でも理解できないであろう。

 明治維新さえなければと残念に思う。

 日本文化は死んだ。

 話が大きくなりすぎた。

 元に戻すと他人を気にしないで生きる事ができる時代になった事をいいたい。

 全てが機械化した世の中、もう群れを成す必要性はなくなった。一人で生きていける世の中に自然になったのである。

 一人で生きていけるということは他人の目を気にせず比較せずにいきていける。

 焦りはなくなる。

 ふとインドの行者や日本の山伏を思い出した。 

 心理の追求をするには一人で良いのではと。

 著名人がヨガの凄いマスターになったらしい。

 一日に果物を少しだけ何時間も咀嚼しながら食べてあとは体のメンテナンスに何時間も修行すると内臓なども自分で動かせるようになるそうである。

 西洋医学的には解明できないらしい。病院でありとあらゆる最先端技術を使ってもわからないがベストなコンディションであるようだ。

 私はひきこもりも日本文化であり少し前は問題になっていたがオタク文化と似ている気がする。今やオタクは世界を凌駕している。

 最先端の民族が日本人なのではないかと。

 ある私の大好きな本に自分の為に命をすてる人が十人居れば天下が取れると書いてあった。

 映画で戦国時代に自衛隊がタイムスリップする映画がある。

 逆に昔の戦国時代の人達や新撰組などが現代にタイプスリップしてきたら天下とれるのではないかとわくわくする。

 事戦闘において日本人は優秀だという本を読んできた。

 ひきこもりをするなら極限まで自分を追い込む事も日本人ならではできるのではないだろうか。宮本武蔵のように。

 自分もなれるかもしれない。

 今は対局にいるが。

 才能はある気がする。

 アインシュタインやエジソン

 ホーキング、ダビンチ。

 西洋的な本を読むと脳のどこかに必ず吐出した才能があるらしい、それを小さい時に脳手術する事で開花できるという医学者もいる。

 それを発見して伸ばす役目を親が今していないらしい。

 学校は少なくても才能を潰す。

 他人と同じ事をしていたら駄目になるのである。

 お金儲けと同じである。

 バフェットも言っている。

 日本人は天才であると感じる事が沢山本に書いてある。

 日出づる国の民族である。

 昔のまま鎖国を続けていたらたらればはきらいであるが。

 凄い事になったのではないか。

 もしくはハワイや香港のように植民地に完全になってしまい戦後アメリカの一つの州になっていても面白い。

 アメリカ一優秀な民族になれたのではないか。

 今の日本は中途半端であると凄く感じる。

 パソコンも初めて作ったのは日本人らしい。

 世界を取る才能ある民族である誇りを今感じない。

 日本人は世界をとれるがとらないでうちにうちにこもり逆行するのが正しいような気がするが。

 他人を気にせず生きていける民族が日本人ではないか。

 日本刀のように鍛えに鍛えてみよう。

 時間は死ぬまであるのだから。

 ひきこもりの定義を調べた。

 要約すると六ヶ月社会と接触しないでいる事精神疾患でない事と定義されている。更に調査はランダムに若年層だけで三十九歳まで。何故なら省庁が変わるからだそうだ。四十歳以上はカウントされないし。性的マイノリティーも省かれている。

 老人や主婦や富裕層などはひきこもりになってしまう扱いである。

 私の定義は違う。

 西洋文化に馴染めない人である。

 うちの親は完全に西洋人の考え方をする人である。

 私とは相反する。

 故に虐待されているのかもしれない。

 いじめにあった人は一生忘れないし恨んでいるらしい、いつか復讐したいと思っているらしい。現に小さい時虐められていた人が同窓会を開きビールに毒を混ぜたという事件もあった。

 私は何故かわからないが虐められた人達を恨んでいない。更にいうと記憶から消えつつある。何かのきっかけで何となく思い出すが名前と顔が出てこない。余りに辛い出来事は脳が消去してしまうのかもしれない。

