02-014.はじめてのスポンサードです!
2156年4月13日 火曜日 午後
午前中一杯を鍛錬に費やし、軽い疲労感を覚えるティナ。花花との組手に付き合ったのだが、体術は母親以外の相手、しかも他流の者との組手は久しくなかったことからか、知らずの内にヒートアップしていた様だ。
やはり、花花の体術は自分のひとつ上を行くと、改めて認識した。何しろ、最初から勁を封じたハンデキャップを貰っていい様にあしらわれたシーンが幾つも在ったのだから。
ティナは自分と比べ、やたら元気に弟のハルと遊んでいる花花に少し不条理を感じながらジト目を送る。次に京姫を見ると、午前中の精神修養からか、疲労が窺える。精神疲労は身体疲労に比べ、休息を取れば回復するとは限らないのが難点だ。スポンサー契約のスタッフ顔合わせに響かなければ良いが。
彼女達三人は、ティナの父親が経営する「Calenberg-Akustik .AG」、通称「C-A.AG」とのスポンサー契約をするため、迎えの車が来るのを屋敷で待っている。会社本拠地はザルツブルク駅から北東側のゼルハイマー川を越えたところであり、ここから歩いても30分程度なのだが。
「お嬢、迎えが来たよ。坊はこっちおいで。お姉ちゃんたちはお仕事に出かけるんだってさ。」
「ありがとうございます、エレさん。花花、京姫、出かけましょうか。」
「ほーい。ハル、またあとでヨ~。」
「ああ、行こうか。」
「いってらっしゃーい!」
弟とメイドに見送られて送迎車へ乗り込む。黒塗りの高級車で乗り付けるのは少し仰々しいと感じながら、社会的体面があるため致し方なしと受け入れる他ない。なにせティナは、社長令嬢であると共に公爵家の姫と言う立場上、公の仕事となればフラリと歩いて出向くなどはNGなのである。この辺りの決まり事をいつも面倒臭いと思いつつも、嫋やかな笑みを浮かべて微塵にも不満を感じさせないところは流石である。
そうこうするまでもなく、目的地へ到着した。正味10分程度の旅だ。
「近いな。」
「近いヨ。」
「ええ、近いですよ? それが、なにか?」
車の運転手にドアを開けて貰い、エスコートされながら下車する彼女達である。
「いや別に。」
「うん別にヨ。」
「そうですか。」
彼女達は無表情だ。
C-A.AG本社は、周囲の景観を壊すことのない中世ヨーロッパを彷彿させるデザインとなっている3階建ての建物だ。1階はロビーと音響設備を整えた防音ショールーム、プレゼンテーションルームになっており、2階から3階が事務所となっている。
ティナは、馴染みの受付嬢に挨拶をし、担当の呼び出しをお願いする。5分もしない内に担当が迎えに来た。
「ようこそいらっしゃいました、皆さま。私は皆様のスポンサー担当を受け持ちますルイーザ・キューゲラーと申します。」
ラフなパンツスーツに白いブラウス、栗色の髪をシニヨンに束ね、オーバル型眼鏡をかけた妙齢の女性である。
「お久しぶりです、フロレンティーナ様。そして始めまして、京姫・宇留野様、陳・透花様。」
「おひさしぶりです、ルイーザさん。今日はよろしくお願いしますね。」
「初めまして。京姫・宇留野と申します。本日は宜しくお願い致します。」
「はじめましてヨ。ワタシ、陳・透花ヨ! ヨロシクヨ!」
三人は3階の応接室へ案内される。この建物はエレベーターを付けていないので、来客も階段を使用して貰うようになっている。
8畳ほどの応接室には革張りの柔らかく腰が沈むソファーと、天板がガラス張りの造りが重厚なテーブルのセットとなっており、飲み物として出された紅茶の茶器が良く映える。
そこへノックの音が聞こえててきたため突然の訪問を受け入れると、社長であるヴィルフリートが現れた。
「やあ、二人ともよく来たね。ルイーザ、私も立ち会って良いかね?」
「はい、どうぞ。問題ありませんよ。」
契約書に目を通しながら、スポンサー契約の説明を受けていく。時にはヴィルが直接説明するシーンもあった。
一息ついた後、花花と京姫は、契約書の記入事項を書き上げていく。
「書けたヨ! これでイイカ?」
「私も書き終わりました。確認をお願いします。」
二人から書類を受け取り、一項目ずつ丁寧にチェックをしていくルイーザ。契約書を現地で記載して貰っているため、チェックは入念なものとなるのだ。
「はい、問題ありません。では国民ナンバーをお教えください。後程、契約情報を送信しますので。」
