【改】01-002. ポイントを、いただきたいのです
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20250209 改稿
ただ一合、剣を合わせた。
そして、お互いが間合いに深く入り込むのは危険であると判断する。それだけ先の攻防で得た情報は大きかった。
ティナは左半身となり、右肩口に剣を引き付ける防御崩しの型、Schlüsselの構えを選択する。左の添え手は柄頭を持ち長い柄を目一杯使って刺突攻撃も在りうると、相手に判断材料も増やしている。鍔元を握る右手は身体の重心より少し前に出したのは、引きながら受ける場合も考慮して、だ。
エデルトルートは腰元に剣を引き付け、剣先を相手の顔に向ける型、Pflugの構えに移行した。受け流しからカウンターの刺突技に移り易い型を選択したのは、懐に入らせない意思表示でもあるのだろう。先ほどの攻防があったが故の判断だ。
お互い、迂闊な位置には踏み込めないでいる。試合開始直後の躍動から今は静観に移行したと言える。牽制目的だろう、ビンデンまでにはならない浅い応酬はあるのだが。
女性解説者の絶叫が聞こえる。インフォメーションスクリーンの一部に、リプレイ動画がスローで流れている。
『何度見ても普通じゃねぇっス! なにコレ? ナンで構えの形で前進んでんの? ローラー? ローラー付いてんの? 剣振り上げが攻撃になってんの? 技じゃないじゃん! 時計が〇.四二秒ってなに!』
がなり立てている様子が目に浮かぶコミカルな実況は、時たま場内に笑いを誘う。
『ナンで肩の上から剣振り下ろして間に合うの? 〇.一秒かかってねぇじゃん! つーか、もう擦れ違ってるってナニ! 移動しながら向き変わってるよ二人とも! あ、止まった、って時計〇.九五秒なんスけど! 一秒たってねぇっスけど!』
こんな攻防ワタシ初めて、などと怪しい発言で興奮する女性解説者。いろいろ大丈夫なのだろうか。放送会社的に。
ティナが騎士として論ぜられる評価は。
攻防一体、速度と技が高水準で得手不得手もない。ビンデンからの読みと返しが秀逸で、技の変わり(技の途中から別の技へ変化させること)も非常に巧い。極意である「主導権を取り続ける」ことを体現する。
若くして完成の域にほど近い王道派騎士スタイルの騎士として呼び声が高い。
だが、この一戦、今まで見せたことがない駆け引きを使ってきた。一見して奇策。傍から見ていた者は、格上相手へ対抗する一手を放ち、それが失敗したのだと認識したことだろう。
そのティナは、嫋やかな笑みを崩すことなく。が、内心では出頭を潰されて荒ぶっている。
「(いや、チョット。何ですかアレ⁉ ホンと予定外です! 反射だけであそこまで出来ませんて! 本人の様子だと完全に無意識っぽいですね。ポイント一つ掠め取って次で決めとくかって仕掛けた瞬間これですか。全く、予定は未定とは正にこのことです!)」
これは本当に想定外であった。そう思わせるのは、こちら側でなくてはならない。
今年は世界選手権大会にでも出ておくか、と軽いノリだったティナ。
やろうと思えば世界選手権大会にチャッカリ紛れ込めるのが恐ろしいところ。
ところが、全国大会を二位で通過すればランキングポイントの調整もいらないなと、準決勝をチマチマ戦っていたところウッカリミスで痛恨の敗退。
当初の目的である世界選手権大会エスターライヒ代表へ選出されるには、最低条件として三位決定戦を勝利する必要が出て仕舞った。四位では選手選考会でのランキングポイントが微妙なので、他所で出稼ぎして補填しなければならない。そんなメンドウは御免ですから、ここは確実に勝って後を楽にしたい、と。わりかし酷い内容なのは、この娘の特徴でもある。
トーナメントで対戦相手が決まった時、ティナは戦い方を考慮する必要が出た。
なにせ、相手は前年度全国大会Duelの部、優勝者であり、世界選手権大会Duelの部ベストエイトに入った世界ランキング一四位の騎士。
本職は集団戦のDrapeauであり、そちらが主戦場だ。
エデルトルートは個人能力も高いので、ついでに参加したDuelで軽く勝って仕舞える変わり種なのだ。
ともすれば常道では通用しない可能性が高い相手。ならば、普段見せているスタイルを少し変え、思考を攪乱する小細工を使う方向で試合を組み立てる。その戦法を使うこと自体も札とし、計四つの軽い手札を用意した。
――普段使わない構えから始める。
――技や構えを本来の用途以外で使う。
――見慣れた歩法の筈が違う動きを見せる。
――認知されている戦闘スタイルからチョコッと外した技術を多めに使う。
この布石に対策してくるならば術中に嵌まったも同然。在ると思わせるだけで思考は乱れるのだ。後は付け入ることを繰り返し、猜疑心を蓄積させれば良い。
悩め!