 親や兄や親族からも凄い虐待を受けたような気がするが殆ど覚えていない。逆に親や兄が大好きなのが不思議である。

 これも脳の誤作動なのかもしれないが。辛い記憶はほぼ思い出せない。

 余談ではあるが知り合いに誰にでも好かれる男の子がいる。

 かなり陰湿ないじめを陰で操るタイプなのだが男女性別なく大人から子供まで好かれている。勿論親兄弟からも。

 有名なYOUTUBERが自伝をだしたので読んだがやはり誰からも愛されると自覚していた。

 誰からも好かれる人は存在する。

 私は誰からも嫌われる。

 勘違いや思い込みだと言われるかもしれないが。

 今まで友達が出来た事は無い。大人から子供まで満遍なく嫌われる。

 それどころかやってもいない事で犯人にされたり罪をなすりつけられたりした。何か問題が起こると真っ先に先生に怒られたりする。勿論冤罪である。

 日本では起訴されたら九十九パーセント検察は覆さないし詫びないらしい。冤罪の本も読んだが疑われたら最後のようである。

 よく私も職質にあう。

 好かられる才能があれば嫌われる才能もあるのかもしれない。

 やりたいことをするのではなく今自分に出来る事をしよう。

 ひきこもり鎖国して部屋の中で出来る事で建設的な事を。

 前向きな鎖国である。

 痛んだ心を癒して強くする。

 今までは兄に強制的に武道格闘技の実験台にされて組手スパーリングをしたり腕立て腹筋スクワットなどなどをさせられていたが此れからは自発的にする。

 何故なら幼少期から虐待いじめによって芽生えた才能ではないかと自分自身で気づいたから。

 静かなる一揆である。

 結局は自己責任である。

 毎日起きている時は自重トレーニングを動けなくなるまでする。色々な格闘技や武道があるが多対一を想像すると寝技は無いなとか色々なものを本で学び研究した。ブルースリーのジークンドウの様に色々なものを混ぜながら考えた。武器を使うと過剰防衛になる。五体でのみできる事で対武器の防ぎ方は学んだ。医学や解剖学に行き当たる。東洋の鍼やツボをも学んだ。呼吸一つでも鍛錬になる事を実践した。問題は体力である。部屋の中にいるので走り込みなどができない。