国民ナンバーとは、個人に付与される番号で、世界全体を通してユニークなものである。この番号に国籍情報や、その国の役所登録データ、保険、金融機関、ネットアカウント、果ては犯罪歴等、様々なデータが連携されており、職業履歴や所属、契約情報などの個人情報も含まれる。国民ナンバーと個人情報の紐づけは一部任意の部分もあるが、様々な公共サービスやオンラインサービスを受けるために必要なデータもあり、大抵の人は個人情報を全て登録している。
22世紀では、最もポピュラーな個人証明が行えるナンバーである。金融機関のキャッシュカードやクレジットカードも連携されており、特にネット接続用オンラインアカウントは全て国民ナンバー在りきとなるため、生活に必須であると言える。個人への送金なども、国民ナンバーに登録したメインバンクへ送られる仕様となっている。国民ナンバーひとつで、日常の生活シーンで必要となるあれこれをほぼ賄える。
偽造や不正対策のため、個人を特定する生体情報などを含めた高度なセキュリティ対策がなされており、規格も全世界共通となっている。
「そろそろ、製品スタッフと広報スタッフを呼んでいいかい?」
「はい。こちらの契約処理は終わりましたので、引き合わせをお願いします。」
ヴィルが内線で連絡すると、三人のスタッフがやって来た。
「彼らを紹介するよ。こちらの髭のおじさんが製品開発室室長のオットマー・アスペルマイヤーだ。彼は音響のスペシャリストだよ。」
「そして、こちらの彼女が商品企画部のナタリーナ・コペルティーニだ。今回発売するシリーズの統括をして貰ってるよ。」
「最後の彼が、広報企画部専属カメラマンのテオファーヌ・フォレだ。明日のスチルテストの撮影担当だ。」
三人を次々と紹介され、挨拶を取り交わす花花と京姫。
よろしくの、と武骨な手で握手をするオットマーは、頭に白いものが目立つ口髭を蓄えた壮年の男性だ。年齢的には、彼女達の祖父と大差ないように見える。
彼は、会社創立の際、カレンベルクから引っ張ってきた人材とのことだ。
ナタリーナは、長い髪を頭頂部に纏めている、少しふっくらした中年の女性である。大体、彼女達の母親より少し年下くらいだと思われる。
カメラマンであるテオファーヌは、背が高く、20代後半に見えるフランス人男性だ。OUI、NONが会話の中でもはっきりしているのは自分の考えをしっかり持っている国民性からである。
「まずは、今回発表するシリーズの製品を見ましょうか。」
そう言ったナタリーナに連れられて来た場所は、1階のプレゼン室だ。中央に備え付けられた会議卓は、中心に3DホログラムをAR表示できる様になっている。特に物販系の企業で広く採用されている仕様のものだ。そして壁には120インチサイズのフィルムディスプレイが張り付けてある。その両脇には会社の顔であるFLORENTINAシリーズから3way密閉式のフロア型スピーカー。スクリーンの下には真空管式A級パワーアンプが2台とプリアンプ、レコードプレーヤーとメディアプレーヤが設置されており、視聴ルームに準拠した機器となっている。
会議卓には、今回発表するシリーズ製品のエントリー機、ミッドレンジ機、最上位機の3種類がシリーズ毎に並んでいる。
コンシューマ向けブランドの『Hinunterfliegen Kamelie』【舞椿】。テーマは躍動。
プロフェッショナル向けブランドの『Teufel Prinzessin』【鬼姫】。テーマは静寂。
そしてハイエンド向けブランドの『Prinzessin Ritter』【姫騎士】。テーマは驚愕。
自分の二つ名がブランド名となっている花花は喜色満面なのに対して、京姫は照れ臭いのか顔を赤くして、ふわー、などと感嘆の声が出ている。
ティナは今更なので、いつもと変わらないのだが、デザインや素材も刷新されているため少し興味を引いた様だ。
「へぇー。【姫騎士】シリーズはリファレンス機の素材が木製なんですね。この素材は大型筐体でないと生かせないと記憶してましたが。」
「そいつはスピーカーと同じ木の若木を使っちょるのとハウジングの内側に秘密があるんじゃよ。」
「ほうほう。で、オットマーさん。その秘密はなんでしょう。」
「ダンパーの一部に陶器を使っちょる。これが若木と良く合ってな。新開発のドライバも素材に合わせてチューン済じゃ。今までの音とは一味違うぞ? 聞けばわかる。」
「なるほど。陶器とは冒険しましたね。視聴が楽しみになりました!」
花花と京姫には良く判らない会話なため、半分聞き流しているところだ。大抵の人にオーディオ機器について話を振っても理解されないだろう。それも特に女子には。
ティナの場合、父親の趣味がオーディオ関連であり、且つ職業にもしていたので、幼いころから身近な生活の一部であったことから詳しくなっている。
