04-029.武将と功夫。 Teufel Prinzessin und Hinunterfliegen Kamelie.
現在時刻一五時四五分を少し回ったところ。これから冬季学内大会Duelの部、決勝戦が始まる。
一五時一五分から始まった三位決定戦は、中々に白熱した戦いであったが、試合自体は一〇分程度で決着がついた。そのため、次の決勝戦で戦う花花と京姫は一息整える時間的余裕も増え、今しがた見ていた三位決定戦を気分新たに冷静な分析が出来た。
三位決定戦の直前にルー、ベル、マグダレナの自称応援団が闖入して賑やかしく去っていったが、気分を切り替えるには丁度良い塩梅だったと京姫の笑みから伺えた。自称応援団は意外にも役にたっていたようだ。相も変わらず、ルーがドライフルーツを集っていったのはご愛敬。
件の三位決定戦も随分と特殊であったと言えよう。
準決勝を敗退したシルヴィアと小乃花の戦い。結果から言えば、小乃花が一本を失いつつも二本先取で勝ちを捥ぎ取った。
この試合、小乃花は騎士装備を何時もの黒がベースで裾へ向けて蒼いグラデーションの入った直垂姿。対してシルヴィアは武器デバイスにゼベルを二本持ち込み、初めて見せる二刀流であった。
ゼベル二刀流と言う珍しい技法だが、シルヴィアの家伝で練られたものと伺えた。その練度は非常に高く、恰もゼベルは此れこそが正しい使い方のように錯覚を覚えた程だ。
しかし、それであっても小乃花が一枚上手だった。此方でも花花戦で用いた、複雑な隠形が相手の戦術を悉く無効化する。Mêléeでも見せた匍匐機動(カメラでは終ぞ姿を捉えられなかったが)を取り入れた上下の緩急なども繰り出し、最後にはDuelで背後を獲るなど、凡そ騎士が経験することのない戦術の数々にシルヴィアは終始翻弄されて終いになった。
「……すごいな、小乃花は」
選手控室で小乃花の戦う様を見た京姫は、溜息交じりに感慨深く呟く。
純粋な刀術の技術ならば、京姫は小乃花を上回る。それを脇構えや隠形、棒手裏剣の投擲を組み合わせて第一線級にまで届かせたことを知っているし、実際に戦えば一瞬すら目を離してはならない手強い相手だ。
だが、準決勝、三位決定戦の小乃花は今迄とは違う、より深い顔を出して来た。刀術だけではなく、それ以外の強さをまざまざと見せつけられた。ほんの触りだけであろうが、あれは人目に晒してはならない技術を密かに忍ばせていると判った。何せ、宇留野御神楽流でも時代の陰に属する技は伝わっているだけに、同じ臭いを嗅ぎ取ったからだ。
「どんな技術だろうと所詮は技術に過ぎない、か。要は、どう引き出して扱えばいいか」
何故、小乃花が此度の大会で秘事に数えられる技術を出したのかは判らない。しかし、京姫の心を打つには十分だった。
「全部、自分の心が決めること。それを私は判ってたつもりで、結局は目を逸らして本当のことは判ってなかったんだな」
小乃花が見せた姿は正にそれだった。使う者が理解し、扱うからこそ技は生きる。それは心の置き方を如何にすべきか征く先を照らす標に見えた。
京姫は思い出す。いつも隣に居る友の姿を。ティナは目的のためならば、悪辣な手段を取ろうが微塵も後悔せず嫋やかな笑みを浮かべられる心の強さがある。
花花だってそうだ。人を確実に屠る技を持ちながら彼女は何時も陽気で、そんな素振りすらない。本当に技を使わねばならない時を弁えているからこその、芯の強さがある。
直ぐ側に良いお手本が居るではないか。彼女達が清濁併せ呑んでいる姿を何時も見ているではないか。
だから。
「恐れることは何もない、何もないんだ。そうだよ、私を形造る中に最初からあったんだから」
京姫は噛みしめるように呟いた。彼女が怖れていた、内面に潜み棲む冷酷な自分。先の試合ではそれに向き合い、少しだけ引き出せた。しかし、本当の意味でどう折り合いを付けるべきか、心の奥底に問うことが出来ていたであろうか。漸く自分の内面に向き合う決意が固まる切っ掛けとなったのは、小乃花の試合であろう。
ちゃんと伝わったのだ。小乃花から後輩に送ったメッセージが。強さとは心の奥底にこそ宿るものだと。
――同時刻。
競技者控室でくつろぐ花花。自称応援団と言う冷やかし連中に振舞った普洱茶を再び淹れ直し、競技中に持ち込む分の余りで口を潤している。
「うーん、小乃花はイツモのカッコでアッチの技だせる試してたネ。シルヴィアも西洋武術の二刀と違うは家伝で練てるヨ、きっと。実戦の動きだたカラ、結構長い歴史ありそうネ。身体の使い方、二刀に最適化してたヨ。」
花花は、先ほどの三位決定戦を見た振り返り中である。次の試合に向けてコンセントレーションを高めてる訳でもなく、戦う相手の対策などをしている訳でもない。完全なリラックス状態だ。
既に決勝戦だ。自分は戦う時を選ばない。それに今更、何かしらの方策を考えるなど無駄に等しい。それが通用するような甘い相手ならば、そもそも決勝の舞台に立ってはいない。だから花花は何時も通りなのだ。それで最高のパフォーマンスを出せるように、物心ついた頃から自身を造り上げている。
「全く、小乃花も過保護ヨ。きっと京姫も何言いタイ届いた思うネ」
やれやれと、肩を窄めて一つ息を吐く花花。面倒見が良い癖に、実は手の掛かる友人を思い浮かべ笑みを零す。
小乃花の言った通り、楽しもう。二人で。
Duelの決勝戦ともなれば、客席も随分とヒートアップしている。試合が終わった、もしくはDuelに参加しなかった騎士達なども、一般客席や競技者閲覧席などで結構な人数が試合の開始を待っている。彼等彼女等は、花花と京姫がどのように決着を付けるのか見逃すまいと出向いて来ているのだ。
冬季学内大会Duelの部、優勝候補大本命だったティナがまさかの欠場。そして、勝ち残ったのは共に、前回の春季学内大会でヘリヤからポイントを捥ぎ取ることが出来た下級生組三人の内二人。一人は、ヘリヤの攻撃を第三試合終盤まで回避する脅威の身体性能を見せつけた。一人は、試合中に一つ高みへ届かせ、初動の判らない攻撃を放ちポイントを二つも奪った。
春の大会は、ヘリヤが初めて試合の最初からフルスペックで戦った。今まではと言えば、ヘリヤが全力へ至るまでに試合の決着が付いていたのだ。
ヘリヤにとって学園生最後の大会だったからだろう。だから残る者に刻み込んだのだ。
去り行く自分が本当は、どれ程の強さを持っていたのかと。
私はあの場所で待っているから追ってこいと。
今までポイントを奪えた者達でさえ、最後の大会を戦うヘリヤには成す術もなく蹴散らされた。だからこそ、花花と京姫が注目されるのも当然だろう。
競技コントローラを挟んで西側の登録エリアで装備の最終確認をしている花花は、何時もより騎士の観戦者が多い競技者閲覧席に目を遣りポツリと呟いた。
「おー。ヒトいぱい見に来てるネ。『枯れ木も山の賑わい』、ヨ」
「良く日本の諺を知ってたな。しかし、この場合で使う意味の言葉じゃないぞ?」
東側の登録エリアで作業中の京姫から、すぐさま呆れた言葉が返される。
「気にしない、気にしないヨ! おおむね間違いナシネ!」
「いや、間違いだらけなんだが」
傍から見れば呑気な掛け合いを繰り広げる二人。その姿は、普段と変わりなく。
気負いなど欠片もなく、ありのまま。この大一番で、彼女達は何時も通り笑い合い、そして刃で語り合うのだ。二人が相対する上で最後の気懸かりだった、京姫が内に抱えた戸惑いも今はない。ならばこそ、尚更に普段通りでいられるのだ。