思考しろ!
さすれば地獄の門が開く!
騎士の間で良く揶揄されるフレーズだ。相手の思考も活用するのが騎士である。
特にティナはお得意の分野だ。
「(あの無意識、試合動画で何度か出てましたね。世界ランク一位にも通用していたのが脅威です。まぁ、発動条件はコントロール出来なさそうですが。兎も角、アレがある前提として……やることは何も変わりませんね)」
真面に喰らえば脅威となる能力。使用制限があるとしても、除外する選択肢はない。戦闘に於いては常に最悪のケースを想定するものだ。
「(しかし、世界選手権に出場している方々は、どいつもこいつも妙な技を一つは持ってますね。成ればこそ、なのでしょうか。もぅ、厄介すぎて思わず技がポロッと出て仕舞いそうです!)」
騎士で、特に上位へ食い込む者は類に漏れず何某か秀でた能力を有していたりする。
エデルトルートも無意識下で反射対応出来るなど特殊系の能力だ。
ティナは、そのような相手だらけの世界選手権大会にチョット顔出ししておこうとしていたのだ。成ればこそ、彼女のことも推し測るべくもなく。
ちなみに顔出しの理由は、世界的に二つ名【姫騎士】を定着させる啓蒙活動だ。世界選手権大会出場の実績をその程度の価値にしか見ていないところが酷い。
お互い、有効打にならない牽制が繰り返される。
その遣り取りを以って得た情報からエデルトルートはティナに対する認識を改める。
「(彼女の王道派騎士スタイルって外から見た評価だって良く判った。討ち合いの中で僅かに変化させてることを悟らせないってのは、一体どれだけの技量を持ってるんだ? 彼女、過去映像でも競技者然と見せてるけど生粋の武術家だとしたら頷ける。それと相当な策略家でもあるな)」
認識して仕舞えば、先の攻防にどんな結末が用意されていたのか伺い知れた。
初撃を防げたのは本当に運が良かっただけのこと。エデルトルートの特殊技能と言える極稀に発生する脊髄反射での自動対応。それが発動しなければ、この第一試合は完全に獲られていた流れだったと背筋が寒くなる。
初撃で動きの起点となる脚にダメージペナルティを三〇秒間掛けさせ、動きが緩慢となり即応出来ないよう封じたところで背後から心臓部位に一撃。
――開幕から相手に何もさせず一気に仕留める。
出鼻を挫いたからこそ、こうして討ち合いを続けているからこそ、一連の流れを察することが出来た。あの少女は、戦局を完全にデザインしていたのだ。
エデルトルートは世界でも指折り数えるDrapeauチームを率いる指揮官だ。成ればこそ、敵味方関わらず戦場の動き、そして戦場を構成する個の動きまで察する術に長けている。故に、情報さえ揃えば正解に導くことを得意とする。それは、転向前の競技でチームを率いていた経験が能力を成長させ、発展したものだ。
「(Alberの構えで奇襲するなんて本当に驚いた。コマ落としのように一瞬で懐に入られたのは呼吸か? それとも視線? 身体全体の高さに変化が無かったから只の重心移動とも思えないし、特殊な歩法を持っていると考えた方がいいな。なら、そこから剣を振る技法も持ってるのは当然だな)」
元々、攻撃や防御などの技は、本来どの構えからでも繰り出せる。それでも、最適なパフォーマンスを発揮する構えから運用することが圧倒的に多い。身体の連動を切らず流れるように技を繋げれば、威力とキレが段違いだからだ。そのため構えから、どの技に派生するのか、脚捌きから剣がどの軌跡を辿り、何処まで届くのかが凡そ予測出来るようになる。
しかし、ティナが見せたそれらは、派生でも変則でもなく、一般的に知られていない運用であった。傍目からは判らないようにコッソリ混ぜて結果を変えているのだ。
