04-003.鬼姫と鴉揚羽。 Teufel Prinzessin und Papilio Dehaanii.
2156年8月31日 火曜日
朝から本雲りで日差しも殆ど差し込まないザルツブルクの午前中。陽が射して夏の様相を呈するのは大抵、午後以降だ。日中の最高気温が二十五度と予想されており、湿度も五十%程度と快適で大変に過ごし易い。
ほんの十日前に日本の蒸し暑さを経験した姫騎士さんは、ザルツブルクに帰って来て良かったと心から思うのであった。
「ふぁーふぁ、くるまきたー?」
「うーん、まだ見えないヨ。そろそろ着くころヨ。」
「お二人共、ずっと窓に張り付いてるつもりです? 車は逃げないですよ?」
窓に張り付いて送迎車が到着するのを今か今かと待ち侘びているハルと、それに付き添う花花。
その二人を明らかに間違った例えを出して注意を促している様に見えるルーは、実のところ半分現実逃避しているのだ。
ここ数日、エレ、ティナ、花花と、涼しい顔で苛烈な鍛錬を熟す三人から、ルーが修めた技を競技のルールに落とし込むために、嫌と言う程ミッチリと実技を以って連携を叩き込まれている最中であるのだ。そんな中、あと二人教官が増えると言う。それを聞いたルーは、白目になって乾いた笑いを浮かべるのだった。
「もしかするとザルツァッハ川が氾濫して立ち往生してるかもしれませんです。来るのが二、三日遅れるかもしれないです。」
「そんなわけないでしょう。全く、ルーはよっぽど皆から揉まれたいのですね。鍛錬好きでなによりです。」
言ってない言ってないですー、と小騒ぎするルーの言葉はこの場にいる全員がスルー。
実際、超距離旅客機の着陸時間に合わせて送迎車を出しているので、凡その到着時間は計れると言うもの。後、数分もかからないだろう。
その直後に斥候部隊よろしく花花とハルが到着を察知した。
「おー、着いたみたいヨ。」
「くるまきたー!」
バタバタと駆け出していく斥候部隊の二人。お出迎えに出た様なのでティナはお任せすることにした様だ。バルドも斥候部隊の後を追う様に迎えに出たので、猶更これ以上の人員配置は過剰だろうと。
窓の外へ視線を向ければ、京姫と小乃花の間に陣取って二人に手を繋いでもらい、ご機嫌になったハルが見える。その後ろをバルドと花花が二人の荷物運びを受け持った様で大荷物のキャスターを軋ませ引いて歩く。
「いらっしゃい、京姫、小乃花。戻る予定を前倒しさせてすみません。」
「またお邪魔するよ。戻ることは構わないさ。私もハルに会いたかったしな。」
「ハオ。こないだぶり。そう、問題ない。むしろ面白案件を提示してきたのが高評価。」
「みゃーみゃもしゃおしゃおも、おとまりするー?」
二人を交互に見上げてハルが訪ねる。花花が既に数日滞在しているので二人がどうなのか気になっている様子。皆が揃って一拍以上することは余りないのだ。
頭を撫でられながら数日滞在することを告げられると、やったー!、とバンザイしながらピョンピョン飛び回る幼児。その姿に皆が目を細める。
「まずは小母様にご挨拶をさせて頂きたい。今、どちらに?」
「京姫、探す必要はないわよ? よく来たわね、二人共。」
エレを伴いルーンが玄関ホールにやってきた。
「ご無沙汰しております、小母様。また暫く滞在させていただきます。」
「ティナママ、お久しぶり。滞在費代わりに賄賂たくさん買ってきた。」
「二人共、気を使う必要なんてないわ。今回はこちらから特にお願いしたんだもの。目一杯歓待するわよ?」
「奥さま、とりあえず居間に移動しませんか? 玄関ホールで雁首揃えて交流会開くのはどうかと。」
それもそうかと、移動を始めようとしたところに花花が二階からトタトタと降りて来た。
「荷物はイツモの部屋に置いたヨ~」
「賄賂取って来る。」
「小乃花…。せめてお土産と言ってください。私も取ってこようかな。」