 食べ物もカロリー不足で思うように体重は増えない。

 組手スパーリング相手が居ない。などなど問題点はあったがそれについては今まで何万何十万もしてきた組手スパーリングでカバーてきると感じていた。

 経験値は普通では無い。

 行き着いたのは間の取り方である。素人相手なら簡単だが何かをしている人には間がある。

 間の取り合いで勝負は決まると言っても良い。

 後は体重は相手の体重を借りる事で補える。

 あとは急所を突けば良い。

 毎日虐待やいじめにあっていたので怖いという意識は無い。

 例え日本刀を振り回す相手でも間をあけ避ければよいだけである。

 普通の人だと複数の人に囲まれたり凶器かを出されると身体が硬直してしまう。

 私は慣れているので大丈夫である。

 一日何千何万とジャブならジャブだけを正拳突きだけをひたすらする。

 中国武術ではそこがぬきんでている。一つの型だけを一生する事で達人となる。

 学び鍛える学び鍛えるだけ。

 不純物は消えていく。

 その間親や兄は無関心であった。兄は独立してエリート街道まっしぐらでそれどころではないのかもしれない。

 親には親の生活があり元からネグレクトである。

 しかしある時偶然母親と出会い頭に包丁で刺されそうにはなった。

 殺されれる可能性はある事には気をつけた。

 そんな事件も沢山ある。

 逆の事件も。

 私が今幼児なら防ぎようがない。がそこをぬけて身体は大人の体格にまでなってからの初めての反抗である。

 もう親や兄に対抗はできる。

 そこまで生きぬけたのは奇跡的ではある。

 運が良い。

 たまに寝落ちした。

 綺麗な女の人に自分がなっていて皆んなからちやほやされる夢をみた。

 起きて考える。何故に?。

 人恋しいのかなと。

 無心に腕立てをする。

 腹筋をスクワットを。

 汗が噴き出す床が滲む程。

 脳が誤作動するのを待つ。

 限界を超えると何回も何時間も同じ動作ができるようになる。脳から何か出ているのを感じる。気持ちが良くなり無限にできるような気がする。

 これを繰り返す。

 日本刀を鍛えるように何度も何度も叩く。折る。火に入れまた叩く。叩けば叩く程に強くなると信じて。

 まずは鉄の精製である。

 混じりけが無くなるまで基礎体力をつける。

 ある著名な空手家はコインを指で万力のように折るそうだ。

 その度に蕁麻疹がでると。

 身体の限界を超えるとなにかしら反応があるのかもしれない。その空手家は手製のバーベルを毎日重くしてあげ上がらないと弟子にきりで臀部をさすように命じたらしい、きりでさした瞬間火事場の力が出て上がるそうだ。

 呼吸一つとっても無駄にしない。息を何回も吐ききり何回も吸い切る。起きている時間は全て修行したと。

 私も呼吸法を真似して絶えず肺をも鍛えた。

 自分の身体だけは裏切らない。やればやるだけ結果はでるしさぼれば結果は出ない。

 誰かに強制的にさせられるのと自分で自分を追い込むのは違う。兄にやらされていた時とは明らかに何かが違っていた。

 私の一日は二十四時間では無い。起きている時間が一日とするとかなり長い間起きて鍛錬をしている。もはや一日というか時間も関係ないので時間をも超越する。

 SNSや機械や時計鏡すらない。窓もシャッターが閉めてあり空間と時の部屋状態である。

 私は刑務所に入る事は手足ももぎ取られだるまにされて放置されなが生きる以上に耐えられないだろう。

 知り合いが傷害事件を起こし少しの間収監された時に刑務所や鑑別所の中に入った時の事を出てきた時聞かされた。まるで自由は無く檻に入れられて手足を縛られての集団行動らしい。当然中でのいじめは凄いらしい。

 私の今までゆういつ持っているものは自由だけである。

 これだけは手放すわけにはいかない。

 というか放置されていきてきたのでこれだけしか持っていない。

 これを取り上げられたら自分がどうなるのか想像できない。

 その究極が刑務所である。

 私は物心ついた時には大人から虐待やいじめを受けていた。

 物理的に体重差の事を言っている。十倍の人から打撃を受けきっていた。勿論武器をも使われてだからもっと衝撃はある。

 イメージで言うと人対熊や虎くらいのイメージであろうか。

 腕力が違う。

 それを毎日受けきっているとどうなるのか。

 同級生や同じような体格の人からの打撃や攻撃はまるで通じなくなる。

 現に図書館に通っていた時小学一年の時くらいに周りのヤンチャな中学生に殴られ蹴られてもどうと言う事も無かった。

 殴られる才能が開花していたから。

 三つ子の魂百までというやつかもしれない。

 急所だけは打たれなければ大丈夫なものである。

 中学生にあがり先輩何十人かに手足をロープで四方に縛られて防げない状態にされ股を開いた状態で陰部を集中して蹴られた時は流石に死ぬかもしれないと思う程の衝撃があった。

 竿の部分は血管が破裂して玉も一つ潰れて半年は真っ黒なバナナのようになっていた。

 そのせいかわからないが今は立たない。少し硬くなる程度である。

 あの時暫く腰から下の感覚が無くなり意識も飛びそうになったのを思い出す。

 勿論立てるはずは無い。

 鉄パイプで頭を殴られた時も急所は外したと思ったがこめかみに当たり破れた時、血が水道を全開にしたより激しくこめかみから横方向に吹き出た。

 鉄パイプで殴った方が驚いて逃げる程激しく。

 その時も学んだ動脈はかすり傷でも致命傷になると。 

 首の動脈は切られると十秒もたないらしい。

 そうして幼稚園から他人に暴力を受けていると自分より弱い人に殴られても大丈夫になる。

 では何故反撃しなかったのか。小さい時はやはり親や兄に告げられてより酷い虐待をされる恐怖がありその方が怖かった。少し身体が大きくなり中学生くらいになるとやはり親や兄は怖かったが逆に殺してしまうのではないかという恐怖感があった。素人なので手加減ができない。勿論怪我を相手にさせれば法により裁かれる。逮捕である。

