【改】01-020. 竊盗と武将、蝶と鬼です ~京姫~
----------------------------------------
20251105 改稿
一回戦試合コート四面第二戦。
ティナ達の試合が終わり暫く経ってより始まった試合で、京姫は絶賛苦戦中である。
その剣戟は避けること儘ならず、相手の刃は、剣筋を立てた刃で緻密に受けざるを得ない極度の集中状態が繰り返されている。受けを物打ち付け根から僅かでも外れるならば、あっと言う間に刃が欠け、刀を折られて仕舞う。刀の特性を熟知しており、斬り合うよりも武器破壊を優先する技法を使われているからだ。
その相手は同郷で寄宿舎も同室の騎士科四年、神戸 小乃花。
京姫繋がりで、ティナや花花とも交流がある。
二人は言葉に出さないが、「本来の戦い方をされたら非常に厄介」と認識されている。
小乃花は、南伊賀流棟梁の血筋を深く継承しており、陰忍の技を多く使う竊盗である。隠忍とは敵拠点への侵入や情報収集、破壊工作などを受け持つ。時には暗殺なども含まれる。
彼女は隠形に長けており、派手な服装だろうが人混みに紛れ込んでも気付かれない一流の認識操作術を持っている。俯瞰した視点で気配を探知し、呼吸と目線を盗み音もたてず容易く死角を取る。
大抵の騎士達から対戦を避けたい相手として名が挙がる内の一人だ。
京姫は、大身槍で今の彼女を相手に出来るのか悩んだ。大身槍が持つ遠間からの攻撃と薙ぎで広範囲をカバーする戦術を軸に考えるとすれば。
距離の有利性はあるが、小乃花相手に懐を許せば間違いなく主導権を握られる。此方の攻撃不能位置から良いようにされて仕舞うだろう、と小難しく考えた。
そして導き出した結果、今回の武器デバイスを太刀としたのだ。
太刀 銘 来国光。戦乱の折り、歩立戦や一騎打ちが多くなり、太刀はより扱いやすい打刀の長さへ茎から切り詰められた。この太刀は磨上げ茎と言う手法で、細身の刀身を特徴とする。刃長二尺二寸九分三厘五毛(六九.五糎)、反り六分六厘(二糎)程の太刀で、作刀は鎌倉時代後期。京姫は、黒漆太刀拵で鞘と柄を拵えている。
打刀として磨上げされてはいるが角帯に差すのではなく、あくまで太刀の扱いをするために佩いている。
余談だが、 来国光は大磨上げで無銘となったものを含め、複数現存する。
そして副武器デバイスに何時もの脇差、備前国住長船七郎衛門尉行包作を差している。
「(……まだ心が危うい、か。今回だけでは切っ掛けが足りない)」
ボソボソと呟くように小乃花は内心で嘆く。京姫が太刀を持ち出したことに、だ。
京姫の実力は既にトップレベルである。刀術どころか主流となる武器術全般に優れ、獲物を選ばずに戦えるのも強みだ。
しかし、この場面に於いては自身が最も得意とする大身槍を選択するべきだった。
二年近く同じ屋根の下で過ごしているから良く判るのだ。
この後輩は古くから続く武家出身なだけあって驚く程、技の深いところまで受け継いだ強さを持っている。その反面、自分の本質を認めて仕舞うことへの恐れと、それを受け入れきれない心の弱さが奥底に隠されている。
それが顔を覗かせる時は決まって不安が焦りとなり、自信が揺らぐ。戦術としてではなく、相手に気後れして武器を選んで仕舞うのだ。本人は意識していなくとも。
予選時のテレージア戦。自身の全てを疑わず、のびのびと自由に戦うテレージアに当てられたのだろう。それに引き摺られ京姫も大身槍を存分に揮う、何時もの京姫であった。
試合を終え、常に前を向くテレージアと自分を重ねて仕舞ったのだろう。試合中は吹っ切れたていたのに、どうせ後から「このまま進むのが正しいのだろうか」などと小難しく考え始めたに違いない。更に、この試合を勝ち取ればヘリヤと当たる事実に追い打ちを掛けられたのだろう。
小乃花が知る京姫は、そう言う娘なのだ。そんな兆しも見せずに変わらず明るく振舞ってはいるが、ティナと花花は察しているだろう。彼女達も京姫の弱いところに気付いている節がある。理解をしてくれる友を得た京姫は幸せだなと小乃花も思う。
だが――。
大身槍を自身の一部として奮う姿こそが京姫なのだ。
全てを乗り越えるには、そこから始めるべきなのだ。
だのに不安が先に立ち、その姿を縮こまらせているから太刀を持ち出したのだ。
幾ら強くとも、まだ今年一四になる少女なのだ。完成には程遠く、迷うことも多々あるだろうことは仕方なし。だが、それを戦場に持ち込んではならない。
自立を促す教育制度と食生活が改善された現在、一〇〇年前と比べ身心が早熟傾向にあろうとも個人差はどうしても存在する。
ましてや竊盗のように精神を重点的に鍛える法など、裏稼業に深く携わる流派でなければ殆どない。大抵は、流派の鍛錬で経験を積み、少しずつ成長を促すものだ。
「(言葉では伝わらない。剣を交えて少しずつ武を持って語るしかない)」