二人の取り留めがない遣り取りは、学園生アナウンサーの試合開始を告げる放送が始まるまで続いた。
『さあ、みなさん! 今大会最後の試合となりました! 勝利を掴むのは果たして何方の騎士か! 手に汗握る瞬間をどうかお見逃しなく! さて、最後の解説担当はスポーツ科学科六年、キース・スウィフトでお送りいたします。審判も変わりまして、二つ名【ヴェルサイユの白百合】ことアンヌ=マリー・クジヌー です!』
決勝戦ともなれば、最も優秀な学園生アナウンサーと熟練の審判が取りを務める。特にキースは卒業後、放送局のキャスターとして内定が決まっており、今現在でも同社の外注扱いでトーク番組やバラエティ番組のサブキャスターとしてメディアに度々露出している。審判のアンヌ=マリーも冷静沈着に試合を判定する能力や場に合わせた状況判断と行動力を評価され、フランスの国際シュヴァルリ評議会から公式審判部門へのオファーが来ている。
『決勝を戦う競技者紹介です! 東側選手は、先の試合では槍と刀を巧みに使い相手を翻弄する姿から一転。最後は時間を置き去りにするような、脅威の連撃が披露されました! まだまだ底は見えません! 二つ名【鬼姫】、騎士科三年所属日本国籍、京姫・宇留野~!』
場内は歓声と騒めきの両方が巻き起こっている。何時ものように折り目正しく礼をする京姫。だが、京姫が競技コートへ入場してきた時からずっと、それこそ花花と掛け合いをしている最中でも客席は様々な声が上がり騒めいていたのだ。
その理由は京姫の騎士装備である。いや、この場合は武者装備と言った方が正しい。
鎧下の直垂は蓼藍の墨色に近い濃紺であるが、鎧は赤備えで、胴から具足まで全て赤漆の朱が鎧下と相まって良く映える。胴鎧は、最上胴と雪下胴を合わせたような細身のシルエット。そこから八間草摺と呼ばれる八枚の草摺りが腿部分まで覆い、何時もは剥き出しの下半身を隠している。この草摺りは南蛮胴のように蝶番で留められ、可動範囲を広く取られていることが大きな特徴だ。
そして、兜。古くは鍬形の呼称だった飾り部分――立物――であるが、正面の前立には神代の秀真文字で縦の一文。巫の神事で使う特殊な読みと意味合いのある四文字だ。兜の両脇には湾曲した長い角が脇立として誂えられている。
更に、何時もの鉢金部分に角を生やした面頬ではなく、目の下から顔を覆う朱の面頬が、この鎧と一揃えなのだろう。
赤で装備を統一した赤備えは、武田家配下の一軍に配備され、以降は忠臣の真田昌幸、その子息である幸村に引き継がれたことで有名だ。しかし、京姫の鎧は、武田家所縁のものではない。もっと古い時代から宇留野家を顕す陰と陽の色。それを用いて戦国の世に誂えた、宇留野家の合戦鎧だ。もちろん、Chevalerie競技用にオリジナルから写したものであるが。
『続きまして西側選手です! 彼女の見る者を惹き付ける華美で流麗な戦いぶりは、目には見えない裏側に、どれほどの研鑽を積んで来たのかを我々にほんの少しだけ覗かせてくれました! 確かな技術が其処に在る! 我々はまだ上辺だけしか見えていませんでした! 二つ名【舞椿】、騎士科三年中華人民共和国国籍、陳・透花~!』
花花は何時も通り、両手を高く振りながらピョンピョンと跳ねる観客へ向けた挨拶。
彼女が自慢の脚線美を見せるため、腰の横に大きく切れ込みが入った股下と同じ丈の旗袍。春の空を起想する薄水色は、身体の線が良く判る薄いシルク製だ。勿論、衣類系の装備では標準と言える、繊維状にしたHCが織り込まれたものだ。
何時もと違うのは、剣帯と見えるベルトが腰に緩く巻かれていることだ。左側に斜め後方へ向けて、輪になった短い筒が付いている。おそらくは筆架叉を刺し込んで、武器デバイスの鞘止め用に設けられた物理部分で収めるものだろう。彼女が左手に持つ副武器デバイスが物語っている。
『双方、開始線へ』
審判のアンヌ=マリーから高く良く通る柔らかい声が響き、二人の選手を呼ぶ。
ハイハイヨ~と、陽気な声を上げる花花、凛として物静かに歩みを進める京姫。
友の二人がDuelで相対するのは初めてだ。それが決勝戦ともなれば。
向かい合う二人は今、万感の思いを――などと感傷に浸るなど全くなく何時も通りだ。
「京姫、やっとそのヨロイ着る出来たネ」
花花の反応は、最初から京姫の武者装備を知っていたと伺える。それも随分と前から。
「予想より早かったって思いの方が強いよ。まだ数年は掛かると見込んでたしな」
京姫が大一番の時に纏うと決めていた決戦装備。宇留野家が武将として戦場に立つ際の大鎧、朱漆塗墨糸威二枚胴具足。何れ決勝まで進めるようになればと願いが込められていたが、三年目にしてそれが叶った。それは早かったのだろうか、それとも遅かったのか。京姫が己自身に相応しいのか問うものだ。
「だから、今日は胸を貸してもらうつもりで挑ませて貰うよ」
その京姫の言葉に、頭をガックリと落として大きな溜息を吐く花花。徐に顔を上げ、京姫の言葉は良しとしないと返す。
「違うよ、京姫。ここは楽しむトコロヨ。心の奥底から楽しんでいいトコロヨ」
花花の言は、――京姫が一人で抱え、葛藤していた深いところを指している。この段になれば、さすがに京姫も何を伝えたいかは理解している。小乃花と言い、花花と言い、お節介で本当の自分を見てくれる、とても有難い存在だ。ならば答えよう、と。彼女達へ感謝を籠めて。
「……ああ、そうだな。楽しむよ。魂の底から」
その言葉を聞き、喜色満面で花花が溢れるように言葉を紡ぐ。
「そうがいいヨ! せっかくの晴れ舞台ネ! きっと京姫と剣で語り合うは楽しいヨ!」
釣られて京姫も笑みを零した。
何時もの模擬戦や手合わせとは違う。自分達の戦いが如何に繰り広げられるのか、見届けるは満席の観客。彼等は今日これから始まる戦いの語り部ともなろう。
『双方、抜剣!』
二人のマイクパフォーマンス――実際は友の語り合いだが――の余韻に浸る時間を見計らい、審判が合図を掛けた。と、同時に二人の武器デバイスから刀身が現出する。
京姫が両手で持つ大身槍 銘 備前行包作の柄から、太刀打ちと穂先が生まれる。鎧共々、朱の装備が本来の姿なのだろう。そして、腰元には脇差ではなく、太刀 銘 来国光を佩いている。
花花も二つの武器デバイスを持ち込んでいる。一つは春季学内大会でヘリヤ戦に持ち込んだ、刀身が一一〇糎ある大太刀造りの苗刀だ。倭寇との戦いで研究され造られた中国産の刀で、勿論日本刀とは造りと運用が違う。もう一つは、最近ではお馴染みの三又に分かれた筆架叉を左手に携える。
『双方、構え!』
ここで花花がお馴染みの演武を始める。左手の筆架叉は、やはり腰の剣帯に刺し込んでいる。刀身が後方へ流れるため、花花の激しい動きでも支障が出ない造りとなっていた。
元々、苗刀は通備双手刀法と言う両手で扱う武器だ。長い刀身を持つが細く軽量であり、穀物の苗を想起する刀であることから苗刀と呼ばれる。日本刀と違い、竹刀のように長い柄を持つのも特徴だ。
苗刀が登場した明の時代から清の時代に掛けて、様々な武術流派で研究され取り入れられたりもした。劈掛掌や八極拳では今もなお、技術が伝えられている。
花花はスウッと息を吐いて、起勢から演武を始める。中央国術館で制定された二路苗刀の套路から、苗刀が運用された初期の四路苗刀に繋ぐ。そのまま苗刀十三式第一式抽刀式から第十三式点刀式を一通り熟す。
