05-007. ナポリに来ました、みんなと合流です
二一五六年一一月四日 木曜日
世界選手権大会は、毎年開始日が一一月七日固定であり、今年は日曜日から始まることになる。
マクシミリアン国際騎士育成学園はミュンヘン教育機関の暦に準拠しているため、一一月一日月曜から五日の金曜までは前後の土日を含めて九連休となり、秋休み真っただ中である。学園生で出場する選手は、休みの間に開催地へ移動するが、休み明けから大会中は公休扱いとなる。
然し、世界から見れば全国大会へ出場する選手はドイツ暦など関係ない。当然、国や自己のスケジュールで事前に大会開催地へ入場し、気候や環境に慣らせながら調整するなどは当たり前の話だ。特に、団体戦代表などはチーム単位の出場ではないケースもあり、初めて同じチームで組む選手も居る訳で、意志疎通と練習期間のため早期入場などざらにある。
大会開始前から既に賑やかなのだ。選手の姿を追って、メディアなども大量に入場しており、日々番組などで練習風景やインタビューなどが放映されていたりもする。
だが、そこは各国の代表に選ばれる者達だ。カメラ映りの良い部分だけ自然を装って公開し、見せたくない部分はメディアを徹底してシャットアウトしているのは周知の事実。
人が集まれば良からぬことを考える者も出て来るが、判っていない不埒者などあっと言う間に組み伏せられ、警備に届けられたりする。
世界トップクラスの騎士相手に、普通の手など通用する訳がないのだ。
イタリア共和国南部にあるカンパニア州の州都ミラノ。
高速道路式ハイラインから一般道であるミドルラインへ降り、白い大型バス――要人警護用転輪型装甲戦闘車Nachfolger三号――が市内を走る。
ふと、外からジェット音が聞こえる。防音の窓をして震わせたのは、成層圏飛行長距離旅客機が可変式ターボジェットエンジンで離陸した音と見える。
その音に反応し、ルーとオモチャで遊んでいたハルが窓に貼り付く。
「ねぇね、みてみて! ひこうきやさん!」
デルタ翼の大型飛行物体を指さし嬉しそうに姉を呼ぶ五歳児に、笑みを浮かべて呼び声へ応えるティナ。
「あら、ちょうど離陸したところですね。何処に行くんでしょうね、ハル。この近くにあるのはナポリなんたら空港でしたか」
「お嬢、ナポリ・カポディキーノ空港だ。なんだい、そのナンタラ空港ってのは。適当具合がルーのこと言えないぞ」
「うぐ」
空を駆け上がる旅客機を眺めながらキャッキャと喜ぶハルを尻目に、エレから入ったツッコミで思わずぐうの音が出た姫騎士さん。ルーが、失礼しやがるです!などと喚いているも本当のことなので仕方がない。
「ほら、ハル。椅子の上で跳ねたら危ないわよ。ちゃんとお座りなさいな」
窓際の座席で立ち上がり、元気にピョンピョンと跳ねまわるハルへ、母ルーンが注意を促す。はーい、と元気な声を返して座り直すハル。よく出来ましたと、頭を撫でられ、にへらと顔を綻ばせる幼児の姿に辺りの空気がほんわかと緩む。
今年の世界選手権大会はナポリで開催する。距離的に車両の空輸手続きとコストを見合わせた結果、ティナ達は陸路で訪れたのだ。
此度はティナの他、サポーターとして大会中は公休扱いのルー、アスラウグより招致を受けた母ルーンと弟のハル、そして当主家筆頭護衛としてエレが同乗している。
後は護衛が二人。ティナがアーアードバトル大会へ参加した際に動員した、対テロ特殊戦闘員で重火器操作、および対人制圧力を持つローザ・オストヴァルト女史と、兵装運用のエキスパートであるエステル・ファン・ローイエン女史が旅の仲間だ。現地では更に護衛二名が合流する。
ちなみに当主である父親は、休みの調整が取れず泣く泣く居残りだ。エレが出張って来ているので、ザルツブルクの当主家護衛はクルト・ケーラーが宮内省代理として統括している。
何れもザルツブルク、ローゼンハイム、ミュンヘンを担当する者達だ。
ザルツブルクから四時間半を掛け、そろそろ目的地が見えるところまで来た。
