【改】01-016. 日曜日は市場へ出かけ、昆布と花椒を買ってきた
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20250228 改稿
20251105 加筆
二一五六年三月十四日 日曜日
陽は出ており天気も良いがまだまだ肌寒い。早朝には霜が降り、午前中は五、六度程度にしかならない。空気も冷たく澄み、遠くの景色が寒空の下くっきりと浮かび上がっている。
吐く息も白い中、三人娘は寒さなぞ関係ないと言った様相で元気いっぱいである。学園生達の拠点となる寄宿舎エリア区画の門前で待ち合わせ、すぐ側にある寄宿棟駅で学園の正門行きトラムを待つ。
この学園では敷地外から通う学園生や一般入場者向けに、無人のトラムが定刻で走っているのだ。なにせ、敷地面積は一〇〇陌あり、競技場や学舎、寄宿舎などの学園設備は、立地の都合上、正門より一粁は離れている。
学舎エリアと正門までの間には運動施設や公園などがあり、一般でも利用出来る準公共施設の扱いになっている。広大な敷地と引き換えに政治的何かがあったのだろうが言及はしない。
そもそも、学園前にローゼンハイム郡独立市とオーバーバイエルン行政管区其々が新たにバス路線を増やしているので様々な経済効果を見越した決断だったのだろう。
現に、学園を中心に隣接した町やローゼンハイムなどにも商業施設や宿泊施設が増え、インフラは随分と発展したことを見れば。
今日は日曜であるため学園設備を除く敷地内には人も多く、トラムの稼働率も平日より高い。
特に、運動施設にはクラブチームが数多くやってきており、練習に勤しんでいる。時には地区の試合会場になっていたりすることも。また、公園は遡れば中々の湿原だったのだが、長い年月でとうとう干上がった結果、学園を設立するにあたり建設予定地として入手したのだ。今でも湿地だった名残が僅かだが遊歩道の各所で見られる。
現在時刻は一〇時を少し回ったところ。トラムの待合場には、街に繰り出すのだろう学園生達も数多く、少々騒がしい。
次のトラムが来るまでの短い待ち時間。ティナは身体の筋を伸ばしながら「身体の奥がまだ痛いです」などとブツブツ零している。うーん、と手の指を組んで両手を上に伸びをする。そして、クリーム色で丈が長いラップコートのベルトを結び直す。少し左側へ寄せリボンに見立てて蝶結びをしている。カシミア製の落ち着いたデザインで、金額は聞かない方が良いコートである。服装を一目見れば、皆が良いところのお嬢様だと思うレベル。
京姫は、アーミーコートのファーが付いたフードを被り、手袋をはめた手を口元にやり、ハーと温かい息を吹き掛けている。
カーキ色のロングダウンコートを羽織った花花は先ほどからティナのコートを撫でながら「イイ手触りヨー」とご満悦である。
そして、トラムは乗り込んだ学園生達で満載となり、車内はたちどころに人熱れで塗れるのであった。
「ちょっと小腹すいたヨ。ナニか食べてこうヨ」
「え? あ、ちょっと! 待たないか!」
「はあ、仕方ないですね」
学園前で乗り換えた巡回バスがローゼンハイム駅北口前バス停に着くなり、花花はオープンテラスのあるレストランへ駆け出した。ローゼンハイムでも有名な店の一つで、お値段は意外とリーズナブル。
ヨーロッパのレストランで食事をするとガッツリした量であることが多々ある。ポテトがどっさり盛られたシュニッツェルとカロリーを考えてヴィーガン料理(卵、乳製品も使わないベジタリアン料理)を一皿、そしてベリーの焼き菓子盛り合わせを三人で分け合って丁度良い。だが全部、量が多い。
ドイツなどでは朝一〇時頃に間食を摂る習慣があり、今日その時間は移動に使ったため遅めの間食である。
のだが。間食のレベルを超えた量である。
「好吃、好吃ヨ。ここの炸肉排は最高ヨ!」
「やっぱり最初からここに寄るつもりだったんですね。あ、このシュー、中々のお味です。ベリーが良く合います」