小乃花が鍛錬を積み重ね、今なお練り続けている隠形は、容易く間合いを支配する。
距離の錯覚、時間の遅速。遠間に居ると見せた姿を印象付け、気配操作で自身を空間へ溶かし、意識の外側から接近する小乃花。
外から見れば、普通に歩いているだけだが、実際に対峙している相手からは、いきなり目の前に現れたかのように映る。呼吸と視線、意識の隙間も利用し、正面の死角を突いて接近して来るのだ。
京姫が対応法をまだ完全には修得出来ていない技能である。
だが、認識の齟齬を正す法は京姫も修めている。が、それに掛かった一瞬の時間は、下方から跳ね上がる小乃花の脇差で、太刀が傾き平を見せた瞬間に斬り抜く直前までの猶予を与えていた。
正に間一髪。京姫は左股関節を引き、体軸ごと左にずらすことで小乃花の脇差が空を斬り裂き駆け抜ける。そこへ斬り返しを防ぐため、太刀にて脇差へ鍔迫り合いを仕掛けた。
ところが小乃花は、物打ちで一瞬受けてスルリと退る。追い駆ける挙動へ入った時には一手で届かない距離を取られる。
「(やはり小乃花は凄いな。あっと言う間に懐へ入られて、一合後にはもう届かないところまで退かれた)」
「(やはり京姫は精彩が欠けてる。普段なら簡単に刀を狙わせないし、逃げをうつ前に追撃する。その差を気付けてない)」
京姫と小乃花。
たったの一合。されど一合。
二人は全く反対の意味で捉えていた。
「(余りよろしくない。少し荒療治。せめて何時もの調子に戻って貰う)」
小乃花は、この第一試合での立ち回る意図を定めた。
Chevalerieは単なる競い合いではない。
成りたい自分を表現する本質がある。だがそこには、国境や思想を超え、互いに認め合い尊重する場であれ、との願いが込められている。人種や性別など関係なく。人として学び、高め合うこと。勝敗よりも大事なことを知って貰う。それが競技理念にある。
然し、今の京姫と戦うのは小乃花が納得出来ないのだ。
余計なお節介ではあると自認している。だが、彼女は一緒に暮らす可愛い後輩なのだ。進む道を迷うなら、先達として少しくらいは標の糸口が見えるように灯させて欲しい。
京姫は生真面目が逆に枷となり、内に抱えたものを自分だけで解決しようとする。他人を頼らず、誰かへ相談するなど初めから認識に無い不器用さがある。それは良くも悪くもと言ったところで、直ぐに解決する問題ではない。だから「せめて」なのだ。
彼女が大身槍を奮う時の楽し気な心持ちを思い出すように。
一合ずつ剣で語りかける。
「(今暫し、竊盗の謀り御覧じる)」
スルスルと小乃花が間合いから離れて行く。浮身の縮地法と神戸一族が代々練って来た歩法を組合わせ、音もなく円の軌道を描き始める。彼女はヒットアンドアウェイの戦法を基本とし、精密な気配察知と隠形を操り、死角から突然現れる戦術が常道手段だと今は広く知られている。何せ、世界選手権大会でもこのスタイルを貫いているからだ。
京姫は、円に対して点の移動にて小乃花と正対するが、その朧げな気配に惑わされている。直ぐに対策へ出ないのは、思考が霞を掛けているのだろう。悪いところが出て仕舞っている。小乃花は、それを少しずつ解すように立ち回る。
幾ら迷いがあろうとも、京姫の強さは本物だ。いざ戦うとなれば、感情で振り回されることなく身体は染み込んだ技術を遺憾なく冷徹に発揮する。ただ、多少なりとも影響は出る。今が其れだ。
然し、その強さ故に誤差の範囲内なのだ。この状況でも勝って仕舞えるのが京姫だ。だからこそ、中々に気付けないのだ。
ならば小乃花も何時通り相対するのである。違うとすれば、刃で語るためだけに技を奮う。
小乃花は時計回りの軌道から同じ動きで遅速を仕掛ける。気配を移動より先に出す、或いは遅らすことで、実像とズレを造るのだ。実際に速度の変化はないが、相手は進む速度に緩急を見て取る。対峙しなければ何が起こっているのか判らない技術だ。
時計回りは、右利き相手の利き腕外側へ常に移動する。武器を振らせない有利な位置取りを取り続ける手ではあるが、現実的には大回りな円軌道に対して、相手は点の移動で追従する。攻撃を受ける時には既に姿勢が整っているため、武器云々に対する不利は殆どなくなる。然し、其処へ気配操作による位置の欺瞞が入れば、相手へ判断を強要する。瞬き程の時間ではあるが、近接戦にとっては一手遅らされる。有利から不利の変貌は蛇蝎の如く。
見せかけだけの遅速ならば、速度を逆算して当て推量で攻撃も可能だろう。だが、それこそ小乃花の術中に嵌まり、仕掛けられた罠に自ら飛び込むこととなる。過去、そうやって沈んだ騎士は何人も居た。それ以来、迂闊に仕掛けるは愚策、と警戒されている。
警戒の上でも小乃花が恐れられる理由。
「(っ‼)」
京姫の意識外から来た強襲。ギリギリ対応を間に合わせた。冷汗が一滴流れる。
彼女は一瞬たりとも小乃花から目を離していない。だのに遠間に居た筈の小乃花は、間合い深くに斬り込み、隠していた刀身を斬り上げていた。
