【閑話】京姫と大きなタマネギの下 ~京姫その4~
2156年5月10日 月曜日
雲一つなく澄み渡る蒼穹は、正に日本晴れと言うに相応しいだろう。
朝も早くから一目で騎士装備コンテナと判るトランクを引きながら歩く人々の姿が目に映る。今日は全国大会の開催日。日本全国から騎士達が集う日である。
ここ、東京は皇居外苑にある北の丸公園。その北端に佇む日本武道館は法隆寺夢殿を模した八角形の建築物である。
その周辺は競技に参加する騎士だけではなく、サポーターや競技関係者、観客に至るまで人の出入りで賑わっている。
ふと遠くから見上げて見ると、人々に馴染みのある緑青色の屋根が見える。元々赤胴色だった屋根が銅錆びにより劣化したものである。だが、近辺に生い茂る木々の緑と親和性が良く、その色が何時しか武道館のシンボルとなっていたため、改装のたびに緑青色に塗装されるようになった。
そして、富士をイメージした裾広がりの屋根頂上部には、金色の擬宝珠が輝く。京姫の兄である規久が、「タマネギ」と称したそれは、葱の花を象ったものであり、日本の神社仏閣等、伝統建築などで良く用いられる装飾である。橋の欄干などの柱の上に見掛けたことがある方もおられるのではないだろうか。
ちなみに日本武道館は、地下鉄の九段下駅からアクセスするのが最も近くて早い。
「いや~、良く晴れて良かったわ。気分爽快よ!」
両手を頭上で組み身体全体で伸びをする彼女の名は、浜崎 朱里。県大会Aブロックの決勝で京姫に敗れた騎士である。
「まさか浜崎さんがluttesにも参加してたとは思わなかったよ。」
「そりゃ、Duelにはあのクソジジイがのさばってたんだもの。違う方法だとしても全国で戦ってみたかったのよ。」
Duelの全国大会出場枠は、県のChevalerie人口によって変わる。基本、代表は1名だが、東京や大阪、北海道など人口が多かったり面積が大きいなどの場合は複数の地区に分けられて出場枠が用意される。京姫達の県では代表枠は1名である。
どうやら彼女は、luttesの試合で代表枠をもぎ取ってきた様だ。大抵の県大会では参加人数の問題で、午前がDuel、午後がその他の競技で試合を行う日程だった筈である。彼女は1日に午前、午後で数試合を熟して来たことになる。
「ホンと、アノクソジジイったら! 宇留野さんは見事やってくれたわ。道場のみんなと中継を見てたけど歓喜の嵐だったったわよ!」
「あー、加納大老か。試合が終わってから判ったんだけど、実は私、朧霞以外あの老人には全く興味を持ってなかったみたいだ。」
「アハハハ! それイイじゃない! あんなロクデナシに気を割くだけ無駄だもの!」
今回の全国大会で、京姫は二つの意味で注目の的だ。
一つは、ヘリヤからポイントを奪える若い騎士であること。
もう一つは、常勝無敗と言われた剣術界の実質的なトップであった加納某を下してこの場に来ていることである。
先だっての県大会決勝は、加納某の本性が露見したことで全国を賑わした。更に現在は過去の悪事が明るみに出て警察の御厄介になっている、と世間一般では緩めの情報が流布されている。
そのことも相まって騎士のみならず世間からも京姫に注目が集まっているのだ。
後の話になるのだが、全国大会が終わって暫く後にロートリンゲン卿が国際シュヴァルリ評議会本部から代表として全世界へ向けた記者会見を開き、一国家内全体にてChevalerie競技の大規模な不正があった事実を公表した。渦中の人物である加納某と「剣雄会」の権威は一気に失墜する。それからは加納某と「剣雄会」が引き起こした数々の事件が、証拠と罪状が揃った順に次々と公表され、戦後稀に見る大事件に日本中を阿鼻叫喚の坩堝に落とし込むのだが、それはまた別のお話。
朝の10:00に開会式が始まった。参加する県ごとに騎士達が升目を測った様にキチンと整列させられている。マクシミリアンでのアバウトさに慣れている京姫は、公式大会の開催様式は国によって差が出るのかな、などと思いながら、Duelのトーナメントがコンピューターの乱数で組み合わせ表示されるインフォメーションスクリーンに目をやり、自分のブロックを確認する。