「ヴィーガン料理は初めてだけど、精進料理みたいだな。しっかりした風味で濃厚だ。とても野菜だけとは思えない」
料理番組のような語録は出ない。彼女達にソレを求めるのは酷だろうし、そもそも料理系物語ではない。
「花花は何を仕入れに来たんだ?」
京姫は「仕入れ」と言ったが、花花の買い物は正にそうである。
学内大会でも屋台の東坡肉を作るために肉や小麦粉を二桁瓩単位で発注したり、調理器具を大量に取り寄せたりと、個人レベルの買い物とはとても言えない。
花花達、中国組は、宿舎脇に天井と側面の壁だけの小屋を建て、調理台や竈を設営したりと本格的に調理が出来る厨房を勝手に造っている。後から厳重注意を受けたが、その時に無理やり許可を捥ぎ取った。中華料理は大火力を扱うので、室内では業務用排気装置が必須なのだ。部屋で料理造って事故が起こっても良いのか、と半ば脅すように。
買い物などは配送サービスがあるのだが、彼女は発注と手で持ち帰れる程度の買い物は必ず自分で店に訪れる。その理由は街に着くなり駆け出した先にあるが。
「今日は取り寄せ取りに来たヨ。花椒と海鮮醤に鎮江香酢ヨ。それと枸杞子ヨ」
「ちょっと聞いただけでは何か分からないな」
「そうですね。今一つ判別がつきません。花花の事ですから食品系だと思いますが……」
「中国の調味料ヨ」
世界中から人の集まる学園が出来たことで、周辺の街並みにも影響があった。
国際色が豊かになり、各国の料理や生活用品、調味素材などを販売する店舗も増えている。花花は調味素材を専門に取り扱う乾物屋が馴染みの店だ。だが、一般的に知名度の高い商品は常設しているが、それ以外は滅多に店先へ並ばない。然し、そこは専門店。お取り寄せする独自のルートを持っているのだ。
更に花花は、メーカーや輸入販路まで指定する厄介な客でもあるが、要望に応えてくれるのがこの店だけなのだ。足繁く通う訳だ。
輸入販路を何故?と思うだろうが、例えば日本で一般的に出回るコーヒー豆は輸入時に酸化して本来の風味を損なうケースがあるという。花花は輸入時、素材に適した品質管理が取られているか拘るのだ。
全くの余談だが、最近スーパーなどで海鮮醤を置かなくなった。いろいろ探し回ったがネットで購入する以外方法がなく癪に障る。私の麻婆豆腐のレシピ(大体三、四人前)は、豆板醤大さじ二、甜面醤、豆鼓醤、海鮮醤、牡蠣油、鶏がらスープ粉を各小さじ一、花椒小さじ三分の一、辣油小さじ二分の一、ミック適量、塩胡椒、ニンニク、ショウガ、あと溶き片栗粉なのだが、海鮮醤がないと好みの味とほんの少しベクトルが違う出来栄えになる。食べると何かが違うな、と首を捻る感じ。
「アーモンドクリームは初めてですが、これは良いですね。癖になる味です」
「これもなかなかいいぞ。イチジクを使うのも珍しい」
「イチゴ好吃。クリーム甘さ控えめバランスいいヨ」
彼女達は屋台のクレープシュクレに引き寄せられて今に至る。先ほど結構な量を食べたばかりだが、甘いものは別腹なのだ。
そう。満腹でも本当に胃にスペースが空くらしい。昔、検証番組でリアルタイムのレントゲン映像を見たとき驚いたものだ。
露天のアクセサリーを眺めたり、街の情報掲示モニターにティナのコマーシャルが流れて本人が注目を浴びたり、花花が消火栓の上に登ってポーズを取ったりと、ワイワイ賑やかに練り歩きながらアピアン・シュトラーセの看板がなければ民家と言われても違和感がない店に到着する。
看板には「Nebenstraße Zutaten」、裏道の食材と書いてある。元気よくドアを押して開ける花花。
チリン、チリンとドアベルの音がするのだが、花花の声に掻き消される。
「阿姨、来たヨー!」
「おや、よく来たね。相変わらず騒がしいさね。ゆっくりしていきな」