そして、今回はさらに続く。劈掛掌にも八極拳ともつかない、未知の套路を披露した。
――陳家太極拳黒雙手刀。
第一式雙手刀初勢から第十二式收勢までの十二編を舞う。ここまで披露した苗刀の型とは様相がまるで変った。
円の動きを中心とした刀身の流れは他と同じだが、全身をくまなく覆うように防御を伴う攻撃と迎撃の型と見える。両手から片手、片手から両手へと自在に操られる苗刀は、形は似ても日本刀とは根本的に運用法が異なることを伝えて来る。
本来は陽の目を見ることのない暗部で伝わる技であるが、花花は見せても問題ないと判断したのだろう。その花花は、苗刀の柄を持った右手を包むように開いた左手を添える拱手――抱拳礼――で演武を終えた。
この演武は京姫の興味を惹くに十分だった。初めて見る苗刀の型に、目を輝かせて魅入るほどだ。だから思わず口に出たのだろう。
「おもしろいな。大太刀サイズでそんな運用をするのか。峰に手を添える型が多いのも日本の剣術と大きく違う。それに、あれだけ激しい動きなのに内外合一(※)が微塵も崩れないのはサスガだな」
(※注釈)内面的な力が動作によって生じる外面的な力と一つになり、強力な力を発揮すること。
「楽しんでもらてナニヨリヨ。京姫にはイロイロ出さナイと楽しく戦えないネ」
笑顔で返す花花は友人の顔であった。だからと言って、忖度などなく。本気で仕合える掛け替えのない友人なのだ。
そんな関係を築いているからこそ、京姫も笑顔で居られるのだ。
二人が極々自然に戦う準備へ入る。まるで何時もと同じだとでも言うように。
花花が苗刀の柄を胸の下辺りに持ち、刀身の峰は右肩へ置かれる形になる独特な構えを取る。
対する京姫は、彼女の起点とも言うべき左前半身で腰を落とした、自護体の左前手地の構え、所謂基本構えだ。武者装備と相俟って、戦国武将宛らの迫力がある。
「(なるほどヨ。コレが入了神の入り口に踏み込んだ証ネ)」
模擬戦や手合わせとは全く違う。仕合いとして相対した瞬間に判る京姫の恐ろしさを花花は改めて噛みしめる。
存在感があるのに、それが当然の如く自然に溶け込んでいるのだ。この試合を見ている観客達も、同じように注視している殆どの騎士さえ、その違和感に気付いてないだろう。僅か一握り、高みに届いている騎士達が目を見開いているくらいだ。
『用意、――始め!』
それは、審判が開始の合図で両腕を上から下へ交差した瞬間に起こった。
――ガリリッ、と硬い物を擦った鈍い音と共に、ポーンとポイント取得を知らせる通知音が響く。
その時には京姫が低く滑るように退き、花花は歩形の一つである仆歩――右脚を伸ばし、倒れるようにしゃがみ込んだ姿勢――から後ろに置いた左脚を起点に身体を退き戻していた。
「(さすが花花だな。通じないどころか仕切り直しさせられた)」
「(アブな~ヨ! 師父のデコピン訓練してなかたらモラてたところヨ)」
避けられるだろうと予想はしていたが更に上を征かれて感心する京姫。
無我の境地へ入った相手に稽古をつけられていたが故に対策出来た花花。
開始早々、一秒の半分に満たない時間での出来事だった。
――合図と同時に京姫が浮身の歩法で滑るように距離を詰めながら、上半身は初動の判らない刺突を繰り出す。通常なら脚から手先まで骨の連動が必要だが、上半身だけで技を出すならば手打ちの威力がない腑抜けた攻撃になる。それを奥義――宇留野御神楽流 奉納槍術 奧伝四之段「弓」――にて、強力な一撃に変えた。身体内部、筋肉の張力のみで運用する技法は如何なる体勢でも攻防を可能とする。そこに体軸と上半身のみ骨を連動させ、誰も避け切れない時間を凌駕する攻撃を重ね掛けした。
だが、花花は京姫の刺突が繰り出される瞬間を聴勁で読み取り、脊髄反射が始まるより速く対応に動いていた。
飛来する槍の起動と到達距離、攻撃の終いで何処に京姫が脚を置くかを特定。そして反撃をさせない位置への浸食。それを一度に行う。
仆歩で前方向へ身体を沈めながら、肩に置かれた苗刀を縦に振り被る。姿勢が低くなりながら振られた苗刀は、槍の穂先を掠めてから太刀打ち深くまで食い込み、攻撃を頭上へ逸らす。花花自身が前へ滑り込んでいるため、槍を引いての二撃目が出せない位置だ。
そして苗刀は、槍の太刀打ちを押し遣りながら更に振り下ろされ、左半身になっている京姫の前脚、左脛を斬り抜いた。
さすがに京姫も脚の一つを効かなくされれば、この態勢から有利な展開に持っていくことは儘ならない。だからこそ、後ろに残した右脚へ重心移動し、退避一択となったのだ。
仕切り直させる、と言うところまでが花花の迎撃に含まれた流れであった。
観客達も試合開始早々、刹那の攻防が交わされるとは予想外であったのだろう。会場内は一瞬だが無音となり、静寂が訪れた。そして一斉に大地を割るような盛大な歓声が辺りを埋め尽くす。正に決勝戦として相応しい出だしであったと。
「(さてさてヨ~)」
花花には轟く歓声が届いていないのだろう。然も当前のようにスルスルと動き出す。三才歩、反三才歩、猿猴歩法と、中国武術では基本となる歩法だ。しかし、その軌道は不規則。花花自身は円を基本とする動きではあるが、右かと思えば左へ、前に寄れば後ろに。捉えどころがなく、何を狙っているのかさえも予測不能な挙動である。
一方、京姫は退いた位置で地の構えを保ったまま微動だにしない。左脚のダメージペナルティを抜きにしても、相手の挙動に合わせて体勢を変えるなどの素振りすらない。
だが実情は違う。京姫は動きたくとも動けなかったのだ。
「(まいった。無心の技が出せたとしても花花を捉えきれない)……まさかこんな封じ方があるなんて思わなかった」
京姫の無我の境地に立ち入った技は、自然と一体になる特徴がある。無意識下から攻撃を繰り出すものと趣は異なり、攻撃自体が自然の一部に溶け込む。故に、相手は攻撃に対する知覚が尚のこと遅れる。それが戦い辛い相手であると認識を広める要因だ。
ならば花花の取った行動はどういったものであったか。
先の先や後の先を読んだ訳でも無く、その先に在る意思を読んだ訳でも無い。京姫が自然に溶け込んだのと同様に、花花自身も自然の一部と振舞ったのだ。
椿の花が風で揺れるように。
落ちる花弁が水面で揺蕩うように。
全ては京姫が捲き起こす風を受け、逆らわず身を任せたに過ぎない。だからこそ、京姫は攻撃を当てられない。自然に対して共に自然へ溶け込むことで、京姫が新たに紡いだ技能を無効化されたのだ。
「(初心に立ち返るか。初めて大身槍を正しく振れた慶びを思い出そう)」
京姫の気配が濃密に浮き上がって来る。未だ自然の一部に溶け込んでは居るが、個としての存在感を露わにした。
「さてと。私は私の在り方を示すべきだな。……宇留野御神楽流師範代、宇留野京姫。いざ参る!」
新たに手に入れた無心の技。未だ技に使われていることを身に染みた。今の自分では過分な技だと。だから一度切り捨てる。本当に頼るべきは、京姫が幼き頃より只管に練って来た技術。それこそが自分を成すもので在るのだと。
京姫が京姫自身の全てを出す決意が漏れ溢れる。それを感じ取り、花花は自在に揺れる動きを止めて口を開く。
「そうするがいいヨ。全部入了神は防ぐ方法いくらでもあるヨ。ときどき出るは理想ネ」
事も無げに言う花花だが、此れを防ぐことが出来る高みに届いている者が如何程いるのか。彼女は無我の境地へ到達した師父を相手に修行していたからこそ、対処法を持っているのだ。