四年前、ナポリ第四次区画整備の際、ヴァッローネ・デイ・チェルヴィ――鹿の渓谷公園――を一部巻き込むように、近代技術の粋を集めて建設されたポンティ・ロッシ総合競技場。
陸上競技が可能な天蓋付き複合グラウンドを二棟持ち、Josteレーンも備える。
オリンピックやChevalerie競技も可能となる大規模施設だ。
この競技場で今年の世界選手権大会が開催される。が、目的地は此処ではない。
競技場から徒歩圏内にあるカレンベルク財閥直営の高級ホテルが終着点だ。
ティナ達一行は、ホテルのワンフロアを貸し切っている。
本来ならばティナとルーは競技場側にある選手村の中でエスターライヒ共和国用宿泊施設を拠点として利用するべきである。だが、ティナの立場上そうもいかない。
事件でも起きようものなら国際問題に発展する要人なのだ。そのため、セキュリティが厳重な設備を必要とする。
今回はイタリア政府と軍上層部、警察機構上層部を交えて交渉し、カレンベルク財閥所縁の施設を使用する許可を得ている。
自前の護衛で警備体制も整える方針とし、一族へ諸問題が発生した際の責任は全て請け負う旨で調整している。その代わり、武装などの特殊措置を捻じ込んでいるが。
一種の治外法権を要求しているのだが、国としても要人警備の負担と責任問題を鑑み、カレンベルク側の提案と天秤に掛けて呑み込まざるを得なかった。
世界選手権大会は観光収入だけでも莫大な利益を生む。
然し、運営からすれば様々な要件が山積みで消費出来るリソースも限られている。そこに軍、警察、それも特殊部隊クラスの動員が必須となる要件まで抱える余力などなかったのが実情だ。
「世知辛いですよね。ちょっとした旅行すら儘ならないというのは」
「あら、仕方ないじゃない。情報はあっと言う間に世界中へ広まるんだから」
ボソリと小言を零した姫騎士さん。すかさず母から当然だろう、と返される。
ティナが世界選手権大会へ出場することは公的に、財閥当主家名誉公爵婦人のルーンがナポリ入りすることは政府筋から、探るまでもなく情報が集まるのだ。
だからこその護衛と武装である。
「今後、世界大会出場する時の予行練習にしなさいな」
ルーンから世界選手権大会出場時のテストケースも兼ねていると諭されるティナ。判ってはいたが、実際に体験すると中々に面倒ごとが多いなぁ、とシミジミ思う姫騎士さんである。
「姫姉さま。海にはいつ遊び行くですか?」
ルーが観光ガイドを開きながらワクワクとティナに予定を伺う。確かにナポリと言えば美しい地中海に面した観光の名所だ。競技場からも一粁強と、徒歩圏である。
が、姫騎士さんは素っ気なく。
「行きませんよ? 今回は大会に出場するだけですから。冬場の海とか趣きはありますが、どうせ観光するなら夏ですね」
なんですと!と愕然した顔芸を披露するルー。ハルなどは、うみいくの?とキラキラした目で母の袖を引いており、ルーンは即答出来ない問いに苦笑いだ。現地入りしている護衛達を観光目的で展開していないからだ。
「……ルー、おまえなぁ。大会に出る!お嬢のっ!護衛でっ!来てるんだろーがっ‼」
語尾に行くほど力が籠るエレの叱咤と共にゲンコツが飛ぶ何時もの光景。ふべしっと鳴き声を上げて、ノーミソ波打つです!寄せては引くように!寄せては引くように!、と頭を抱えてジタバタするルー。車内のためゴロゴロは出来ないようだ。
グッタリと丸まったルーをツンツンと突くハル。その度にピクピクとするのが楽しいらしく、海のことなど忘れ去ったようで母もお出かけを有耶無耶に出来て一安心。
そんな珍道中――主にルーが原因――の終わる時間が訪れる。
Nachfolger三号が速度を落とし、ホテルの入り口に横付けする。
超電動モーターと水素ロータリーエンジンがアイドリング音に変わる。
拠点となるイタリアカレンベルク家が経営する五つ星高級ホテル、イル・パノラーマ・ディ・ナポリに到着した。ホテル名を直訳すると、ナポリの景観。
海沿いのホテルと異なり、内地側の開けた土地に建設しているため、この地域のホテルとしては高層で二〇階建て。ホテル名の通り、上階は市内と海を一望出来るロケーションだ。
