02-016.裏山に登りましょう、でもそれはお仕事です!
2156年4月15日 木曜日
午後に入り気温も12度を越え、だいぶ春めいてきた。空には雲が多いが、日本で言うところの曇天ではない。この地域は標高が高いこともあり、雲が多くなることは日常的な風景のひとつである。
今日は野外でのスチルテストのため、カプツィーナ山に来ている。ブラウンシュヴァイク=カレンベルク邸から見て裏山だ。
集合はティナの家であったが、さすがに裏庭から直接山に登るには急斜面過ぎるため、邸宅正面のシャルモサー・ハウプトシュトラーセから西へ向かいリンツァーガッセに入り、左折して山道に入る。騎士装備での撮影は行わないため皆身軽であり、使用する機材も手荷物程度に収まるので徒歩で訪れている。
参加者は、本件のディレクターであるナタリーナ、カメラマンのテオファーヌとアシスタント2名、ティナ達三人娘の7名だ。ハルが一緒に行きたそうにしていたが、メイドのエレからティナはお仕事だと聞くや否や、いってらっしゃい、と元気に手を振りお見送りをしていた。この幼児、聞き分けが良いと言うレベルではなく、完全に切り替えた様に見える。まるでティナが武術を切り替えるが如く。もしかすると、姉と同じ才能を持っている片鱗かもしれない。
通常であれば、山頂までゆっくり歩いても1時間程で到着するが、途中途中で撮影しながらのため、彼女達の拘束時間は多めに取られている。とは言っても夕飯前には帰宅が済んでいる計算ではあるが。
入山して直ぐにある、カプツィナー修道院の前にて数点スナップを撮る。そして、修道院の裏庭が展望台の様になっており、ザルツブルク大聖堂、ホーエンザルツブルク要塞が一望出来る景観を背景に数点。
「あれ、お城ヨ。山の上にあるヨ。」
「さすが、世界遺産となっている街並みだな。なんとも趣がある。」
ザルツァッハ川を挟んで西側地区――大聖堂や城がある――は、ユネスコ世界文化遺産として旧市街が丸ごと登録されている。紀元前から岩塩の交易で栄えていた都市である。古いものではゴシック時代の土台にバロック様式で立て直された建物などの古い街並みがそのまま残っており、観光の名所である。
「表通りの賑やかさと裏通りの下町感がマッチして良い雰囲気を出しているんですよ? 明日にでも名所巡りをしましょうか。」
「それ、いいネ! 実家の近所は建物古いケド、街並みは新しいから新鮮ヨ。」
「ヨーロッパの古い景観はあまり見たことがないから楽しみだな。」
そのまま山道を進み、南側の中腹近辺で南部側の風景を入れて撮影する。街全体が17世紀後半を思わせるバロック様式風で建築している建物が多いため、街並みに統一感がある。だが、南側の建物は、なるべく景観を合わせているが新しいデザインが多い。特に比較的新しい住宅街などは、集合住宅は現代風を組み込みながらデザインされている。場所によって、僅かずつ街の顔が変わっていくのもザルツブルクの特徴である。
終着点である山頂に辿り着くと、現在はホテル兼レストランとなっているが、17世紀に建設されたカプツィーナ山側防砦がある。この建物の敷地内から北側を見ると街が一望できる。丁度、直下あたりがティナの自宅なのだが、この位置からは見ることは出来ない。趣のある砦を背景に数点、北側の風景を入れて数点程、撮影をする。
彼女達は、新製品のイメージキャラクターであるため、販促用初期ロットのヘッドフォンを付けたり外したりしながらの撮影である。
撮影が一区切りついた。実際、彼女達と歩きながら自然な表情なども撮っているので、数百枚程度の点数を撮影している。故に、山頂へ到着するまでに1時間半、そこから軽く撮影して更に30分程は経っている。今の時間で言えば15:30を過ぎたところだ。
花花は、敷地を囲う石塀の上で器械体操の平均台試技を熟しているかの如く、手と脚だけ塀に触れる前転や後転を鼻歌交じりで行っている。かなり機嫌が良い様だ。そして、石塀の上にピタリと立ち止まり、何気に下を覗き込む。
「この下、まっすぐ行くとティナのウチヨ! 帰りはチカイヨ!」
「透花ちゃんは、ここを降りていくの? いくらなんでも危ないわよ?」
「へーきヨ。このくらいなら緩い坂道ヨ。」
「いやいや、僕は絶対転がるよ。やる前から判るね。」