京姫と小乃花は取るに足らない会話を交わしながら自分達が滞在する何時もの部屋に向かっていった。
和気藹々と会話が飛び交う中、約一名は無言を貫いていた。正確に言うと冷汗をダラダラ流して喋ってる場合じゃないです、的な状況だった訳なのだが。
皆が移動を始めた後から遅れて一人着いてくのだが、ブツブツと言葉を漏らしている。
「ナンですか、アレ? ヤバイです。ナンでヤバイヒトが集まるです?」
「京姫さんの安定した気配、自然体なのに攻めるポイントがナイです!」
「小乃花さんの周りに溶け込む技術はナンです? 居るのに気配がアヤフヤです!」
トロトロと歩いていくルー。行きたくない思いが見え見えだ。
「おい、ルー! なにしてんだ。サッサと来い! オマエの紹介も兼ねてるんだぞ!」
「ふわいっ! 今いきますです!」
エレの言葉が地獄からの呼び声とでも言う様にビビリ顔でワタワタと駆け込むルー。
その様子は聊か滑稽に映り、待っていた皆は苦笑いだ。
訂正。花花が大爆笑している。
「あはははは! アノ顔! シッポ巻いた犬がキューンする顔みたいなてるヨ!」
「花花、指差して笑うのは失礼じゃないか? ホラ、プルプルしてるじゃないか。」
「京姫の言う通り。あれは只の犬じゃない。チワワ。」
「ルーはチワワ違います! 孤高のヴォルフです!」
息を吹き返したルー。腕を振りかざし、ひとさし指をキュピーンと空に掲げる。
京姫と小乃花も花花が最初に声を上げて笑ったのを見て、弄られキャラでフランクに付き合うタイプだと判断して乗ったのだ。幾らなんでも初対面で出す言葉じゃないのはそう言った理由だ。弄られる方からすれば、そんな阿吽の呼吸は勘弁して欲しいところだろうが。
「ルー、お座り。まず挨拶が先だろ。お前、さっきまでビビッてまだ一言も喋ってないだろうが。」
「エレ姉までルーをイヌ扱い⁉ ルーに味方がいません! アウェーです! ってエレ姉⁉ ナンでコブシ握ってるです! ちょ、まっフガーッ!」
ゴスッと鈍い音がルーの頭から発せられた。エレのゲンコツは相変わらず正確に頭蓋骨の継ぎ目へお見舞いされた。アタマが割れる、割れる!とゴロゴロとのたうち回るルー。
「ほれ、シャンとしろ。身内に甘えるのはオマエの悪い癖だぞ、ルー?」
「…うう。ヒドイです、エレ姉。ルーの頭がその内パーンとなるです。」
ルーは、仮にも護衛兼メイド見習だ。この様なオモシロ態度は家族以外にすることはない。今回の来客はブラウンシュヴァイク=カレンベルク邸のセキュリティにも家族レベル認証を受けている相手であり、当主夫妻も家族として扱っているのだ。だからこそ、ルーは会う前から身内と認識しており、ユルユルになっているのである。
「んんっ。醜態をお見せしてしまい申し訳御座いませんでした。京姫さま、小乃花さま、改めてご挨拶を申し上げます。私はハルさま専属護衛兼側使い見習として配属されました、ルイーセ・ヨランダ・ファン・クレーフェルトと申します。どうぞルーとお呼びくださいませ。」
正式なカーテシーで礼をするルー。それを見た花花が心底驚いた顔でポツリと漏らす。
「おどろいたヨ…。ルーはチャンとアイサツできる子だたヨ…。」
「そこ! おどろくポイントちがうです!」
ビシリ!と花花に指差すルー。こんなだから真面目な姿が驚かれるのだが。
「ははは。随分と面白い娘だな。知ってると思うが、私は京姫・宇留野だ。以後よろしく頼むよ。」
「ん。小乃花・神戸。京姫と私の呼び方がベルと一緒。オランダから来たと推測。」
オランダ語は西ゲルマン語群に属するため、言語的にドイツ語とも互換は多いのだが、ルーの場合は更にフラマン方言が入っているため、日本語名の発音を少し苦手とする。年齢的にも日本人と係わり合う機会は少なかったため呼び名れていないと言った方が正しいだろうか。この辺りはオランダ産お侍さんを目指すベル――ヒルベルタ――も同じ理由だ。と言う設定。
