【閑話】京姫と五月晴れ ~京姫その3~
2156年4月30日 金曜日
本日は、都道府県各所でDuelの県大会決勝戦が行われている。スケジュール的に早めに終わらしている県もあるが、やはりDuelは花形競技であるために最終日を決勝とする県の方が多い。単純にその方が盛り上がるからだ。
そして、今回の最も注目されている対戦が始まる。
現世界最強からポイントを奪える騎士である京姫と「剣雄会」の名誉会長であり、長年に渡り全国大会の覇者である加納 壮剣の試合だ。
今まで放送規制がかかっていた加納大老の試合がトーナメント中の試合も動画で配信されることとなり、更には今回の試合で久方ぶりに中継放送されることでも話題になっている。
京姫と加納某。
対峙している二人は、どちらも負けられない試合ではあるが、心持ちは全く異なっていた。
片や自分の威信のために必ず勝つ必要がある老人に対して、京姫は積み重ねた技が出せれば良いと、凪いだ心を保っている。ティナの母ルーンから学んだ精神修養が良い形になって顕れ始めていた。
京姫が脇差のみで入場していることに観客もざわつく。いつもの大身槍どころか、他に武器を持ち込んではいないからだ。
「よくぞ、臆せず来たな。その褒美に我が流派の技を心行くまで刻み込むが良い。」
「はい。相対するは若輩者の技で恐縮ですが、加納大老の胸をお借りいたします。」
「良い心がけだ。巫女風情の技を見せるがよかろう。」
加納某は、愚かにも今この試合が中継放送されていることを忘れ去っている。だからこそ、変わらず横柄な態度を取っている。今までは放送規制をしていたことで場内にも会話が流れないのを良いことに、不適切な会話なども後から如何様にも出来ていた。それこそ、圧力を掛けたり嫌がらせをしたりと、表では会話などもなかったことにしていたのだ。裏では公然の秘密となっており、泣き寝入りするしかない若い騎士達も数々いたのである。
しかし。ここに来て過去の慣れから襤褸を出しているのに気付いていない。
『双方、抜剣』
ここで審判から合図が出された。この審判も剣雄会の息がかかっていない者が選ばれている。
シャンと音を立てて加納某が打ち刀を抜く。刀身は69.5cm(2尺2寸9分)の反りが1.8cm。安土桃山時代に加藤清正が履いていた名刀、加藤国広がモデルである。
対して京姫の備前国住長船七郎衛門尉行包作は、刀身は46cm(1尺5寸2分弱)である。
『双方、構え』
京姫は、相手の武器の長さなど関係ないと言う様に、平然と左半身で剣先を相手の膝に向ける逆下段の構えを取る。
加納某は、正眼に構えながら京姫の脇差を使った構えを見てニヤニヤと厭らしく嗤う。まるで自分の勝利は確実であるかの様に。
彼にとって、短い脇差で下段に構えるなど、当ててくれと言っている様なものだ、むしろこちらを勝たせるための技を用いる気の配りが出来るものだと評価をしている。
詰まるところ、加納某は日本一の剣豪であり、相対する若輩者が目上の者に対して勝ちを譲らねばならない暗黙の了解があった。今まではそうさせてきたのだから。
京姫の構えがそれに見えたのは只単にこの技を起点として決めるつもりであり、勝ちを譲る気なぞ一欠けら程も思っていない。
『用意、――始め!』
あの老人は胸を貸すとまで言ったのだ。巫女の技などと評したものがどの様な技であるか知っていれば出ない台詞である。宇留野御神楽流の本質は戦技であることを知る由もないのだろう。
京姫は審判の合図と共にゾーン状態に入っていた。遅速する空間と音の中で、無防備にも加納某の真正面に近付く。まるで切ってこいと言っている様なものである。
しかし、相手はその通りに受け取った様で、射程に入るや否や、京姫の顔面に向かって刺突を出す。
首を捻って躱した京姫は、一言だけ言葉にする。
「加納大老、手が滑られたのですか? 顔面は攻撃禁止の筈ですが。」
「おお、気に障ったか。これはお主が儂と戦える技量を持っていることを確かめたまでよ。あの程度避けられねばこの場にいる資格はない。」