全国大会のDuelは4つのトーナメントがあり、1、2トーナメントをAブロック、3、4トーナメントをBブロックとして2つのグループに分け、それぞれのブロックにて勝利したものが決勝へ進むシステムとなっている。この辺りは、マクシミリアンの学内大会と同じで勝ち残り式トーナメントである。
競技毎の試合配分は、午前中がDuel、午後はその他の競技に充てられ、県大会と然程変わらない。日程もDuelは3日かけて準決勝まで戦い、中1日休息を入れて5日目に決勝を行う。Duelが休息日の4日目は、Quartier_généralやDrapeauなどの団体戦の決勝が実施される。
「それじゃあね、宇留野さん。余計なお世話だろうけど、勝利を祈ってるわ。」
「ああ。浜崎さんも。次の大会でも一緒に行けることを祈ってるよ。」
一瞬キョトンとした顔をする浜崎 朱里は、その言葉の意味に気付き破顔一笑する。
「ええ! 一緒に!」
次の大会。それは世界選手権大会を指している。
京姫は浜崎 朱里を見送った。彼女の試合は午後からであるため、ここで別れることになるのだ。
それと入れ替わりに気配もなく、するりと人影が入ってくる。その人影は京姫にとっては見慣れたものだ。
「彼女、Duel以外にも出てたんだ。」
「luttesで勝ち抜いてきたそうですよ、小乃花。それより、彼女のことを知ってたんですか。」
「当然。全国で戦えるレベルの騎士は一通り押さえてる。老害がいなければ彼女はもっと評価されていい騎士。」
「評価の点に関しては同意します。彼女は世界で戦って欲しい騎士ですから。」
ふむ、と二人して頷き合う。
「約束通り、ここまで来ましたよ。」
「うん。老害の排除、良くやった。ヤツの屑っぷりも全国区になった。これで風通しも良くなる筈。」
「彼の御仁も、昨年はあれほどあからさまではなかったのですが…。」
「もう終わったこと。そんなことより京姫とはブロックが違うから当たるのは3日目。待ち遠しい。」
「ふふふ、私は初出場ですから、今から試合が楽しみですよ。」
年齢制限の上限がないシニア大会である全国大会は、京姫にとって小等部時代に戦ったことがない騎士と当たる確率が高く、それを心待ちにしていたのである。京姫が知っている強い騎士は両手の指程の数がこの大会に参加している。辺りを見回せば、子供心に戦ってみたかった騎士などの顔も見えるのだ。
もっとも、ヘリヤからポイントを取れるレベルになっている京姫は、その中にあっても既に頭一つ抜きん出ていることに気が付いていないのだが。
だからこそ、1日目、2日目の試合で、他を寄せ付けない戦いを繰り広げた。
攻撃の気配を見せず、且つ初動の判らない攻撃を捌ける騎士は少なく、また京姫への攻撃も予め予測でもしていたかの様にスルリと避けられる。
ティナの母ルーンから導かれた精神修養は着々と京姫の身に着きつつあり、回避などは止まって見えるなどの完全なゾーン状態ではないが、相手の攻撃速度が遅速して見える様になっていたため、外からはまるで未来予測をしている様に写る。
2日目は、再び三昧の域に踏み込んだ。その相手は他流との経験が明らかに少ないと所作からも見て取れ、京姫の方が一枚上手であると誰しもが思う騎士であった。
開始の合図の直後、腕、胴、心臓部分と刹那の3連撃を放ち、一瞬の内に2本取得する離れ業が披露される。
相手は、開始の合図を聞いた瞬間に敗退すると言う、未だかつて経験のない出来事に、暫し呆然としていた。
この試合も随分と話題になり、様々なニュースやスポーツ番組などで特番も組まれ、何度も取り上げられることとなる。その時、相対した騎士も瞬殺されるところを何度も再生されるのである。これには、さすがに京姫も巻き込んでしまった形になり申し訳なかったと思った。
こう言った場合、友人や知人ならいざ知らず、全国大会にまで伸し上がって来た実力を持つ騎士に謝罪することは宜しくない。騎士は上位に行くほど我が強い。そう言った者が勝ち残るからだ。
その様な相手に、勝者が敗者に謝罪などしようものなら上から目線で馬鹿にしていることと同義と取られる。だから京姫も「巻き込んで」申し訳ないと言う気持ちはあるが、謝罪するなど考えてもいないのである。
2156年5月12日 水曜日
全国大会が始まってより、3日目。
Duelの試合は順調に進み、ベスト8が出揃い、準決勝に至る。
ここBブロックでは、当たるべくして当たった京姫と小乃花が対峙している。