このホテルは要人を迎え入れる設備が整えられているセキュリティの高さと、日本のおもてなし文化を取り入れた細に行き渡るサービスで、宿泊者が「心地よく過ごせて宿泊費の価値以上」と口々にし、評価は高い。まぁ、一般客向けの部屋でも一泊の最低額が三〇〇EURからと、お高くはあるが。
ホテル入り口には支配人と従業員が一行の迎え入れで列を造り花道が形成されている。その数歩後ろにはホテルの警備員が規則正しく整列している物々しさ。
ティナ達一行は、カレンベルクでも特別で最上位のVIPなのだ。カレンベルク財閥トップで準王族の立場は、各国でも国賓扱いされる。
車両からはエレ、ルー、ティナが最初に降車し、続いてハルを抱き抱えたルーンが降りる。残った護衛二人は車両をVIP専用地下駐車場へ車両を格納するため、この場では車内に居残りだ。
「ようこそお越しくださいました。スタッフ一同、心よりお喜び申し上げます」
ホテルの支配人が代表で歓待の挨拶を述べ、従業員全員が一糸乱れず深く頭を垂れる。その所作から教育が行き届いた一流の仕事を感じさせる。
「出迎え感謝します。滞在期間中、どうぞ良しなに」
当主婦人のルーンが代表して謝辞を返す。尊大にも聞こえる言葉使いは、上位の名家であるが故の作法である。
続けてティナは、「みなさんよろしくお願いしますね」と少し砕けた挨拶をし、それが緊張を緩めなさいとの合図だ。
支配人自らの案内でホテルのロビーに入れば、イタリアを拠点とするカレンベルクの護衛二人と合流する。
「ようこそ殿下、皆様方。私めはイタリアカレンベルク警備部から担当を仰せつかりましたエルシーリア・スポルトーレと申します。短い期間にございますが、ご不便なきよう務める所存です。そして、こちらが――」
「お初にお目通り致します、王女殿下。イタリアがベルガミーノ家長子、グリゼルダにございます」
深々とルーンに向けて最敬礼を取る二人。勿論、彼女達は特級クラスの護衛だ。
エルシーリアはカレンベルク一族所縁の護衛で配下にあたるため、準王族で名誉公爵夫人としてルーンを殿下と呼ぶ。
Wald Menschenのグリゼルダは、ケーニヒスヴァルト王女であるルーンの正式呼称を用いる。
二人共、ティナを呼ぶときは「姫」、ハルは「王子殿下」呼びだ。
ローザとエステル、エルシーリアとグリゼルダが持ち回りでルーンとティナに常時二名がSPとして随行する。其処にエレとルーが其々加わり、計三名体制が基本だ。
「二人共、手間を掛けますが、呉々も最善を間違えないように頼みます」
ルーンが放った言葉。
最優先すべき護衛対象は次期当主のハルである、と。万が一の事態が起こった場合、最悪ティナとルーンは時間稼ぎの捨て駒として立ち回ることを暗に示唆している。それだけ一族次期当主の価値は重い。
ハルはまだ幼いが故、母の旅に同行することとなった。日中、両親不在となるザルツブルクの自宅で留守番させるのは幼子にとっても宜しくなく、子供が何を仕出かすのかを理解している親の目線は重要だ。大人が周りを固めるだけでは難しい問題もあるのだ。そんな状況に次期当主が置かれていると知られれば、標的となる危険も考慮して旅に連れ出したのだ。
寧ろ、カレンベルク最高戦力のルーンと、護衛最高戦力のエレが揃っている今の状態は最も安全だと言える。
また、現地にはホテルを中心に半径二粁の安全確保と監視で、一二〇名の護衛と暗部が網の目を敷くように散っている。
それに。万が一の際は、ハルのために身を挺してくれる一騎当千の姉達が駆け付けてくれるのだ。
その姉達はロビーでティナ達の到着を心待ちにしていた。
「来たヨ! 待ちかねたネ! ハルも元気そうでウレシイネ」
「長旅、お疲れさまでした。小母様とエレさんには、その節でお世話になりました」
開口一番、ハルのご機嫌をまず確認する花花。
目上の者からまず挨拶を交わす京姫。先日、エレを含めルーンにも稽古を付けて貰った謝辞を改めて言葉で表す。
挨拶一つで二人の性格が良く判る。