 中学一年生の時学校でやんちゃな子達がふざけてバリケードなどをつくり教室に立て籠もる事件があった。

 夕方には飽きて帰る時クラス全員が私に命令されたと口ぐらをあわされ警察に捕まった時に警察の取り調べ室で何人もの警官から自由を拘束された時に物凄く怖かった。このまま自由を奪われると。

 それはトラウマになる。

 刑務所イコール地獄。

 中学生になり体も大きくなると大人からの打撃にも耐えられるようになる。

 イメージでいうと熊やライオンから打撃を受けても平気になる。

 逆に私から攻撃をもししたら大怪我どころか死んでしまう恐怖がある。

 私は毎日家で兄から格闘技や武道の相手をしているのだ。

 兄は百キロ近い武闘家である。そんな人に幼少の頃から鍛えられた。

 一時間腹筋背筋スクワット腕立て何でも兄がいいと言うまでやらされていた。

 自然に強くなるのも仕方がない。中学生なは兄にも勝てるのがなんとくわかるようになっていた。体格は三倍以上ある武道家の兄より戦闘力は私の方があった。

 鍛えに鍛えると対峙しただけでわかるようになる。

 それが中学一年生の時である。

 それから私は自分より武力のある人に会ったことが無い。

 ひきこもり一日目からどの位たったのだろう。

 起きて頭を刈る事にしているので伸び具合からは日にちはわからない。

 鍛錬して動けなくなると本を読み研究する。を繰り返している。日を浴びないからか眠くならない。時計も止まっているので一分が一時間のように感じるし一時間が一分のようにも感じる。無を感じる。

