02-004.努力が報われない? その台詞、前提がおかしいです!
やべぇ、ストック尽きた。
2156年3月30日 火曜日
ローゼンハイムは、西アルプスを南側に臨む地域であり、標高の高い山々の影響で1年を通して半数が曇り空となる。半数と言っても曇りの日を数えてではなく、1日の半数が、である。
海抜、いや、この場合は標高であるが約450m程あることから、年間を通しても気温は低めである。夏場は非常に過ごし易いが、冬は厳しい寒さが長く続く。
だが、それでも東京の様に身体の芯から冷える寒さではない。(昔、流氷が流れ着くマイナス数十度になる地域から上京してきた人が、東京の寒さは異常だと愚痴をこぼしてた)
4月に近づき、聊か気温は上がったが、それでも最高気温は12度程である。
今、3限目の授業時間中である11:00過ぎ。外気温が8度と我々では真冬をイメージする温度だが、この地域に住まう者からすれば、随分温かくなってきたと感じるのだ。朝も気温がマイナスに落ち込まないからとのこと。
施設棟の3階、音楽室。ティナ達、騎士科2年生の2/3と騎士科1年生の半分は音楽の時間だ。この学園、自分が学ぶべき学科が不足していると感じたり、遠征などの公休で単位をやりくりしたい場合、他の教室で実施している授業などに自由に参加できる。
期間を通して定められた単位を取得しているならば、自分が伸ばしたい学科や再度受けたい学科などを別途受講することも自由である。
音楽の授業は、初めの20分から30分程度、音楽理論や楽譜の読み書きの方法、楽器や声の出し方などの講義となる。
残りの時間は、それぞれが演奏したい楽器を演奏したり、教員へ個別に質問したり等、自分のペースで授業を組み立てる。楽器や音楽のスタイル毎に様々なグループが出来、グループ内で演奏したり教え合ったりと、各人が自主的にやりたいことをするのである。講義による知識と経験は、音を楽しむことが出来る様に個人の間口を広げるための手助けに過ぎない。誰でも音を楽しむことが出来る。音楽と言う文字通りのそれこそが、この授業の本質だ。
ティナと京姫は、一緒のグループである。これは普段から仲が良いだけではなく、それぞれが扱う楽器の相性が良く、楽曲なども数多くあるからである。
では、彼女達のグループを見てみよう。
チェンバロを弾くティナ、アルトリコーダーの京姫、そして、グレートバスリコーダーを手に持つ、1年生のヒルベルタ・ファン・ハウゼンの3人だ。
「うーん、ちょっとFとFis(ファ#)がズレてますね。調律をお願いするべきか否か……」
二段鍵盤のチェンバロの調子を見るティナ。グランドピアノと同サイズであるため音楽室の隅を占有している。
京姫は懐に楽器を入れて温めている。木製の管楽器であるため、演奏時に割れや罅が入るのを防ぐためだ。室内は空調にて適温だが、楽器を仕舞っていたいた場所との温度差を考慮してのことである。
「学園に申請すればいいんじゃないか? 音階ズレを見つけたって言えば、調律してくれるだろう」
「いえ、このチェンバロ、私の私物なんです。さすがに学園にお願いするのは違いますから。なので(自分で)調律師を現段階で呼ぶべきか、もう少し音ズレが広まってからにするかを決めかねてるというか……」
「……自前なのか。それ」
「ええ。チェンバロなんて、普通の学校には備え付けでありませんから持参しました! しかし、半音ズレればジャズピアノの様にはならないのがチェンバロのツライところです」
「ふえー、こんな大きな楽器、お家から持って来たんですか。ティナさんスゴイです!」
キラキラお目めで素直に感心するヒルベルタ。彼女は背の低い母親の遺伝なのか140cm中程しかなく、何をやっても楽しそうな姿だ。コマコマした所作や明るく素直な受け答えが、小動物や妹の様な雰囲気を出しており、周りの空気を和やかに変えてしまう。同世代は元よりお姉さま方からも大層可愛がられている。
皮肉なども素直に受け取ってお礼まで言ってしまう元気な天然キャラである。クルミを与えればコリコリ齧りそうである。クセ毛がツンツンはねたショートカットの栗毛は、一層小動物感を醸し出す。