「ティナママ、やっぱりアズ先生に呼ばれたか。ハルは後で隠形ゴッコをしよう」
小乃花から隠形ゴッコをしてくれると聞いて、ハルは大喜びだ。
「あなた達、本当にマイペースですわね。あきれてしまいますわ」
三者三様の弁に、テレージアが仕方ないなと溜息を一つ。彼女は偶々居合わせた、という訳ではない。
「お久しぶりでございます、公爵夫人。キューネ家が長女、テレージアがご挨拶いたします。この度は宿泊地のご配慮を賜り、我がキューネ家を代表して厚く御礼申し上げます」
見事なカーテシーを披露し、ルーンへ口上を述べるテレージア。
彼女の後ろには従騎士のラウデとハンネ、護衛と側仕え達が主に合わせ、頭を垂れる。
テレージアが言う通り、ホテル最上階を貸し切ったカレンベルク当主家が、彼女達に必要な数の部屋を割り当てたのだ。
「あら、そう固くならなくて良いわよ。非公式だし、もっと砕けてちょうだいな。それに謝辞も不要よ。ウチの娘達がお世話になってるんですもの。この程度じゃ返しきれないわ」
あくまでフランクな態度を貫く姿勢のルーン。同じフロアに滞在するので、出会う度に恐縮されるのは敵わないのだ。知り合いのおばさん程度で十分だと。
話は一〇月初旬に遡る。
試合会場近場でセキュリティレベルが規定以上の宿泊施設を探していたキューネ家は、カレンベルク一族所縁のホテルが在るのを見付けた。ミドルからハイクラス層向けのホテルで、且つセキュリティ万全なVIPルームを持っていると知り、カレンベルク当主家の伝手で今から予約を捻じ込めるか相談した。
その際、ルーンが貴賓向け最上階をワンフロア貸し切っているのでテレージア達を招いたのだ。勿論、名誉公爵家と同じく古からの約定を護り続ける同胞である名誉男爵家へ、貸し借り無しの無償提供で、だ。
ルーンの返しに、恐れ入ります、と感謝の言葉を添えるテレージア。そしてサポート要員として連れて来た二人の妹分に目配せする。
テレージアの従騎士は貴族同士で交流する際、直属の従者扱いとなる。その場合、大抵は名乗らせることなどない。然し、今回は状況が違う。二人はテレージアが目を掛けている後輩であり学園生の立場が主となる。故に、数日間お世話になる相手へ本人が挨拶するのは礼儀である。
二人にはテレージアが何れ必要になるかもしれないと、貴賓への礼節も学ばせていたのが役に立った。
「はじめまして、公爵夫人さま。私はニュンベルクがシュッセル家次女、ゲルトラウデと申します。ラウデとお呼びください」
「こんにちは、公爵夫人さま。わたしはミュンヘン市会議員の娘、ハンネ・パラッシュです。どうぞよろしくお願いします!」
ラウデは黒軍に参加したドイツ傭兵を祖に持つ名家の出であるため、中々に堂が入っている。ハンネは失礼にはならない挨拶だが元気一杯だ。
「あら、これはご丁寧に。ラウデとハンネね。こちらこそ騒がしくなるだろうけどよろしくね。私のことはルーンでも叔母さんでも好きに読んで頂戴」
二人の挨拶へ、にこやかにルーンは返した。ラウデなどは恐れ多いと顔に出ているが。
そんなことは気にせず、ルーンは言葉を続ける。
「ラウデはオスマン帝国戦で黒軍に出兵したシュッセル家の末裔だそうね。ウングァルンからゼベル術を持ち帰った家系よね。ハンネはパラッシュ姓で市会議員なら、近世のご先祖にアーデルベルトさんがいらっしゃらなかった?」
ルーンがシュッセル家について解像度の高いことでラウデは目を皿のようにして驚いた。歴史にも残っておらず一族以外、知る術がない事柄だからだ。同じく先祖の名前が出るとは思ってもみなかったハンネもビックリ顔で問いかける。
「はい、ご存知なんですか? うちはずーっと昔に騎士だったご先祖様が興した家系だとか聞いてます」
「あら、やっぱりそうなのね。アーデルベルトさんはパラッシュの名手で功績を上げて、使ってた武器から姓を拝命したって記録がウチに残ってるのよ」
「ふわー、そうなんですか? ぜんぜん知りませんでした」
まさか家名の成り立ちをルーンから聞くことになるとはハンネも予想だにしていなかった。それはハンネの家にも伝わっていない話だからだ。