店内は懐古的な造りで、陳列棚には見たこともない食材が並ぶ。レジがあるカウンターはブロックに区切られたガラスのショーケースとなっており、量り売りするのであろう調味料と思われる粉が何種類も入っている。店の内部が薄暗いのは商品の品質管理のためだろうか。
先ほどの台詞は、カウンターの後ろに座っている少し細身で白髪が目立つ初老の女性からだ。ローブを纏わせたら森の魔女と言ってもおかしくない雰囲気だ。
「アレ取りに来たんだろ? どれ、ちょっと待ってな。今持ってくるから。おまえさん、また勝手に商品弄るんじゃないよ。そこのお友達もね」
やはり花花はここでも自由人のようだ。今も店内を物色中。謎の瓶詰や中身の表記がない袋詰め、見た目が派手過ぎて如何にも健康に悪そうな菓子等々。アッチコッチと手に取っては戻すを繰り返し。たった今、注意をされたばかりなのに何処吹く風だ。
ティナは物珍し気にキョロキョロと店内を見回す。大衆系お嬢様も雑貨と言うより乾物店は初めてのようだ。
京姫はと言うと。微動だにせず、一点、いや、一品を穴が開くほど凝視している。流石に何事かと二人から声が掛かる。
「どうしました、京姫。何ですか? これ?」
「京姫、どしたネ。何見てるヨ」
そこは平型の防湿ショーケース。黒い。黒く硬い布を二〇糎くらいに切って、纏めた物体の束は白く細い布のようなリボンのような、材質不明の物体で巻かれている。京姫の目はソレに釘付けとなっている。
「待たせたね。賑やか嬢ちゃん、悪さしなかったろうね。ん? どうしたい? ああ、そっちのお嬢ちゃん、日本人かい。なら、それが何か判るんだね」
「お幾らですか! 一束、いえ二束下さい!」
「一束一五EURだよ。さすがに輸送費が掛かっちまって、その金額さね。それでも構いやしないかい?」
「はい! 構いません! お願いします!」
「ちょっと待ちな、今入れ物持ってくるよ」
食い気味に受け答えする京姫に、ティナも花花もキョトンとする。
京姫が目を離せなかったのは昆布である。海外では殆ど馴染みがない出汁昆布である。白いリボンは干瓢。パッケージ詰めされておらず、色艶と言い、元は桐箱入りの高級昆布と伺える。ケースの中に乾燥材代わりの米が詰まった小袋を置いてあるところが昭和の匂いを感じるが。
油紙で出来た袋に昆布と小さな米袋を詰めてもらい、京姫はホクホクだ。
これで料理が一味変わる、と喜んでいる。京姫は近隣で和食の味がする日本食の店舗を見かけないので、和食が食べたくなったら自分で造る派だ。
「へー。これからUMAMIが出るんですか。面白いですね。私は顆粒状しか知りませんでした」
「美味コンな黒いの採れるはフシギヨ。日本人はオモシロイネ」
四つ足は机と椅子以外食べると揶揄される国の人からオモシロイと評される京姫。然し今回は昆布との衝撃的出会いが全てを塗り潰しているのでツッコミなし。
「これは昆布、いや、Laminaria japonicaだな。昆布の中でも高級品だ」
「ほう。欲しがるだけはあるさね。これは日本食レストランと日本蕎麦屋に卸してる品の余剰分だよ」
昆布からは植物系グルタミン酸のうま味成分が摂取出来る。うま味とは、明治時代に日本人が発見した五つ目の味覚である。国際的にも「うま味」と言えばほぼ通じる。尚、伝統的な日本食文化はユネスコ無形文化遺産に登録されている。
「ちなみに、ここにない日本の食材なども手に入りますか?」
「よっぽど特殊じゃない限りは問題ないさね」
思わぬ巡り合わせに京姫のテンションも爆上がりだ。店主と何が輸入出来るかリストを見せて貰いながら色々と話し合っている。日本の食品店にも卸されていない食材がリストアップされており、専門店の名に偽りなし。
ついでの話だ・和食と言えば江戸のファーストフードだった蕎麦だが、蕎麦の実自体も海外では古くから知られている。だが、蕎麦を麺の形で汁に浸して食するのは日本文化の一つなだけで、蕎麦の実自体は広くヨーロッパにも分布している。蕎麦の実の粥や、蕎麦がき、パンなどでも食されており、小麦の代用品となっていたこともあった。イタリアなどは蕎麦のパスタが存在する。また、クレープなどは、溶いた蕎麦粉を焼いたものが起源である。