 たまに寝落ちすると余計に時がわからなくなる。一分寝たのか半日寝たのか。

 もとから毛深くなく髭も生えない体質である。

 脛や拳も鍛える。硬い物で殴る。これは小さな頃からしている。脛は硬くなり。拳は潰れている。

 血流をよくする為に丹念にストレッチをする。元から身体はかなり柔らかい。

 肩甲骨や骨盤の可動域を柔らかく。硬くなるとスピードが落ちる。よくスポーツ選手が見た目だけの筋肉をつけて怪我をしたりする。見た目の筋肉は必要ないし実用性が無い。

 首回りは特に念入りにストレッチする。

 脳に血液をおくる為に。

 身体中に柔らかい筋肉を纏う感じである。硬い筋肉は役にたたない。

 前に元傭兵の方が一般人に負けたというニュースがあった。

 当たり前である。

 軍事格闘技をしている人が一般人に相手にしたら殺してしまう。

 最近ウェイブという技を使う俳優さんの師匠の技をみた。明らかに軍事格闘技で海外の軍隊で教えているらしい。

 殺す事を前提にしているので一般の格闘技の大会などにはでてこないだろう。

 合気道の著名人が亡くなったが死ぬまで自分の技は弟子や息子にも教えなかったそうだ。

 格闘技ではなく武人なのだろう。

 格闘技と武術は全く違うものである。

 現代社会において武術は使えない。殺人になってしまうから。

 武術において日本は世界一かもしれない。

 まだ埋もれて表に出ていない武術も沢山あるだろう。

 私が今沢山の本や経験から鍛錬しているのは護身術でありあくまで法律の中で過剰防衛にならない為の術である。

 なので当然素手である。

 ステゴロである。

 いじめ虐待暴力から身を守る為の術である。

 精神的肉体的に。

 いつの日かこの部屋を出た時の為に。

 一生この部屋から出ないのが究極の護身術ではあるが。

 私の場合は家自体で虐待されているので親や兄や親族が明日扉を壊し入ってきたら終わりである。

 五十八十問題など羨ましい。

 本来日本人というのは散る美学に重きをおく民族なのではないだろうか。

 関ヶ原の合戦の時、褒美などはどうでもよい侍が日本中から駆け付けた。

 明治維新前の戦いでも最後の侍として日本中から侍が駆けつけた。

 皆んな散る場所を求めて。

 私は新撰組が好きなので色々な本を読んだが損得勘定ができる人なら新撰組なぞに入らなかっただろう。

 最後の最後まで戦った土方歳三は素敵な人生だったのかもしれない。

 宮本武蔵は何故に隠居したのか。

 どちらの人生が楽しかったのであろうか。

 浪人とよばれて生き残ってしまった人の気持ちは?。

 居場所がなくなってしまった人々。

 ひきこもりもあとは散るのを待つだけなのかもしれない。

 ひきこもりに負ける人は孤独に負ける人が多いようです。

 孤独とは結局他人と自分とを比較してしまう人。

 比較して焦り孤独に蝕まれる。私なら学生なので三年周期または大学を皆んなが卒業する時などなど。

 孤独というのは一人でいる時に脳が判断するわけではないらしく集団でいる時に皆んなと比べて孤独になるそうです。

 一度でも孤独を感じると集団に戻ると余計に孤独を感じて逆に社交的になるそうです。そしてストレスがたまりキレるそうです。脳科学の実験からですが。万人に値するとは思いませんが。この論文を読んだ時やはり日本人らしくないなと思いました。

 社長と呼ばれる人やスーパースターなど頂点に立つ人は皆んな孤独だと聞きます。

 結局皆んな孤独だといいたいだけなのかなと。

 生まれてきた時も孤独だし死ぬ時も孤独です。

 だれもが孤独です。それが自然なんだと思います。

 ひきこもりは比較対象を遮断すれば強くなれます。

 常に一人ですごしてますから。

 これは私の持論ではないのですが今ぼっちと言う言葉が流行っているそうです。優秀な人ほどぼっちになると。

 皆んなイライラしてストレスをかかえているのかなと思いました。人間関係がなければ楽ですから。

 今皆んな器用な人が多い気がしますネットもありますし頑張らなくても何でもできてしまう人が多い。故に迷うのかもしれません。道が沢山ありすぎて。

 だから疲れてしまうのかもしれません。

 私はこの部屋にしか居場所が今ありません。選択肢がないのです。だから迷いはありません。次にやる事だけ考えればよいだけです。孤独でもありません。比較対象がいないので。