ラウデは当然だがテレージアも驚きを隠せない。無論、ティナも知らない話だったので思わず尋ねる。
「おかあさま、寧ろなぜウチにそんな情報があるんですか?」
「呆れたわね。あなた、カレンベルクのデータベースにちゃんと目を通してるの? 一八世紀の七年戦争で歩兵隊長だったアーデルベルト氏と関わりがあったのよ。カレンベルクは関わり合った家系の詳細な記録を残してるでしょ? 一五世紀にシュッセル家も出て来るわよ? そう言った情報は真っ先に調べなさいな」
蓄積した情報は財産よ、特に関わった家系は優先して覚えときなさい、とルーンは付け加える。
千年より遥か以上前から子細な情報まで厳重に管理していることはカレンベルクの財産であり、一族が国家経済の根本に食い込めている一因でもある。
「ぐぬぬ」
当主家の一員であるティナは、母の正論に反論出来ず唸り声を上げているが仕方なし。
一方でテレージアと従騎士達は顔を突き合わせて話し込んでいる。ラウデ、ハンネの先祖がカレンベルク家と奇縁を持っていた。それが話題になるのは然もありなん。
「さあさ、立ち話も何だし、皆でお茶にしましょうか」
挨拶だけの筈が妙に濃い話が飛び出したので、聞き手の気分をリセットする目的も兼ねる。ルーンは合いの手を打って、ロビーに併設されたラウンジ内のティーサロンへ移動するよう提案した。格式を重視した古式のサロン形式であるため、膝程の低いテーブルと専用のマナーが特徴な場所。
ルーンが目配せすると、ホテルの支配人が「皆さま、こちらへおいで下さいませ」と、案内する。
などとルーンから促されるまで、ハルは、京姫と花花、小乃花とルーに隠形を使ったかくれんぼをして遊んで貰っていた。五歳児に対して、お姉ちゃん達は本気で隠れていたりするのだが、ハルは幼児特有の感性で直ぐ見付けて仕舞い、中々に白熱していた。
その遊びはエレの監視下にあったので、この空間内ならば万が一は起こらない。故にルーンもハルを自由に遊ばせていたのだ。
傍から見ていたホテルスタッフが目の前で突然消える彼女達に驚愕していたのは余談。
「ドリルん家のお馬さん、スゴイヨ! わたし乗せるくれたヨ!」
寛ぎの時間、花花が興奮しながらティナに熱弁する。
テレージアはJosteのアォスシュテルンクで大会ゲストに呼ばれている。
当然のことながら、テレージアがJosteをするには普通の馬では持たない。
だから、取って置きの愛馬を連れてきたのだ。
その愛馬はテレージアの膂力を平然と受け止め、気質も豪胆だ。馬から恐れられる花花が近寄っても平然とし、尚且つ背に乗せることさえ許す度量があった。
始めて馬に乗れた花花が大喜びだったのは言うまでもない。よもや、少し教えただけで乗り熟すなどテレージアも驚嘆したくらいだ。
「ああ、あれは滅多に出会えない良い馬だった。正しく戦馬と呼ぶに相応しい」
京姫も両手放しで褒めちぎる。彼女も乗馬させて貰い、鎧武者気分を味わってきた。戦国武者を模倣する京姫は確り馬術も嗜んでいる。
「あら、随分とお楽しみだったようですね。花花を乗せるくらい豪胆な馬でしたら、わたしも避けられないで乗馬させてくれそうですね」
ティナも内包する気配を感じ取られて、大抵の馬には遠巻きにされるのだ。
逆に小乃花は隠形が効きすぎて、馬が撫でられてから気付きビックリして跳ね上がると言う珍しい光景が見られる。
「おうまさん! ハルものりたい! しあしあ、のせてくれる?」
楽し気な話に幼児が食いついた。が、テレージアも少し困り顔だ。
「ハルちゃん、残念ですがわたくしの馬はさすがに危のうございますわ。小さいお子を乗せられるポニー種も連れてこられればよろしかったのですけど……」
ごめんなさいね、とテレージアは申し訳なさそうにハルへ伝える。
そっかーざんねん、と聞き分けの良いハルは無理を通さないのだが、あきらかにションボリしている。