素直で皮肉も通じない性格と猪突猛進型のお騒がせキャラなのだが、実はテレージアと性質は同じなのである。が、ベクトルが違い過ぎるので別の生き物の様に見える。
「いえいえ、輸送は業者に頼んでますよ? さすがに自分の手で持てません。意外と重いんですよ?」
「そうなんですか! ちょっと持ってみたいです!」
はーいどうぞ、気を付けてね、と椅子から離れるティナ。うーん、うーんとチェンバロの下から持ちあげようとするヒルベルタ。あ、ちょっと持ち上がった。
「重いです!」
「ね? 専門の業者に運んでもらった訳が判ったでしょう?」
「はい! 業者さんはサスガです! プロの技です!」
重いものを運び込んだ業者に対して素直に感嘆するヒルベルタ。
クスクスと微笑みながらヒルベルタを見守る京姫は、さながら子供を見守る保護者の様である。
しかし、ヒルベルタを見守る者は大抵そうなる。
「さて、そろそろ音合わせをしてみようか」
「そうですね。時間も有限ですし」
「はい! 準備OKです!」
3人共、どちらかと言えば珍しい楽器を扱う。
チェンバロとは、ピアノの原型とも言える弦楽器で、弦をフェルトを巻いたハンマーで叩くピアノとは異なり、弦を爪で弾く仕組みとなっている。撥弦楽器であり、構造は違うがギターの仲間と言って良い。
ティナのチェンバロは、フランドル様式二段鍵盤で黒鍵と白鍵の色が逆になった61鍵のアンティークな造り。フットペダルはないためピアノより構造は簡素であるが、それでも重量が60kg程ある。
ちなみに、形状が似ている鍵盤楽器として、チェンバロ、ピアノ、オルガンとある。オルガンはペダルなどの操作で鞴を動かし、エアリード(固定の空気排出弁)が付いたパイプに空気を送り音を出す管楽器である。
リコーダーは、日本でも小学生時代に扱ったあの縦笛である。元々、16世紀から始まったバロック文化の中でチェンバロ同様に良く用いられた楽器だ。誰でも簡単に音を出すことが出来、熟達すれば様々な音色を奏でることが出来る。音がそれ程大きく出せる構造ではないため、18世紀後半から19世紀にかけてフルートに取って変わられたが。
京姫の持つリコーダーは、木製のアルトリコーダーで、バロック式(イギリス式)のアーチ型ウインドウェイ(息吹きこみ口)を持った本格的なものだ。ヒルベルタの持つグレートバスリコーダーも、木製の本格的なものである。
アルトリコーダーは、F管を用いるが移調楽器ではない。しかし、楽譜を1オクターブ低く読む必要がある。
移調楽器とは、例えば"ド(C)"音を出すとピアノの"ファ(F)"の音に当たる様に、音階の始まりである"ド"の位置が違う楽器である。
グレートバスリコーダーは、C管を用いているが、1オクターブ高くト音記号から読む必要がある。楽譜の最初に「ト音記号」を記載したことがあるだろう。五線譜にト音記号を記載した時、渦の中心に重なる線が"ト"すなわち"ミ(G)"音となる。同じ楽譜で演奏するときは要注意だ。
三人で、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド(C・D・E・F・G・A・B・C)と音を出す。次いで、ド#・レ#・ファ#・ソ#・ラ#(Sis、Dis、Fis、Gis、Ais)と半音を鳴らし、音調を整える。
周りでは、少し距離を空けて別グループの奏でる音がする。讃美歌を謡う者、民族音楽を奏でる者、電子楽器系のバンドを組んでる者と様々であるが、それぞれが他の音を雑音などとは捉えない。祭りや街角で演奏するのに他の奏者を止めてから始めるわけではないだろう?それと同じだ。
「それじゃ、どの曲にしましょうか」
「うーん、これを!って言うのは特にないな」
「はい! テレマンのソナタ ハ(C)長調にしましょう! この間、練習しました!」
手を上げながら元気に発言するヒルベルタ。
「そうですね。ベルが練習した成果を確認しましょうか」
「ああ。その曲なら私も演奏したことあるから問題ない」