片や脇差、片や大身槍と言う、長さが極端に違う得物同士のぶつかり合いだ。
現状、小乃花は攻めあぐねている。自分が使う隠形による間合いの支配は確かに京姫へ及んでいる。しかし、正面の死角を突いた攻撃も全て防がれている。
大身槍の攻撃範囲外となる懐に飛び込んでも、槍の柄や太刀打ち部分で防がれ、流され、押し返されと、いとも容易くあしらわれた。
春季学内大会で京姫に読まれた攻撃のタイミングの癖は既に修正済で隙となる点は潰してきた。それでいて尚、である。
つまり、京姫は攻撃を見てから対応している訳で、いくら死角を突いても刃が目に入れば防がれてしまう。
そして、初動が判らない攻撃を合間に入れており、攻撃の体勢を崩されることも屡。何とか捌けているのは、気配を読むことに長けた小乃花であるからだ。
「これは厄介。京姫、随分と進歩した。」
「お蔭様で小乃花の隠形にも何とか着いていけてます。」
「良く言う。こっちが何とか着いていってるかたち。」
「小乃花をして、そう言わしめるのであれば私も捨てたものではないですね。」
そう口にした京姫は、トンッと後ろへ一歩跳ねる。
小乃花からしてみれば、槍の間合いを作るための行動と映っただろう。しかし、その瞬間にヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が鳴り響いたのだった。
京姫は、身体が跳ねる方向とは逆に大身槍で心臓部分へ突きを放っていたのだ。
相手が認識している動きを逆手に取った攻撃は、まるでどこぞの姫騎士が使う様な技である。
「やられた。身体と武器が逆方向に動くのは想定しなかった。」
「私も小乃花の虚を突けることが出来たのは喜ばしいですよ。」
「うん。今のはかなり良かった。技に心が追い付いてきてる。一安心。」
「…ありがとうございます。」
2試合目は1試合目と同様に、小乃花の攻撃は防がれ、京姫の攻撃は躱される様相を呈していた。
しかし、京姫の動きは時間を追うごとに良くなっていくのを小乃花は感じた。
この試合、このままだと届かないところへ行かれてしまう。まだ届く内に一手労する必要がある、と。
小乃花の攻撃挙動は変わらない。
左半身となり、柄を前、剣先を後ろに隠す右脇構えで、得物の攻撃範囲を誤認させ、正面の死角からするりと懐に入り、初動が掴み辛い攻撃を仕掛けては離れる。
隠密と虚偽で構成したヒットアンドアウェイである。
そう。いつもと同様の死角を突く攻撃が放たれた。
後方にある剣先が一気に正面へ向く薙ぎ払いを京姫は右半身で柄の石突き近くに添えた左手を上に持ち上げる様に槍を斜めにし、太刀打ち部分で受ける。
そこから小乃花は、刺突に繋げるパターンで脇差を槍の太刀打ちを抑える様に滑らせてきた。
脇差と平行に飛来する手裏剣と共に。
小乃花の左手先から射出されるホログラム投擲武器である手裏剣は、左腕の振り被る挙動、つまり実際の投擲挙動と同様に特定の移動距離、もしくは投擲武器を射出するに値する物理エネルギーを与える必要がある。
彼女は脇差を振る動作に投擲が必要とする動作をそれと判らない様に混ぜていたのである。
これは、小乃花の持つ奥義の一つである。
京姫は、槍を抑えながら滑りくる脇差を起点に、高く上げた槍の柄を持つ左腕が真横に開く様な軌道を描かせ腰元まで下ろした。
小乃花の脇差を起点としたことで、下方を向いていた太刀打ち部分と穂先は円の軌道を描きながら上がることになるのだが、それはそのまま手裏剣の進路を塞ぐ形になった。同時に脇差は槍の回転を受け、梃子の原理で攻撃の導線が外側へ外される。
跳ね上がった穂先は、そのまま小乃花の心臓部分へ吸い込まれた。
「初見の技を初見の技で返された。」
「私の家系に伝わる相手の刀を起点にする受け技ですよ。こちらこそ突きと共に手裏剣を投擲する技に驚きました。」
「ん。驚かせただけなのは残念。取り敢えず次も勝ってきて。」
「ええ。負けるつもりはありませんよ。」
何気ない会話に含まれていた言葉の中に、実質、京姫は優勝宣言していたことに気付いていない。
2156年5月14日 金曜日
今日は、Duelの決勝である。
その試合前には3位決定戦が行われ、小乃花が勝ちをもぎ取っている。