「私の再従姉妹だからな。オランダのWaldmenschenだ。」
「そうです。エレ姉とは先祖が同じです。」
「先祖は言い過ぎだろが…。爺様同士が兄弟なんだよ。」
「しかし、護衛か。メイドの格好をした家住まいの護衛なんて初めて見たな。」
「あー、知らなかったか。京姫嬢ちゃん、私はこの家の護衛担当だぞ?」
「え? エレさんが? 確かにメイドとしては高位の武術者だと思ってましたが…。」
「京姫はその辺りの機微が鈍感。ヒルドさんや通いのメイドさんと明らかに違う。」
「ヒルドは情報部門主任だからな。専門が違うんだ。その代わりウィザードクラスだぞ。」
初めて聞くものには驚きの新たな情報が公開されたところでティナが割って入る。
「そろそろコントは終了でいいですか?」
ここまでの一連をコント扱いの姫騎士さん。そして、このままルーが新たなコントに入るのを防ぐ措置である。意図せずともコントを展開するのがルーなので。
「はいはい、みんな座ってお茶にしましょう。ヒルドがお茶の用意をしてくれたわ。」
「かあさま、ふぁーふぁのくりもたべていーい?」
「少しだけよ? お昼が食べられなくなるから。」
やったー!とバンザイをして喜ぶハルを尻目に、目でヒルドに合図するルーン。花花のお土産である甘栗を少しお茶請けに出す様に指示したのだ。
「よし。賄賂を開封しよう。」
「せめて貢物と言いましょう、小乃花。それでは私もお店を開きますか。」
テーブルの上に土産が展開される。二人共随分と買い込んで来た様だ。何せ段ボールを開梱しているくらいだ。手荷物扱いではなく、個別に同じ航空便で配送手続きをしたそうだ。
小乃花からは、馬鹿らしいくらいの量がある国指定伝統的工芸品の伊賀組紐、伊賀焼の片口と皿の様な酒杯、伊賀酒数種、忍者食でもある養肝漬は白米が必須の漬物だ。そして珍しいところで忍者かたやき。焼しめた甘い煎餅で、手裏剣型のパッケージをチョイスした様だ。付属の木槌で砕いて食べるのだがかなり固いため、歯の弱い老人などはお茶などに浸してふやけた状態で食べたりする。
そして何故か信州蕎麦を数種類。戸隠、更科、韃靼、霧下など、風味が異なる蕎麦をこの場にいる全員で数日は食べられる量。
京姫の土産物は、小乃花の土産物を補填した形だ。まず、本枯節の鰹節が数本。もちろん鰹節削り器も一緒に持参。そして鯖節、鮭節と味が濃い目の出汁節を数本ずつ用意している。
また、利尻と羅臼の昆布、干し椎茸もどんこと香信の二種類。煮干しもキログラム単位の業務用だ。更に、有名な醸造所が造っている本味醂と料理酒、本醸造の高級醤油、無添加の高級味噌。後は、職人の手絞りによる極上胡麻油、採れたて本山葵の真空パックなど、出汁や調味料が中心だ。鮫肌を使ったおろし器まで混ざっている。
別便でコシヒカリ種とササニシキ種の米を五キログラムずつ、戸隠の湧き水、信濃町黒姫山の湧き水が二十リットルずつ翌日には配送される予定と聞いた家人は流石に驚いている。
今、この場でお茶請けになるものと言えば、凍天と呼ばれる和洋折衷の菓子折りを複数箱。
二人の土産は、量も内容もおかしいのでは、と言った具合だ。別便で配送するくらいなので当然だろう。
「またタクサン持てきたネ。乾いたサカナ棒、京姫削て使てたヤツヨ。おー、打つとキンキン言うヨ! カタイヨ!」
「しゅりけんだ! すごーい!」
「あら、この編み込んだ紐は綺麗なだけじゃなくて随分と繊細に造られてるのね。止め紐とか飾り紐とかで使えそうだわ。」
「…UMAMIの元がこれほどたくさん。これは京姫がUMAMI料理を作ると言うことですね。ふむ、それは楽しみです。」
思い思いに皆が物色する。殆どが珍しい品々なので興味深々の様だ。