それを出来る例としてティナがいる。Waldmenschenと言う一族の特質上、自然へ溶け込む技能が異常に高い。夏に日本のテレビ番組で模擬戦を披露した際、京姫の初動が判らない突きを初見であしらったのも花花と似たような技術だ。
――閑話休題。
「それじゃあ、私の全部を受け止めてもらいますか」
少しお道化て京姫が言葉を紡ぐ。しかし、その言葉が終わらない内には攻撃行動へ移っていた。
浮身の源流から編まれた歩法は、相手にそれと気付かされずスルリと間合いを埋める。そこから放たれた大身槍の中段突き。
力みもなく言葉尻に乱れもなかった。まるで日常会話の中で放たれた攻撃。普通ならば完全に虚を突かれただろう。
だが、普通ではない相手だ。
――キャリン、と甲高い金属音が響く。
何時の間に抜いたのだろうか。花花は左手に筆架叉を持ち、その三又に別れた串の間に大身槍の穂が銜え込まれていた。
それだけではない。京姫の動きに合わせて、大身槍の最長到達点より身体を退き、捕まえた大身槍の穂に、筆架叉経由で擒拿――梃子の原理を用いた関節技――を仕掛けた。目標は槍を媒介にし、京姫が大身槍を固定している左手。そこから体を崩すのが目的だ。
「(お? お? ナカナカおもしろいするヨ)」
擒拿を掛けた花花は、楽し気に笑みを零す。京姫が擒拿の捕縛を左肩甲骨で流したからだ。その動作の中で、京姫は槍を引くではなく、右手の位置を起点にして身体ごと前へ進み、持ち手となる左手の方を前へと滑らせて再び刺突を繰り出せる態勢となっていた。
そして、受け取った擒拿の威力を右肩甲骨へ流し、移動した位置から再度中段の刺突で花花へそのまま返して来たのだ。
さすがに花花も、仕掛けた攻撃の威力が上乗せされた螺旋の突きを筆架叉で縫い留めることは出来ない。だが、筆架叉が大身槍との点で接触している故に、槍の軌道から逃れることは容易い。花花は身体ごと大身槍の右側、つまり京姫の背側へ蹈み込みながら筆架叉を手離す。二段突きが出来ない位置取りを活かしながら苗刀を両手に持ち替えたのと、京姫の太刀を受け止めたのは同時だった。
「(ヤラレタネ。器械捨てるは京姫の得意だたヨ。日本の刀が有利なカタチ取られたヨ)」
花花が筆架叉を捨てた接触感知から、京姫も同じく大身槍を手放した。そして半歩右脚を進め花花と正対した時には、腰元の太刀 銘 来国光へ右手を掛けて股関節の動きで縦抜刀。そのまま正眼の位置で花花が両手持ちにした苗刀へ鍔迫り合いを仕掛けたのだ。
シャンと鈴が鳴るような音で綺麗に刃筋が撃ち合わされた太刀と苗刀。凡そ人一人分を挟んだ二人の位置は、斬り合いの技術を持つ京姫が得意とする領域だ。
「(筆架叉の感覚がなくなったから太刀へ切り替えて正解だったな)」
内心で呟く京姫だが、花花が持つ身体操作を今も尚、その身に受けているからこそ零れた言葉だ。
観客達からは、二人が僅かに揺れているのは誤差のレベルで、全く動きがないと見ているだろう。しかし、小乃花と花花の試合が高度な身体操作による駆け引きで成り立っていたと同様に、この鍔迫り合いも水面下では鬩ぎ合いが続いている。
京姫が股関節の可動で花花の体軸をずらそうとすれば、花花はそれに対応し、中心軸を取らせない。その逆もまた然り。
西洋剣でバインドとなった時、相手の剣を受けている場所が剣身の中ほどより先に行くにつれ力点となる持ち手から離れるため「弱い」、鍔元に近くなるほど力が乗せられ「強い」と表現される。これは剣にかかる力が如何程かで、両者が次に繋ぐ技術を変えることに繋がる。
そして刀術、特に日本の刀術に関しては、斬ることに重点を置いた武器の特性上、西洋剣のバインドと比べ更に精緻な駆け引きが必要となる。
大きく動くと消耗する。筋力に任せると居着きが起こり疲労は蓄積する。故に極小の動きで脱力――本来の言い方は抜力――し、刃筋を立て、体重を掛け、相手の体軸を崩す。その全てが揃った時、相手は力が乗らず、反撃しようにも相手の外側に剣筋が逸らされ、且つ避けられない攻撃を貰って仕舞う。裸剣術と呼ばれる鎧を纏っていない斬り合いならば、猶更一瞬で全てが決して仕舞う。だからこそ、駆け引きが重要なのだ。
「(刀扱うは小乃花よりウマイネ。正攻法強いは搦め手イラナイするイイ例ヨ)」
花花は京姫と同系の刀同士で撃ち合うのは初めてだ。だから、繊細とも言える身体の使い方で相手の動きを奪う技法であると今知ることになった。
一瞬でも反応が遅れることは、即ち斬られることだ。刀の接触感知から伝わる京姫の崩しがそれを教えてくる。
「(これがSAMURAIカ。SHINOBIと全然違うヨ)」
同じ日本人の刀でも全く別ヨ、と聞こえない声で花花が呟いたのは、〇.一秒に満たない攻防の繰り返しを強いられているからだ。もし、京姫に中心軸を獲られれば、刀身を逸らされる、或いは刀身の接触点から切先を乗り越えて反対側へ斬り込むことさえ可能とするであろう。花花も物心ついた頃から練達の師父達に修行を付けて貰っていただけあって、そのような技術が使われていることを互いの身体操作から凡そ掴んでいる。
「(ここは死なない戦場ネ。死なナイはナンでも出来るコトヨ。ようは斬らせればイイだけヨ)」
まるで何処ぞの姫騎士さんみたいな考えだが、要はポイントを犠牲に勝ちを奪う方法だ。
だが、思惑は違う。
今現在、花花は京姫の戦場で戦うことを余儀なくされている。未だ拮抗こそはしているが、押し切られるのが目に見えている。ならばこそ、自分の戦場へ引きずり込むには、それ相応の対価が必要になる。それが避けるでもなく、流すでもなく、敢て斬られることだ。それが赦されるのだと、競技の在りようで知った。であるならば大いに利用する。
「(なんだ? 花花の軸が硬くなった……いや、まるで深く根を張った大木のようだ)」
中心軸と体軸の獲り合いをしていたからこそ、段々と重くなっていく花花の返しに京姫は警戒する。花花が次に繋ぐための前準備に入ったことを察したからだ。だが、どのような手を使って来るのか皆目見当が付かない。当たり前の手を使って来るような相手ではないことは、出会ってより二年間、何時も間近で見て知っている。
数瞬後、それが証明された。
――ポーンと被弾通知音が二つ、続けてブーと合わせて一本となった通知音が響く。
『陳・透花選手、一本! 第一試合終了。双方、待機線へ』
審判のアンヌ=マリーから高々と第一試合の結果が宣言されたことを切っ掛けに、二人は漸く残身から身を正した。
ふぅ、と息を一つ吐き、京姫はポツリと呟く。
「完全にしてやられたな」
方眉を上げ、花花が口を尖らせながら愚痴に聞こえる言葉を返す。
「それはコッチのセリフヨ。アノ状態が斬られるされなきゃ返すさせない刀術なんて初めてヨ」
一本先取したものの、正直、花花も綱渡りだったのだ。日本の剣術と雙手刀術で重きを置いている部分に違いはあるだろうが、まさか鍔迫り合いの攻防に対する認識と技術が此処まで違うとは思ってもみなかったのだ。
花花とて、斬られる瞬間に剣筋の狙う箇所を逃すことは出来る。だが、それは体勢が崩され、次撃を良いように貰って仕舞う流れになる。故に、体勢を崩さないまま初弾で斬られることを前提として仕掛けたのだ。
――京姫が股関節の動き、極小動作による体軸の優位を奪う技を返す中で、花花は纏絲を身体内部で循環増幅しながら内勁を高めていた。