「やった! ちょっと待ってください! 楽譜、楽譜!」
ペラペラと楽譜のページを探すヒルベルタ。彼女は愛称がベルであるため、以降は愛称にて呼称する。
「準備出来ました! どうぞ!」
この曲はリコーダーのソナタであるため、京姫が音頭を取ることになる。
京姫はリコーダーに指を添え、スウッと息を吸い込む。それが演奏開始の合図だった。
1年以上、まじめにリコーダーを練習すれば、なかなかの腕前になれる。小学校で音楽の授業に使う楽譜ではなく、ちゃんとしたリコーダー用の楽譜で練習した時の話ではあるが。
チェンバロの金属が混じった高い音、黒檀で作られたアルトリコーダーの際立つ響き、全体の低域を締めるグレートバスリコーダー。三人とも中々の腕前である。
続いて、同じくテレマンのソナタ イ(A)短調、ヘンデルのソナタ ニ(D)短調と、外から見ても彼女達が楽しんでいることが判る。もっとも、ヘンデルの曲は指回りが早く難しいものなのだが。
やいのやいのと次々に曲を奏で、バッハの曲でフルート部をリコーダーに変調したチェンバロ主体の曲をチョイスするなど、彼女達のレパートリーは中々広い。
ティナなど、バッハのチェンバロがメインの曲では鼻歌交じり。そして独特のテンポで躍動感溢れる演奏となり、グレン・グールドの影響を多分に受けていると判る演奏を披露する。
側のグループが途中からセッションに参加して来たりと、時間一杯まで各々が創り出される音を堪能した。
「おもしろかったです! またやりたいです!」
元気いっぱい楽しそうに語るベルと、その話を優しく見つめながら聞き入るティナと京姫。
彼女達は今、授業の流れそのままに、食堂へ昼食を摂りに来ている。
ほっぺにパン屑を付けながら身振り手振りを加えて喋るベル。
「ほら、頬っぺたにパン屑が付いてるぞ」
そう言いながらベルの頬へ手を伸ばして取ってやる京姫。
ベルの動きが止まる。そして、ショボーンと擬音が見えるであろう程、表情が暗くなる。
「すまん! 触られるのが嫌だったのか? 申し訳ないことをした!」
京姫は、その様子に慌てて謝罪をする。
「――違うんです。京姫さん。ちょっと国の道場で姉弟子が言ってたことを思い出しちゃったんです」
ちょっと辛いことがあっても直ぐ、いつもの様に明るい笑顔を振りまくベル。
そんな彼女が思い出しただけでここまで表情に陰りを生んでしまうなど、一体何を言われたのだろうか。
これは立ち入らなければならない案件と判断して、ティナと京姫は目配せをし、双方が頷く。
「あらら、ベル。どうしたのですか? あなたらしくないですよ。何か心に溜めてるのなら聴いてあげますよ?」
「そうだぞ。ここには私達二人がいる。大抵のことはしてやれるさ。話せばスッキリすることもある。私達が頼りになるかは別だがな」
京姫は最後に少しおどけて見せる。そして、話し出してくれるまで二人は声も出さず、ゆっくりと待つ。
どれ程の時間が経っただろうか。長かったやもしれないし、短かったやもしれない。
ベルはややあってポツリポツリと語り始めた。
「今年の全国大会州予選でした」
ベルはオランダ王国の国籍を持つ騎士だ。オランダは格闘技が盛んで、日本の武道なども数多くの道場がある。彼女は京姫と流派は違うが、日本の剣術道場に所属している剣術使いである。
私、ベスト4に入れたんです!と、ベルの話は喜ばしい始まりであったが、段々と言葉が暗くなっていく。
4つ上である仲の良い姉弟子が「ほっぺを撫でて喜んでくれました!」との言葉から、京姫が頬に手を触れたことで当時を思い出した様だ。
姉弟子は、その大会予選ではベスト8の成績しか残せなかった。ベルのベスト4入りは心の底から祝ってくれて終始笑顔でいたのだが、気付けば一人姿を消していた。彼女を探し、遠くに見つけたときは酷く落ち込んでいたらしい。そして聞こえてくる絞り出された言葉。
――後どれほど努力すれば報われるのだろう――
魂が悲鳴を上げて先を見失ったように聞こえた。
ベルは声をかけることを躊躇い、その場を立ち去るしかなかった。