隠形と気配操作で、相手の予想を欺く一方的な浸食。
これこそ騎士達が小乃花を恐れる理由。
ポイントを捨ててでも待ちからの反撃に策を練る者も多い。
寧ろ、浸食からの攻撃に対して、即座に太刀の物打ちで刃筋を立て受けきった京姫の技量が群を抜いて高いと証明された瞬間だ。何度も小乃花の攻撃を真正面から受けきっている姿を外から見れは。
「(ふむ。さすが京姫。しっかり受けてきた。でも未だ腑抜けてる。次で目を覚ましてもらう)」
京姫が内心驚いただろうことは刀を通じて伝わった。しかし此方の仕掛けにいい加減気付いてもらうため、小乃花は締めくくりの準備に入る。
元より刀は斬ることを目的とし、武器同士で搗ち合うことを目的としていない。彼女たちの刀は実戦刀として拵え直したデータであり、重ね(刀の厚さ)が厚く、打ち据えが出来るよう、頑丈に造り直されてはいる。
然るに、戦場での刀はあくまでサブウェポンであり、主で用いるものではない。その点は騎士剣も似ているが、構造思想と製鐵法が違うため強靭性を持つ。刃の理想角度が四〇度と厚く造られ、ある程度の殴打にも耐えられる西洋剣と搗ち合うには、刃が薄く鋭利な刀では聊か弱い。刀を主に戦うのであれば、裸剣術こそ最も効果的な武器である。
その特性を加味し、正面から騎士剣相手をする戦法として見せているのが小乃花の隠形を軸にした一撃離脱スタイルである。
だが、刀を扱う者同士として見た場合、純粋な剣術の技量は京姫が小乃花を上回る。
神戸一族の刀術は、竊盗が使う技術効果を併せて組み上げるため、剣士として戦う前提ではないからだ。
一般的に刀で戦う場合、基本は回避前提だ。避けられない時は鎬で流すか刀で受ける。受けに刃筋を立てても、場所によっては刃が欠け、時には折れることすらある。故に受ける時は、物打ち部分の付け根、僅か数糎程を使用する。刀自身へ一番ダメージを受け難い箇所だからだ。相手の技量が高ければ尚のこと精密に受ける必要がある。それでも受けを前提で斬り合う代物ではない。
だからと言え、京姫の斬撃は回避を許すほど甘くない。それは小乃花の剣筋も同様だ。
故に、何度も刀で受ける様相を繰り返した結果が今だ。
小乃花が刀にダメージを負いながらも執拗に武器へ攻撃を仕掛けるのは京姫へ問うたメッセージ。
そうじゃないだろう、と。
「(何故なんだろう)」
京姫は試合が進むにつれて、小乃花の行動に疑問を抱く。
小乃花ならば、同じ手を愚直に繰り返す筈もない。
繰り返される攻撃は、白地に太刀へ向けられていた。
確実に獲られる流れを造り出された時でさえ、態々太刀で受けさせる。
同じことの繰り返しは問いかけだろう。
何を語り掛けているのか。
「(私は……本当に察しが悪いな)」
京姫は刃で語る言葉へ答えられない自分に辟易する。
小乃花とは、ほぼ毎日寝食を共にしてるのだ。
その彼女が言葉ではなく刃で語るならば、それは武の道に他ならない。
「(多分、私は何かを間違えている……のか)」
丹念に一合ごと語り続けてくれている。
此方が察するまで付き合ってくれている。
小乃花へ報いるには試合に勝つ――ことではない。
京姫自身が問い掛けに気付くことだ。
だから、次に来るだろう一合は心で向かい合う。
透き通る川面のように、それでいて切り裂くような空気の中。
近づき離れを繰り返す小乃花は、フワリと優雅に舞う蝶の姿そのものだ。
競技者紹介で謳われた二つ名がそれを表わす。
――『西側選手はヒラヒラと舞い踊る蝶の如く! 二つ名【烏揚羽】、騎士科四年日本国籍、小乃花・神戸!』
小乃花の二つ名【烏揚羽】は、彼女の衣装と戦闘スタイルから来ている。
その姿は。
黒髪をショートボブにカットし、鉢金型簡易VRデバイスを額に。目じりは少し吊り気味だが顔が丸みを帯びているため、可愛らしい印象を受ける。若く見える東洋人でも更に歳若く見えることだろう。
装備は墨染めの黒を基本とし、下方が絞り染めの青でグラデーションされた直垂だ。この色合いがフワリと舞い、まるで烏揚羽に見えるのだ。和装の位置で蒼い帯を巻き、その上に胸が窮屈そうに張り出している。
籠手は手の甲まで丸く覆う鯰籠手と白い手袋、筒状で開閉機構がある筒臑当、太腿まで覆う白足袋に草鞋の出で立ちである。直垂は股下五糎程で、袴は着用していない。
そして、アンダーが特徴的で、紫に染めたローライズの黒猫褌である。昭和初期では男子学生の水着替わりでもあった下腹部前後を覆うタイプだ。
小乃花は、五行の構えで言うところの脇構えを主に使用する。左半身となり、剣先を後方へ向け水平に保つ。当然だが、右半身でも同じスタイルだ。京姫の流派では斜の構えと言う。
彼女は短い刀身の武器で長尺な騎士剣へ通用させる戦術として、今のスタイルを試している。その彼女が好んで使うは、南北朝時代の作刀で脇差大磨上無銘伝義景。刃長一尺八寸四分一厘(五六.四糎)、反り二分九厘七毛(〇.九糎)。