急斜面を指す花花。彼女は駆け降りるつもりの様だ。むろん、ティナや京姫の身体能力でも、急斜面と言えど、駆け降りるだけのスペックはある。しかし、何気なく言っている花花は、同じシュチュエーションどころか、もっと急斜面を駆け降りることに慣れている雰囲気を言葉から感じる。彼女は実家でどんな暮らしをしているのか気になるところだ。
「何を言ってるんですか、花花。あなた、スタッフ置いてく気ですか?」
「ソリ作ろうヨ! ソリならみんなと荷物乗って滑れるヨ!」
「却下だ、却下。スキーでもこんな傾斜は滑らないぞ? どう考えても事故が起こる。そもそも橇の材料はどうするんだ?」
「木、あるヨ? ホラ、いっぱい。」
花花が指差した方向は、南側のなだらかな傾斜に生い茂る林。皆、思わず見て閉口。
「私達、丸太に乗って下山するの? Wildnis過ぎないかしら…。」
「丸太に乗るなんて、まるで川下りだね。傾斜を見ると滝下りだよ。ハハハ、ハ…。」
「楽しそうヨ! ワクワクヨ!」
「いえいえ、花花。それはNeinです。更に言うと自然破壊は法的にも不許可です。そもそも乙女の発想ではありません。」
「えー。ダメカ? 良く滑りそうなのに残念ヨ…。」
「どう考えても途中で生えてる木にぶつかるな。それ以前に木を伐採する道具もないだろ。どうするつもりだったんだ?」
本気で山下りを敢行しようとしていた花花は、しょんぼり顔で京姫に目をやり信じられない方法を述べる。
「…点勁で打ち抜くヨ。このくらいなら折れるヨ。」
花花が広げた両手は30cm程を表している。どう考えても素手で何とかなる太さではない。斧かチェーンソーが必須と思われる直径だ。
ふいに沈黙が場を支配したのだが、それも頷ける発言である。
一般的な太極拳の五勁にある点勁は、読んで字の如く点による勁の発動である。
しかし、花花が言う点勁は、暗部から受け継いだ奥義の技であり内容が全く異なる。勁を相手の全身に作用させるのではなく、正に一点へ勁を集中させ螺旋を描き破壊を伴った力が前方から後方へ抜けていくのである。判り易く言えばドリルで穿つ様なものだ。木に放ったならば、勁が通った部位の繊維が破壊されるため、見た目は変わらない。但し、勁を通した部分より上を軽く押せば、壊された繊維部分からベキベキと折れていく。
チョット行ってくるヨ、と言いながら傾斜に飛び込もうとする花花を引き留めたり、側防砦の壁にある僅かな凹凸を引っ掛けて登っていく花花を捕まえたりと、賑やかで楽し気な少女達の様子に目を細め笑みが零れるナタリーナと、彼女達の素の顔をカメラに収めていくテオファーヌ。それぞれが充実した時間を過ごしている様だ。
「おや、なんだか賑やかと思ったら、フロレンティーナだったのか。」
側防砦のレストランから出て来た女性から声がかかる。おや、と振り向くティナの目には思わぬ人物が写る。
「あら、お久しぶりですねエデルトルート。お仕事ですか?」
その人物は、エデルトルート・リューベック。プロチームSalzfestungのリーダーであり、メインの戦場はDrapeauだが、個人のレベルが高いためDuelにも出場する。エスターライヒ全国大会で3位決定戦をティナと争った相手である。
「いや。イベント参加でオースタンが丸々潰れてね。今その代休中だよ。そっちは仕事みたいだね?」
「ええ。彼女達とスポンサードを受けまして。今日はスチルテストです。で、そちらの方はSalzfestungの副官ではありませんか?」
エデルトルートの後ろに控えめに立つ栗毛を肩で切りそろえた20代前半と見える女性。物静かではあるが、どこか几帳面そうな雰囲気を醸し出している。
「Grüß Gott、フロレンティーナ。私は仰る通りSalzfestungの副官、パトリツィア・リープクネヒトと申します。」
「これはご丁寧に。Duでよろしいですよ。」
「ありがとう、フロレンティーナ。こちらもDuで宜しくてよ?」
そう言ってニッコリほほ笑むパトリツィア。それでも生真面目な印象が抜けないのは、彼女の性質なのだろう。
ところで、彼女達が「Duで良い」と言っていたが、ドイツ語には「You」を指す言葉が2種類ある。家族や友人など近しい間柄ではタメ口である「Du」を使い、仕事や初対面などで敬語を使う場合は「Sie」となる。「Duで呼んでいい」とは、敬語はいらないよ、と言う意味である。