そこへ二つの技術を重ね掛けする。
一つは小乃花戦で使った両脚から発生させた左右の螺旋を臍下丹田で一つに纏める秘技とも言える技術。
もう一つは、テレージアの両足で踏み込まずに母指球から大地の反発を拾う技術。京姫の崩しに対応している限り、震脚を踏む余裕がない。その代用として急遽模倣した形だが、効果は十分に得られた。
その結果、自身の体重以上を荷重することとなり、京姫が「根を張る」と称した異常な安定性を確保した。
準備が整った花花は、京姫が体軸を獲る動きに任せ、敢て軸を獲らせた。本来であれば、軸をずらされた花花が京姫の攻撃を回避する以外は出来ない筈だが、強化した中心軸と荷重により軸を獲られつつも対等な状況を保持する。
しかし、京姫も然る者。花花の体軸を奪っても有利にならないだろうと踏んでいた。
苗刀の左側に切先が向くよう搗ち合っていた太刀の刀身。軸をずらしたことで瞬間的に両腕を軽く上下させるだけで苗刀の切先が跨がれ、右側面へ刀身が移動した。そのまま太刀を振り降ろし、持ち手を斬り裂く挙動が最速なのだが、その選択を取らなかった。
太刀の刀身が苗刀を跨ぐと同時に、右脚を軸として股関節を急旋回し、後ろに置いた左脚を右へ三分の一歩滑らす。それだけで京姫は花花の左側斜めに移動し、苗刀の殺傷圏から完全に逃れる。そこは苗刀の持ち手より深い位置である花花の左肩を捉える場所。太刀は真っすぐ振り下ろされ、その切先を喰い込ませた。
だが、花花も最初から決めていたかのように苗刀を腕花のようにクルリと右手で回し、斬り下ろしで太刀が出払って空いた左胴へ水平に薙ぐ。さすがに京姫も防ぐ手立てがなかった。
これが勝負を決した〇.二秒の間に起こった全てだ。
「移動と太刀の組み合わせで意識を向けさせたのに、まさかそれを無視されるとは思わなかったよ」
「ソンなの最初から斬られるを防げナイからポイしたヨ。お陰で苗刀警戒薄くなたネ」
京姫と花花共々、軽い口調であるが、それぞれの思惑が垣間見られた。
歓声の鳴り響く中、二人は何時ものように他愛もない遣り取りをしつつ、選手待機エリアへ分かれていった。
選手待機エリアで深煎り煎茶を一口流し込み、ほぅっと息を吐いた京姫。
「遠いなぁ」
何時かは肩を並べて進めるようにと追いかけ続ける友たちの姿。その差を我が身で体感し、自分が声を出していたことにも気付かず呟いた。
夏季休暇の終わりからルーの鍛錬を補助する願いをティナから受け、小乃花や花花と共に教導に当たっていた。その合間に、競技の枠から軛を外された花花と模擬戦をした際、彼女が持つ本来の能力に舌を巻かされた。ティナにしろ花花にしろ、確実に自分より先を征く友を目の当たりにして彼我の差を痛感させられた。
それでも京姫の顔は晴れやかだ。何処に辿り着けば良いか標は見え始めている。近くも遠い後一歩、何れ其処まで踏み入れてこそ本当に始まるのだ、と知っているからだ。
「そうだな、私は未だ全部出しきれてない。楽しもう、魂の底から」
第一試合開始前に花花が諭した言葉を噛みしめる。自分が何のために戦っているのか、と。最高の舞台に最高の相手。言葉通りに魂の底から絞り出さなければ届こう筈もないのだと。
そして京姫は切り替える。口を窄め、ゆっくりと息を吐く。鼻から息を吸い、臍下丹田に腹圧を掛ける。静かに、深く呼吸を繰り返す。全身の細胞が息衝くように。
――宇留野御神楽流 奉納槍術 奧伝六之段「風招」
宇留野家に伝わる平時の呼吸法を拡張した特殊な法だ。呼気による酸素濃度の上昇と、精神安定を促し、身体の基礎能力を底上げする奥義である。神懸かり――超集中状態――とは異なる系譜であり、様々な技能と併用するものだ。しかし、全身をくまなく使うため消耗度が非常に高く、短時間しか維持できない代物である。
「私のすべきことをしなくちゃな」
ポツリと呟き、京姫は笑みを浮かばせた。
「やぱり京姫は入了神なるより何時も通りが強いヨ」
西側選手待機エリア。フムフムと自分の言葉に相槌する花花は、保温瓶からガラス製の茶杯へ普洱茶を注ぎ、一口で飲み干した。
「次は例のヤツ来るは確実ネ。アノ速度で個別芯入れるは異常ヨ。別方向でティナやヘリヤの連撃よりタチ悪いネ」
花花が言う「例のヤツ」とは、京姫がシルヴィア戦の最後で見せた埒外の技。ティナ達のように身体が持つ潜在能力を強引に引き出すような技ではないため反応速度を超えた絶技とまでは行かないが、攻撃の精緻な制御は瞠目に値する。そして「芯」と表現しているのは、当たる瞬間に確りと骨の連動した体重の乗る斬撃を繰り出していることについてだ。それが攻撃の遅速となり、受けた者の認識へ齟齬を植え付ける生理反射まで利用されている技法だ。
全ては、身体の連動と攻撃を一繋ぎにしたまま連続させる円運動の循環、それを維持する理合い――身体操作術――が根底にあるからこそだ。
少なくとも超集中状態による知覚の鋭敏化、および身体能力の一時増幅が揃って初めて可能とする技だと花花は分析している。
「サスガ武術伝える千年越えてるはあるヨ。なが~い時間練て来るするとアンな非常識技も生まれるわけネ」
花花の声は楽しげである。事実、予測の範疇を超えた未知なる技と相対するのだ。それも、死のない戦場で。なればこそ、思う存分に相手の技を楽しむことが優先できるのだ。それは花花にとって、何よりの福音だ。
徐に花花は、ゆっくりと鼻から息を吸い、吸う時と同じ速さで口から息を吐く。呼気による内効を高め、身体の隅々まで練気を満たしていった。
場内に設置されているインフォメーションスクリーンの画像が、第一試合のダイジェストから試合コートに切り替わる。観客からすれば、インターバルが終了し、第二試合が始まる合図でもある。
学園生アナウンサーのキース・スウィフトが場内を一賑わいさせ、審判のアンヌ=マリーがその盛り上がりを引き継ぐように通る声を響かせた。
『双方、開始線へ』
合図と共に、選手待機エリア側に設定されている待機線から、花花と京姫が試合コートに入場する。開始線へ進む二人の足取りは軽やかだ。これからの試合を楽しもうとしていることが見て取れる。
そして向かい合い、花花が口を開く。
「京姫」
その呼び声は名を綴る。
「ああ。もちろん準備はできてるよ」
聞かれることが決まっていたかのように京姫は返す。
彼女達が共に過ごした二年間。互いの言葉に含む意味くらいは察せる。
「そりゃ重畳ヨ。いつでも受けて立つヨ」
其方の都合が良いときに撃って来いと花花は言う。何を、とは口に出さずとも伝わる。
「ありがたい」
京姫が口にしたのは礼であった。それは純粋な感謝。京姫の全てを受け止めると花花は言っている。だから全てを奮い絞った一撃を見せよう、と。その機会を与えてくれた花花に感謝を込めて。
それを受けて花花は笑顔で返した。
『双方、抜刀』
短い会話のタイミングを見計らった審判が合図を掛ける。同時に京姫と花花が持つ武器デバイスから大身槍と苗刀が形成される。
朱色の鎧武者が携える朱の槍には銀の穂が芽吹き、朱の照り返しを映す。
空色の中華娘が持つ苗刀は、細く長い苗に空を映し一筋の蒼を残す。
『双方、構え』
構えの合図で花花は右手に苗刀を持ち、左手で筆架叉を引き抜く。苗刀の持ち手は肩の高さに配置し、峰を肩で担ぐように刀身が水平に置かれる。筆架叉は柄を腰の辺りに自然な態勢で置かれる。正に「置いている」と表せるだろう。共に一般の型には存在しない姿勢だ。