 あんがい他人から見たら幸せなのかもしれません。

 糖分が欲しい。

 刑務所など甘いものは最高にどんな人でも欲しくなるそうで。角砂糖など最高らしい。

 かなりのカロリーを消費している。サプリをとっているのだが集中力が無くなる。

 栄養学を調べると脳がかなり糖分を必要としているみたいである。本当かはわからないが。

 行者はいざという時の為に懐に飴玉を何個か入れているらしい。飴玉一つあればかなりしのげるらしい。

 兎に角本を読むとき集中できない。甘いものを欲しがる。

 そっと部屋を出る。

 人気は無い。

 しかしうちの台所に甘いものなどあるかわからない。

 砂糖すらどこにあるのか?。

 私は家でご飯を食べさせてもらった事が無い。

 更に今家には兄が自立したので食べ物が無い。

 兄が自立してから親は外食しているのか何も無い。

 お中元?の箱にコーヒーに入れる黒砂糖の瓶を発見。

 助かった。

 部屋に持ち帰り黒砂糖をかじる。

 身体中に何か力が湧く。

 幸せホルモンが脳から出ている感じである。

 糖分は偉大である。

 身体は干からびた状態なのでスポンジのように吸い込むのがわかる。

 水と塩と砂糖は最低でも必要だと学んだ。

 ゴキブリはかなり昔からいるらしい強い生き物である。

 どこにでもいて何でも食べそうである。殺虫剤も効かない新種がどんどん産まれているらしい。どぶネズミも。

 強い生き物は何でも食べる。

 毒だろうと何でも。

 水道水に塩素が含まれているらしい。マッカーサーが決めたそうだ。なのに日本人は世界一の長寿国である。

 初めから強い民族なのである。

 私には百歳をこえる祖母がいる。一緒に住んではいない。

 やはり何でも大量に食べるらしい一緒に過ごした事はないし祖母からも嫌われていたので。

 世界中旅をしたり自転車でまだ何処にでも行くらしい。肉やピザなど高カロリーな物を他人の何倍も食べるらしい。噂で骨密度は石のようだと医者に言われたらしい。

 ボケてもいない。

 一族の長として君臨している。物凄い我が強い人で他人の言う事は聞かない。

 宮本武蔵に出てくる友人又八の母のようなイメージである。

 怖い人である。

 祖母をみて聞いていると日本人は強いとつくづく感じる。

 病気一つした事が無い。

 そんな老人がごろごろといる日本は凄いと思う。

 私にもその強い遺伝子がある。

 メンタル的にもかなり勇気が出る。

 自分は日本人なのだと。

 ひきこもりは日本人に向いている。これは道と呼べるのではないだろうか。

 日本人は職人と呼ばれる人が沢山いる。

 一芸に秀でた人が。

 日本の中小企業は世界一の技術を持っている。ただ商売が下手なだけである。

 最先端の宇宙事業においても日本人の職人が関わっていると。

 何かを突き詰める事のできる民族なのではないだろうか。

 小さな工場で一人もくもくと何かを作る。

 これもひきこもりてはないだろうか。

 ひきこもりは悪い言葉として使われているが修行研究にあてはめれば同じ事ではないだろうか。

 何事も突き詰める為には孤独と向き合わなくてはいけない。

 人生百年時代に入り早いうちに何かと出会うか歳をとってから出会うのかそれだけの違いではないだろうか。

 これから団塊の世代のパワーをもった人たちがひきこもりに入る。日本は凄い力をもった人たちが沢山いる。

 団塊の世代のひとたちがまた世界を凌駕してくれるかもしれない。

 その時はひきこもりという言葉ではなくなって呼ばれるだろう。

 日本の道は明るい。

 第二の人生が始まるのだ。

 団塊の世代の人達が日本を憂いて闘争討論していたのを読んだ事がある。

 本当に日本の事を考えて真剣に生きていたのがわかる。

 そして高度成長期その人達が今の素晴らしい平和な日本を創った。

 とても熱い人達である。

 最近も若い文化人が討論しているのを聞いたり読んだりするが同じような事を言ってはいても何かが違う気がする。

 熱さがないような気がする。

 国がどうこうというより個人的に楽しければ最終的によいような。

 それでは天下は取れない気がする。個人的にお金持ちにはなれても。

 何か薄っぺらいのである。

 同じ事を討論していても。

 団塊の世代に時間が与えられる。彼等がこのまま大人しくしているとは思えない。