決勝戦。京姫の相手は、薩摩から来た野太刀自顕流の剣士、加賀美 至道。一撃必殺をモットーとした剛の剣を使う。
「初めまして。確か、昨年末にエゼルバルド騎士学院からマクシミリアンに交流会で来られてましたね。」
「ああ、始めまして。言葉は方言で申し訳なかじゃっどん勘弁してくいやい。交流会では会えもはんでしたが今日は、剣を交える事を楽しんにしちょった。」
「私もです。剛剣の源流、その神髄をお見せいただきたく。」
「世界の天辺と渡り合た技、オレに教せっくれ。」
ここは日本であるため、加賀美 至道は日本語で喋っている。彼は標準語が苦手のため方言である。
※加賀美が「始めまして」と挨拶したのは誤字ではない。彼は今後戦うことになるだろう相手に対して戦い始めですね、の意で使っている戦闘民族だからである。
『双方、構え』
審判の合図と共に、双方が構えに入る。
加賀美は、防御の意も含む「構え」と言うものではなく、攻撃の姿勢である蜻蛉を取る。120cmの刀身が蒼穹を突きさす様に切っ先が高く上がる。
対して京姫は、左半身の左自護体になり、腰の辺りに水平に槍を構える地ノ構えを取る。四股を踏む様な腰を落とした構えであるが、やはりパンツ丸出しの装備で見せる格好ではない。
『用意、――始め!』
開始の合図と共に、チエイッと猿声をあげ加賀美が飛び込んでくる。京姫は、野太刀の技がどれ程の威力を持つか知りたいがために振り下ろされた野太刀を大身槍の穂先に合わせる。
キュワンッと通常では在り得ない金属音が響く。加賀美の剛剣を京姫が威力を確かめてから巻き流したことにより生まれた音だ。
その音が消え去る頃には、二人は互いに距離を取って対峙していた。
本来なら、野太刀自顕流は次の太刀をすかさず斬り込む。一の太刀は必殺の気概で繰り出すが、相手の腕が立つほど一撃で決めきれないことがあるからだ。
しかし、それを行うのは危険だと背筋を走った冷たいものが加賀美を踏み留まらせたのだ。
二人が今の一交差で判った相手の技量について、似た様な印象を受けていた。
「(そがましか技だ。受けっから流されるなんち初めっだ。)」
「(凄まじい威力だ。まともに受けたら押し切られるな。流して正解だった。)」
京姫は、再び加賀美が気を練っているのを肌で感じた。
「(来るか…。)」
その瞬間、加賀美は遠間を一瞬で詰め、野太刀を振り下ろしていた。
京姫は槍の穂先でそのまま受け、野太刀の勢いを流されるまま槍に伝える。一見、野太刀に押し切られる様に見えているが、京姫は受けながら半歩後退し、野太刀の射程圏から外れている。
そして、野太刀の勢いが加わった槍を右手首を軸に縦方向に180度クルリと回す。その回転は、野太刀が切り戻されるよりも早く終えていた。
二太刀目が斬り下ろされるより早く加賀美の心臓部分を槍が貫いた。
「恐ろし技の数々じゃった。世界の天辺と戦うと言こちゃ何ちこっか、確と見せっ貰ろた。」
試合終に加賀美が残した言葉である。彼は、この試合から世界の強者と戦うために何が必要なのか量っていたようだ。
その証拠に、彼の顔には決意が見て取れる。
決勝は京姫が2本先取で勝利した。
全国大会優勝と言う快挙ではあるが、周囲の歓喜を他所に京姫自身にそれ程の喜びは見られない。何故ならこの勝利は、この先に待ち構えている者へ挑むための資格を得たに過ぎないからだ。
今回、京姫にとって最も収穫だったのは、宇留野御神楽流が古くから伝えている神事の技――相手の力に添え、その力を利用する防御を攻撃とする技――を技の中に繋げることが出来たことだった。
今まで通常の技から神事の技に上手く繋げられなかったものが出来る様になったのは、小乃花が言う通り技に心が追い付いてきたからかも知れない。
知らずの内に、精神修養を教導してくれたルーンに心の中で感謝を述べていた。
全国大会Duelの部は、京姫の優勝で幕を閉じた。
インタビューや諸処の手続きなどに時間を取られ、武道館を跡にするころには斜陽が生み出す光から黄昏時が近いことを感じる。
ふと、後ろを振り返れば、武道館の屋根の頂上で金色の擬宝珠が茜色に染まる世界で輝いていた。
『次の試合は武道館じゃん? 天辺にタマネギ乗ったトコ。そりゃ気合も入るっつーもんっしょ!』
「タマネギか…。」
兄の言葉を思い出しつつ、擬宝珠は葱の花だろうに、とクスリと笑みを零した。