京姫はと言えば、右前半身となる地の構えだ。大身槍を支える前手が右手となっているため、花花とはオーソドックス(※)な姿勢となる。次第に京姫が神懸かりに入っていく様子を花花は聴勁で察している。
(※注釈)格闘技と異なり、武器を持つ利き腕側が前に出ることが多く、この物語では一般的な意味合いと逆にしている。
向かい合う二人は対極的だ。
辺りに充満する膨大な力の奔流を発露する花花。
その畝りを流れる水の如くスルリと受け流す京姫。
動と静。
修めた武術の本質が垣間見える。尤も、そうと見取れる者は一握りだが。
『用意、――始め!』
審判のアンヌ=マリーが声高々に開始を告げる。
第一試合の開幕速攻とは打って変わり、双方共、微動だにしない。様子見、と言うより、己を高めているのだろうことは観客が見ても判る程だ。
花花から溢れる力の奔流が更に流量を増やし大瀑布へと変わる。まるで質量を持つかのように絡みつく濃密な気配は客席をも飲み込み、人々は知らずと口を噤いでゆく。だが、相対する京姫の胸中には歓喜が呼び起されていた。
「(そうか。私はそのくらいの価値があると思ってくれるのか。ふふふ、中々に嬉しいものだな)」
あの大瀑布は自分を斃すために練られたものだ。肩を並べるとまでは行かなくとも、強敵であると花花が認識してくれたのだと。
それを受けてだろうか、京姫の凛とした気配は、尚も研ぎ澄まされる。特殊な呼気により一段階向上した心身の安定性がその佇まいを生み出す。濁流の流れに逆らわず身を任せているも、あたかも河の中にある大岩のようだ。激流の最中にあるが、流れ自体を造り出す自然の一部として。大身槍の切先が然も当たり前のように濁流を割りつつ後ろへ流している。
第二試合開始の合図から二〇秒と少しを過ぎただろうか。試合コート上から巻き起こる奔流に反して、余りにも自然体すぎる二人であった。それを見つめていた観客であったが、目を離した訳ではないのに始まっていたと理解したのは、相対した二人が何方からともなく動き出した後であった。
上位の騎士であれば、攻撃動作を読み、攻撃を仕掛ける挙動を読む。所謂、先の先だ。これを読み、また読ませず、或いは虚偽として使う。だからこそ、一瞬を掴み取るための精緻な駆け引きが存在するのだ。Chevalerieは競技であるが、参戦する者は程度の差はあれ武術家だ。彼等彼女等は、ルールが存在しない実戦で戦うための技法を修めているからこそ、有利に事を運ぶ術の一つとして先を扱うことに長ける。
この場では、更にもう一つ先の戦いが展開されていた。
京姫も花花とも、攻撃の起こりなど相手が有利になる所作は見せない。先の先、その先にある先――攻撃の意思――、つまり知覚の熾りすら気取らせない。そのように修練を積んでいる。
故に観客は二人の初動を追えなかったのだ。知覚外の出来事だったのだから。
距離が縮まる。まずは京姫の距離。大身槍の射程だ。
前手を軸に奥手で突き入れる京姫の技法は、花花の攻撃より一米早く始動する。初撃を回避されても、すぐさま奥手を引き、二撃目を放てる距離特性は通常なら有利だ。しかし、相手はヘリヤの攻撃すら回避し続けることが出来る花花だ。
だから京姫は今まで使わなかった一手を攻撃と共に刺し込む。
「曵ーっ!」
辺りを震わすかのような声気が発された。それとは裏腹に大身槍の穂先は自然に溶け込みながら、正確に花花の心臓部分へ吸い込まれる。が、花花は迎撃ではなく纏絲を纏った瞬歩で、その場から消えるように回り込み、回避する。京姫の右側、つまり背側を獲る挙動だ。
それは京姫も想定内だったようで、股関節の旋回で姿勢を右へずらし、大身槍の第二撃を横薙ぎしながら追従する。それが花花の脚を止め、侵入を防ぐに至る。
――そして、一瞬の膠着状態が生まれた。
「(やはり花花には言霊も効かないか。反応すら引き出せなかったな)」
一度も見せたことがない完全に初見の技能を使ったものの、少しでも通じれば儲けものとして放ったのだと京姫の呟きに表れていた。
「(ナニネ、アレ……。声に武威乗せて来たヨ! チャンバラ映画でSAMURAI声出すは見映え思てたけど、武威の駆け引きだた訳ネ)」
花花が驚くのも無理は無いだろう。音の大小ではなく、声自体に威を乗せた武器として受けるのは初めての経験だったからだ。京姫は効かなかったと判断したが、しっかりと影響は出ていた。それが花花の脚を止めさせた要因だったのだ。聴覚と気配察知両方へ仕掛けて来るアレは危険であると。
京姫が使ったのは、侍と言う言葉が生まれる遥か昔から脈々と継がれた古武術の技、言霊である。言葉に威を乗せて放ち、相手の気勢を削ぐ、気を合わせる、萎縮させるなど様々な効果を持つ。鼓舞などの意味合いもあるが、その場合は自身よりも軍や集団に対して放たれることが多い。
侍が立ち合いに於いて、声気を発し合うのは言霊の駆け引きだ。虚偽を含ませ、相手を崩し、自身が有利になる状態を生み出す手の一つだ。何せ、真剣であれば最初の一振りで勝負が決まる確率は高いのだから、最善の一撃を放つ道筋を組み立てるのは当然だろう。
示現流の猿声も、また言霊だ。全霊を乗せて来るため、受ける者は堪ったものではないだろう。
現代でも古武術から派生した競技、剣道、薙刀、柔道などで気合と言われている掛け声であるが、元々は言霊だ。腹――臍下丹田――から声を出すなど、教えの一部と使い方が残っている。
膠着状態は、一秒あっただろうか。二人は再び動き出す。
花花が瞬歩を使い、京姫の左側へ高速な円運動をし、相手の攻撃ポイントを横に振る。距離を詰めずに高速移動したのは京姫を警戒して、だ。
再び武威の乗った声を発するか否かの思考をさせられたため、攻防を仕切り直す意味もある。
本来、長く声を発するならば、呼吸が乱れることに繋がる。騎士達が声を出さずに戦うのは、相手に攻撃タイミングを知らせないことの他に、呼吸が乱れることを嫌ってだ。
京姫は其処へ威を乗せた。ならば胆力も消耗する筈である。しかしながら武術的には抜力と骨の連動が基本にあり、過度な筋力を不要とする技法が多く、合わせて身体を最適化する呼吸法があるくらいだ。京姫が長い声気を発しながら乱れが全く表れなかったからこそ、技術に含まれているものだと判断し、花花は見極めの時間を取ったのだ。
京姫は花花の動きに合わせて、浮心と股関節の僅かな動きで追従する。未だ京姫の距離では在るが、じっくり見られていることを察した。例え加速した時間感覚の中にあったとしても、この状態にある花花には、攻撃を仕掛ければ迎撃どころか情報を抜き出されることも重々承知している。
ならば、花花が受けたことのない技を出して情報過多に陥れる。
神懸かりにより、加速した知覚と、追従できる底上げされた身体能力。それを支えるのは鍛え上げられた臍下丹田。その全てを以って織り成される取って置きの一つ。
攻撃の起こりも意思の熾りもなく虚を付き、生理反射も利用した遅速を伴う攻撃。
大身槍の地の構えから放たれた刺突は着弾点を可変し、意識の外から花花の奥脚である左膝へ穂を飛ばす。左半身の脚から腕先まで連動し、柄を持つ左手から捻りと体重を乗せた突き入れ。螺旋を伴い進む突きは、剣の迎撃を弾き飛ばす直進性を保つ。
しかし、気配だけではなく空気の流れ、振動までも感知する花花の聴勁を前にすれば、良くても五分の確率。そのことを京姫も折り込み済みの一撃目。