が、刀身の短さなど扱い方一つで武器の長所短所は如何様にも出来ると、過去の戦いで証明している。
実際、脇構えと隠形、気配操作が極悪の組み合わせだ。攻撃挙動を隠蔽し、武器の出所すら霞の向こう側へと消し去っている。更には、身体の自然な動きに棒手裏剣の投擲動作を練り込む術まで持っており、上位者でも相当に手を焼く存在だ。
キンー、と甲高い金属音が響く。この試合が開始されてから何度も聞こえたものだが、音の終わりが抜けていた。
不可視に近い小乃花の攻撃を京姫がまたしても受けきったことを示す音。
然し。
この度は様相が異なった。
銀色の葉が風に翻弄されるかのように。高くクルクルと舞う一〇糎程の刀身。ホログラムが空に溶けて消える。
――それは京姫の太刀が物打ちから先を失ったことを物語っていた。これが音の抜けきった正体だった。
「(これは!)」
思わず驚愕を口から零しそうになった京姫。太刀の折れ口は、直角ではなく少しだけ斜めに角度が付いていた。
小乃花の攻撃を刃から峰へ垂直に攻撃を受け止めている筈であった。然し、僅か数粍単位で角度を付けられていたことを折れ口が物語る。
それを気付かなかった。いや、本来なら気付いて然るべし事柄が気付けなくなっていたのだ。
「(私は随分と腑抜けていたんだな……)」
京姫が心の内で吐露する。小乃花が何を語り掛けていたのか少しだけ理解したのだ。
そして、ヴィーと一本取得の通知音。
京姫の心臓部位へ刺さった棒手裏剣が通知音と共に物理エミュレートで落下しながらホログラムを霧散させる。
小乃花は太刀を折り飛ばした挙動に、棒手裏剣を投擲する動作を練り込んでいたのだ。斬り上げた腕を左手のみ真っ直ぐに降ろす刹那の時間は投擲射出のトリガーであった。
太刀を斬り飛ばされた直後の京姫では避けようがない攻撃。
彼女は言葉通り、京姫を「次で目を覚まさせる」種を蒔いた。
『小乃花選手、一本。双方待機線へ』
京姫に届く審判の声は、何処か遠くに聞こえた。今は試合の趨勢より重要なことがあるからだ。
東側選手待機エリア。
京姫は待機線へ引き返す折り、小乃花が告げた一言を繰り返し噛みしめていた。
――京姫。小さくまとまり過ぎ。獲物を選んだ理由。今一度考えるといい。
神出鬼没の小乃花に対応する策を迷った結果、小回りが利く太刀を選択した。
それは本当に戦術として選んだのか。
態々、太刀の切先を斬り飛ばすことに尽力した小乃花が思い起こされる。
刃が欠けぬように。刀が折れぬように。刀身のダメージを最小限に抑えるため、刃筋を立て、物打ち根元数糎内で受けると言う繊細な技術を使っていた。刀は素材と構造上、刃から峰へ掛けての垂直方向に一番強度が高くなる。刃筋を立てるとは、この強度を最高効率で扱うことでもある。
然し、この結果だ。
少しの違和感を身体が反応していなかった。心技体の合一とは良く言ったものだ。
小乃花には迷いを見透かされていたのだ。
「全く。私は人に心配ばかりかけて嫌になる」
持参した焙じ茶で喉を潤わせ、息を吐きつつ面倒見が良い先輩の有難さに感謝する。
物打ちを斬り飛ばされたのは、「迷いを断て」と言われたようなものだ。
今なら、何とはなく判る。迷う必要はなかったのだと。
京姫の全てを引き出せる大身槍を持って挑むべきだったのだと。
「小乃花の心尽くしには、大身槍を扱う心持ちで応えるべきだな」
人は、一瞬で心の在りようを切り替えることは難しい。然し、一〇〇の内、一〇でも、たとえ一だとしても、それに気付き向かい合う姿勢が重要なのだ。そして、一〇〇には足りなくとも、何時もの京姫が帰って来た。
小乃花が刃で以って語り掛けた言葉へ刃で応えるために。
AR表示されたメッセージと通知音がインターバル終了を知らせる。
東側と西側の待機線に京姫と小乃花は横並びで第二試合開始を待つ。
凛として立つ京姫の姿は、漣のように凪いでいた。判る者が見れば、第一試合と比べて明らかに違う。
二人の立ち位置は距離が離れているため言葉を交わすことはない。
それでも小乃花の柔らかい気配が「それでいい」と京姫に伝わっていた。
『これより第二試合を開始します。双方、開始線へ』
審判の呼び声で開始線へ向かう二人は無言だ。それでも歩みは、まるで語り合っているかのように。
開始線に辿り着き、審判へ一礼し、選手同士の一礼が済んだ後、開始線を挟んで向かい合う。
暫しの静寂を経て小乃花が口を開いた。
「これで始められる」
その言葉は京姫が帰って来たことへの安堵を含んでいた。
「ご心配をかけました。お待たせして申し訳ありません」
返す京姫は感謝と謝辞を述べた。此処からが本当の試合開始であると。
「ん。好きでやったこと。問題ない」
小乃花の短い言葉は、気にするな、と。
「では、宇留野御神楽流師範代、宇留野 京姫、いざ参ります」