尤もらしい言葉を使ってはいるが、反則である。意図して頭部を狙った場合は即退場である。しかし、京姫は審判に目配せして頷いた。かまわないから続けろと。
そして客席はどよめいている。今まで加納某の試合では音声は拾われることはなかった。しかし、今大会は違う。アナウンサーの実況などはないが本来の規定に則り、試合中の会話も動画配信や簡易VRデバイスへの放送でリアルタイムに初めから聞こえている。だからこそ、剣術界の大御所が一般に知られている姿と余りにもかけ離れているため、困惑を呼んでいるのである。
加納某は、右脚を蹈み込み、一度刀を上方に巻いてから京姫の右肩を狙い切り下ろす。本来は面打ちの技である。京姫は手本通りに動いてみた。左脚を左横へずらして身体ごと大きく開く挙動を取りながら下段の脇差を右の斜(剣先を後ろに向ける構え)に移行する。そして右に蹈み込みながら脇差を左上段へかむる様に円を描き、相手の右肩へ振り下ろす。
それに対応する様に、加納某は、左脚を斜めに蹈み込み、刀を左斜め上方へ傾ける逆霞で受ける。こちらも手本の通りである。
その様な応酬を何度か続けた。
さすがに、剣術界の大御所であるだけに腕は非常に良い。京姫も確かに上手いと唸らせられる。が、それだけである。単に剣術と言うものを良く知っており、この技ならばこの返し、という具合に型を知り尽くしていると言える。
ここまでは京姫も去年の段階で判っていたことだ。では、何故同じことを繰り返しているのか。
それは、加納某が持つ朧霞と言う得体の知れない技を打ち破るべく、技を出すのを待っているのだ。
去年であれば、この段階で既に1、2ポイントは取られていた。朧霞と併用される、いつ斬られたか判らない技。これを打ち破らねば下したことには成らないのではないか、と、この試合は1本捨てる覚悟で見極めることを選んだのである。
「(危なくならないと技を出さないのかな。確か去年は――)」
型として知られている技から変則し、軌道が全く異なる技に繋いだ。その時に朧霞を出された。
トンっと、京姫は一息に自分の射程へ加納某を捕える。
スッと音を立てずに剣先を上に肩口で柄を持つ八双の構えから、相手の右腕を掠め、そのまま剣先が下まで抜ければ手首を回して刃を上向きに胴を切り上げる。
――ポーンと、攻撃が成功したことを知らせる通知音の後に、ブーと、合わせて1本となった時の通知音が響いた。
第一試合が終わり、1分間のインターバルでコート控えエリアで今の出来事を思い返す京姫。
「(二太刀とも普通に当たったな。 何故、朧霞を出さないんだ?)」
「(もし次も出さないなら、決めてしまうか。私は私の戦いをしよう。)」
疑念が残るが、普段と変わりなく事を運ぶことを選んだ京姫とは打って変わり、加納某は表情こそ硬いまま平静を装っているが、内心は相手に対する警戒や恐れではなく癇癪だった。
「(糞! 糞! なんだあの技は! 出も判らん上、見たことがない!)」
「(儂の知らない技など剣術などとは認めん! 卑怯者めが!)」
Chevalerieは、武器を持って戦うルールが定められてはいるが、謂わば異種格闘技である。異なる武術とのぶつかり合いには当たり一辺倒の技では勝つことが難しい。技が全く異なる相手と剣を交えることを踏まえ、あらゆる術に対応出来る様に自らの技を組み合わせなければ勝てないのである。京姫は、いつもの様に、そういった技を使っていただけである。
「(ちっ! 癪に障るが様子見するしかないな。また訳の判らん技などを使おうものなら剣術界に居れん様にしてやる!)」
既に、そんな力など持ち合わせていないことを信じることが出来ない故に吐き出された台詞は、滑稽さを通り越して憐れに映る。
『双方、開始線へ』
インターバルが終わり、審判の合図で二人が再び向かいあう。
「加納大老、一つお伺いしたいことがあります。」
「なんじゃ。特別に聞いてやろう。言うてみろ。」
「朧霞は使われないのですか?」
その一言で沸騰したように顔が赤くなる加納某。怒鳴り散らしたいところを抑え、言葉を返す。
「ふん。お主に我が秘技を使うまでもない。」
「…そうですか。」