「いや、ホンとにお店みたいになったです…。マルクトの小物店みたいです。と言うより、ナンでみんな自然に物色してるです? ナチュラルボーンキラーです?」
「ルー。おまえ、知ってる言葉を適当に継ぎ足すのは止めとけ。最後のヤツは殺人鬼のことじゃねえか。」
「エレ姉。世の中にはノリと語感で押し通らなければならない時があるのです。」
「ねえよ。」
ナゼ理解しない⁉と言う顔でエレを見上げるルー。
「はいはい。あなた達もお座りなさいな。毎度毎度、お茶が冷めるわよ?」
コントが始まりそうなところで、ルーンがエレとルーに着席を促す。この辺りの匙加減は姫騎士さんと母娘なことが伺える。
ソファーには京姫と小乃花に挟まれご機嫌になっているハルが、手裏剣型の忍者かたやきを木槌で砕いている最中だ。コンコン、と子気味良い音と共に手裏剣型煎餅がどんどん細かくなる。
通常の忍者かたやきより柔らかいバージョンであるため、小さい破片にすれば子供でもそのまま食べられる。ハルは煎餅を京姫に手ずから食べさせてもらい、おいしー、と笑顔を振りまいている。
「ワタシもイベント参加したかたヨ~。ヒーローと遊園地で握手したかたヨ。」
話題はティナが日本で突発イベントを開催した話だ。同日の花花は自国で自分が中心となったイベントに参加していたため、物理的に参加が不可能ではあるのだが。
先日オフィシャル動画が公開されたので、お茶受け代わりに視聴したのだが、花花が目を付けたのは磁雷矢であった。なにしろ、騎士ではなく、現代に生きる乱破であり、TVヒーローも務めたと言う磁雷矢の技量に驚き、在野の達人と戦えるチャンスだったのにと嘆くのだ。
「気配を違う見せる技術は初めてヨ。画面越しで気配掴めナイは相当ヨ。」
「実際、磁雷矢さんの技量に舌を巻きましたから。虚実どころか虚空を撃たせられる経験は初めてでした。」
「あれは凄かったな。狙って突きを出したところに実は居ないなんて驚いたよ。何をされたのか未だに判らないからな。」
「おっちゃんの隠形は半端ない。気配増える術もある。あとゾーンに入る術持ってる。」
え、マジで⁉と言う表情で小乃花に視線が集まる。
「…なるほど。必殺技を避けられるはずです。咄嗟に手首の返しで剣を曲げて何とか獲りましたが…。」
ティナは磁雷矢と対戦した際、裏の裏、そのまた裏をかかれ、五連突きで対応せざるを得なくなった。その際、最初の三撃は虚空を撃たされ、残り二撃を急遽刺突の途中から手首を曲げて強引に着弾点を変化させることでギリギリ勝利した苦い記憶があった。ここまで手の平の上で転がされたのは、実母以外からは初めての経験だ。
「ティナが追い詰められるの珍しかたヨ。悪の組織戦うもオモシロかたネ。やぱりNINJYAスゴイヨ~」
「NINJYA違う。おっちゃんは戦術系の乱破。」
「とがくれりゅうせいとう! じらいや!」
ハルは先日、磁雷矢の動画を見てから随分と気に入った様で、気が付くと磁雷矢の登場ポーズを真似している。何時の間にか、印の結び方もだいぶ上達しており、幼児がポーズを取るにしてはだいぶ様になるレベル。
「…ここ数日でルーのランキングが下がりっぱなしです。類は友を呼ぶです。みんな洒落にならないバケモノです。ルーは出家して修道院で平和を祈るのです。この凍天おいしいです。ドーナツみたい?」
「ルーよ。せめて聞こえない所で愚痴れ。まぁ、茶菓子の感想と同レベル扱いだから問題はないな。」
「問題しかねえです! ルーがまたタコ殴りに合うじゃないですか! 生徒一人に教官五人は過剰戦力です! ダス・ライヒ(※)が泣いて逃げ出すレベルです!」
※ダス・ライヒ…「2. SS-Panzer-Division Das Reich」(旧ドイツ軍第2SS装甲師団ダス・ライヒ)のこと。SSとは"Schutzstaffel"(親衛隊)の略称で、第一次世界大戦時の将校や士官、退役軍人などで構成された国家社会主義ドイツ労働者党が母体の組織。結成初期に筆頭指導者就任したヒムラー君が暴れまくったのは有名な話。