その後は、フィルムディスプレイや会議卓の3Dホログラムで製品の特長や売り込みのポイントなどのプレゼンテーションを受けながら、各ブランドのイメージを彼女達に伝える作業に費やした。
当然、製品を知らないよりも、製品を理解していた方が良い。CM作成時にスポンサードを受けている側の取り組みが格段に変わるためイメージが良い方へ転がることが多い。
ただ、スポンサードされる場合は、最低限の知識を得ることは当然のことであり、今回はスポンサー企業とのやり取りも初めてである花花と京姫へ、今後もそのことを意識させる様にするチュートリアルでもあった。
このチュートリアルはヴィルの発案である。娘の友人と言う手を伸ばせば届く位置にいる人物が、これから騎士として様々な契約をすることがあった場合、何も知らずに失敗することを良しとしなかったのである。
身内と認めたら過保護になる親バカと言えるが、彼女達には得難い経験となるだろう。
ちなみにティナは、この手のことにはかなり強かで相手から良い条件を引き出すことに長けており、ヴィルが親バカを発揮できなかった反動がここで出たのかもしれない。
なにしろ姫騎士さんは、父親の会社の他、下着メーカー、飲料メーカー、ドイツのお菓子メーカーの4社からスポンサードを受けており、今年の収入は80万EURを越える予定だ。春季学内大会での試合の結果、新たに複数のスポンサー企業から打診があり、現在は吟味中である。
現在、彼女達は各種ヘッドフォンを視聴中である。これは、実際の音色と使い心地を確認する意味合いがある。
視聴用アルバムはリッキー・リー・ジョーンズの「POP POP」。低音から高音まで満遍なく入り録音が非常に優秀なアルバムで、オーディオ機器再生時のリファレンスにもなりうる名盤だ。現在22世紀では著作権フリーではあるが、当時のマスター音源が残っており時たま再販される。しかもデジタル、アナログ両方で。
ナタリーナとテオファーヌは、彼女達の様子を自然な流れを装いしっかりと見ている。会話や表情、挙動などを一挙手一投足から、広告のイメージを作り上げるためだ。今、最も注目を集めることとなった次世代の騎士をブランドキャラクターに採用したのだ。製品だけではなく、彼女達のイメージを紐付けなければ、彼女達のネームバリューだけで商品を発売したと言われるだろう。だからこそ腕の見せ所である。
この会社、広告作成はアウトソースをせず自分達で作り上げる。今回のディレクターは広告代理店で幾つものCMを作ってきたナタリーナであり、演出にはテオファーヌも深く携わっている。事前に彼女達の試合動画やティナから日常の様子をヒアリングし、既にTVCM用には映像の長さ1分、45秒、30秒、15秒のコンテも切ってあり、スチルのレイアウトイメージも出来ている。後は実際の彼女達を見て全体イメージの過不足を修正するだけである。夏季休暇手当(日本で言う夏のボーナス)が支給される7月の商戦に向けて5月中旬には広告を出す予定になっている。
ブランド【舞椿】は、テーマを「躍動」としていることもあり、カナル型イヤフォンが中心で、ワイヤレスと価格帯が上となるリファレンス機はワイヤードのアナログ仕様となっている。
「ナンか、元気になるカンジヨ。」
花花の言葉通り、全体的にカラッとしたポップな音作りになっており、若年層をターゲットにしていることが判る。カナル型、つまり耳栓型なので音漏れもないのだが、この時代のカナル型イヤフォンは簡易VRデバイスや音楽再生機器と連携し、外部の音も特定周波数帯を拾える様になっている。もちろん、安全対策のためだ。
「面白い音作りですね。LAサウンドと合いそうですね、このドライバー。」
ティナの台詞が、マニアックになっている。
ブランド【鬼姫】は、テーマが「静寂」。言葉からは鬼姫と静寂がイコールで繋がりにくいが、京姫の試合は、剛の剣なれど動と静が使い分けられ正確無比で洗礼された太刀筋と立ち振る舞いで、静けさに例えられることがある。製品のイメージにはキャラクターはマッチしている。
「なんだか音がしっとりとする様だ。ヘッドフォンが違うだけで同じ音楽でも全く違う様に聞こえるんだな。」
京姫の弁は、製品特徴を的確に捉えており、中音部から高音部の伸びに重きを置いてチューニングされている製品だ。主にデジタル音源向けに性能を発揮する造りとなっている。スタイルはヘッドフォンタイプで、低価格帯はワイヤレスで小型のイヤーパッドが主流であるが、価格が上になるとレフト側から1本のワイヤードで機器と接続する様になっている。リファレンス機は耳を全て覆う密閉型となっており、こちらもワイヤードのアナログ仕様である。