コクリと頷く小乃花。そして審判に顎でクイクイと。始めろと合図を送っている。
その行為に拍子抜けた審判が慌てて声を上げる。マイクパフォーマンスの終了タイミングを計っていたところ、選手側からいきなり促されたからだ。
『双方、抜剣!』
その合図で、小乃花は脇差を抜く。腰――と言うより股関節――で抜刀する日本刀の抜刀術は海外でも人気が高い。
そして京姫は――。
脇差ではなく、物打ちが折られた太刀を抜刀した。
この試合を見ている観客達も騒めいた。その騒めきで別の試合を見ていた観客も何事かと試合コート四面に目を配らせたくらいだ。
そもそも副武器デバイスを持参しているにも関わらず、破壊された主武器デバイスをそのまま使い続けるケースは稀なのだ。
小乃花は内心で「なるほど。そうきたか」と、ご満悦だ。本来の京姫は、使える武器なら全て使い倒して戦うのだ。戦況が有利になるならば京姫は最も得意とする大身槍すら平気で放り投げ、武器を換える。生粋の戦人なのだ。
『双方、構え!』
小乃花は左半身の脇構え、京姫は少し鎬が見える角度を取る、古流などで偶に見かける正眼で対峙する。
審判は右胸辺りの高さに展開されたARパネルを確認している。小乃花の試合では、隠形が時として目視で判断出来ないことが多々あり、システムからリアルタイムで表示されるカメラ映像とバイタルデータで状況を追うのが通例なのだ。
『用意、――始め!』
開始の掛け声と同時に、二人は意図の異なる動きを始めた。
お互いの射程外から小乃花は第一試合とは逆方向、反時計回りに円の軌道で京姫を中心にその独特な歩法を蹈み出す。ところが、小乃花は驚かされることになった。
それは京姫の動き。彼女は浮身の縮地法で無造作に小乃花へ間合いを詰めて来たのだ。
様子見や折り合い、戦術すら全て無視し、愚直に真っすぐと。相手の牽制や、あわよくば退ることで仕切り直そうとも押し通すのだろう。
こうなると小乃花も円の軌道を取る姿勢で対処は難しい。脚を止めて京姫に正対する以外の選択がなくなった。
「(意識の仕切り直しでこの手を使うか。やりおる)」
小乃花は内心で感心する。いくら京姫が第一試合から気を取り直したとて、心の揺らぎは簡単に取り除ける筈もない。根本から改善しなければ、奮い立たせたとて一時凌ぎだ。
それを聊か強引ではあるが、只敵を斬り斃すことだけに集中し、足枷を脇に追いやったのだ。
京姫の太刀は物打ちが斬り飛ばされており、二人の殺傷範囲、詰まり射程は等しくなっている。そして、こうも近接に持ち込まれたならば、小乃花も投擲を繰り出せない。あれは攻防の最中に挿し入れるからこそ効果があり、投擲主体では刀の扱いが一手遅れる。京姫相手にその遅れは致命的だ。
故に互いが剣士として立ち合う他ない。この状態ではヒットアンドアウェイに持ち込むことも不可能。
そこへ持ち込んだ立ち回りも含めて小乃花は評価したのだ。
その京姫は、これまた無造作に正眼から小乃花へ右袈裟斬りを繰り出す。
予備動作もなく無拍子で放たれた其れは、小乃花が脇構えから京姫の胴を斬り抜き、相討ちに持ち込もうにも、そのまま次の手で獲られると肌で感じさせた。故に小乃花はビンデンと言うより、刀の鍔迫り合いに持ち込まざるを得なかった。
キシリと刀同士の刃が噛み合った音。この攻防で小乃花は物打ちで受け、京姫は刀身の刃を態と欠けさせる打ち込みで、小乃花の脇差を噛み合わせる位置で引っ掛けた。
すぐさま動きのない激しい攻防が始まる。外からは、刀での押し合いが拮抗しているように見えるだろう。然し、二人の身体内部では相手を崩すため、体軸と中心軸を股関節の動きで奪い合っている。軸を奪われれば、たとえ刀を振り下ろしても相手を斬る軌道から外されてしまう。鍔迫り合いは、より緻密な駆け引きが必要となる。
――宇留野御神楽流 奉納槍術 奧伝一之段「虚」
京姫が無拍子を使う際の奥義だ。奥義としては初級の階位で、特殊な技能を要求しないため使い勝手は非常に良い。普段から、ほぼ常用しているものだ。とは言え、流派の技法を奥義が引き出せるまで鍛錬して初めて使えるようになる類ではあるが。
五秒、一〇秒と、膠着状態に見える攻防が続く。
時間が経つ程に小乃花の対応は少しずつ遅れて来ている。竊盗と剣士の差が出始めているのだ。
幾ら身体操作が優れる小乃花と言えども、剣術では京姫の業前が上を行く。それは剣術を扱うための身体操作術も上回られていることを指す。
「(さすがに厳しい。どうやっても斬られる。その後に獲り返せるかが賭け)」
純粋な剣士同士としての攻防を続ければ、小乃花が勝機を手繰り寄せるのは難しい状態だ。かと言って、竊盗の技を挿し込む余地がない。回避も封じられている。このままでは何れ、確実に斬られるだろう。何処を斬られるかは読めないが、斬られた瞬間に反撃を重ねる方針を小乃花は打ち立てる。受けの動作に投擲挙動を練り込んである。それを仕掛ける。
