放置されてた妻と放置していた夫のほんの一場面
夫婦生活一日未満の夫婦の話です
「…誰だお前?」
「はあ!?」
長い長い遠征からやっと帰ってきた夫の一言目がそれだった
私と夫は遠征の一日前に結婚した
夫は騎士で仕事に忙しい人だった。仕事に生きてるような人で、職務に忠実で誠実な姿は街の評判だった。
ところが急に長い遠征に出陣することが決まり、夫の両親は遠征で死ぬかもしれないから、と丁度いい年頃の娘…つまり私と夫を結婚させたのだ。やや行き遅れ気味だったので、私の両親もとくに反対しなかった。
つまり結婚してすぐ、むしろ一夜を共にもせずに夫は遠征に出陣したのだ。
閨を共にせず、一日ちょっと顔を合わせただけの妻など長い遠征の間で忘れていても無理はない。
でも「誰だお前」はないだろそれは…!
「私は貴方の妻です。遠征前に結婚式を挙げたのをお忘れですか?」
と厭味ったらしく返してみる
「いや、覚えてな…覚えてな…い…?結婚したっけ?」
その間抜けな面にイラッとくる。私と夫は流れで仕方なく結婚したとしても、私はそれなりに夫の事を思ってたので満更でもなかったのだ。しかしこの忘れられっぷりに夫は妻の私のことなど頭の片隅にも置いてなかったのだろう。内心ショックだ。
まだ子どもは産まれないのかと両親義両親にネチネチ嫌味を言われまくり、身体を持て余してるだろうとやな男に付きまとわられたりしたが、妻なりに貞淑を立てていたのだ。因みにまだ処女である。私の今までの努力など無駄だったに違いない。
「例え貴方が覚えてなくとも私達は名実ともに夫婦なのです。貴方が私と一夜も閨を共にせずに遠征に行ってからも私はこの家でずっとずっとずーーーっと待っておりました。
例え両親や義両親に孫の顔を早く見せろとせがまれても何も言わずに受け止め、家をせっせと掃除して維持したり、変態男に身体を迫られても頑なに純潔を守り、石女だと陰口を叩かれても我慢したり、周囲の友人達が幸せな家庭を持って羨ましいと感じたり、夫なんか捨ててしまえと言われても拒んだり、ずっと待っておりましたの。
それなのにやっと顔を合わせたかと思えば「誰だお前」ですって!?自分勝手にも程があります!そんなにお望みなら今すぐ出て行って差し上げましょうか!?この家からもこの街からも!!」
感情が爆発して一気に喋ってしまった。夫は思い出してきたのか顔を青褪めて呆然としている。向こうから義両親が「あんたやっと帰ってきたのか〜」と夫を呼ぶ声が聞こえる。
もうこれ以上ここにいるのも耐えられないと思って少ない手荷物を持って出て行こうとすると突然夫に腕を掴まれた。
「待ってくれ!」
「待たない!離して!」
「どうか話を聞いてくれ妻よ!」
「もうただの他人よ!!」
玄関先で言い争ってるとなんだなんだと野次馬がやってくる。
「ああ、人が集まってきてしまった。一旦中に入ろう」
と促されて渋々家の中に入る。勿論鍵をかけて
そして夫が頭を下げて「すまなかった」と謝罪する。
「私が仕事の為とはいえ長い間家を空けていてすまない。そしてその間に私の家と家族を守ってくれた貴女に失礼な言動をしてしまい、本当に申し訳なかった…」
と深々と丁寧に頭を下げられた。ここまで言われて話を聞かないわけにはいかず、私は椅子に座り、夫は床に座った。そこでいいのか。
「いいわ、貴方の真摯な姿勢により、謝罪を受けます」
と言うとほっとした顔をされた。
「謝罪を受けてくれてありがとう」
「妻として当然のことよ」
つんとそっぽ向けば夫は少しだけ微笑んだ
「改めて言おう、家と家族を守り、私の為に貞淑を尽してくれた貴女に最大の感謝を捧げる。」
と仰々しくお辞儀をした。
「いい加減頭を下げなくてもいいのに」
「いやいや、これまでの私が酷かったんだ。これくらいさせてくれ。」
なんと紳士で誠実な男だろう。冒頭の言葉を言われて頭にきたが、また惚れてしまう。
「それにしても家がこんなにキレイになっているとは思わなかったよ。遠征前以上に暮らしやすくなっている。貴女のおかげだ。」
「褒めすぎですよ」
感心してくれてよかった。頑張った甲斐があった。
「でも、何故、君みたいな素敵な女性が、一日顔を合わせただけの僕にそこまで尽してくれたんだい?」
ぐ、と言葉につまる。
「仕事に行って帰ってこない夫に、呆れたりせず貞淑を貫き、逃げ出さずに家を守るなんてことは普通の女性ではできないだろう?」
そうか、そうだった。夫から見た私は、好きでもない男と結婚させられたのに義理立てて貞淑、家、家族を守ってくれた変な女にしか見えないのね。
覚悟を決めて深い息を吐いた
「何年も放置されていたのは不服でしたけど、私、この結婚に満更でもなかったのよ。行き遅れ気味だったし、それに……貴方のこと前から知ってて嫌いじゃなかったし……」
最後に照れてしまってうまく話せなかった。夫から思わず顔を逸らした私の顔は赤くなっているだろう
目線だけで夫を見るとポカンという顔をしていた
そしてゆっくり考え事をするように顔を手で覆った
「もしかして……君は…俺の事を好いていてくれたのか…?」
呟くように言った声は戸惑っているようだった
「ええ、ええ、そうよ!!私は結婚する前からあんたのこと好きだったのよ!!厄介な男達に絡まれて困ってた時、私の事を助けてくれた人があんただったのよ!それからずっとずっとずっと好きだったのよ!!この家で待ちぼうけてた時間よりずっと長い間、声をかける勇気もなく、諦めて他の男に乗り換えることもなく、想いが静まるまでずっとこのままでいようと決めてた時にあんたとの結婚が決まってそりゃあ嬉しかったわよ!!例えすぐに長い遠征に行こうとも、何年待たされようとも覚悟のうえだったわ!!あんたがやっと帰ってきておかえりって抱きつきたかったんだから!!!」
ヤケになって言ってしまった。これ告白したようなものでは?と気づいた時には顔が熱くなっていた
それは夫も同じだった顔を俯かせ、真っ赤に染めていた
私は慌てた。恥ずかしくなってこの場から逃げ出したかったが、それより先に夫に真正面から抱き着かれてしまった
「こんな不甲斐ない俺を好いてくれてありがとう…っ!俺は、幸運にも貴女という良い妻を娶れて幸せだ…っ!」
お互いの顔も身体も熱く感じる。更に強く抱きしめられる。そんな夫の背に腕を回した
「帰ってくるの遅いわよ、バカ…」
「…ごめん、ただいま」
「おかえりなさい」
抱きしめられたまま、お互いの顔を見る。顔が赤いが、安堵の顔を浮かべている
「もう夫に都合のいい妻なんてやらないから」
「ああ、その分俺が君のわがままをうんときこう」
「覚悟しときなさいよ」
それからその町には夫を尻にしき、夫にわがまま放題する妻と、満更でもない顔で妻に献身する夫、という夫婦が有名になった
妻の両親は妻の恋心に気づいてました。なので夫の両親が結婚相手を見繕うとしてた時に真っ先に声を上げました。流石に閨を共にしてないのは予想外でしたが。
夫は奉仕されるより奉仕するほうが好きなので今の状況を幸せに思ってます