「(全く、とんでもない娘だな。これ、高位の騎士ですら騙されてるヤツが多いんじゃないか?)」
新人騎士が晴れの舞台に躍り出た三位決定戦。そんなお題目とは裏腹に、蓋を開ければ自分が挑戦者だった事実にエデルトルートは内心苦笑する。
「(彼女、コッチが気付いたってのも察してるだろうな。それを承知で仕掛けて来ると予想出来るのが怖いな。判断が遅れれば確実に獲られるか。……いっそ、避けられないならばくれてやるか。一本と引き換えに考え方の癖を見させて貰う)」
エデルトルートは何をしてくるか判らない相手への警戒をもう一段高めた。そして、想定外の攻撃は端から無視し、相手の思考がどう流れるかを掴みつつ次へ繋げる方針にと定めた。
だが、エデルトルートが対策のために思考を巡らせること自体がティナの罠であった。
エデルトルートは方針を決めてから、更に半歩蹈み込み、射程圏での討ち合いに持っていった。より深い間合いでは、少しの判断ミスで取返しがつかなくなるシビアな状況だ。
斬り落とし、片手突き、奥義である流し目斬りからの受け流し等、ティナは、まるでお手本のように流麗な技を次々と繰り広げて来る。が、それは決定打にならず、何方も被弾することなく時間は過ぎる。
技から構え、構えから技へ。流れるように攻防を繰り返す剣身は、空に銀と白の軌跡を生み出す。高いレベルの攻防に観客は沸く。女性解説者が意外にも的確な解説を付けており、場内の熱気を高める。
この競技は殊の外、激しい動きの連続である。コンマ数秒の世界で鬩ぎ合う競技であるからに、当然であろう。
そして、実際戦っている彼女たちの姿を思い出して欲しい。そう、股下数糎の極めて短いスカートを履いている。つまり、動きに合わせ、とても華やかなのだ。レギンスなどは好まれず、水着か下着の何方か判別し難い競技用のアンダーが普及している。普通に下着を履くケースも意外と多い。
これは、社会現象にもなった、熱狂的な人気を誇る女性騎士の発言から来ている。
彼女が「騎士は如何なる時も美しく」をモットーに掲げていたことに始まる。
彼女は見られる姿も美しくあれと、コーディネートした結果、見栄えの良い下着で戦うことに落ち着いた。
彼女のカリスマ性が手伝い、瞬く間にそのスタイルが女性騎士へ浸透。
下着メーカーは、それに同調し、見た目も良い競技用のアンダーウェアをリリースする等、競技の標準思想へと固着した。当初は少なからずの反対を掲げる意見で物議を醸したが、賛成派の活躍で話題自体を陳腐化させ、有耶無耶の内に鎮静した。
結局、水着を見られるのと変わらない、との意見が多かった背景も後押ししている。
中には、敢て見せるように下腹部が露出したデザインの装備を着用する者までいる。ある評論家は「目に優しい」と零したそうな。
『エデルトルート選手は、黄色のローライズですねぇ。バックがシースルーでキュートなお尻の形が良く引き立ってます。鎧とスカートの色と調和して、とてもバランスが良いコーディネートです。後ろからのチラチラが可愛いですね』
国際シュヴァルリ競技委員会エスターライヒ支部公式アナウンサーと、仰々しい肩書を持つアンネリース・ペルファルなのだが、ちょっと行き過ぎた表現をすることが多々あり、良く放送部長から注意を受ける問題児だ。だのに、彼女のトーク力は高く、解説も的確でファンは多く、かなりの売れっ子だと言う不条理。行き過ぎた表現は先のコメントなどで判るだろう。
『フロレンティーナ選手は、ピンクのティーバックですか。スカートから透けて見えない良いチョイスです。ほほ~う、後ろなんて殆どヒモですね~コレは。最初の礼した時、みんな「はいてない」って思ったでしょ!』