「(ここ狙うか~。京姫も思い切りイイネ)」
仕切り直しからいきなりシルヴィア戦で見せた奥義だろう連撃を京姫は放つ。その初手となる軌跡が、奥脚を狙って来るとは。組み合わせがあるだろうと花花も予想していたが、よもや槍の攻撃限界距離となる箇所を選択した潔さに感心を通り越して呆れるほどだ。
「(簡単に躱してくれるな)」
京姫も牽制目的だったが、然も当然の如く、花花に第一撃目を回避された。驚くことに、その対処法は脚を少し引いただけ。奥深くに突き込んだ穂先がこれ以上は物理的に進むことは無い位置だ。脚を引かせても、軸すら崩すことも敵わず、最大の能力を発揮出来る状態を保持しているところは、花花の修めた技術が如何に高いかが伺える。回避を織り込んだ布石であると花花にもばれているだろう。今のところ、この技は四連撃までが精一杯だと見抜かれているだろう。残りの三撃を凌ぐ手立ても用意してくれてる筈だと、京姫は第二撃を繰り出す。
二撃目を繰り出す左腕の引きは半分程。花花の左膝を空ぶった穂先は、下がりながら真上に跳ね上がり、筆架叉を持つ左手首を薙ぐ軌跡を取る。
花花は、右半身で奥手になっている筆架叉での迎撃はせず回避を選択する。少なくともまだ次があると踏んでいるからだ。ましてや、筆架叉で迎撃しようにも大身槍の速度と威力を相殺するためには、この姿勢だと身体連動の強度が聊か足りない。連撃最後で来るだろう本命に備え、筆架叉を有利な位置取りで保持するため、肘より先だけを動かして大身槍を遣り過ごす。
「(繋ぎがオカシイヨ!)」
吹き抜けた大身槍の奇妙な挙動に花花は思わず内心で叫ぶ。
京姫がエイル戦で槍に刀術の技を用いた時の動きとも違う。
銀の穂は尚も引かれながら、Y字路を道なりに進むよう、軌跡を斜めへと鋭角に進路変更し、花花の眼前を通り過ぎて右肩上方へ駆け上がる。軌道の荒唐さもそうだが、懐へ入らせない牽制にしても、当たれば反則の位置へ堂々と斬撃を通すなど、随分と大胆な手まで使われた。こんな手を使うのは姫騎士さんくらいだろう。
花花は京姫の奥義であろう連撃を一撃毎に分析している。繰り出される軌道と穂先のコントロールは奥手の左腕と言う点で違いはあるが、シルヴィア戦で一度は見て、凡その術理に予想を立てていた。今は実際に目で見て知識と意識の差分を埋めているのだ。
ここまで速度――一撃毎にコンマ一秒未満――の変わらぬ連撃だが、斬るための「芯」を入れる素振りも見られなかったことから、二撃目までは牽制と崩しで次の三撃目からが本命だろうと判断する。そこで迎撃する。無論、それが京姫の誘いであろうとも。
左右の脚から練った纏絲は、臍下丹田で左巻きと右巻きの渦を造り、異なる回転を一つの螺旋に纏める。人一人が産み出せるとは思えない莫大な力の奔流は、全身を駆け巡りながら増幅される。脚から腰、背、肩甲骨を経由し、腕先まで骨の連動により力の通り道が造られ、右手で持つ苗刀の切先までロスなく届かせる。
大身槍は斬り下ろしではなく、刺突であろうことが伺える。駆け上がった穂先が更に引かれながら垂直に下ろされる挙動は結果で、実際は膝の開きで腰を落として高さを変えて来たのだ。しかし、引かれた穂先は斬撃が繰り出せる位置ではない。
花花が予想した通り、鎖骨より少し下辺りの高さへ大身槍が降りて来たところで刺突が繰り出された。攻撃の導線が繋がった場所は、鎖骨下リンパ節と腕神経叢が存在し、被弾すれば腕と肋骨に繋がる筋肉の一部を一瞬だろうとも止めて仕舞う場所。相手の手業を封じ、反撃の芽すら摘む技なのだろう。なるほど、長い年月で戦乱も挟み研究されてきたのだと唸らせられる。
花花は、京姫が三撃目へ移るに合わせて筆架叉を始動した。そして、来るであろう大身槍の刺突を捉える準備を既に終わらせる。
「(来た!)」
京姫は大身槍の穂先で花花に刺突を仕掛ける瞬間、筆架叉が迎撃に出たことを視界に捉えた。大身槍自体は下方から上方へ斜めに構えていることから、直接受けるよりも筆架叉で威力を上に逸らす方が現実的であるし、武器を撃ち合うより安全で遥かに容易く行えるだろう。いっそ、リソースの余りで補えるのではなかろうか。その分、苗刀には目で見えるのではないかと言う程、力の奔流が切先まで渦巻いているのを肌で感じ取る。
大身槍の刺突を筆架叉で上へ流し、同時に右肩で担がれた苗刀を振って仕留めに来るだろう。あれは、刀身を見せないことも然ることながら、本質は日本の刀術と同様、肩甲骨と肋など、骨の連動で高速に起動するための位置取りだろう。刀術と同じならば、右肩の位置から切先は真っすぐ寸分なく振り下ろされる姿勢である。
――然もありなん。
心の中で京姫は呟いた。花花の解析能力は、予想を遥かに超えていた。別の試合で披露した前情報があったとしても、自分の技をたった二撃で凡そ掴んでくれたと、京姫は内心でほくそ笑む。
大身槍の突き技を半分の引きだけで、攻撃距離と次撃への迅速さを兼ねた振舞いは、刺突に意識を向けさせる布石であった。
斜めになった大身槍の石突きは自然と、京姫の左脚先、革足袋で覆われた甲の部分に直線で繋がる位置にある。
この試合で、京姫が取って置きとして出した裏の秘技。
――宇留野御神楽流 八葉祓之理「火之夜藝速男神」
揺らぐ炎の不規則性を独特な身体操作で不安定さと安定さを両立させた軌跡で模し、斬られる箇所が火に纏われたかのように機能不全させることから名づけられた技法だ。
それを捨て技として仕掛けた。
「(ここで器械捨てるカってチョッ!)」
花花は京姫が出して来た手に、慌てさせられることとなった。
「応っ!」
京姫の咆哮が空気を震わす。
正に刺突を繰り出すと見えた京姫が大身槍から手を離した。空いた手は太刀を抜く位置取りだ。京姫が太刀の柄に手を掛けた瞬間には股関節の捻りで抜刀し、離れた位置から斬り上げ、左八相となる。左脚を蹈み込みながら射程へ捉え左袈裟に来るのだろう。
問題は、京姫がこのタイミングで声気を発したことだ。
花花は威の乗った雄叫びが刺さり、一瞬、気を割かれて仕舞った。
その僅かな瞬間を狙ったかのように、意識の外から捨てられた槍が再び突きを放って来るとは、予想など出来よう筈もない。
しかし、実戦で練り上げて来た花花の判断は早かった。蹈み込みの動きに合わせて蹴り上げただろう槍は右胴に被弾する軌道だが、手放された攻撃はある意味安全なため敢て無視する。今、最も危険なのは京姫の斬撃だ。これを自由にさせたならば、確実に獲られる。
先に飛来した槍が花花の右腹へ刺さる。ホログラム故、支えのない槍は落下し始める。その段には、歩法で間を詰めた京姫が花花の右肩から左脇腹へ抜ける軌跡で太刀を振り下ろす。声による攻撃と虚を付いた槍の攻撃を踏み台にしたからこそ、本命の斬り下ろしは判っていても避けられない攻撃となった。
だから花花は――体内で循環させている二重螺旋の纏絲をここで全て使い切った。
それが瞬歩を超える刹那の後退を間に合わせるのに必要だったからだ。
武器は、正しい身体の使い方をすればする程、その刃筋は正確になる。京姫の刀術は相当に練り込まれており、刀を持って腕を上げた軌跡と下ろした軌跡が同一になるよう正しい身体操作が成されている。故に、斬り下ろしで刃が届く距離と斬り終わりの位置は不変である。
