序章 悲劇の中で立ち上がる者 -knight in the rain-
雨が降っていた。
ヨーランド大陸の首都パレストラは、ざぁざぁと降りしきる雨の中に沈んでいる。
首都というだけあって、パレストラは大きな街だ。
城門をくぐって街に入ると、目の前に一本の大きな道がある。いわゆるメインストリートというヤツで、この街を初めて訪れた観光者は皆、その長大さに愕然とする事になる。
この大通りは普段、大陸中から集まった商人達が露店を構えていて、毎日が祭りのような活気に包まれている。ただでさえ総人口の多いパレストラだが、大通りの喧騒はレベルが違う。
長い長いメインストリートを歩いて行くと、街の中央にあたる噴水広場に行き当たる。
そこから、大海への玄関口である港へと続く西区への道、『王城』へと至る北区への道がそれぞれ伸びている。
とても良い街だった。
貧富の差もそれほど無く、一般市民を危険から守る存在の『騎士団』は住民からの信頼も厚く、住民には笑顔が満ち溢れている。そんな街だった。
そんなパレストラの街に、雨が降っている。
その雨は、
倒壊した建物から立ち昇る炎を沈め、
路上に転がる人々の死体から出た血液を流し、
下に人が埋もれている瓦礫を意味も無く濡らし、
壊滅したパレストラ中央区に、ざぁざぁと降り続いている。
「………ッ」
雨の降りしきるパレストラ中央区で、男が一人、満身創痍の体で瓦礫にもたれかかっていた。
堀の深い顔立ちに、肩まで届く金の髪。紅のラインが入った白銀の鎧 (すでにしてボロボロだったが) を身に付け、大きな手には根元から折れた大剣が握られている。
男は全身に走る痛みに顔をしかめ、荒い息を吐いていた。
その姿は、差し詰め手負いの獅子……といった所だろうか。
デフロット・カスタニエ。
それが男の名であり、その名は『緋紅の盾騎士団』――― 一般市民を危険から守る『騎士団』副団長のものだった。
首都パレストラに於いて、その名を知らぬ者はいない、という程の有名人である。
「痛ッ……街で、被害が及んだのは、中央区だけなの、か……?」
パレストラ中央区は、街の中央に位置する噴水広場を中心に広がる、半径8kmの地域の事だ。デフロットの呟き通り、「壊滅している」のは中央区の一部(それでもかなりの広範囲だったが)だけで、街全体が壊滅の憂き目にあっているワケではないようだ。
不幸中の幸い、と言うべきだろうか。
北区方面に望む『王城』は健在で、救助隊が送られて来るのも時間の問題だろう。
最も、既に失われた命は戻らないのだが……
「くそッ………フェ、ル、シオ……」
副団長デフロット率いる『緋紅の盾騎士団』は先刻、噴水広場にて、とある一人の反逆者と剣を交えた。
その反逆者の圧倒的な力の前に全く抵抗できずに敗北し、街の一部を破壊され、逃亡を許してしまったのだ。
「…ぜだ、フェルシオ……ッ!」
街の平和を守るべき『騎士団』 に身を置きながら何も出来なかった事実に、デフロットは歯噛みする。肩は怒りと悔しさで震えていた。
だが、彼の心は怒りよりも、戸惑いがスペースの多くを占めている。
止む気配の無い雨の中、デフロットはフラつく足で立ち上がり、その顔を上げ、曇天の空を睨みつける。思い浮かべるのは、尊敬に値した、しかし今は反逆者となった男の顔。
満身創痍の獅子は天に向け、吼える。
「何故だ! 何故国を裏切った! …答えろ。
…答えろッ! フェルシオ・ランスロードォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!」
フェルシオ・ランスロード。
それは、デフロット達が敗北し、逃亡を許した反逆者の名であり、
得体の知れない力でこの惨状を作り上げた者の名であり、
『緋紅の盾騎士団』 騎士団長の名だった。
雨が降り続く。
振り続く雨は、倒壊した建物から昇る炎を鎮め、生者死者の区別無く、人々の体を容赦無く打ち据える。
騎士団長フェルシオの造反。
星歴1240年春、
ヨーランド大陸首都・パレストラで起きたこの事件は、数百人の死者を出した。
これから世界で巻き起こる戦いに比べれば大した数ではないかもしれないが、それは立派な悲劇として、パレストラ史上に刻まれる事となる。
デフロットは険しい表情のまま、360度に広がる街の惨状を改めて見渡す。
(…この光景を、お前が作り上げた、か。…本当に笑えないな)
これ以上の悲劇を招かないためにも、今は悲劇から立ち上がるしかない。
次に起こすべき行動は、決まっていた。
王城に住まう王族へ、事態の報告と救助隊の派遣を要請する為に、デフロットは城へと足を向ける。足取りは重く、全身を貫く痛みは半端ではない。それでも尚、彼は走り出した。
(救えなかった命に報いる為にも、救える命を無駄には出来ん)
民を守る騎士として、デフロット・カスタニエは雨の中を駆ける。
これが、とある三角世界の冒険譚が幕を開ける、少し前の話。