「ダイジョブ、ダイジョブヨ。このメンツから泣いて逃げ出すコト不可能、ヨ!」
「ん。竊盗から逃げられると思わない方がいい。」
「ガーン! ルーは大絶望しました!」
「全く。ルーは自分の能力以上のことは楽して誤魔化そうとするのがダメなところですね。」
「姫姉さままでダメ出し要員になりました! 味方がいねーです!」
「るーるー。だいじょーぶ?」
大げさに崩れ落ちたところで、五歳児にポンポンと頭を撫でられ慰められるルー。
「ああ…。ぼっちゃまが唯一の味方です。癒されるですー。」
「ハルはお姉ちゃんを心配できる良い子だね。」
京姫に頭を撫でられ、褒められたことで笑顔になりながらクネクネと身体を捩るハル。そのまま京姫に抱き着いて来たので抱っこされる。
「癒しがもってかれたです⁉ 魂の安息が‼」
「そろそろルーの育成計画をお話しましょうか。ざっとクリアする課題と現在の問題点、進捗状況をペラ紙で作りましたのでTVの方に表示しますね。」
「安息すらなかったです‼」
ティナから現状について簡易にまとめた資料から情報をアップデートしていく。今回、教官役になる面々の役割と最低限クリアする必要がある課題などの意識合わせを行っていく。
「ふーむ、なるほど。技単独では問題ないが、連撃にすると技の流れで癖が出ることが多い訳か。」
「いっそ、競技用に新しい連撃パターンを組んだ方が早い。当然、進めてる?」
「ええ、その辺りは。練習の時は組み替えたパターンをちゃんと使うのですが、いざ戦う時となると慣れ親しんだ技が出てしまうんです。」
「ああ、実戦と競技の境界が認識出来ないってことか。」
「精神を切り替えた方がいい。どちらかの延長に置けば逆のケースが起こり得る。」
「なるほど。肝心な時に競技の技が出ちまう危険性があるってことか。小乃花嬢ちゃん、今からでも何とかなるのか?」
兎も角、ルーが入学する前までに実戦と競技を明示的に分離して技能を使える様にする目標だったのだ。繰り返し身体に覚えさせる鍛錬時間も割くことを考えると、現実的に殆ど猶予が無い状況のため、スケジューリングが極めてタイトになっている。
「技の組み立ては面倒見れる内に仕上げるのを目標。切り替えは十月の学内大会までに形が出来ればいい。足りない分を一度に盛り込むのは得策じゃない。数年を目途に完成させるべき。」
小乃花が提示したのは、技術的項目と精神的項目を切り離した案だ。入学までに間に合わせる部分と競技参加することとなる学内大会に間に合えば良い部分に分けて一時対応とし、スケジュールに余裕を持たせた。本格的に鍛えるには、余程の才能が無い限りどう足掻いても年単位である。
特にルーが苦手とすることなので苦行が延長される予告でもあるのだが本人は判っていないところが何とも。
「え? ルーは学内大会に出るですか? 何でです?」
「おいおい、忘れたのか? 他流との経験も積んで貰うって指示が出てるだろ? 何のために今まで技を競技に落とし込んでたと思ってるんだ。」
「ルーのことなのにルーに決定権が一切ないのはオカシイです! オジジに文句の一つやDM12の一個くらい贈り付けるです!」
「そもそもマクシミリアンに行って武術の幅を広げたいとか駄々こねたのはおまえだろ? そのために手伝って貰ってる立場なのを忘れてんのか? ゲンコツで思い出させるか…。」
「Nein! Nein! 戦争と平和! カミングウェイの精神です!」
「適当な言葉を繋げた上に間違うなよ…。戦争と平和がやってくる方法探しちまってるじゃないか。せめて引用するなら著者名くらいは覚えておけよ。」