今頃、エスターライヒ支部の放送部では部長が額を押さえ天を仰いでいることだろう。
『彼女、普段からAbendröteのティーバックを着用してる情報を当局は掴んでます! つーか、TVコマーシャルに出てますからねぇ。スポンゾァは大事ですよ、ホントもう』
アンネリーネのコメントが深夜番組枠になっている。スカートの中身をコメントすることはマナー以前の問題だ。モラル的にクレームが来てそうだが、内々に処置してるのだろう。この悪ノリが続いていると言うことは。観客席もコメントに便乗し、スカートからチラリとする度に「おー」と、歓声が上がる悪ノリ具合。
ちなみにティナは、同社の下着を愛用していることが切っ掛けで、昨年から下着メーカーであるAbendröteとスポンゾァ契約をしている。
最新のTVコマーシャルでは前側がほぼ全開、胸の下にあるボタン一つで止めるシースルーのプリンセスドレスを着て、今装備しているティアラと剣を携えナンチャッテ姫騎士姿。当然、商品である上下セットの下着は丸見え。妙に官能的な雰囲気を出しており評判となった。ナレーションやコピーにも姫騎士の単語を推して貰っている。
二つ名【姫騎士】を定着させるための大胆な啓蒙活動である。
彼女は姫騎士と呼ばれることに並々ならぬ執着を持っている。世界中から姫騎士と言えば自分であると認識させるために、姫騎士道(?)の頂点を目指す。スポンゾァが靴下メーカーだったとして姫騎士推ししてくれるなら、全裸靴下も厭わない所存である。
ちなみに、CMは日本の造語で海外だと通じないので注意。ドイツ語の場合は広義で広告を意味する「Werbung」かテレビ広告の「TV-Werbespot」辺り。
余談はさて置き。
試合は所謂膠着状態に陥っていた。
未だ討ち合いは互角に続くが、エデルトルートは一度仕切り直しが必要だと判断した。現状を打破するために、精神を切り替える時間が稼ぎたいのだ。
攻撃をビンデンで受けざるを得ない形で仕掛け、受けられたタイミングですかさず中世式歩法の送り歩きを逆しまに前脚を退く。残った奥脚でバックステップを掛け合わせ、互いの射程圏どころか攻撃動作も含め二手は必要となる距離へと一瞬で逃れた。
「(ビンデンをさせての退避ですか。この退き方はお見事の一言です)」
攻撃は最大の防御と良く聞くが、よもや攻撃で退避を敢行するエデルトルートの潔さにティナも感心した。
ビンデン。作中ではドイツ語読みだが英語ならばバインド。
互いの武器同士が接触して鬩ぎ合っている状態を言う。そこから伝わる力の強弱で相手の意図を読み合うことから始まる。接触感知に部類する技術だ。
ドイツ式武術を代表するヨーロッパの古流武術、その中の剣術では、剣先から凡そ五分の二までが「弱い」部分、逆に鍔元側五分の三は「強い」部分となる。剣の形状や時代によって多少の違いはあるが。
作用としては、前者が攻撃に向き、後者は防御に向く。接触している場所が剣先であれば返しなどで攻撃に移り易く、鍔元であれば力の流れをコントロールし易い。
強く押し込まれれば、流れる水の如く受け流しからカウンターを。弱ければ押し込み、防御を崩して攻撃を。ビンデンからの巻きや、返し技が発達しているのも特徴だ。
それは、筋力だけの拮抗ではないことを示す。返し技だけでなく、位置取りや歩法で軸から往なす技術もあるのならば、それは身体操作が核となる。
競技のルールからは外されているが、本来の姿であれば近接から装甲を纏う手で武器の刃を直接押さえたり、腕絡めなどの体術に移行する技も数多く存在しており、それは全て身体の使い方を知っている前提の技術だ。