返された言葉は予想外であった。その言葉には欺瞞の欠片程も見えず。先程の局面を省みれば、朧霞を使わなければ凌げないことは目に見えて明らかだ。
ならば。
もうお終いにしよう。
淡々と審判の合図で脇差を抜き、そして剣先を相手の心臓部分へ向ける中段の構え、水月不動心の型を取る。
『用意、――始め!』
その合図が終わった瞬間。
京姫の脇差は、加納某の心臓部分へ突き刺さっていた。
ヴィーーと、1本取得を知らせる通知音が場内を鳴り響いた。
その音は、京姫が精神修養の師であるティナの母、ルーンの言い付けを果たした証であった。
――県立競技場出口を足早に進む一団が居た。
「加納大老! お話をお聞かせください!」
「宇留野選手と剣を交えた感想を一言!」「何故、秘技は使われなかったの」「今後の方針は…」
「加納大老!…」「BK新聞ですが、何か一」「ここ最近の剣雄会の動きについて…」「…て…に…」
取り囲んだ報道記者達をかき分ける様に、付き人にガードされながら唖然とした表情で会場を後にする加納某。送迎の車に乗るまで一言も発せず、目の焦点すら合っていない様にみえた。
その茫然自失の姿と共に彼の老人は翌朝の朝刊を賑わせた暫く後、日本全国を震撼させる事件が発覚するのだが。
加納某が自分の道場に戻る頃には正気を取り戻し、再び怒り心頭になっていた。
道場の扉を乱暴に開き、声を大にして怒鳴り散らす。
「糞! あの小娘! ただじゃ置かんぞ! 広沢! 直ぐに手の者を使ってあの小娘を捕まえてこい!」
「ああ、だめですよ。そんなことをしたら。誘拐は犯罪ですよ?」
その声は穏やかなれど、怖気がする全く聞いたことのない声だった。
「何奴だっ!」
「どーも、初めまして。私、国際刑事警察機構の花形、と申します。短いお付き合いですが宜しゅうに。そしてこちら、ご協力頂いた――」
「内閣情報調査室の川島と申します。」
身分証を見せられ何事が起っているか判らない老人は、二人の闖入者を瞳で行ったり来たりを繰り返して追う。
まずは川島と名乗った痩躯の男性が口を開く。
「あなたは国際犯罪犯として手配されています。証拠も数えるのが嫌な程取り揃えられています。身柄はまず警視庁で拘束となります。」
飄々としているがどこか冷ややかな言葉を放つ、花形と言う無精髭の男が言葉を続ける。
「はい、こちら捜査令状と逮捕状。あんた、敵に回しちゃならんヒトを敵にしちまったねぇ。」
首の後ろを掻きながら淡々と花形は告げる。
「あんたの知り合い、ほら弁護士とか警視庁のエライさんとか政治家とか。みーんな捕まってるから。それに――」
国際法に基づいて国家を跨いで裁かれるから。あんたがしたことはそれだけ重大だったってこと。
花形の言葉を最後まで聞いていたのか判らない程、血の気が失せた加納某は茫然と佇むだけであった。
国際刑事警察機構と内閣情報調査室が協力せざるを得ないと言うことは、政治的にも圧力がかかったと思われる。そして、国家間を跨いだ裁判など本来ならば在り得ないだろう。それを実現できる相手に喧嘩を売ったのだ。
後に、加納某と剣友会、および係わった者全てを相手取り、国際シュヴァルリ評議会本部が請求した賠償額から1800億円相当を支払う旨の判決が下された。
国際シュヴァルリ評議会が発足してからの過去30有余年に渡る経済的な損害、および騎士の人生を閉ざしたことに対する補償、国内の競技ルールを捻じ曲げたことによる社会的被害などを鑑み、本来は2800億円の請求額であった。
そして、彼らが過去に犯した罪状が問題だった。殺人、強盗、恐喝、暴行、脅迫から始まり、強制猥褻、人身販売や臓器販売など、刑法を最初のページから読み上げるが如く、大きなものから小さなものまであらゆる犯罪に手を出しており、稀に見る大事件となった。
余りの重犯罪に判決には国家間の刑法も持ち寄り、時効など成立させない苛烈なものとなった。
2156年5月1日 土曜日
雲一つない快晴。ゴールデンウィーク真っただ中である日本は、一般的には5月5日まで連休である。