 また世界を取ってくれる気がする。馬力が違うのだ。

 今現在でも日本を根底からささえているのは団塊の世代のような気がする。

 資産も時間も馬力もある人達が一斉にまた動き出す。

 他力本願ではあるが日本は変わる気がする。

 日本人は世界一優秀な民族なのだから。

 私はひきこもり始めて何日たったのだろう。

 時間外にいたので解らない。

 夜も昼も無く身体を鍛えに鍛えた。自重トレーニングは何時間でもできるようになった。

 脳のブレーキを壊して限界を超えた。

 使える必要な筋肉だけがついた。鋼のように叩き続けた。

 日本刀は世界一の刃物である。それを作るのも日本人で使うのも日本人である。

 自分で沢山の武術格闘技の中で多対一で使える技だけを抜き出し考えてアレンジした。

 新しい護身術である。

 格闘技ではない。

 路上で使え法に触れない。

 身体のみで。

 ひきこもりの定義とは六ヶ月以上家族以外の交流をもたず学校会社にも行かず自宅にこもる。精神疾患は含めない。

 しかしコンビニなど自分の趣味範囲での交流はある人達。

 かなり曖昧である。

 今は部屋に居てスマホさえあれば社会とは繋がれる。

 SNSなどで沢山の人達と繋がりがある人もいればゲームの中で沢山の人達と繋がりがある人もいる。

 家から出ないで資産を運用している人達も沢山いる。

 株やFX仮想通貨、ヤフオク、メルカリ稼ぐ方法もたくさんある。詐欺などもできるだろう。

 お金を使う事も部屋から何でも出来る時代である。

 浪人生などどういう扱いになるのか。

 何年も部屋から出ないで勉強している人達も沢山いるだろう。

 線引きが無い。

 私の場合はいじめ虐待から身を守る為に仕方なく部屋に避難した。

 更に社会適応能力は無く。

 集団生活や協調性も無いと先生から烙印を押された。

 シェアハウスでニートすら無理である。

 社会に居場所が無い。

 支援センターに通い余生を過ごすのか。

 通信で学校に通い資格を取ったとてその先は見えない。

 五十八十問題で年金のみで暮らしている人達がどうなるのか。老老介護して共倒れするひきこもりもいるだろう。

 過渡期なのだ。

 時代の変わり目に私達はいる。

 東京オリンピックの後どうなるのか誰も解らないのではないだろうか。

 大量生産大量消費の時代は終わるのかもしれない。

 そのひづみに私達はたまたま直面した。

 自然発生したひきこもり。

 世界を今凌駕しているオタク文化。少し前は問題だった。

 ひきこもりが世界を凌駕する時がくるかもしれない。

 特に焦る必要は無い。

 誰のせいでも無い。

 自然に発生した赤潮みたいなものである。

 どうにかなるものである。

 私もひきこもり一日目は何もかも考える余裕は無く気がついたら部屋に鍵を三つ付けてベットの上でボーっとしていた。

 しかし生きている限り時間は進むのである。

 ボーっとしていても良いし。

 何をしていても良いと思う。

 無理をして西洋文化に染まる必要は無いのではないだろうか。

 第二の明治維新のように散りたい人は散り散りたくない人は進むしか無い。

 ひきこもれるだけ幸せなのではないだろうか。

 それだけ日本は豊かなのではないだろうか。

 日本は平和である。

 外国の情報を聞くたびに思う。

 なんとかなる国なのではないかと自分自身に言い聞かせる。

 昼間か夜かわからない時間。

 身体に力が湧き出る。

 初めての感覚である。

 今まで自殺するか諦めるかの二択しか無かった私。

 身体を極限まで鍛えた自負がある。

 髪の毛が少し伸びているのをバリカンで刈る。

 掴まれないように。

 正座しながら。

 呼吸を整える。

 物心ついた時から殴り蹴られ締められ投げられ。きめられ。

 自然に付いた防衛本能。

 ひきこもりどの位たったのか自分の才能に目覚め鍛錬を積んだ。

 身体に漲る力。

 試してみたい。

 自分の力。

 そこに外から爆音が聞こえる。かなりの台数の車と単車である。

 窓のシャッターを開ける。

 今は夜中である事に月の位置から。

 遠くからでも聴こえる爆音に目を凝らす。

 かなりの台数で数はわからない。

 身体が震えた。

 これが武者震いというのか本当に怖いのかわからない。

 試したい。

 鍛えに鍛えた身体と護身術。

 実戦に使えるのか?