とうとう小乃花は軸を獲られた。股関節をほんの僅かだが右にずらされる。この状態で刀を振り降ろせば、京姫の身体から右外へ逸れる。
然し、小乃花が刀を振ることはなかった。寧ろ、後方に全力で退ることを強いられた。
――ポーンと、攻撃成功を示す通知音が響く。
小乃花が軸を獲られた瞬間、京姫は真っ直ぐ肩を少し上げ、そのまま降ろした。それだけで小乃花の刀を跨ぎ、反対側へ移動する。それが鍔迫り合いで軸を奪う効果だ。そして刀の切先は左手を斬り抜いた。
如何に小乃花と言えども、左手首まで掛けてダメージペナルティを負えば、投擲を真面に当てられない。だからこそ、京姫が次撃を斬り返して来る前に緊急回避したのだ。
「(次の手を読まれた。このタイミングで来る)」
小乃花は連撃を避けるため一気に距離を取ったが、それは一時凌ぎだと重々承知している。それ程に事を上手く運ばれたからだ。
その通りだと言わんばかりに京姫がまたしても無造作に距離を詰めて来た。
左手首が効かない状態では、刀に添えても左肩からの連動を正しく伝えられず足枷にしかならない。ならば、と小乃花は竊盗らしく常道から外れた手札を一枚切ることにした。
小乃花は左半身になり、片手で脇差を八相に構える。一見、京姫の攻撃を迎撃するために構えたのだと誰もが疑問を持たないだろう。京姫すら八相から受け、若しくは流しで初手に対処するものとして、次の手を組み立てていた。
が、間合いへ入る前に其れは覆される。
まさか小乃花の脇差が飛来するとは予想すらしていなかった。
「(っ‼)」
後半歩で射程へ入るところで、京姫は驚きよりも小乃花が使った手に竊盗の本領を垣間見た。
届かない距離にも関わらず、小乃花は八相から真っすぐに脇差を振り下ろした。その刀が真っすぐに京姫へ投擲されたのだ。投擲は円の動きが加わるため、通常であれば投擲物は重心位置で回転する。故に棒手裏剣など、半~数回転した先で切先を当てる技術である。それを重心が鍔元近く、長さもある刀を投擲物としたのだ。直進性を得るため単に放り投げた訳でもない。特殊な投擲技術を使ったのだろう、刀を回転させることもなく一直線に京姫を捉えている。
よもや、左手が使えない状況で主武器デバイスを投擲に用いるところが恐れ入る。しかし、京姫は冷静に小乃花の脇差を打ち落とす。
予想外の投擲、此れは囮であった。
予想外に予想外を重ねる。
それは手首を自由に使えなくされた左手からの投擲だった。
幾ら命中精度とコントロールに不備があろうとも、ほんの二、三米先ならば、被弾対象箇所の何処かへ当てるだけなら小乃花は問題なく出来る。
だが此れも囮。
本命は脇差を投擲した挙動から返す腕に練り込んだもう一つの投擲。
京姫が脇差と棒手裏剣、二つの投擲を処理する間に、三本目となる棒手裏剣を右手で放つ準備を終えた。
然し。
小乃花は内心で渋面を造る。確かに京姫は投擲した脇差を払った。脇差を弾いた太刀が、そのまま左半身に移行している。そして、僅かな時差で飛来した棒手裏剣は敢て無視したのだ。棒手裏剣の軌道から心臓部位へは当たらないと見越して。
一つ防御を無視したことで一手分、小乃花より早く動かれた。
小乃花が右腕を振り下ろす前に懐へ入り込み、投擲出来ない距離へ詰めた。そして、左袈裟で肩から胴へと斬り抜いたのだ。
更に返す刀で、投擲準備をした右の上腕を下から斬り上げていった。
ポーンと被弾通知が三つ鳴り、一拍を置かずにブーと併せて一本を知らせる音が響く。
京姫は残身を解き、納刀する。
小乃花も戦闘状態を解除し、通常時の隠形に戻る。
その一拍後、審判から第二試合の結果が告げられた。
『京姫選手、一本。双方待機線へ』
然しもの小乃花も両腕にダメージペナルティを負ったからには、一本取得判定が出る〇.二秒内に投擲可能な距離へ退り、反撃するまでには至らなかった。
ポイントとしては京姫が一本と一ポイント、小乃花が一本と二ポイントで先行こそはしているが、この競技はポイント差など在って無きもの。一瞬で覆すなど当たり前にある。次の第三試合、何方かの攻撃が決まれば、それが試合終了の合図となるだろう。
「京姫。次で勝負」
一合の攻防で決まると、小乃花は言う。
「ええ。後れを取るつもりはありません」
含まれた意味まで汲み取った京姫は受けて立つ、と。
「それは重畳」
と、小乃花は小さく頷いた。
西側選手待機エリア。
水分補給にズズズと番茶を啜る小乃花は縁側のおばあちゃんの雰囲気を纏っている。
最も、隠形が優秀過ぎて誰の意識にも残らないレベルであるが。
「勢いだけで何とか乗り切った」
ポツリと呟いたのは第二試合の京姫についてだ。
意思だけで他を切り捨てる危うい状況で何とか立て直して見せた。だがそれは、一歩間違えれば総崩れとなる賭けが偶々上手くいっただけに過ぎない。
そのことは本人が一番理解しているだろう。
寧ろ、次の第三試合が真価を問われる正念場だ。