呆れ果てた表情からこぼれるエレの返しに、無言でスイーッと視線を逸らすルー。仮に言葉が出ていたら、人には向き不向きがあるのです、と漏らしていたことだろう。事実、ヘミングウェイもトルストイのことも良く判ってないのだから。
「はい。軽いコントは済んだようですし、一度ルーの現状を見ておきますか? 進められるのか実際見て貰った方が良いでしょうし。」
パン、と手を打ち、京姫と小乃花に語り掛けるティナ。現状を確認した上で、小乃花の案が問題なく適用可能か判断を仰ぐ方針だ。
「ほら、ルー。装備Cで道場だ。競技用武器デバイスでな。」
「プロテクター装備じゃないですか! ルーが投げ飛ばされる前提ですよねそれ⁉」
「安心してくれて良いよ。私は合気だから柔らかい崩しで痛みは殆どない筈だよ。受け身は問題ないんだろう?」
「フフフフ、京姫さん愚問です! ルーはニャンコのように軽やかな身のこなしですから!」
フンスッ、と無い胸を張り、自慢げに語るルー。花花と手合わせした際、訳が判らない内に投げられたことは棚に置いている。
「それなら安心。骨法の投げは点だから受け身が大事。」
「小乃花さん…。ナンかそこはかとなく不穏に聞こえるですが…。」
「上手く投げられればダメージは負わない。」
「ほえ? 投げられれば、ですか?」
「そう。投げられ方を知ってることが大事。」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら目をパチクリさせているルーだが、エレが手をゲンコツに握りしめたのを目ざとく見つけ、颯の如く装備を整えに消えた。
擬音が見えるならばピューーと書き文字が浮かんでいただろう。実際は腐ってもWaldmenschenの中でも戦闘特化したルーは、衣擦れの音さえも全くさせずに消えたのだが。
「…全く。逃げ足だけは早いんだからなぁ。」
「ふふふ。随分賑やかな娘ですね。それでも喋る以外に音を全く出さなかった。」
「相手するとダイブ練られてる判るヨ。歩法の潜在能力はティナより優れてるネ。」
「ん。気配操作をもっと練れば上位の隠密行動がとれる。やっぱり森の民厄介。」
「まぁ、才能はあるんですけど融通が効き辛い困ったちゃんですから。」
腰に手を当て、ヤレヤレと言った具合の姫騎士さん。
「お嬢よりは扱いが楽だけどな。」
「ティナよりはマシヨ。困るのも利用するヨ。」
「ティナの方が困り者だろう。相手の退路も塞ぐしな。」
「ティナは手をだしたら、その手が無くなるレベル。」
「私をディスる内容が殊の外酷い件について。」
――昼までに一汗流し、となるまでの運動量はなかった京姫と小乃花。
要するに、ルーが軽くいなされたと言うことだ。ルーの全力を見るため実戦ルールに体術ありの鍛錬だったが、二人は国を代表するレベルの騎士であるため、ルーの技が届くことはなく。つまり、コテンパンにのされたのだ。
「京姫さん、洒落にならなかったです。やられて初めて気付く刺突ってナンですか⁉ 攻撃の気配が全くナイってどうなってるです⁉ さすが鬼姫ですか⁉ 鬼神の如くです! 鬼、ここにいました!」
「懐に入ったら刀を持ってるってナンです? 槍持ってたハズです! 脚畳んで下から両腕一振りで斬られました!」
「槍もったまま腕が触れただけで投げられました。不思議です。ナンで触れてるだけで投げられるです? 身体が動かない位置に揃えられて自然と崩されるとか初めての経験です! ひと夏の思い出がコレだと青春が終わっています!」
京姫と小乃花に大分、揉まれたルー。一対一とは言え、さすがに二人を相手にしたからだろう。道場の床にアイスが溶けだしたようにデロンと転がっている。相変わらず、ハルがルーをツンツンする度、ピクピク動くのでキャーと喜んでいる。しかしハルの相手もままならない程に息も絶え絶えのルー。
戦った相手の動きを思い出しながらお浚い中だが、実のところ体力を削られ過ぎて動けないため、それしか出来ないのだ。