エデルトルートは、ティナの技量に舌を巻いた。特にビンデンからの攻防は筆舌に尽くし難い程で、フェイントも効かず、精密さ、技の切り替えしの速さ、技の途中から変わる技法も相当なものだ。
噂通り、正しく王道を往く騎士の姿だった。
だからこそ、エデルトルートは困惑している。「なぜ使わないのだろう」と、「ない」ことに猜疑心が擡げているのだ。
それもその筈、深い間合いで討ち合い始めてからのティナは、エデルトルートを翻弄した予測を僅かに外して来る技術を全く使っていないからだ。
エデルトルートは間合いを詰めてからは、受ける技全ての虚実を見極めていた。それは必要以上に精神を消耗する。徐々に判断速度が低下し、剣先が鈍り、反応が遅れて来る。
当然、そのような微細な違いは、実際対峙している相手がいち早く気付くものだ。状況は刻一刻と悪い方へと傾いて仕舞った。
まだ試合時間は一分を残している。これを逃すと後がない絶妙なタイミングで仕切り直しを刺し込み、距離を取った。
それは、状況のリセットと流れを止めるため。且つ此方の流れに引き込む誘いを入れる前振りだ。
「全く以って素晴らしい技量だ。なるほど、小等部時代の大会を総なめにしていたのも頷けるよ」
それらしい言葉で語りかけるエデルトルート。賞賛と実績を取り沙汰にし、相手の意識を自身の過去へ散らせる目的だ。
「ありがとうございます。着いていくのがやっとですが、良い勉強をさせていただいてます」
嫋やかな笑みを崩すことなく、シレッとお手本のような差し障りがない返答をするティナ。澱みなく平然と受け応える姿を見せられ、エデルトルートは内心で苦虫を噛み潰す。ティナの意識を毛先程も揺らせなかったことに。
「いやいや、それはこちらの台詞だよ。防御を抜かれないよう必死だったさ。いやはや、振り回されるのも偶には良いものだ。まだ、楽しませてくれるんだろう?」
お道化ながらニヤリと、エデルトルートは態とらしく口角を上げた。この少女に心理戦は効かないと判ったからには、明け透けに誘いを仕掛ける。ティナは絶対に乗って来るだろう、と。
彼女は何故ならば――。
「ええ、もちろん」
ティナは微笑みを返しながら予定通り誘いに乗った。
ティナは、ドイツ式武術で戦う限り、エデルトルートとの技量差は殆ど変わりないと当たりを付けていた。事実、ここまで互角な討ち合いが続いた。
エデルトルートは大舞台で高位の競技者と対戦経験が豊富だからなのか、剣捌きは大胆で巧みさを兼ね備えていることに瞠目する。だが、長時間を通して精密且つ、有効打に成らない討ち合いをした経験は少ないと見える。剣を交える度に消耗していくのが把握出来た。それは相手が術中に嵌まり、警戒に能力を割いている証拠であった。
ティナは、第一試合冒頭での奇襲が失敗した代案として、二つのパターンに嵌めるよう試合を運んでいた。
まずは、そのまま消耗させて自滅に追い込むケース。
これは剣筋に綻びが生まれたら、そこへ付け込み一気に畳み掛ける。
もう一つは、相手が仕切り直しをしてくるケース。
ここで誘いを仕掛けるならば敢て乗り、予想の一段上を征けばよい。
今回は二番目のケースだったが、何方にしてもティナにデメリットはない。ただ無意識下で即応してくる特殊能力だけは注意が必要だが、出させない状況にすれば良い。
誘いに乗ったティナは、顔の高さで柄を持ち切っ先を相手に向ける型、Ochsの構えから仕掛けていった。左半身の奥脚である右脚を斜め前の円軌道になるよう蹈み込み、左の軸脚で踵を内に回し身体へ左回りの回転を掛ける姿勢に移行。同時に、両手が交差するように構えた剣を首の高さから僅かに斜め下へ向かう角度の高速旋回。左肩口に被弾する、はたき斬りを繰り出す。攻撃が成功すれば、ダメージペナルティで三〇秒間、右腕一本での戦いを強いることが出来る。が、当てるならば、だ。