だから小乃花は言葉を贈ったのだ。
次の一合を価値あるものに出来るか、と発破をかけた。
京姫が奮い立たせた心を萎ませないように。
「この試合で少しでも判ってくれれば御の字」
正直、小乃花は竊盗の術理を万全に使えば、京姫を封殺出来る。
でも遣らない。正面から受け止めることに意味がある。
なれば、勝率は五分もなくなるだろうが知ったことか。
勝敗など、この試合ではどうでも良い。
京姫が抱えるもの。
その重荷へ向かい合う時、手を差し伸べ支えてくれる者がいることを。決して一人ではないと教える方が重要だ。
「いつも良い子ちゃんでいる必要はない。私の前くらいは遠慮するな」
二年も一緒に暮らしているのだ。気心が知れた同郷の年長者なのだ。京姫の強さ、弱さも受け止めるに惜しみはない。
もどかしくも不器用な可愛い後輩が一歩踏み出せるならば幾らでも。
其れを成して、次の試合へ送り出す。
小乃花は準備のため、大きく息を吸う。身体全体へ満遍なく酸素濃度を密にし、瞬間的に身体能力を上げる神戸の呼吸法を始めた。
『双方、開始線へ』
審判の呼び声で二人は試合コートの中央へ歩きだす。
京姫の気が凪いでいる様子を見て取った小乃花は一先ず安心した。京姫が安定した時の状態だからだ。
此処まで無言が続く。互いに呼吸どころか衣擦れの音すら発していないが、内に秘めた熱だけは伝わっている。
一礼の後、開始線で向かい合えば、此度は京姫が先次て口を開いた。
「次は私の在り方をお見せしようと思います」
京姫は、大丈夫だ、と言葉に含ませている。
「ならば見届けよう」
対する小乃花の応えは、遠慮するな、だ。
お互い、言葉に何を含んでいるのか判るくらいには付き合いが長い。
その言葉を受けて、京姫は目を瞑り顔を伏せた。小乃花の返しを噛みしめ、心の底で温かいものが宿ることに感謝しながら。
そしてゆっくりと顔を上げ小乃花と視線を交わす。その瞳は未だ揺らぎは残るものの、濁りなく真っすぐに小乃花を捉えていた。
もう言葉は十分だろう。後は刃で語れば良い。
小乃花はまたしても顎で審判に先へ進めと合図を送った。
『双方、抜剣!』
揚々と響く審判の声が、武器デバイスのホログラムを起動させる。
小乃花は脇差を親指と人差し指、それと中指を使って抜刀。新陰流などで言うところの指三本で刀を抜く法だ。
京姫は第二試合と同様に、物打ちが斬り飛ばされた太刀を引き抜く。
『双方、構え!』
京姫は引き続き鎬が少し見える正眼だが、小乃花も正中線と垂直になる正眼を構える。小乃花が最初から正眼を構えるのは滅多にない。
『用意、――始め!』
試合開始の合図が掛かるが、双方の動きはない。
第一、第二試合と異なり、お互いが折り合いの駆け引きを始めているからだ。
装備は当たり判定のみで防御力が無い。実質、裸剣術であるが故に一太刀の意味は重い。
迂闊に踏み込めば返り討ちに合う。互いが一撃で終わる局面だからこそ、互いが隙などない生半な相手ではないからこそ、その刃が揮える瞬間を造り出すための膠着である。
但し、傍から見れば緊張感しか伝わらないが。
ジリジリと時間が溶ける。一〇秒、二〇秒を過ぎ、そして一分を超える。
姿勢に呼吸、気配や揺らぎを探るは当然の如く。互いに威を張り、意思を出すなど、牽制と崩しの応酬が繰り広げられていた。
「(誘いにまるで掛からない。……京姫は待っている)」
小乃花は京姫に付き合った。構えからして正道になぞり、気配の移動や視線誘導、果ては攻撃挙動の手前まで誘いを入れたが、京姫から反応は奪えず仕舞いだった。
ならば、何方かが動く時に勝負となるだろう。で、あれば待たせている小乃花から動くのも正道だろう。手を差し伸ばして引き上げるためにも。
然し、先の先、後の先も獲られない仕掛けは使わせて貰う。京姫が、どう見せてくれるのか内心で期待しながら。
「(小乃花は付き合ってくれたが、正面の駆け引きは厳し過ぎるな。動かないと決めてなかったら術中に嵌まって反応してただろうな)」
京姫は駆け引きをするも、自分から仕掛けないと決めていた。小乃花は見届けると言ってくれたのだ。その信頼に甘えた。小乃花から動いてくれるだろうと。
「(さて、始める)」
小乃花は仕掛けるための準備に入る。神戸の呼吸を最終段階に移行する。全身へ酸素を大量に蓄えさせ、身体能力が一段階高まったところで息を止める。無呼吸の二秒間。筋力の最大威力を出せる時間だ。それも使い身体から力の全てを最大効率で引き出さねば、京姫の正面から討ち合うには難しい。
本来の京姫は鎧武者である。甲冑を纏い、三米弱の重さ四瓩へ届きそうな大身槍を自在に揮うよう身体が造られている。抜力し、骨を使った身体操作をするにしても、それを支える筋力は純粋な剣術使いを圧倒する。
あのテレージアと真正面からぶつかり合えるのだから並大抵ではなく、刀を使えば刃先が寸毫も揺らぐことはない。その剣筋は正確無比で、討ち合えば押し切れず。引かば押し通される。