そして小乃花との手合わせを思い起こす。系統で言えば、小乃花はルーに一番近いだろう。竊盗の性質上、暗殺者の技に共通点は多い。気配の操作、相手の武装を無効化する方法、認識外からの攻撃等、人知れず斃すことに長けている。
「小乃花さんの隠形はオカシーレベルです。見えてるのに気配がアヤフヤとか斬り付けたところにいないとか! ルーが全く知らない術です!」
「刀を隠す攻撃もいつ出すのか判別つきませんでした! ヒットアンドアウェイで徹底して一定距離を保つのがブキミすぎです! 蝶が花の蜜を吸いに来る見たいにあっちこっちにヒラヒラです! そして知らない間に杭を投擲されてました…。ストロー刺してルーの汁をチューチューするですか? どのタイミングか脳内リピートしても判りません!」
「指で掴まれただけで痛くて投げられました! 痛いよりも力が抜けて自由にされるのが驚きです!」
「上手く投げられるの意味が解りましたです! ちゃんと力を逃がす方向に飛ばないと、骨が壊されます!」
実際、京姫も小乃花も、投げを打つ時は相当手加減している。投げられ方を考えさせるためである。合気や柔術などの投げを経験したことが無ければ、投げられ方次第で身体が壊れる。投げの対応が判れば、投げられている最中に掛けられた投げの効果を打ち消し、掛けられた技の種類によっては逆にそのまま投げ返すことも可能となる。
投げとは、投げられる際の技量も必要な技術である。
特に甲冑などが無い場合、投げから関節を折られたり、踏み抜き、無防備を晒した弱点に刃物を突き入れたりなど、相手に止めを刺すなど、攻防を有利に展開するための技術である。
――他流の投げ技を経験させる。
ティナが京姫と小乃花へ帰省前倒しの打診をした際、最初の項目として依頼していたのだ。
中国拳法や古式レスリングともまた違った術理があることを教えるのが目的だ。知っていると知らないのとでは身構えが全く違う。術理を教え学ばせるのではなく、身体に体験させて、あると言うことを認識させる通過儀礼の役割と共に、考える必要性を植え付けるためである。
特に今のルーは、身体に沁みつき、考えずとも自然に繰り出す動作が全て禁じ手なのだ。
元々ルーが使う技は確殺術のため、ほぼ初見の相手に使用するのが前提であり、相手に気取られず行使することを是とする。武器の打ち合いなどは、同業者や兵法者が相手の時くらいであり、そう言ったケースの方が稀だ。他者を排絶するための法。そもそもの思想が違うのだ。
だからこそ、身体に沁みついた攻撃の流れを使用することが出来ない競技と言うカテゴリーで、考えて身体を動かす必要があることを他流と相対することで刻み込ませているのである。
戦いによる違いを身に付ければ、競技だけでなく日常的に止むを得ないケースが発生した際など、「表」の立ち位置で対処する方法に繋がるのだ。
ルーが駄々をこねたマクシミリアンへの入学に、許可が下りた本当の理由。
一般社会に身を置き、他者を通し、知識として覚えたことを正しく理解し身に付けさせる。
確殺術の逸脱した才能を持つが故に、それを全てとする歪な精神を内包するルー。
彼女を真に人として完成させること。
それこそクレーフェルト家が望んだことだ。
人を屠る技を持つ者は人を知り、人であることを捨ててはならない、と。
闇に潜むWaldmenschenの矜持である。
カレンベルク一族としても、ルーの能力を伸ばす助力を惜しみなくするのは吝かではない。一族本家次期当主となるハルの専属護衛が優れているに越したことはないからである。
だからこそ、実働部隊で埋もれさせるには惜しい才能を持つ、若いルーを見習として受け入れることを良しとした。将来性に期待をしているのもあるが、現実にはもっとシビアな判定をする。一定期間である程度の成果を修められない場合は即交代も視野に入れていることはクレーフェルト家にも了承を得ている。