もっともドイツに留学し、帰省している京姫には余り関係がなく、来週から始まる全国大会に向けての調整と移動に当てることとなるのだが。
朝一で新聞を取ってきた兄、規久がそれを見るなり楽しそうに笑いだす。
「ひゃっはっはっ、ちょっとミヤ! これ見てミソ! クソ爺の情けない顔ったら!」
先日、打ち倒した加納某が茫然とした顔を晒している写真が1面に大きく写っている。
記事タイトルが「剣術の大御所【常勝無敗】、ついに引退|カ?」と。カのところは丁度折り返しになっているスポーツ新聞の様な見出しだ。
それよりも、あの老人の二つ名が【常勝無敗】と言うのが兄が一際笑うポイントになっているようだ。
下品な笑い声を背景音に、写真を一瞥した京姫は、もう興味がなくなった様子。
「へーそんな二つ名だったんだ。一面に載るんだな。あっ! ちょっと、その下の記事! そのドーナツ屋の新製品の食レポ見せて!」
「んへ? ドーナッツ? オレはやっぱバームクーヘンがジャスティスだな!」
1面にドーナツ屋の記事が載るなど普通はない。芸能界の大御所がフラリと食レポをして記事を新聞社へ寄稿すると言う珍事からトップに躍り出たのである。
既に加納某の話題は、毛ほども出ない。彼らにとってはその程度の人物であったということが良く判るだろう。しかも京姫などはあの老人の二つ名すら知らなかったのだ。元から騎士としては興味がなかったんだろう。
「なに朝っぱらから騒いでんのよ。私は朝弱いんだから静かにしてよ、クソ兄貴。」
「そこはホレ、ニーニと呼べ!」
「キモッ!」
兄と姉、鈴埜で朝から軽いコントが始まっていた。
「姉さん、随分早いな。まだ6時過ぎだよ。」
「今日は東京に行くのよ。リニアの直通があればもっとゆっくりしてるわよ。」
「東京!? じゃあ、時間あったらコレお願い!」
新聞の記事を姉に見せる京姫。もちろんドーナツ屋の記事だ。
「へー。新製品か。時間あったら買ってくるわ。」
「よろしく、姉さん。」
「おはよう、鈴埜。珍しく早いじゃないか。」
「オハヨー、父さん。お出かけよ、お出かけ。じゃなきゃこんなに早く起きないわ。」
父が邸宅の敷地内で毎朝行う掃き清めが終わった様だ。神道に関わる家であるため、掃除にも儀式の様式があるのだ。
「それにしても、昨日は随分と手慣れてたな。京姫は。」
「父さん? うん? …ああ、インタビューの話か。ドイツだと結構あるし、ファンに囲まれたりもするからね。あの雰囲気は慣れた。」
「あらー、京姫ちゃんたらすっかり有名人ねぇ。お母さん鼻が高いわ。」
昨日、京姫にもインタビューや記者などが押し寄せてきたが、まだ全国大会に出れただけで先があるからと、体よく追い払いつつ、可能な限り勝ち続けるなどのサービス台詞を残したり、と対応は慣れたものであった。
その中で1社だけ少し赴きが違う話を持ってきており、TV放送のコメンテーター番組で騎士自体の特集をするが、騎士の立場でコメンテーターとして参加して欲しいと言われた。少し興味を引かれたので、渡された台本――この番組は進行スケジュールのみで司会者以外アドリブだが――を読み、内容が気に入ったら連絡する、とした。
「まだ、県大会だってば。これからだよ、面白い試合があるのは。」
日本にも、世界と戦うために技を練っている騎士が何人か存在する。それに海外留学組は、「世界」を経験しているため基本的に強い。
今回の茶番の様なことはあり得ないため、京姫は純粋に楽しみなのだ。
「すっかり戦う者の顔だな。京姫は。」
「そうかな?」
「そうさ。」
「お母さんは良く判んないわ。」
「次の試合は武道館じゃん? 天辺にタマネギ乗ったトコ。そりゃ気合も入るっつーもんっしょ!」
「兄貴、タマネギって…。」
次からが本番である。
全国大会は日本武道館で開催されるため、県大会の時の様に場所の変更はなかった。
欲を言うなら、県大会Aブロック決勝を戦った「浜崎 朱里」もこちらで戦えれば良かったのに、と京姫は少し残念に思う。
朝の空気が5月の陽光に暖められるのを肌で感じる。
遠くでヒバリがチュチチチピリリリと歌を奏でているのが聴こえた。