 十二の時には兄が弱く感じた。あれから三年十五歳である。

 どんな攻撃も避ける自信はある。それだけの経験はある。

 たとえ受けても耐えるだけの身体はできている。

 急所さえ避ければ。

 袋田だきにあっても今まで受けてきた。あえて。

 痛がるふりをしていたが痛く無かった。

 屋上から飛べと言われてとんでも耐えれる身体である。

 自然に身についたタフさである。

 それに加えて鍛えに鍛えた。

 ただし十五年間他人を叩いた事は無い。

 殺してしまう恐怖。

 逮捕される恐怖。

 刑務所で自由は奪われる。

 自由だけが私にただ一つだけ与えられたもの。

 しかし試したい欲求が我慢できない。

 クラブに行ってセキュリティと対峙すると捕まる恐れがある。

 道場やぶりの時代でもない。

 偶然を装って多人数相手に絡まれた事にすれば捕まっても正当防衛となる。

 それ程私の戦闘力は高いと感じた。

 今まで自分より強い人に殴られた事が無い。全て受けた。

 手加減できるのか?

 興奮して急所に当ててしまわないか?

 初めて努力した成果がどうしてもしりたい。

 変われる。何かが変わる。

 そんな気がした。

 窓を開けたまま部屋着からジーパンとティーシャツに着替える。掴まれてもティーシャツなら破ける。そんな間合いには入らないが。

 多人数なので囲まれる。

 部屋の鍵を三つ開ける。

 親は寝てるのか居ないのかわからないが気配はない。

 玄関に行きひも履をきっちりと履く。

 音が近づいてくる。

 玄関を開けて外へ。

 ひきこもり一日目から初めての外である。

 キーンと耳鳴りがする。

 まだ身体は震えている。

 怖いという気持ちは一切無い。

 血がたぎる感じで熱くなる。

 深呼吸を深くする。

 裏呼吸をして息を吐き切る。

 気持ちいい。

 脳から何かが出ているのがわかる。

 凄く気持ちがいい。

 道路までゆっくりと歩く。

 何もかもが新鮮に目に映る。

 心地よい。

 身体の震えが止まっているのに気づく。

 十五年間いじめ虐待を受けきったタフな身体と精神である。

 身体中に力が漲る。

 不思議な感覚に自分で驚く。

 身体中の細胞が興奮しているが心は凪の水面のような感じである。

 何かが私の中で変わった。

 スイッチが入った感じで。

 身体がパンプアップする。

 脳から身体に何か指示が出ている。

 軍鶏のようだ。

 痩せた身体中に薄く柔らかい筋肉を纏う。

 四車線道路の数百メートル近くに何台かわからない数の単車と車の光が拡がっている。

 今時流行らない何処か地方から来た暴走族が遠征してきたのか、珍しい。光の渦である。

 今の私は関ヶ原の合戦のど真ん中にポツンと落とされても平気な気がする。

 何千何万居ても所詮四方からしか攻撃されない。

 それだけの対策はある。

 日本では火器、拳銃類を持つのは警察か自衛隊か極道かしかいない。

 刃物での攻撃は経験済みである。

 素人が持つバットや木刀鉄パイプなども経験済みである。

 どんな武器を持とうが間合いに入らなければ当たらない。

 それはひきこもる前から避ける事も出来た。

 才能ということか。

 ゆっくりとガードレールをまたぎ道路の真ん中に出て行く。

 十五年間いじめ虐待にあい、ついさっきまでひきこもりだった人である。

 四車線いっぱいに広がる車や単車を他の車がはじによけ避けている。

 爆音で何も聞こえない。

 まるでモーゼの十戒である。

 海が割れるように他の車がはじによける。

 何百台だろう。

 すごい力だ。

 群れとは凄いものだ。

 どんどん近く光の渦を見ながら道路の真ん中で私は立っていた。

 自分の瞳孔が開くのがわかる。

 脳から大量の何かが出ているのも。

 信号どめの単車四台が先頭を走っていた。

 もう目視できる。

 四台に八人特効服に手には短い鉄バットやパイプ木刀を持っている。

 もの凄くゆっくり走って蛇行しながら近づいてくる。

 私に気づいたのか。

 八人に凶器を持った特効服の人達が何か怒鳴っている。

 その後方には数百台の単車と車だ。

 ステゴロでどこまでいけるのかわくわくした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