「仕事中なんだろ? 邪魔しちゃ悪いし私達はお暇するよ。」
「そうですか。お気を使わせてしまいましたね。」
「あら、こちらの仕事はもう終わってるから遠慮しなくていいわよ?」
ナタリーナから本日の業務終了のお知らせ。
「いいんですか? ナタリーナさん。」
「いいわよ。だって、橇で下山する相談中だったんだし。」
笑いを零しながらナタリーナは言い放つが、チームSalzfestungの二人は頭の上に疑問符が浮かんでいる状態だ。話が素っ頓狂過ぎるのである。
「橇? そんなサービスがあったのかい? 初めて聞いたよ。」
「いいえ。あそこの問題児がそこの斜面を駆け降りて帰ろうと言い出しまして。無理だと返したら木をへし折って橇を作ろうなどと…。」
「それは随分と豪快ですね。ふむ。発想が奇策向きですわね。彼女は確か…。」
「陳・透花ヨ! ヨロシクヨ!」
「話の腰を折る様で恐縮ですが、私も挨拶させていただきます。京姫・宇留野と申します。」
右手をシュピッと上げ元気よく挨拶する花花。京姫の丁寧にお辞儀をする挨拶がその太極に位置するのはいつものことだ。
「やあ、始めまして。エデルトルート・リューベックだよ。よろしくね。」
「初めましてお二方。改めてまして、パトリツィア・リープクネヒトです。」
挨拶と合わせて、各々握手を交わす。騎士同士であるため、試合同様に挨拶と握手はワンセットだと身体に染み込んでいるのだ。
他愛無い会話を交わしながら親交を深めていく。ティナの邸宅が側防砦北側の直下にあるとのことでここから帰った方が早いと熱演する花花に苦笑いで誰も同意しないのは、常識外の発言だからだろう。
お互いの近況などを話していく。実際、マクシミリアン国際騎士育成学園の大会動画や、世界上位に食い込むDrapeauチームであるエデルトルート達の動画も、大抵の騎士であれば研究も兼ねて見ていることが多く、且つメディアからの情報も多く出回っていたりする。だが、その本人達との話は動画などでは知り得ない情報に溢れていたり、実際の視点が異なる捉え方をしていたりと会話だけでも騎士にとっては値千金の時間である。
「今年の春季学内大会はホントに驚かされたよ。あの学園の試合、ヘリヤがいるから当たった騎士は大変だ。勉強にはなるだろうけど殆ど瞬殺だからね。」
「そうですね。それが今年は三人もアノ方からポイントを取った騎士が出たのは大騒ぎでした。ビール片手に。」
「それ、ヨッパライのつまみ扱いヨ! 大会中に店出すから買いに来てヨ!」
「賭けに負けたものはレッドプルのビール割り一気呑みでした。」
「それ、バツゲームじゃないですか!? 悪酔いしそうだ…。」
一頻り笑い、その声が小さくなったところでエデルトルートはティナに聞いた。と言うよりも、ヘリヤからポイントを奪った若手の騎士達と話がしてみたかったのだ。
「フロレンティーナは、やっぱり王道騎士スタイルが隠れ蓑だったんだな。【慈悲の救済】戦で暴露したけど。試合でエイルが驚愕の表情を出すなんて貴重映像だろうよ。」
「ほんとは予選ベスト8が勝てればポイント的には足りるんで、従来の王道騎士スタイルで姫騎士アピールして終わらす予定だったんですよ。エイルと当たったのが運の尽きでした。」
「内緒の武術ようやく出したヨ。橘子(蜜柑のこと)おいしそうだたヨ! 噛んだら甘いヨ! きっと!」
「花花、蜜柑味の鎧はないと思うぞ?」
緊張感のない花花の台詞はいつも笑いを誘う。彼女は意図せずに場の雰囲気を和ませる。まぁ、所謂天然なのだが、厳しい鍛錬を経た揺ぎ無い自信が心にゆとりを持たせているのだろう。
「君達二人もヘリヤに全力を出させたんだ。今年のマクシミリアンの大会は驚きだらけだったよ。」
「透花の試合も瞠目でした。本気を出したアノ方の技がスルリスルリと華麗に避けられる姿なんで初めて見ました。まして3試合まで縺れ込むなど、2年、いえ、3年ぶりくらいですわよ。」
「ホンとで戦うの技は美しいヨ。ワタシ、その体現者ヨ! でも、まだ攻撃繋げられなかたのが残念ヨ。」
花花は自分の技が華麗と評価され喜色満面だ。ドヤッと聞こえてきそうなくらいであったが最後は嗯嗯と眉根を寄せて唸っていた。