花花は両手いっぱいの荷物を抱える。商品と引き換えに、また発注をしていたが、使う分だけ都度発注しているのだ。これは品質管理のためである。「時間が経つと味が落ちるから」との拘りである。
ティナもメンテナンスに出した鎧を受け取り、みな手荷物が多い状態である。
そろそろ帰ろうとなった時、ティナが一言発した。
「せっかく来たので教会に寄っても良いですか?」
「イイヨ~。もう帰るするだけだから問題ナシヨ」
「私も構わないぞ。もう今日は特に用事もないしな」
どうせなら手荷物が増える前に立ち寄った方が良いのでは、とも思うが、彼女達はこの程度の荷物は苦にしないようだ。
マックス=ヨーゼフプラッツ――ミュンヘンの同名広場ではない――の区画内に、聖ニコラウス教会がある。薔薇のステンドグラスが美しいことで有名だ。
聖堂に入ると、簡素な造りの信徒席――四、五人掛け――が横に二列、縦に二一列と並んでいる。正面奥の主祭壇には、金色の円柱型十字架が天井より吊るされている。入って来た方を見やると、入り口の上が二階となっている張り出しがあり、パイプオルガンのパイプが荘厳に並んでいる。
白く明るい聖堂内部をティナは進んでいく。日曜ミサの時間とずれているため、礼拝者は疎らである。
その代わり、マクシミリアン国際騎士育成学園の公式下部大会を観戦に来た観光客が名所巡りで居合わせたりしているが。
荷物を預かった京姫と花花は、後ろの信徒席で陣取って待つことにした。
二人とも国教が別の宗教であるため、カトリックの教会内部に入ったのは実は初めてである。取り敢えずティナからは飲食禁止と静かにとの注意点を聞いた。京姫の場合は、入っても良いのだろうかとの不安と遠慮が織り交ざった顔をしている。花花はホヘー、とアーチ構造になった柱と天井を口を開けて見回し、所々にはめ込まれたステンドグラスを見ては漂亮ヨーと呟いている。
ティナは信徒席最前列に陣取り、静かに黙祷をする。今日は、感謝と嘆願を祈りに来た。ベストエイト進出出来たことに感謝を捧げ、ヘリヤと何としてでも違うブロックになりたいと嘆願する。嘆願の内容が酷い。本当に神頼みに来てるのが何とも残念な娘である。
それでも、ヘリヤと別ブロックになれば、ランキングポイントが少なくとも三回稼げる。せっかく予選ベストエイトまで来たのだからもう少し稼いで余裕を持ちたいと。
つまり、彼女はヘリヤ以外には負けないと言っている。自信過剰でも傲慢もなく、技を公開したことによって全ての要素を照らし合わせた事実として導き出した答えである。
祈りを終え、十字を切る。
右手を額にやり「父と」と口に出す。その手を胸に「子と」、そして手を左肩へ「精霊の」、最後に右肩へ「み名によって」、両手を胸で合わせ「アーメン」と。
「おまたせいたしました。さあ、帰りましょうか」
「もう、いいのかい? まぁ、ちょっと慣れない雰囲気だから正直有り難いが」
「ここ、スゴイ漂亮なツクリヨ。眼福ヨ。塔も登りたいヨ」
「あら、残念。塔の入場は日曜の一〇時四五分のみですよ? 有料ですけど」
「そか。お金掛かるカ……」
食材には結構な金額をかけるのに、それ以外には財布の紐が固い花花なのだ。
ふと、何気なく花花は京姫へ声を掛ける。
「京姫、気分転換なたか?」
「ん? ああ、中々充実したよ。珍しいモノも手に入ったしな」
そうカよかたヨ、と花花は目を細めて笑みを零した。まるで何かを見透かすように。
夜には、京姫からティナの元へ野菜の煮物が差し入れられた。
よく噛んでゆっくり食べろと。
薄味だが、何とも言えない上品な味覚が口に広がる。
「これは……! UMAMI、侮れません」
ちょっと乾物屋が昆布を卸した日本食レストランに通おうかと真剣に悩むティナがいた。