竊盗とは根本的に身体の造り方が違う。故の呼気による底上げで、一瞬なれど対等であると見せるのだ。信頼に応えるように。
「(来るか)」
隠形すら解除して高められた小乃花の武威を前にして、京姫は攻撃が始まることを察した。そして同時に感謝する。見届けるためだけに真っ向から当たってくれることへ。
そこへ至る時間は瞬き程もなかった。
小乃花は神戸の歩法にある縮地法で蹈み込む。向上した身体能力により、一拍も掛からずに遠間から一足で間合いに飛び込む。
ヒュッと瞬間的に振り上げた脇差は、その速度より速く斬り降ろされた。一粍でも違えば自らの刀身が折れる威力を乗せて。接触と同時に肩甲骨を一押しし、骨を容易く断つ打ち込み。更に振り下ろしの挙動へ練り込んだ投擲動作は、一瞬だけ柄の握りを緩められた左手中指の裏側から棒手裏剣を射出する。
斬撃と至近距離からの投擲による同時攻撃。これが先と後を獲らせない仕掛けだ。この攻撃をどう捌くかで京姫の真価を問うた。見せてみろ、と。
「(見事)」
小乃花は内心で感嘆する。京姫は見せたのだ。期待を上回って。
ギンッ、と金属を激しく打ちつけた音が高く鳴る。
京姫は太刀を柄尻側の左手だけに持ち、刀身を右に流す右半身の片身正眼で下から小乃花が放つ渾身の斬り落としを受けきった。
自ら掬い上げるように刀身を打ち付けて態と刃を欠けさせ、小乃花の脇差と深く噛み合うよう加締めて反撃する猶予まで奪って。
そして、右手の行方は――。
脇差を横抜刀しながら鍔で棒手裏剣を弾き、流れのまま胴を横一閃していた。
二人の動きが止まる。
これ以上は必要ないからだ。
ポーン、とポイント取得の通知音が聞こえる。
永遠にも感じる〇.二秒が過ぎる。
そして、ブーと併せて一本の通知音が響く。
『京姫選手、一本。試合終了。双方、開始線へ』
残身を解いた二人に、審判から声が掛かる。刀を納刀した双方は開始線で南側を向き、宣告を待つ。
審判の右手が京姫に伸ばされる。
『東側 京姫・宇留野選手、二本』
そして続けざまに、その右手が小乃花へ。
『西側 小乃花・神戸選手、一本と二ポイント』
眠そうな目をしている小乃花。最早、結果に興味はなく聞いているのかも怪しい。
『よって勝者は、京姫・宇留野選手』
審判の右手が京姫に掲げられ、勝利を誰が掴んだのか高々と宣言した。
その言葉が発せられると、待ってましたと言わんばかりに観客は歓声を上げる。この試合を見ていた観客の騒ぎなので、客席の色々なところから声が出ているが、お隣の席に座っている観客は別の試合にチャンネルを合わせているなどざらだ。何せ並列で複数試合が同時進行しているからだ。傍目で見れば客席ごとの温度差が疎らなことも、学内大会の特徴である。
そんな騒ぎを耳にしながら京姫は、フウと息を一つ吐いた。
試合を振り返れば、色々と問題があったことは否めない。自分自身を見失っていた。それを小乃花が軌道修正してくれたのだ。勝敗の有無など投げ捨てて。
ここまで面倒を見てくれた小乃花に、有難くて涙が出そうになった。同時に、京姫自身がまだまだ子供なのだな、と思い知らされた。
だから、京姫は聞く。
「……私は見せられましたか?」
小乃花は短く頷く。
「ん。見届けた」
その応えに京姫は胸の奥が熱くなる。
迷いの中、差し伸べられた手は、確かな温もりを残してくれた。貰ってばかりだ。
ならば、その温かさを持って進むことを見せ続けよう、と。
それが恩を返す一欠けらでもなるならば。
「小乃花……。ありがとうございました」
自然と京姫の口から感謝が零れた。
「別にいい。京姫が京姫のままでいられる方が大事」
何でもないよう答える小乃花に、京姫は敵わないなと微笑みを浮かべた。
「今日はもう終わり。夜は大根の煮物とタコメシを希望」
待機エリアへ引き下がる途中、唐突に小乃花が忠実な欲求を口にする。
普段の彼女は猫のように気紛れなのだ。
「もしくは昆布締めの白魚。昆布人参と大根の和え物でも可」
フンス、と鼻息荒く要求する小乃花。
「はいはい。造りますよ」
京姫は仕方ないなと表情を崩した。
その顔が楽し気に見えるのは気のせいではないだろう。
京姫と小乃花が暮らす居室は、一〇畳の二人部屋で四畳のキッチン付きだ。
宿舎には朝晩の給食が届くが、自分達で食事を用意する場合は予めその旨を伝えれば良いシステムとなっている。
先日、高級昆布を仕入れた京姫は、ここ暫く料理人もどきになっていた。
小乃花は部屋へ断熱効果がある床材を持ち込み、その上に畳敷きしたなんちゃって和室を勝手に設えている。おかげで彼女達は、馴染みの深い畳で過ごしている。
その小乃花は、中央に置いた炬燵の住人として良く丸まっている。
誰かが「まるで猫のようだ」と称した。
「にゃあ」
小乃花の返事は鳴き声である。
炬燵がある限り猫で構わないようだ。