絶妙な方法で状況を切り替えたエデルトルートは、即座に剣先を上に顔の高さで柄を持つ型、Vom Tagの構えから迎撃に入る。奥脚の左脚を内に向けるように蹈み込み、同じはたき斬りで迎え撃った。
お互いが体軸を通し、体重を乗せた斬撃であったため、剣が搗ち合えば弾かれて姿勢を崩して仕舞う。こう言った場合、次へ繋ぐ姿勢を保つため、受けの威力を位置エネルギーへ変換して遣り過ごす方法が騎士では広まっている。
二人は、その定石を踏む。接触の瞬間、柄は高く上がり、剣先は斜め下に向かう形で威力を逃がす。すると、剣の「弱い」部分同士でビンデンの形となった。
状況が変わったのはここからである。
ティナの攻撃は、速く美しい弧を描く剣の軌跡は手本にしたい位だった。
だが、エデルトルートは違和感を感じる。自分から誘発しだが、放たれたのは虚実もない至って普通の技だった。ところが、攻撃を受け止めビンデン状態となった瞬間、今迄と全く異なる感触が伝わって来たのだ。
何度もビンデンを繰り返し、把握していた相手の力加減を覆されるように。
「(なんだ、これは⁉)」
故にエデルトルートは驚愕する。剣の「弱い」部分でビンデンをしている筈が、明らかに「強い」部分と相対している重さが返って来る。その在り得なさから考えさせられて仕舞った。それが取り返しのつかない一瞬の遅れを生み出した。
――ポーンと、攻撃が成功したことを知らせる通知音が場内に響く。
失点を抱えたエデルトルートは、最速の退避をするべきであったことを悔悟するが、「そう言うことか」と対応すべき選択肢を得たのは僥倖だった。
先行したのはティナである。僅かに常道から外して来る技法と、王道を征く技術の何方で攻撃して来るのか判断を選択させながら、予想の範疇を超えた手を使ったのだ。
ティナの剣は異質である。特殊な構造上、剣の「弱い」部分が剣先一〇糎程しかない。だから普段から偽装する。身体操作を使い、恰も普通の剣であると。なればこそ、偽装を解くだけで効果が発揮されるのだ。相手が熟達している程、些細な違いも検知する。そして造り出した一瞬の空白にティナは行動する。
相手の剣へ巻きを仕掛け、切先を下側から受け止めるよう位置変更し、そのまま搗ち上げつつ右へ流す。これで相手の剣は左へ振り切った形となり、斬り返しをするにも身体構造上、剣の出はティナの方が速く到達する。糅つ、エデルトルートは剣へ添えた腕ごと上半身に左回転を加えられ、腰より上が体軸から切り離される。その影響から立て直す分の遅速を与えた。更に、流れた上半身と共に、剣を持つ前手である右腕が必然的に正面へ迫り出される。それは全て、攻撃の導線を造り出すためにティナが打った手であった。
エデルトルートの剣は内側から身体の外へ向けさせ防御を出来ないように抑え込み、剣同士の交差を維持する。その状態で刃の上をガイドに滑らせれば、相手の手元まで剣先を届かせるには十分だった。
その刺突は、剣を更に押し逸らせながらエデルトルートの右前腕へ切先を届かせた。
「(とりあえず一つ)」
ティナは短く呟く。確実にポイントを奪うために、エデルトルートの埒外な能力が発動しても防御に剣を使えない状況を造り出した。本命へ繋ぐために。
Chevalerieと言う競技は、一本の判定が下されるまで試合は止まらない。
ならば、有利な展開へ持ち込むためにも、何処に被弾させるのかで戦局が変わる重要な選択であると言える。そして、時にはポイントを捨てる選択すらも。
予想だにしない方法で一ポイントを奪われるも、エデルトルートの対処は迅速だった。