テレージアの愛馬は、中世でも重装騎士を乗せる軍馬に用いられた重種であるペルシュロン。体高も一八〇糎弱で目方も一瓲を超える大型馬だ。性格はおとなしいのだが、力は競走馬より遥かに強く一馬力どころか一〇馬力を超える。幾らテレージアと意思疎通が出来る相棒だとしても、よそ様の子供を単独、もしくはテレージアが補助で相乗りして、という訳にはいかない巨馬なのだ。
「あら、それなら私と一緒にハルを乗馬させてもいいかしら?」
ハルの様子から残念ムードになった空気の中、ルーンがテレージアに問いかけた。
「それはようございますが、公爵夫人は乗馬のご経験がおありで?」
「ええ、問題ないわよ。今まで乗ったどんな馬でも指示を出さなくても言うこと聞いてくれるもの」
やったー、と喜びでピョンピョン跳ねるハル。よかったですわね、とテレージアが朗らかに言葉を掛けている。
和やかな雰囲気に変わり、ティナは目を細めるが、先程のルーンが放った怪しげな言葉をトラップする。
「おかあさまが近付けば、どう考えても馬が逃げ出す様子しか浮かばないのですが」
「ちょっと、失礼ね。あなた、自分の母親をなんだと思ってるの?」
「修羅ですが?」
何を今更、と言い放つティナ。
そして母娘の言葉無き攻防が始まった。
「…………」
「…………」
やれやれ、と親子喧嘩にエレが口添えする。
「お嬢、奥さまレベルになると動物は無条件に従うんだよ。昔、野生の狼と遭遇した時なんか、奥さまを見ただけで群れごと腹見せてたしな」
それはティナが生まれるより前、ケーニヒスヴァルト王女ルーン自ら鍛えられていたエレが幼少時に体験した話。
RPGゲームなどで「魔王からは逃げられない」とフレーズは知っていたティナも、現実にそれが出来る母親の非常識さにちょっと引いている。
ルーンは本当のことなので言い返せず、少しむくれ気味だ。
それを聞いたテレージアは、カレンベルク最高戦力と噂を聞き及んでいたルーンがその通りであったと確信出来、返って乗馬に問題が無いのだと安心した。
「やぱり姨姨はウチの師父クラスヨ。人食い虎囲むした時、師父達さけてたヨ。おかげでワタシ戦うことなたヨ」
花花が以前、虎を仕留めた話の概要が今更ながらに飛び出した。虎も逃げられない相手を避けて、その場で一番弱く感じた花花に向かったのだ。それが秘伝の身体操作で絶技へと高められた点勁で仕留められる羽目になるとは露とも知らずに。
「花花さん、虎と戦ったんですか! すごいです!」
ハンネが食いついた。会話のベクトルが変わる前兆だ。
「うゆ? ティーガーは食ったことねえです。ウマイです? ルーにも食わせろです!」
ルーが食方向へ会話を変換した。
「サスガに人食いした虎は食べるしないヨ。点勁二発打たから肉グズグズなてて食べるするモノじゃなくなてたネ。て言うか普通に虎食べるしないヨ」
今度は花花が明後日方向の会話を助長する。
「虎料理は兎も角、虎は保護種ではなかったでしょうか。花花さんが虎と戦うことになった経緯の方が気になりますね」
会話の方向性を修正しようと何時もチャレンジしているラウデすら虎退治の話に興味津々となっている。
「哦、虎コソリ飼てたヤツが飼う出来ないなてウチの山逃がしてたネ。虎自然知らないくてエサ獲るヘタで人襲うしたヨ。だから軍隊と山狩りするしたらワタシ達引き当てたヨ」
ルーとハンネは、ほへーと呑気に感心しているが、この場で顔を引き攣らせている者の方が多い。
そもそも軍と一緒に山狩りなど、多分一般人の花花が参加すること自体、通常では在り得ないからだ。虎が放逐された山の持ち主だとしてもだ。
「いや、何で花花が虎狩りに混じってるんだ? ちょっと考えてもおかしいだろう」
一般的に誰もが疑問に思うことを京姫が常識者代表としてツッコミするのだが、花花は何がおかしい?と言った表情で事も無げに答える。
「師父達、一緒するからワタシも安全で斃せる機会あるて言たから狩りでたヨ」
万が一の場合は師匠達が虎を斃すことを前提で花花に経験を積ませる目的でもあったのだろう。実際、虎は花花が手を添えただけで斃している。