「京姫の立ち回りも見事だったよ。動画で見たけど技を出す気配が全く見えなかった。以前、仕事で会見したインドの達人と遜色なかったよ。」
「過分な評価、ありがとうございます。まだまだ達人とは比べものになりません。私は、ほんの入り口を覗いただけですから。」
謙遜は美徳などと言うが、京姫の言葉は、自身の奥底から出た事実を言っただけである。その証拠に少し照れ臭く笑みを浮かべ、真っすぐ前を向いている。その目は、遥か先へ辿り着こうとする決意が見て取れる。
エデルトルートとパトリツィアは次の世代が着々と育って来ていることを感じる。彼女達が近い将来、世間を賑わすだろうと。そして二人の視線が、今回一番大会を賑わした人物に向けられる。
「まあ、何と言ってもフロレンティーナの決勝戦だな。」
「そうですね。あれは驚愕と表現して良いかと。」
「ありがとうございます。ヘリヤからポイントが取れれば御の字でしたが、思ったより行けました。」
「思ったよりって…。ポイントどころかあのヘリヤから2本取ってたじゃないか。」
「軽くその上を行かれましたから。」
まるでそんなことは大したことではなかったとでも言う様に、笑顔で答えるティナ。実際、ヘリヤとの戦いは、本番である世界選手権大会への仕込みが目的であった。それが果たされた時点で既に結果は二の次となっていた。
「よくもまあ、あれだけの技術を隠し通していましたわよね。王道派騎士スタイルで名を馳せていたのに本当は別物だったのは驚きでしたのよ?」
「いえいえ。姫騎士としては、王道騎士スタイルの名を冠して頂いたことは本懐なんですよ? ただ、それが全てではなかったと言うだけです。」
「うーん、王道騎士スタイルと、あの独自の武術、どっちが本当の君なんだい? 武術のスタイルをスイッチで切り替えたみたいだったよ。」
「どちらも私ですよ? ただ、初公開でしたので、その武術の特徴を前面に押しました。切り替えたと見えたのは正しい意見です。」
ティナは、持っている技術は分け隔てなく使えると匂わせる言葉を出した。ハッキリ全てを混ぜて使える、と言わないところがティナの厭らしさである。
「今度の選考会はDuel部門が大変になりそうだよ。もう隠さないんだろ?」
「ええ。世界選手権大会まで温存するつもりでしたが予定が崩れましたので。なので、選考会は獲りに行くことにしました。」
「フロレンティーナは事も無げに言うところが怖いですわ。Duelに参戦していないことが幸せに感じたことは初めてですよ。」
「また戦えるのが楽しみだよ。もっとも初戦では当たりたくないのが本音だけどね。」
フラグですか、と顔に出さないが内心呟いているティナ。
笑いながら待ち遠しそうな顔で言い放つエデルトルートと眉をハの字にするパトリツィアが対照的だ。そのパトリツィアから一言。
「ところで、先ほどからカシャカシャと写真を撮られている様なのですが。」
「ああ、すまないね。僕はテオファーヌ。C-A.AGのカメラマンだよ。彼女達の素の顔が見れたからつい、ね。そちらの肖像権を侵害するつもりはないよ。」
公開はしないよ、とテオファーヌ。お詫びにと記念撮影を何枚か取り、データをチームSalzfestungの二人へ送信する。
さすが、プロのカメラマンだけあって、綺麗に撮ってもらったと喜ばれた。
「いや、だから木を折ろうとするな!」
「試しヨ、試し。1本上から落としたら滑る場所ワカリやすいヨ!」
「ちょっと透花ちゃん、折ったらダメよ。この辺りは許可がいるのよ。」
「…許可いるカー。うーん、残念ヨ…。」
いつの間にか林に立ち入り、手ごろな木に手を当て点勁を放とうとしている花花。
それを止める京姫とナタリーナ。
「…あれは何をやってるんだい?」
「丸太を橇と言い切り、ソレを作ろうと画策している問題児です。」
「そうなんだ…。君達は賑やかなんだね。」
「ええ。日常風景のひとつですよ。」
楽しそうでしょう?、と笑みを浮かべて言い切るティナ。
エデルトルートとパトリツィアの苦笑い。
その顔は困惑ですね、と内心面白がっているティナも大概である。
ルーチンあとがき
「ポイントを入れて作者を応援しましょう!」とかの欄にある「☆☆☆☆☆」
黒い星が★★★★★になるとウレシイですよ。
しかし、ブックマーク増えねぇなぁ。