ティナの動きは全て虚偽だと決め、思考から判断を除外する選択を取った結果だ。
右脚を半歩引き、左へ切り離された体軸を即座に復旧させ身体連動を再開。攻防に撃ち負けないよう各関節を構造強化する角度へ整えた。
ティナが次の動作へ入るにも、剣は必ず動く。幸いにも未だ触れ合っている剣から接触感知を拾え、攻撃のガイドに使われた剣を今度は自分がガイド代わりに利用する。
引かれるティナの剣を追従しながら、ダメージペナルティで緩慢になった右腕を軸に、柄頭側を持つ左手で剣を回して巻き技を繰る。構造を整えた身体は動作に自身の体重を乗せる効果が強く出る。その力を使い、今度はエデルトルートの剣が内側に入り込み、ティナの剣をガイドに容易く左外側へ追いやった。
先程のお返しとばかりに、ティナの右上腕に切先が向く。そこへ、エデルトルートは剣身の長さと、自身の高さを活かした。滑らせている剣の出所は、ティナよりも一〇糎を超える上方からであり、下へ角度を付けて進むことになる。
切先が右上腕だけでなく、二ポイントとなるティナの胴部分、右胸までが射程に入った瞬間には相手の射程外から刺突を放っていた。
しかし、相手は止まった的とは違い、状況に合わせて絶えず動くものだ。エデルトルートからみて左外――ティナからすれば右外――まで押し遣られた剣は、攻撃も防御に入るにも中途半端な位置にあり、即時の対応が出来ない状況に追いやっていた。それを左脚で半歩蹈み込み左半身に変化させ、剣が扱える姿勢に整えて来たが既に遅い。半身の姿勢が思ったより深かったため、胴体部分は射程から外れたが、最短距離で届くティナの右上腕へ着弾させた確かな手応えを感じる。
――ポーンと攻撃が成功したと告げる通知音を耳にしたエデルトルートは、再び違和感に襲われる。何時の間にかガイドにしたティナの剣から感触が無くなっていたのだ。
「(なっ⁉ 剣が消えている!)」
攻撃が被弾したティナの右腕は尚も此処に在る。だのに、その手で握られている筈の剣が見当たらない。
その一瞬を迎えた時。エデルトルートは、在り得ない位置から現れた剣が描く美しい弧を見ていることしか出来なかった。
――そして。ヴィーと一本を取得した通知音が鳴り響いた。
「やられたか……」
小さく、消え入るようにとても小さく呟いたエデルトルートは、或る意味、結果に納得していた。彼女が予想通り、いやさ、それ以上だったからだ。
ティナが誘いを受けると判っていた。
彼女は何故ならば――圧倒的に強者だからだ。
だからこそ、格下からの挑戦を無辜にする筈もなく。
「(それでも抗わせてもらうさ)」
エデルトルートの口元には笑みが零れていた。
チラリとティナを窺えば、笑みを浮かべた表情を全く崩していない。どんな状況でも表情から読むことは出来ないのだろう。そして、空を仰いだ。まるで空の広さと比べるように。
時間を少しだけ戻す。
ティナはエデルトルートの右前腕へ刺突した剣を引き戻す最中で、彼女が崩れた体軸を瞬間で整え直したと接触感知から察する。さすが、競技転向前も有名なアスリートであったがため、フィジカルの強さと体幹の修正速度は目を見張るものが在る。
細身のエストックへ体重が一気に流し込まれ、ティナの剣を引く動作はコントロールが乗っ取られる。器用にも鍔側を持つ右手を軸に、柄頭側の左手で剣先に大きく回転を掛けて下から巻き上げられ、剣を右外へ送られる。先程、ティナが行ったことの搗ち上げをしないヴァージョンだ。
咄嗟に身長差を利用した高さを使って巻き上げるのも抜け目ない。おかげで搗ち上げをせずとも、此方の剣は上へと角度が付き、迎撃行動を防がれた。次弾を放とうにも姿勢と剣の方向を整える必要がある。仕掛けが巧い攻撃に感心する。