然るべきときに然るべき行動がとれる者を求めているのだ。それも一握りの高位者として、だ。本質が求めるものを満たすのであれば、オモシロ発言や態度などを評価に含めることはない。
京姫と小乃花はルーの育成に巻き込まれた形だが、そもそも古流に近代戦闘術を融合させた武術を持つ騎士などは世界でも数える程いるかどうかである。むしろ、その様な特殊技術を持つ相手と鍛錬出来る機会が得られたことは渡りに船である。
花花は最初から二刀の鍛錬相手としてターゲッティングしていた。エレが日常の中で時折見せる武術の動きから技術体系を凡そ予測し、その系統を持つ相手ならば、さぞオモシロイだろうと。ガッツリ自分が二刀を鍛錬する相手として巻き込む気満々であった。
「午後は競技に向けた連携の鍛錬。」
「連携速度は後回しで、一つ一つ良く考えて技を繋げる意味合いを知る訓練だな。」
「午後はワタシも胡蝶刀で二刀同士の鍛錬スルヨ! 流派違う立ち合いは勉強ナルヨ!」
「では私はWaldmenschen同士の鍛錬で技能の精度を上げる方向でお浚いとしましょう。」
「いえ、ルーは午前中でオナカ一杯です。立てないくらい体力消耗状態なのですが…。」
「どれどれ、試してみるか。」
エレがゲンコツを握って床に転がっているルーに近付く。
その瞬間、バビュン!と音がする様に一瞬で数メートルを逃げるルー。
「やっぱり、まだまだ元気有り余ってんじゃねえか。」
「くっ! しまったです! 午後は優雅にお茶でもしながらノンビリする計画が‼」
Waldmenschenの戦闘士は、この程度で動けなくなる様な軟な鍛錬をして来ていないのだ。少しの休息で回復する呼吸法を含めた複合技術を持っている。むしろ、体力を消耗した状態の方が脱力の効果から無駄のない技を出せる技法を多く持つ。
「サボリの口実に説得力がなかった。まだまだティナに及ばない。」
「確かに。ティナならば疑われないレベルの理由を立てるな。」
「いい訳にチョビッとホンと入れるから見破りムツカシイヨ。」
「え⁉ 私がディスられて終わるオチですか⁉」
こんな毎日が続きながら、着々とルーは仕上がっていった。
が。
やはり競技用の連撃はまだまだ精度も劣り、ギリギリ及第点と言ったところ。
九月六日にマクシミリアンの寄宿舎へ入舎した後の入学準備期間でも、空いた時間には試合コートごとに個室化された小スタジアムで引き続き鍛錬を積まされるルーであった。
ちなみにルーは一人部屋型の寄宿舎住まいである。丁度、ティナの三つ隣の住人が卒業して空きが出来たため、随分前から部屋を押さえていたのだ。
ルーの普段着はヴィクトリアンメイデンスタイルのロングドレスを着用した見たまんまメイドである。その姿を見かけた者は何事かと二度見すること多数。尚且つ、ティナを「姫姉さま」と呼んでいることを目撃され、とうとうメイドを常駐させたとか、メイドの宿舎が出来るとか、下らないレベルまでの色々な噂が飛び交い、暫くは話題にことかかないのであった。
「失敗しました。ルーを連れ歩くことでベクトルの違う注目を浴びてしまいました。」
「ウチには普通に使用人がいますから、一般家庭では殆ど縁がない事だと考慮するのを忘れていました。」
「ナニかへんです? ルーは正式スタイルのKampf-Dienstbotenですが?」
通常時の装備武器は刃引きの模造刀にさせられたので、最後までブツブツ言っていたが、戦闘メイドなどと勝手なカテゴリを言葉に出す時点で、普通ではないことに全く気付かないのがルーである。
「ちょっと、前途多難かも知れません。」
珍しく渋い顔でラストを飾る姫騎士さん。
しかし。
後日、今の状況が霞むくらい、学内だけでなくファンの間にも盛大なインパクトを与えることになるのだが。