虎騒動のように一般人が最前線に立つ暴挙とも言えるケースはまずない。偏に軍を納得させることの出来る師匠が居るのだろう。軍事もしくは政治的に信用か発言力を持っていると伺える。何気に花花のバックボーンが強力なのでは?と匂わせる内容が含まれた話だった。
蛇足だが、人の味を覚えた野生動物は殊の外、危険になる。人間は鈍重で動物にくらべ狩り易い。然し、一番の理由は体毛がなく食べ易いのだ。だから味覚は兎も角、人間ばかり襲うようになる。
最早、会話のベクトルを軌道修正出来ない程、インパクトが絶大な爆弾を放り込んだ花花。本人は、何てことない風であるのが異常性を際立たせる。
何せ、彼女を育てた師匠達全員が、虎と対峙出来るだろうことも常軌を逸している。
「いえいえ、何を素っ頓狂なこと言ってるんですか。どこの世紀末ですか、花花のところは」
姫騎士さんの言い草もトンチキではあるが。
「そちこそナニ言てるヨ。ウチにはモヒカン刈りの暴走族いないよ」
花花も酷い言い草だ。
「花花まで何言ってるんだ? この間見た映画に影響され過ぎだろう」
ツッコミ役が板についている京姫は、淡々と述べる。面白みがないと言うなかれ。彼女が鎮火しなければ、妹組とは別ベクトルで話が明後日方向に向かうのだ。
「京姫。世の中にはモヒカン刈り暴走族とコアラが産地の国がある」
鎮火作業にガソリンを注ぐ小乃花。まさかの刺客に京姫も愕然とする。
「小乃花さん、偏見すぎじゃありませんこと⁉ 各所からクレームが来ますわよ⁉」
然しものテレージアもツッコミに回った。斜め方向に飛んだ会話の方向修正まで手が回らなかったようだ。
日本の諺で「女三人寄れば姦しい」などとあるが、それを体現するかのようにワイワイと騒がしくなった。
この場は高級ホテルのティーサロンであり、本来なら礼節を重んじてスタッフから注意を受けるレベルなのだが、幸い他の宿泊客は居合わせていないので静観している。礼儀の範疇を超える場合は姦しい娘達をルーンが窘めると判っているからだ。
「このプレッツヒェンうめえのです。ぷちゅっと挟んだショコラーデがネットリです」
「ルーさん、こっちのバニレ味も高級な味ですよ! サクッとおいしいです!」
何時の間にかルーとハンネは、お茶菓子に注意を引き付けられて品評会の真っ最中だ。
「二人共、この騒ぎに思うところはないのですか」
妹組で常識枠のラウデがルーとハンネに話を振るも、二人はキョトンと不思議そうな顔で首を傾げている。
ある意味、彼女達が気を置かなくて良い空間で時々訪れる、カオスな状況――それが今である。
兎角、騎士は自由人が多いのだ。
「奥さま、そろそろ……」
どんどん纏まりが無くなっていく騒がしさを見兼ねたエレが、この場では最上位のルーンへ少ない言葉と視線で上申する。
そうね、と小さく答えたルーンが、娘達へ声を掛けた。
「あなた達。いい加減、静かになさい」
その声は、張り上げるでもなく、かと言って威圧もない。穏やかな口調で静かに紡がれた一言は、騒がしさの中に在っても辺り一面に深く染み透った。
途端にピタリと会話が止まり、先程の騒々しさが嘘のように消えた。
「(さすが、奥さま。一瞬で場を支配した)」
エレは静けさが訪れた娘達を見やり、内心でルーンに感嘆する。
これは、ルーンが持つ格が引き起こしたのだ。皆が従うべき言葉を告げられたと本能的に反応した結果だ。
静かになった中、ルーンは膝の上に置いたティーソーサーからティーカップを持ち上げ、見事な所作で紅茶を嗜んでいる。まるで初めから何事もなかったかのように。
「(参りました。この制圧力は、当分おかあさまに追い付けませんね)」
姫騎士さんは紅茶を一口含んで、ほう、と一つ息を吐きながら内心で零した。
娘達は、ルーンの威厳を肌で感じ取らされた。
世界選手権に出場する強豪の騎士達が、戦わずして敵わないと痛感させられたのだ。
「やぱり、姨姨は大師と変わりないネ」
「ないねー」
腕を組み、頷きながらシミジミと呟く花花が全員の意見を代返していた。
そして、花花の言葉尻を拾って真似をするハルが、皆の頬を緩め笑顔を誘う。
ちょっと緊張気味になった空気をほんわかと変えたのは五歳児の一言であった。