ブランド【姫騎士】のテーマは「驚愕」であり、全てアナログ再生を目的とした仕様である。
「予想外です。空気の振動が再現されています。かなり低域が出てますよね、これ。周波数レンジもかなり広いようです。高域の伸びも相当出てますね。デシベル数が低くても明瞭で音の粒が際立ちます。ウーハーとツイーターが搭載されていると言われても信じてしまいそうです。なるほど、テーマが驚愕と言うのも頷けます。」
「いったろ? 一味違うって。どうだい、気に入ったか?」
「ええ、これはお見事です。陶器のダンパーが低域の振動を吸って表現力が加味されてるんですね、これは。」
「お? 判るか。やるなぁ嬢ちゃん。オーディオ評論で食っていけるぞ?」
ティナの会話は、オーディオに興味がない人が聞けば何を言ってるんだろう、何かそれに意味あるの?と言う感想が出ている。
さすが、ハイエンドなだけあり、原音忠実を目標に音の作りが高級スピーカー並みに拘って設計されている。その上で、自社製高級スピーカーと音色の特徴が一緒なのは匠の仕事であった。
この会社の製品、特にスピーカーは時代と逆行してアナログ再生に拘った音造りの製品をリリースしており、そこが受けている。
【姫騎士】シリーズは全てワイヤードで、LRのハウジングから1本ずつオーディオケーブルが出ており、如何にもケーブルと言うように太い。音を伝える時の線材は、太ければ音圧を、線材と数が音質に影響する。気楽に持ち出して聞くための機器ではなく、静かな部屋などで外音を遮って没入することに長けている。住居も迷惑になるため、中級機以上のスピーカーを無理して置くくらいならば、このヘッドフォンに切り替えて貰っても遜色がない、むしろ、高級スピーカーに喧嘩を売れるレベルの仕上がりと言える。
「ティナの会話が全く分からナイヨ…。」
「それは私もだ。」
「ははは、キミたちはそれでいいんだよ。音を聞いて思ったことを言えばいい。ティナはちょっとマニアックだからね。」
「解かりました、小父様。」
「そーするヨ、叔叔。」
「二人とも、どうだい? 我が社の製品は。」
「イイヨ! 特にコレ! 動いても外れないヨ!」
「私も気に入りました。音が柔らかいのに奥に響く。」
「ありがとう。予想以上の感想が聞けてよかったよ。」
「製品を知ることはブランドキャラクターとして自分なりのイメージが生まれるからね。それを期待しているんだよ。」
ヴィルは、態々言葉に出して補填した。この台詞が印象に残る様に。
そんなことは露知らず、ティナはオットマー爺さんと話し込んでいる。
「これが新開発のドライバーユニットですか。2way、もしくは3wayスピーカーとも戦えますよ。低域も25Hzくらい出てません?」
「さすが、良い耳してらあな。まぁ、値段も戦える金額だしな。そのくらいの音は出したいだろ?」
「やっぱり。特殊素材満載ですものね。音像の低位が後頭部中央じゃなくて耳より前なのが匠の技ですね。」
などとオーディオ談議に興じるティナ。途中から花花と京姫のことは父親に任せ、自分が興味を引いたことに傾注する。
やはり姫騎士さんは見た目とは裏腹に斜め上を行くのだった。
余談。
この時代の音楽ソースの主流は、デジタルデータである。メディア販売される場合も音楽ファイルとして提供され、CDなどの回転機器は高級オーディオを除いて殆どない。しかし、アナログ録音されたテープやレコードは結局消え去ることがなく、アナログオーディオも生き残っている。
特に、オーディオファンはアナログを好む傾向があり、需要もそこそこ発生している。故に、優秀録音音源のアルバムなどがレコードで発売されたりと意外と再生ソースは多い。
デジタルとアナログの違い。データとエネルギーと言っておこう。データは音の波形を階段状のブロックで表す。解像度のbit数を上げて小さな階段にすることで本来の波に近い様に音を表現するが、アナログは音そのものが再生されるため、波形は完全な波なのだ。この時点で構造が全く違う。
後はデジタルで可聴範囲外の音、例えば48KHz以上を音が聞こえないからカットするなどしているが、ジャズのトランペットは100KHzまで音が出ている。つまり音が聞こえないが空気の振動になっているのだ。空気その物の振動を録音されているのがアナログである。
ホントに効果があるのだろうか。
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あとブックマークとか増えないかなぁ。