「(ならば、お見せしましょう)」
ティナは焦る必要もなかった。状況は予想の範囲内だからだ。瞬時に対応する戦術へ組み変える。圧倒的不利な状況程度など如何様にも覆せるのだ、と。
まずは右腕を捨てる。エデルトルートの攻撃を受け止める役目を担わせるため、ポイントも一つ捨てる。ビンデンを解かずに剣から右手を離し、左脚を踏み込んで左半身に移行。動きの中であっても右腕だけは同じ位置に留まらせた。動作の中で静止している箇所があれば、意識は其処へ向かう生理反射を利用する。案の定、攻撃は右腕に向けられた。
エデルトルートが刺突に入り攻撃へ意識が傾いたタイミングで、左手だけで持った剣をビンデンからスッと外す。そして切先を下方向に円を描きながら後方へ向けつつ、左手は柄の握りを緩め、遠心力で柄頭まで滑らす。同時に左腕で胴を抱えるように右腕の下へ移動させ、剣を正面から見え難くさせる。宛ら鞘に収めたように抜き身で配置。
右腕にエデルトルートの刺突を受けてから、左手で抜剣するかの如く下方から斬り上げる。相手の認識外から現れた剣は、正しい身体の使い方をした振れが微塵もない円を描く。持ち手を柄頭にしたことで、長い柄が短い剣身を補完し、本来届かない筈の距離を埋める。エデルトルートが剣を持つ両腕の間へ切先が通り、円の終点は心臓部位の正面。最後に左の肩甲骨を外側へ動かし、伸ばした左腕を更に数糎分の押し込みをする。
ダメージなど期待出来ない浅い刺突。
然れど勝負を決める一撃であった。
『ブラウンシュヴァイク=カレンベルク選手、一本』
審判が声高らかに第一試合の勝利者を告げた。その声が契機となり、場内は割れんばかりの歓声が上がる。
インフォメーションスクリーンには、スコアが表示されており、クリティカル攻撃が成功したことを示している。客席では、この瞬間に立ち会うことが出来た喜びを語る者、いろいろ蘊蓄を語りだす者、肩を組んで歌いだす者等、賑やか、というより少し混乱に近い騒ぎとなっている。
『クリティカル! クリティカルが出ましたーっ! 今大会初のクリティカルです! 大会終盤なんで今年はナシかな~とか思ってたら! いや~、ヒサビサの生クリ見ちゃいました! 今日会場に来てたヒトは強運ですよ! 今すぐクジ売り場で買いまくってウハウハになってください!』
女性解説者のアンネリーネが、またもやテンションの高い怪しいコメントを叫んでいる。騒ぎの拡大するケースに彼女が絡んでいることは多い。
騎士剣同士の戦いでは、意外とクリティカルで決まることは少ない。両手で剣を揮うのであれば、腕が心臓部位を隠す。胴が見えている状態ならば、構えの時か攻撃が成された時だ。どちらも距離や防御等、別の要因が邪魔をする。そもそも、動目標に対して、拳一つ分の標的へ正確に攻撃を当てること自体が難しい。戦術や立ち回りで状況を造り出すのが騎士の間では普遍的だ。
決まれば一本を奪えるので、腕に自身のある者が挑戦するのは良くあること。
ティナのように、〇.一秒を切る攻防の中で確実に心臓部位を決める筋道を立てられる方が少数派だ。
「(やらかしました。さっき即興で切った札がチョット強力過ぎました。どう考えても見せ過ぎです。イロイロな方面から勘繰られそうですが知らんぷりを決め込みますか)」
喧噪を背景に、試合最後の展開で予定よりも遣り過ぎたティナは反省、と言うよりも誤魔化し方の方法を検討しているのがナンとも。
「(しかし、囮作戦はかなり効きました。よくやりました、右腕。褒めて遣わします。これからも日々精進するように)」
最後は面倒事を全部ぶん投げて軽い脳内コントで締め括るティナ。
いや、締まってないですって。