後に合流した時には、姉弟子はいつもの様に笑顔で優しくあったが、それ以来、時たま心在らずになることを屡見掛ける様になる。
その姿を見るたびに、あの時に聞いた言葉が思い起こされる。
「わたし、努力とか良く判らないんです。だって、修行で辛いときがあっても、勝っても負けても全部楽しいんです!」
探るようにベルが俯いた顔から目線を寄こす。
「どうすればいいんでしょう。なにを言ったら喜んでくれるんでしょう」
そう言って、今にも泣き出しそうな顔で視線も伏せるベル。自分は好きな剣術を心の底から楽しんでいるため、姉弟子の気持ちは言葉では判っても心が理解出来ずにいる。だからこそ、途方に暮れている。
ベルは、他人のことを自分のことの様に心を痛める娘であった。ティナと京姫は、自分の娘が良い子に育ったと思う母親の気分でベルを優しく見つめる。彼女達は年の差が1つしか離れていないのだが。
件の姉弟子にとっては、ちょっとデリケートな問題になるのだが、ティナはバッサリと行く。
「その姉弟子さん、Chevalerieは向いてないのやもしれませんね」
いきなりの否定的意見に、ベルもビックリして目を見開き、口を開きかける。
が、京姫の眼差しで、まだ先があるから聞きなさいと言うようにベルは止められた。
そしてティナが言葉を続ける。
「努力については、様々な解釈があると思っています。でも敢て言わせてもらいます」
珍しく真剣な面持ちのティナ。その視線は、パチクリと目を瞬いているベルの瞳を見つめている。
「努力した結果が報われたいなんて、前提が間違ってます。努力は決して、報われる類のものではありません」
彼女の意見とは少し違うが、私は努力と期待と言う言葉が、同じ構造を持っていると考える。それぞれ結果が必ずしも良いとは限らないからだ。
故に、目的に対して結果を求めてはならない物だと考える。その行為だけで完結しているのではなかろうか。
個人的な主観はここまで。話をティナの主観に戻す。
「私は、チャンスが訪れた時、確実にそれを掴むための力を蓄える。それが努力することだと思っています。それでも届かない場合は、まだ蓄えが足りていないだけです。ならば、届かせるためにどんどん蓄えていけばいいのです」
ここまで語り、ひとさし指を上に立てるティナ。
「それが苦痛だと言うのなら、到達する先は自分が目指している場所ではありません」
だから向いてないと言葉にした。
ティナは、そこまで言い切って、一つ息を吐いてから言葉を繋げる。
「聞いてごらんなさい。Chevalerieは楽しいですか、何になりたいですか、と。それが答えです」
自分が何を目指して騎士になったのか思い出せと。
京姫がティナの言葉を継ぐ。
「高みを目指すなら自分で進むしかない。人に言われて熟すだけでは決して届かない。自分の意志で一つずつ積み重ねるしかないんだ」
そこまで声にしてから目をつむる京姫。自分の今迄を振り返っているのだろう。そして、一拍置いてから見開いた目には、確かな決意が浮かんでいた。
「ほんの僅かにでも進めるのならば私は迷わず積み重ねる。たとえそれが無駄になったとしてもね」
少し照れ臭そうにはにかみながら言葉を終う。
結局、自分自身で解決しなければならない。ただ、言葉や態度など、そのきっかけを他人が手助け出来ることもある。
ティナ的には放置安パイと思っているが、さすがに言葉にはしなかった。進むも退くも自分自身で決めることなので、結果がどう転ぼうと全て本人の責任だ。
今回は、姉弟子のために心を痛めるベルに対して、真摯に受け取り答えただけだ。
「よくわからないけど、わかりました! 今度、聞いてみます! 何になりたかったのか」
不安が残る回答だが、再び笑顔が戻ったため、とりあえずは良い方向へ納得してくれた様だ。
ベルに騎士として目指すものは何かと訪ねれば、「わたしは、お侍さんになりたいです!」と元気な答えが返ってきた。
まだまだ続く姑息なお願い。
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