京姫がそうであるからこそ、花花は斬り下ろしの迎撃をせず、太刀が届かない位置へ後退することを選んだ。避けることに全てを尽くす。それが成れば、残るのは安全な斬り終わり。太刀が再び始動する前に捕まえれば良い。
正しい身体操作で振られた太刀は、腰の位置で静止する。膝や腰を使わない限り、これ以上は刀身が下がらないのだ。
そこへ纏絲の残り香を絞り出し、太刀の右側――京姫から見れば左外側だが――に旋回し、左手の筆架叉を太刀の峰側から挿し込み固定。同時に振り下ろした苗刀は、肩甲骨を使い高速な軌跡を描かせるもピタリと胸の位置で急静止させ、刺突に変化させる。京姫が太刀と両腕で造った三角形の中心、心臓部分へ切先が吸い込まれた。
カランと大身槍が地面に落下した音がする。
それを待っていたかのように、――ポーンと被弾を知らせる通知音に続け、ブーと合わせて一本を知らせる通知音、そしてヴィーと一本取得を知らせる通知音が鳴り響く。
京姫が大きく息を吐く。呼吸法を解いたのだろう。身体を巡る内効が一段階下がったのを花花は察知した。合わせたように花花も内勁を一段階落とし、残身を解いた。
『試合終了! 双方開始線へ』
アンヌ=マリーが試合終了を告げる。開始線で横に並ぶ花花と京姫は、疲労の色が出てはいるものの、遣り切ったからであろうか、ほんのり笑みを浮かべている。
『東側 京姫・宇留野選手 一本と一ポイント』
審判からの戦績結果を告知された後、京姫は折り目正しく礼をする。
『西側 陳・透花選手 二本』
花花を見れば、息を吐きながら両肩が下がっているところだ。疲れた、と物語る苦笑いを浮かべている。
『よって勝者は陳・透花選手!』
審判のアンヌ=マリー今日最後の仕事。花花へ向けて手を上げ、勝者であると告げた。
途端に場内から割れんばかりの歓声が巻き起こる。冬季学内大会最後の試合が終わったのだ。それは強豪犇めく中、全てを打ち倒し、勝利を掴み取った者が決まったことを示している。歓声に熱が籠っているとしても当たり前の光景なのだろう。
その騒々しさへ応えるように花花は両腕を頭上で振る。余力が少ないからなのか、ピョンピョン跳ねる動作は割愛されているが。
稍あって、京姫が口を開く。
「優勝おめでとう花花。やっぱり今の私じゃまだまだ届かなかったな」
「ありがとうヨ、京姫。最後まで試合支配しといてジョーダンネ。声刺さるナンて初めてヨ」
京姫の言葉にジト目で応える花花。この期に及んで、「まだソンなこと言うカ」と半ば呆れているのだ。
「なんだ、言霊はちゃんと効いてたのか。気を削ぐくらい出来れば展開に役立つかな程度だったんだけどな」
京姫からは、花花へ効いていないように見えた。それは彼女が不利になる所作を表に出さないよう鍛錬していたからであって、特に二度目の言霊は確実に影響していた。それが聴勁で捉えていたにも関わらず、大身槍を蹴り上げる挙動への対処が遅れた原因だ。第一試合で大身槍を捨てた伏線がここで活かされたのだ。
「よく言うヨ。ナニね、あの罠だらけの試合運びは。コッチから攻撃するヒマなかたヨ、まったく」
「用意した罠は全部食い破られたけどな。最後の一太刀、アレが避けられてコッチの手は尽きたよ」
今回、京姫は三段階の罠を仕込んでいた。必殺となる筈の秘技を敢て捨て技にすることが一つ目。言霊で此方に気を向かせ、意識外から手の離れた大身槍が再び刺突を繰り出す二つ目。その対応をさせた陰で、防ぐも避けるも間に合わない斬撃を放つことが三つ目。
一秒に満たない時間の中で、これだけ織り込んだのだから効果は非常に高いのも当然だ。本来なら対応出来ないレベルにあるのだから。
「アレ避けるに全力使い切たヨ。次出させないする間に合うかヒヤヒヤだたよ」
間に合わなければ獲られていたのは自分だったと隠すことなく宣う花花。
本当にギリギリだったのだ。
そして、そこまで追い詰めた京姫を暗に賞賛しているのだ。
「……そうか。私は遣れてたんだな」
さすがに付き合いが長くなれば、いくら自己評価が低い京姫でも花花の言いたいことがちゃんと伝わった。
「そうヨ。厄介すぎてスンゴい疲れたヨ。身体がミシミシ言いそうネ」
「ははは、おかげで私も明日は筋肉痛だよ」
笑いながら京姫は大身槍の柄でトントンと兜を避けて肩の袖鎧を叩く。胴鎧の前後を繋ぐ肩上に付けられた障子板と袖鎧が軽く打ち付けられて、金属と木材それぞれの音が混じる。独特な音へメロディを奏でるように、明日は大変だなぁと呟いた。神懸かりに奥義の呼吸法を重ね、消耗度外視で基礎能力を無理やり上げて瞬間に全てを掛けたのだ。身体的な負荷は相当なものなのだろう。
花花は其処までではない様子だ。一晩寝ればまた元気いっぱいに成っていることやら。
試合後のマイクパフォーマンスは一応、終わったのだろう。タイミングを計らないと、この二人は普段の会話を臆面もなく会場でも展開して、そのまま何もないように帰ってしまう雰囲気があるのだ。
ここがベストだと、学園生アナウンサーであるキース・スウィフトは、試合最後を締めるため、アナウンスを始める。
京姫と花花は、「え?続くの?」と言った表情だ。
『数多の強敵を下し、とうとうDuel優勝者が決まりました! 今大会は現世界最強のヘリヤが卒業後、初めての大会でした。最有力候補の欠場で驚かされて始まったDuelは、蓋を開ければ見たことが無い技の連発、手に汗握る名勝負が幾度も生まれ、興奮冷めやらぬ素晴らしい大会だったと自負します』
学園生アナウンサーも視聴者を誘導するように。今大会を振り返る一言と大会は素晴らしかったと言葉にして出す。
『どちらを見ても波乱に満ちていた冬季学内大会Duelの部を制したのは、陳・透花選手でした! そして惜しくも敗れ去り準優勝となったのは、京姫・宇留野選手!』
再び観客席から歓声が沸き起こる。花花などは「え?またカ?」と、まさかの再声援に手だけを振って答えた。同じく京姫も手を振っているが、いままで二度目の挨拶をする風習はなかった筈なんだがな、と零している。
まぁ、実際はキース・スウィフトのアドリブで巻き込まれたパターンであるが。
『最後まで戦い切った、二人の騎士に盛大な拍手を!』
最後の一声で何時もより多い拍手と歓声に送られながら、やれやれ漸く終わっていいのかと二人は何時もの下らない会話に戻りつつ選手待機エリアへ帰って行った。
この後、装備の再チェック程度の時間を置いてDuel勝者入賞式が始まる。続けて冬季学内大会の閉会式と続くため今大会参加者で参加可能な者は再び騎士装備を纏うので、各選手控室は騎士やサポーターでごった返す慌ただしさを迎えたりと、実のところ試合以外の時間の方が長く、中々終われないのであるが。
観客がチラホラ帰路の途に就く中、インタビューの時間を設けられていた花花と京姫であったが、優勝者と準優勝者に対する拘束時間は思いのほか長かったようだ。随分とグッタリした様子で一日を締め括ることになった。
今大会は、京姫にとって良いターニングポイントとなった。
頂は見えるが、辿り着くまでの道筋は暗がりの中、手探りで進んでいた京姫。辿るべき道に確りと光が差し込んだことは、大きな財産となるだろう。
本当の意味でスタートラインに立てたのだ。友と肩を並べて進める慶びを掴めたことが、何よりも京姫の成長を促すだろう、と。
余談。
数日に渡る売り子業務から解放されて気分上々な姫騎士さん。スキップしながら労いに来たが、他人事気分のやたらと良い笑顔に二人がイラついたのはここだけの話。




